2017年5月21日。
聖武天皇の皇女、井上内親王様ゆかりの地を巡るツアーに参加しました。
井上内親王様は、ジェットコースターのような急激に展開してゆく人生を歩まれ、無念であったのだろうと思われる最後を迎えたお方。
今年は、717年にお生まれになった井上内親王様の生誕1300年。
その節目の年に、内親王様の終焉の地・ゆかりの場所を巡るとゆー、、、なんとも素敵な企画。
行かないわけにはまいりません♪
五條では、内親王様がご機嫌であれば晴、ご機嫌斜めであれば雨と言われているそうな。
この日はピーカンの良いお天気。
内親王様がwelcome!щ(゚Д゚щ)カモーンってな具合にお待ちくださっていたとしか思えません♪
大和八木集合で、一路五條へ。
途中、二上山が見えてテンションアップなオイラ( ̄▽ ̄)
まず始めは五條に23社あるという御霊神社の総元締めである、御霊神社本宮へ。
額の文字がめっちゃ可愛い^^
正式参拝である昇殿参拝をさせていただく。
宮司様の祝詞のお声や所作に合わせ、解らないながらも(←ダメダメなオイラ^^;)平伏しながらウットリ聞き入りコッソリのぞき見する。
ツアーの代表の倉橋みどりさんが玉串を拝礼。
最後にお神酒を頂き(いただく前に一拍するのです)、御下がりを頂き終了。
拝殿の奥にまでお参りさせていただき、ちょーちょーホクホク。
普通に一般で参拝していてはできない貴重な体験をさせて頂きました。
拝殿の屋根に桐の紋を見つけたので、豊臣さんゆかりの何かがあるのかな?と思い宮司様に聞くと「聖武天皇様の皇女様であらせられるので、皇室の御紋である桐紋と菊紋を並べてあるのですよ」と教えてくださいました。
オイラ桐っちゅーたら太閤さんしか浮かばなくって、無知さをご披露致した次第。
続いて少し早いけれど、お昼♪
御霊神社本宮さんの社務所をお借りして、井上内親王様をイメージした美味しいお弁当を頂きました。
このツアーの為だけに作られたお弁当で、お写真NGでした。
の・で、どんなだったのかと口伝しますと、五條に流された井上内親王様に献上されたであろう五條の恵みを今風にアレンジした。。。って感じです。
とにかくめっちゃ美味しかったです♪
お昼の後は、宮司様のお話。
〇井上内親王様の読み方は、「いのえ」「いがみ」などあるのですが、御霊神社本宮さんでは室町時代の縁起書に「いのえ」と振り仮名があることから「いのえ」と読んでいらっしゃるとのこと。
〇宇智群に来られた時、ご懐妊されていたと言われる内親王様。いろんな場所に安産祈願や産湯などの伝承が残っているそうです。幽閉されていたと文献にはあるが、完全に閉じ込められていたわけではなく、ある程度の自由があったのではないかと宮司様は推測されている。
〇子供にやさしい内親王様で、子供のいたずらや遊びには寛大だが、大人が神域で無作法をすると子々孫々まで祟りがあるとのこと。
〇怨霊となったことで祀られている内親王様であるが、23社もの宮分をしているということは、ただ祟る神として祀られたのではなく、自分たちを守ってくれる、願いを聞き届けてくれる、、、そういった信仰と内親王様への土地の人の親しみがあったからだと考えられる。
〇お子様である他戸親王様と共に五條に流されたとあるが、なんと長野県宮田村に他戸親王様の伝説があるのだとか。
梅のない宮田村が「梅の里」と呼ばれる所以を調べると、他戸親王様が忍んで住まわれ梅の歌を詠まれたことが始まりであると伝承されていたそうです。
言われてみると、宇智群には井上内親王様の伝説は沢山あるが、他戸親王様の伝説がないそうです。
また長野県飯田市の八幡宮には御霊媛宮があり、それは井上皇后に仕えたものが土着しこの土地に井上内親王様をお祀りしたとされているそう。
〇春と秋に大祭をする。春は井上内親王様のご命日に、秋は五條に流されてきた時に合わせ、御霊を慰めるために行われたお祭りが、土地の人の生活と楽しみと混ざり合い、現在の形になったのだとか。
本来お祭りは実りへの祈願と収穫へのお礼の為に行われるが、この場所では根っこにあるのは、昔も今も内親王様への村人の想いである。
次に地元の方で、五條の観光に力を入れていらっしゃる中さんのお話。
〇怨霊伝説などは大きくなってから知ったこと。小さいころから「ごりょうさん」「いがみさん」言うて境内で遊ばしてもろて親しんでた近所にある地の神さんなので、全然怖くないし、むしろ怨霊なんてピンとこない。
〇五條あるあると言われている、「井上内親王が白壁王の妻であったことから、白壁を塗らない」「百川の陰謀であったとされていることから、この土地では桃が育たない」については、「壁は黒いもん、桃は見ぇへんもんと思てました」とのこと(笑)
〇数年前から大祭に深くかかわるようになった中さん。
どうすればお祭りが維持されていくのか考えた時、小中高の一番楽しい時期の思い出が大人になってからも忘れないモノであることに思い至ったそうです。
自分の生まれた土地に所縁のある人に天平人がいたことを知ってもらうため、天平行列を始め、その天平人に学生さんたちになってもらう。実際お渡りの距離が長いので、学生さんの体力が必要だとも(笑)
そしていつかウチの町のお祭り。。と帰ってきてくれたらと思いが込められているそうです。
今年は井上内親王様の生誕1300年の大大祭なので、天平人に一般の人も応募できるとか。
最後に横浜美術大学の杉本先生のお話。
本当は法螺貝を吹いてくださる予定でしたが、ご都合つかず^^;残念でした。
代わりと言っては何ですが、生誕1300年大祭に先駆けて、10月8日に井上内親王様の物語を新作能にして上演するお話をしてくださいました。
また、その折、古代色の茜染の幕を使われるとのこと。
チョー楽しみで仕方ありません!!!
めっちゃ長くなってるので、続く。
(っつか、最初のゆかりの地から動いてない^^;)
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聖武天皇の皇女、井上内親王様ゆかりの地を巡るツアーに参加しました。
井上内親王様は、ジェットコースターのような急激に展開してゆく人生を歩まれ、無念であったのだろうと思われる最後を迎えたお方。
今年は、717年にお生まれになった井上内親王様の生誕1300年。
その節目の年に、内親王様の終焉の地・ゆかりの場所を巡るとゆー、、、なんとも素敵な企画。
行かないわけにはまいりません♪
五條では、内親王様がご機嫌であれば晴、ご機嫌斜めであれば雨と言われているそうな。
この日はピーカンの良いお天気。
内親王様がwelcome!щ(゚Д゚щ)カモーンってな具合にお待ちくださっていたとしか思えません♪
大和八木集合で、一路五條へ。
途中、二上山が見えてテンションアップなオイラ( ̄▽ ̄)
まず始めは五條に23社あるという御霊神社の総元締めである、御霊神社本宮へ。
額の文字がめっちゃ可愛い^^
正式参拝である昇殿参拝をさせていただく。
宮司様の祝詞のお声や所作に合わせ、解らないながらも(←ダメダメなオイラ^^;)平伏しながらウットリ聞き入りコッソリのぞき見する。
ツアーの代表の倉橋みどりさんが玉串を拝礼。
最後にお神酒を頂き(いただく前に一拍するのです)、御下がりを頂き終了。
拝殿の奥にまでお参りさせていただき、ちょーちょーホクホク。
普通に一般で参拝していてはできない貴重な体験をさせて頂きました。
拝殿の屋根に桐の紋を見つけたので、豊臣さんゆかりの何かがあるのかな?と思い宮司様に聞くと「聖武天皇様の皇女様であらせられるので、皇室の御紋である桐紋と菊紋を並べてあるのですよ」と教えてくださいました。
オイラ桐っちゅーたら太閤さんしか浮かばなくって、無知さをご披露致した次第。
続いて少し早いけれど、お昼♪
御霊神社本宮さんの社務所をお借りして、井上内親王様をイメージした美味しいお弁当を頂きました。
このツアーの為だけに作られたお弁当で、お写真NGでした。
の・で、どんなだったのかと口伝しますと、五條に流された井上内親王様に献上されたであろう五條の恵みを今風にアレンジした。。。って感じです。
とにかくめっちゃ美味しかったです♪
お昼の後は、宮司様のお話。
〇井上内親王様の読み方は、「いのえ」「いがみ」などあるのですが、御霊神社本宮さんでは室町時代の縁起書に「いのえ」と振り仮名があることから「いのえ」と読んでいらっしゃるとのこと。
〇宇智群に来られた時、ご懐妊されていたと言われる内親王様。いろんな場所に安産祈願や産湯などの伝承が残っているそうです。幽閉されていたと文献にはあるが、完全に閉じ込められていたわけではなく、ある程度の自由があったのではないかと宮司様は推測されている。
〇子供にやさしい内親王様で、子供のいたずらや遊びには寛大だが、大人が神域で無作法をすると子々孫々まで祟りがあるとのこと。
〇怨霊となったことで祀られている内親王様であるが、23社もの宮分をしているということは、ただ祟る神として祀られたのではなく、自分たちを守ってくれる、願いを聞き届けてくれる、、、そういった信仰と内親王様への土地の人の親しみがあったからだと考えられる。
〇お子様である他戸親王様と共に五條に流されたとあるが、なんと長野県宮田村に他戸親王様の伝説があるのだとか。
梅のない宮田村が「梅の里」と呼ばれる所以を調べると、他戸親王様が忍んで住まわれ梅の歌を詠まれたことが始まりであると伝承されていたそうです。
言われてみると、宇智群には井上内親王様の伝説は沢山あるが、他戸親王様の伝説がないそうです。
また長野県飯田市の八幡宮には御霊媛宮があり、それは井上皇后に仕えたものが土着しこの土地に井上内親王様をお祀りしたとされているそう。
〇春と秋に大祭をする。春は井上内親王様のご命日に、秋は五條に流されてきた時に合わせ、御霊を慰めるために行われたお祭りが、土地の人の生活と楽しみと混ざり合い、現在の形になったのだとか。
本来お祭りは実りへの祈願と収穫へのお礼の為に行われるが、この場所では根っこにあるのは、昔も今も内親王様への村人の想いである。
次に地元の方で、五條の観光に力を入れていらっしゃる中さんのお話。
〇怨霊伝説などは大きくなってから知ったこと。小さいころから「ごりょうさん」「いがみさん」言うて境内で遊ばしてもろて親しんでた近所にある地の神さんなので、全然怖くないし、むしろ怨霊なんてピンとこない。
〇五條あるあると言われている、「井上内親王が白壁王の妻であったことから、白壁を塗らない」「百川の陰謀であったとされていることから、この土地では桃が育たない」については、「壁は黒いもん、桃は見ぇへんもんと思てました」とのこと(笑)
〇数年前から大祭に深くかかわるようになった中さん。
どうすればお祭りが維持されていくのか考えた時、小中高の一番楽しい時期の思い出が大人になってからも忘れないモノであることに思い至ったそうです。
自分の生まれた土地に所縁のある人に天平人がいたことを知ってもらうため、天平行列を始め、その天平人に学生さんたちになってもらう。実際お渡りの距離が長いので、学生さんの体力が必要だとも(笑)
そしていつかウチの町のお祭り。。と帰ってきてくれたらと思いが込められているそうです。
今年は井上内親王様の生誕1300年の大大祭なので、天平人に一般の人も応募できるとか。
最後に横浜美術大学の杉本先生のお話。
本当は法螺貝を吹いてくださる予定でしたが、ご都合つかず^^;残念でした。
代わりと言っては何ですが、生誕1300年大祭に先駆けて、10月8日に井上内親王様の物語を新作能にして上演するお話をしてくださいました。
また、その折、古代色の茜染の幕を使われるとのこと。
チョー楽しみで仕方ありません!!!
めっちゃ長くなってるので、続く。
(っつか、最初のゆかりの地から動いてない^^;)
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