冠婚葬祭、これは人生につきものなんですが、いろいろとしきたりがあり、厄介なこともあります。
昨日は、主人の伯父さんの奥さんが亡くなり、お通夜がありました。
主人の母と妹といっしょに参列したんですが、昔のお葬式と違って、今は簡略化され、ずいぶん楽になりましたね。
私がまだ小学校へ上がる前ですが、祖母の死に遭遇したことを思い出しました。
その日の朝、祖母が、親戚の家に赤ちゃんが生まれたのでお祝いにバスで行くから一緒に行くかい?と言って連れていってくれました。
バスに乗ることはめったになく、大はしゃぎで窓の外を見ていたのですが、ふと祖母を見ると下に落ちた切符を拾おうとしているようにみえました。
そのときにでこぼこ道で大きく揺れて、下を向いていた祖母が額を鉄の手すりにガン、ガンと二度ぶつけた後、上を向いたのですが、そのまま椅子の背もたれにもたれるようにして動かなくなってしまいました。
私は何が起こったのかわからなかったのですが、隣の席の人がすぐに気づいて運転手さんに伝え、たまたま病院の近くを通りかかったので、そのまま病院の中まで直行してくれました。
祖母は病院についたときすでに亡くなっていたみたいですが、当時は家に電話もない時代でしたから、隣の席のご夫婦が私をタクシーに乗せて、家までついて行ってくれました。
当時は、眉間を打つと死ぬと言われていたので、私はてっきり祖母が額を打ち付けたから死んだのだと思っていましたが、今思えば、切符を落とした時点で、脳卒中を起こして倒れていたのかもしれません。
家族はびっくりして、すぐに親戚が集まり、トラックの荷台に布団を敷いて、祖母を迎えにいきました。
突然のことで、近所の組内の人たちもかけつけ、家はてんやわんやです。
その夜の通夜には、近所の方たちが、「目覚」として、手に手にお米やお酒を持ってやってきます。
場所が狭いので、部屋に入りきれず、廊下や玄関まで人があふれ、ぎゅうぎゅう詰めの状態です。
お経をあげた後、「よとぎ」として、お茶やお酒が振舞われ、夜遅くまで亡くなった祖母の話や世間話をするんですが、お酒が入ったおじさんたちが酔っぱらって延々と居座るので、そのお世話もたいへんです。
次の朝早く、身内のもので祖母をリヤカーに乗せて、山の中にある火葬場に連れて行って、自分たちで薪を焚いて火葬しました。
長時間かかるということで食べ物や飲み物を持ち込んで、普段食べられないお菓子をたくさん食べた記憶があります。
お骨になった祖母を家に連れてかえり、それからお葬式が始まります。
他のところは四十九日経ってからお骨をお墓に入れるようですが、うちの地方では、お葬式が終わるとすぐにお骨をお墓に納めにいきます。
それが終わると、「おとき」を出して接待するのですが、何十人分もの料理が全部組内の人たちの手作りです。
勝手のわからない台所を使われるので、何がどこにあるかわからず、作る方もたいへんでしょうし、そのたびに聞かれる方もたいへんです。
参列者の人たちが帰られたあと、今度は身内のものがお世話になった組内の人たちの接待をして、御礼をします。
わたしの父が15年ほど前に亡くなったときも実家で行ないました。
さすがに火葬は火葬場ですべてやってくれて、ホテルのロビーのような場所で待つだけでしたし、おときも料理は仕出し屋さんに頼みはしましたが、準備や配膳などはぜんぶ組内の人たちにお願いしました。
火葬の関係で、二晩のお通夜になり、その間、親戚などが泊り込んで、そのお世話や葬式の準備などで、落ち着く暇がありません。
お葬式の参列者も300名ほどの方が来られ、家の中や庭に入りきれず、道路まであふれていたそうです。
父が亡くなったのはお昼すぎでしたが、それから仮通夜、本通夜、それにお葬式と、ゆっくり寝る間もありませんでした。
家での葬儀は本当に大変です。
その点、斎場で行なうと、とても楽ですね。
親族が余計な気をつかわず、葬儀にのぞむことができますし、参列者も空調のきいた部屋で椅子に腰掛け、ゆったりとお参りすることができます。
お通夜の「目覚」も品物ではなく、現金にかわり、お通夜だけに出席し香典も済ませてしまう人も多いようです。
通夜式が終わるとほとんどの人たちはすぐに帰っていきますし、接待も葬儀社の方で世話をしてくれるので、昔のような心配はいりません。
お金はかかるようになりましたが、家のものも参列者も、自宅での葬儀に比べて気を遣うことが少なくなり、ぞんぶんに故人を悼むことができます。
帰り道、義母が、うちも葬儀社の会員になってるから安心だね、と言ってました。
昨日は、主人の伯父さんの奥さんが亡くなり、お通夜がありました。
主人の母と妹といっしょに参列したんですが、昔のお葬式と違って、今は簡略化され、ずいぶん楽になりましたね。
私がまだ小学校へ上がる前ですが、祖母の死に遭遇したことを思い出しました。
その日の朝、祖母が、親戚の家に赤ちゃんが生まれたのでお祝いにバスで行くから一緒に行くかい?と言って連れていってくれました。
バスに乗ることはめったになく、大はしゃぎで窓の外を見ていたのですが、ふと祖母を見ると下に落ちた切符を拾おうとしているようにみえました。
そのときにでこぼこ道で大きく揺れて、下を向いていた祖母が額を鉄の手すりにガン、ガンと二度ぶつけた後、上を向いたのですが、そのまま椅子の背もたれにもたれるようにして動かなくなってしまいました。
私は何が起こったのかわからなかったのですが、隣の席の人がすぐに気づいて運転手さんに伝え、たまたま病院の近くを通りかかったので、そのまま病院の中まで直行してくれました。
祖母は病院についたときすでに亡くなっていたみたいですが、当時は家に電話もない時代でしたから、隣の席のご夫婦が私をタクシーに乗せて、家までついて行ってくれました。
当時は、眉間を打つと死ぬと言われていたので、私はてっきり祖母が額を打ち付けたから死んだのだと思っていましたが、今思えば、切符を落とした時点で、脳卒中を起こして倒れていたのかもしれません。
家族はびっくりして、すぐに親戚が集まり、トラックの荷台に布団を敷いて、祖母を迎えにいきました。
突然のことで、近所の組内の人たちもかけつけ、家はてんやわんやです。
その夜の通夜には、近所の方たちが、「目覚」として、手に手にお米やお酒を持ってやってきます。
場所が狭いので、部屋に入りきれず、廊下や玄関まで人があふれ、ぎゅうぎゅう詰めの状態です。
お経をあげた後、「よとぎ」として、お茶やお酒が振舞われ、夜遅くまで亡くなった祖母の話や世間話をするんですが、お酒が入ったおじさんたちが酔っぱらって延々と居座るので、そのお世話もたいへんです。
次の朝早く、身内のもので祖母をリヤカーに乗せて、山の中にある火葬場に連れて行って、自分たちで薪を焚いて火葬しました。
長時間かかるということで食べ物や飲み物を持ち込んで、普段食べられないお菓子をたくさん食べた記憶があります。
お骨になった祖母を家に連れてかえり、それからお葬式が始まります。
他のところは四十九日経ってからお骨をお墓に入れるようですが、うちの地方では、お葬式が終わるとすぐにお骨をお墓に納めにいきます。
それが終わると、「おとき」を出して接待するのですが、何十人分もの料理が全部組内の人たちの手作りです。
勝手のわからない台所を使われるので、何がどこにあるかわからず、作る方もたいへんでしょうし、そのたびに聞かれる方もたいへんです。
参列者の人たちが帰られたあと、今度は身内のものがお世話になった組内の人たちの接待をして、御礼をします。
わたしの父が15年ほど前に亡くなったときも実家で行ないました。
さすがに火葬は火葬場ですべてやってくれて、ホテルのロビーのような場所で待つだけでしたし、おときも料理は仕出し屋さんに頼みはしましたが、準備や配膳などはぜんぶ組内の人たちにお願いしました。
火葬の関係で、二晩のお通夜になり、その間、親戚などが泊り込んで、そのお世話や葬式の準備などで、落ち着く暇がありません。
お葬式の参列者も300名ほどの方が来られ、家の中や庭に入りきれず、道路まであふれていたそうです。
父が亡くなったのはお昼すぎでしたが、それから仮通夜、本通夜、それにお葬式と、ゆっくり寝る間もありませんでした。
家での葬儀は本当に大変です。
その点、斎場で行なうと、とても楽ですね。
親族が余計な気をつかわず、葬儀にのぞむことができますし、参列者も空調のきいた部屋で椅子に腰掛け、ゆったりとお参りすることができます。
お通夜の「目覚」も品物ではなく、現金にかわり、お通夜だけに出席し香典も済ませてしまう人も多いようです。
通夜式が終わるとほとんどの人たちはすぐに帰っていきますし、接待も葬儀社の方で世話をしてくれるので、昔のような心配はいりません。
お金はかかるようになりましたが、家のものも参列者も、自宅での葬儀に比べて気を遣うことが少なくなり、ぞんぶんに故人を悼むことができます。
帰り道、義母が、うちも葬儀社の会員になってるから安心だね、と言ってました。