光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

ふくろうと触れあえる「ふくろうの城・楽鳥園」-君津市

2024年11月15日 | 日記

  7年前にふくろうの城と言うとカフェでふくろうを撮影したり触ったりしたことを思い出しました。その時のふくろうがとても可愛くて印象に残っていたので、ネットで探してみました。すると君津市山本に「ふくろうの城・楽鳥園」と言うのがあったので、ツレと行ってみることにしました。11/1(金)のことです。

 国道410号線を木更津から久留里方面に進みJR下郡駅を過ぎて、500m位進むと信号があります。それを右折すると畑の中に幟が何本も立った建物が見えてきました。そこが目的地です。

 そこにいた犬を飼育している従業員の方に聞いてみると、プレハブの建物の1階がカフェふくろうの城でした。中に入れてもらうとビックリ、ふくろうが沢山いて圧倒されました。また入口のドア近くに木の切り株とそれと同じくらいの大きさのふくろうがいて、大きな目をクリクリさせて私たちを見ています。

 まず料金を支払いました。大人1人1100円(税込み)、小学生以下770円(3才以下は無料)ペットボトルのドリンクがサービスで付いています。帰りにいただきました。営業時間は午前11時~17時(受付16時まで)一人1時間まで遊べます。猫カフェ等と同じです。

 カフェの中にはお姉さんがいて色々説明をしてくれます。とても分りやすく親切です。中ではフラッシュを使わない撮影や触ったりなぜたりするのもOKです。餌やり体験もしましたが、最初はふくろうが嫌がっていたのですが、直ぐにパクパク食べてくれました。

上はメンフクロウ。下の2枚は沢山ふくろうがいて名前を覚えきれませんでした。

 上の3羽はとても小さいふくろうです。全長が15cm位。まだ生まれてまもないそうですが、成鳥になっても大きさは変わらないそうです。

 この小さいふくろうに手を近づけるとのってきました。可愛いですね。1羽どの位の値段か聞いてみるとると、色々種類があるのですが、30万くらいとのことでした。チョット手が出ないので、またここに来て遊んでもらおうと思います。


晩秋の蓮田・木更津市長須賀

2024年11月13日 | 日記

 10月の末に久しぶりに市内長須賀の蓮田をツレと訪ねました。時間は午前6時50分、この時期野鳥は移動していないかと思いましたが、カルガモやシラサギの姿を見ることが出来ました。

 カルガモのグループが畔で寝ています。ほかの2羽は蓮池で餌を探しています。少し気温が下がってきたので、この蓮田も様子が変わってきました。蓮の葉が枯れて冬の訪れも間近に感じる今日この頃。

 

  午前7時を過ぎると踏切の音が「カン・カン」聞こえてきました。音のする方向からすると久留里線の列車が来たようです。暫くすると久留里線が通過していきました。殆ど乗客はのっていません。

 

 手前の農道に鳥専門のアマチュアカメラマンが2名いました。最近よく見かける人たちです。

 畔にいたカルガモが蓮池に入ってきました。先に池にいたカルガモと合流して西の方に飛び立っていきました。ここのカルガモは留鳥もいるようですが、11月中頃になると殆ど姿が見えなくなります。


1561年ドイツ・ニュルンベルク上空の奇跡とTシャツ

2024年11月11日 | 日記

 雑誌をめくっていると1561年4月14日ドイツのニュルンベルク上空で、不思議な現象が起きていたことが掲載されていました。中々興味深い記事ですが、これは当時の新聞のような物(ニュース・ノーティス)が報じたところから引用した事実のようです。

 チョット興味がわいたので、この画をプリントしたTシャツがないものかと探したところ、ありました。ツレとお揃いで購入、異常気象で気温が高いので半そでのTシャツが役にたっています。

 記録によると1561年4月26日の朝4時から5時の間におこった出来事。ニュルンベルグの住人は音のする上空を見上げ、あまりの光景に固まってしまった。

 空中には形も大きさも違う不思議な物体が飛び交っていた。物体の形は球体、円筒型、皿形、十字、楕円、三日月型、そしてシリンダー型からは球体が放出される様が見られた。その内の何個が荒野に墜落したようだ。

 物体のスピードはこの世のものとは思えないほど速く移動していた。その動きが終わる頃、とても長くて太い黒い槍のような物が現れて、東を指したり、西を指したりするのが目撃された。この一連の出来事は1時間ほど続き、その後さまざまな形の物体は太陽に向かって飛行し消え去った。以上が当時の木版画に残された記録の抜粋です。

 この事件は、中世のUFO目撃事件として有名です。しかし否定派は乳房雲や天体現象として説明できるとしています。地上に落ちて炎上し煙を出しているのは、その時どこかで火事があったのを見間違えたのでは、としています。しかしこのようなスペクタクルが、単なる気象現象で解明出来るとは思えません。乳房雲は音を発したり、速いスピードで移動しませんから。

 上の絵は落ちて煙を出している場面のアップ。人物や建物から比較すると、球体の大きさは2m前後。今日のドローンと同じような物でしょうか?無人の記録用円盤(レジスタリングデスク)のようです。

 その5年後の1566年7月下旬から8月上旬にかけて、今度はスイスのバーゼルで同様な事件が起こっています。この現象は「1566年のバーゼルのパンフレット」として知られる印刷物に掲載された物です。不思議な現象は7/27、28、8/7に発生しました。27日は異常な日の出、28日は赤い太陽の日の出とともに起きた皆既月食、8/7は日の出前に赤や黒の球体が無数に現れ飛び回ったと記述されています。

 下の図は1697年ドイツのハンブルグ上空に出現した「空中で輝く2つの車輪」です。色々調べてゆくと不可解な出来事が沢山見つかります。そんなことはあり得ないと無視したり、既存の出来事として解決しないで、冷静な目で見ることが大切です。私はこれからも不思議な物をコツコツと探して行こうと思います。

  


JR松丘駅近くの松栄堂の銘菓「松丘とうふ」

2024年11月08日 | 日記

 君津市広岡で行われた「かしま人形」の行事をツレと撮影した帰り、久留里線松丘駅近くの松栄堂菓子舗で銘菓「松丘とうふ」を購入しました。最初にこのお菓子の名前を聞いたときにはどんな物なのか想像できませんでしたが、見て納得です。名前も形もユニークですが、とても美味しい和菓子です。

 この松栄堂は「松丘とうふ」だけではありません。色々な和菓子や子供たちが喜ぶ駄菓子も置いてあります。

 また有名人のサインやテレビ番組からの色紙も置かれています。なかでもいい旅夢気分(TV東京の旅番組)が目立っていました。

 松丘とうふは豆乳入りの柔らかいスポンジ生地の間に、餡が入ったお菓子。季節によって色々な味が作られています。チョコレート、黒ごま、抹茶、さつまいも、マンゴー、レモン、等です。

 私たちはマンゴー、サツマイモ、パイナップル、レモンを1個づつ購入しました。そして懐かしい味噌パンがあったのでそれも1ついただきました。松丘とうふは1個税込みで210円、みそぱんは160円でした。

 松丘とうふとみそぱんは、家に戻って美味しくいただきました。しかしお豆腐のような形のお菓子、何故こんな形になったのか不思議です。今度訪問したら由来を聞いてみようと思います。またみそぱんもホンノリ味噌の味がして子供の頃を思い出しました。


君津市広岡のかしま人形②-お菓子を交換して健康祈願

2024年11月06日 | 日記

 この行事以前は9/9に行われていたのですが、現在は諸般の事情により10月の第一日曜日に変更されています。高さ約1.8mの男女一対のワラ人形を作り、男はちょんまげで槍を持ち、女は長髪で薙刀を持っています。

 小櫃川流域で行われているかしま人形は、5ヶ所。①袖ケ浦市阿部②袖ケ浦市三箇(廃絶)③君津市俵田④君津市広岡(当地)⑤君津市大坂、新型コロナの感染拡大で中断してから再開されているのは、この広岡地区だけです。しかし昔は君津地域だけで19ヶ所で作られていたそうです。

 

  鳥居に固定されてからも細かい作業が続きます。

 午前11時半頃にかしま人形が完成すると鳥居の横の小さな社殿の前に全員が整列。そして悪疫予防、盗難防止、五穀豊穣、家内安全を祈願します。

 記念撮影の後、かしま人形の懐に袋詰めのお菓子(昔は団子)を一組入れます。夕方地区の人たちが参拝し、懐のお菓子をもらいます。そして持参したお菓子を代わりに入れます。お菓子は護符(ごふ)の意味があり、食べると病気にならないという言伝えがあります。これでかしま人形の行事が終了。制作者は公会堂で打ち上げが行われます。


君津市広岡のかしま人形①ー疫病退散・家内安全を祈る!

2024年11月01日 | 日記

 10/6(日)ツレと君津市広岡で行われた「かしま人形」を撮影してきました。江戸時代から続く「かしま人形」現在県内では、ここでしか行われていない貴重な行事です。

 この日は午前中から雨が降っており、何時もは外でかしま人形を制作するのですが、今回は稲鹿公会堂の中で作られました。

 小櫃川流域の君津市や袖ケ浦市では江戸時代から伝わる、かしま人形と呼ばれるワラ人形を作っていました。この人形は手を横に広げ槍や長刀をを持つ姿ををしており、地域から疫病や災いを退散させる神様です。

 10月の第一日曜日、君津市の山合いにある11世帯35人が暮らす稲鹿地区では、一世帯1人が出て疫病が入り込まないように人形づくりが行われます。

 今回のかしま人形にはお腹に古代米の穂が入れられています。柔らかくて良くしなるそうです。そして完成すると外に出し、隣接する山王(さんのう)様の鳥居前に運ばれます。


富津市大貫漁港の海苔の種付け-上総・秋の風物詩

2024年10月30日 | 日記

 10/5(土)新富津漁港から今度は大貫漁港に向かいました。ここでも海苔の種付け(陸上採苗)が行われていたのですね。今まで一度も来た事がありませんでした。

 海苔の種付けの方法は新富津漁港や金田漁港とおなじですが、規模が違います。ここは水車が3基しかありません。それに作業は新富津漁港より1日早い10/4午前5時頃から始まったようです。

 作業をしている女性の方に海苔作りについて聞いてみました。ここ大貫漁港では陸上採苗(海苔の種付け)が始まったのは10年以上前、海苔作りの1番大事な作業と強調していました。女性にはきつい仕事、でも頑張らなくちゃと張り切っていました。

 ここで作業をしているのは、大佐和漁協の組合員約20名です。海苔の養殖網が新富津や金田と違いオレンジや紫のカラフルな網が使われています。水車にまかれて、海苔の胞子がついたこの養殖網は別の水槽に移され、その後冷凍庫に運ばれていきます。

 冷凍保存された海苔の養殖網は、水温が23度を下回る頃を見計らって海に張られ、11月中旬から収穫が始まります。こうして育てられた千葉の海苔は香りも味も一級品、我が家でも美味しくいただこうと思います。


新富津漁港の海苔の種付け-この笑顔に会いたくて!

2024年10月28日 | 日記

 10/5(土)は小雨が降るあいにくの天気でした。しかしこの日が新富津漁港、海苔の種付け(陸上採苗)の開始日です。今年は何時までも気温が下がらず10月に入ってからの海苔の種付けです。

 この日雨が降っていたので、私たちは行くのをやめようかどうしようか迷っていたのですが、8年も続けて撮影しているので、意を決して出発しました。それに隣の大貫漁港でも種付けが行われていると新聞に出ていたので、そちらにも行くことにしました。

 海苔の種付けとは、直径約2mの水車に網を巻き付け、海苔の胞子の入ったプールを潜らせ胞子を網に付けるという作業。手間と緻密で根気のいる仕事です。しかし8年も通っていると顔見知りの方も出来てきます。お疲れのところを、沢山の方がニッコリとポーズをとってくれました。

 恐縮なことに、私たちが忘れているとこっちも写真を撮ってと声をかけてくれる漁師さんもいます。ありがたいことです。

 変わった髪型の方に素敵なヘアーですねと、感想を言うと嬉しそうに「ありがとうございます」という声ががかえってきました。

 仲のいいご夫婦のツーショットも撮らせていただきました。

「俺も撮ってよ」と言われた顔見知りのおじさんです。また何時も顕微鏡のところで胞子を見せていただく方も、毎年決まったポーズで撮影しました。そして撮影した方から来年プリントしてきてと言われながら、大貫漁港に向かいました。


古都の趣を持つ長楽寺の彼岸花-木更津市

2024年10月25日 | 日記

 10/2(水)は高温だった夏を引きずり、まだ気温が25度を超えた蒸し暑い日でした。この日はツレと高倉観音の後、木更津市請西の長楽寺を訪問しました。

 今年の彼岸花は高温が長く続いたせいで、何時もより開花が遅いようです。右側の入口から入るともうそこには、沢山の彼岸花が咲いていました。花にはアゲハチョウがとまっており、とてもフォトジェニックです。

 長楽寺には午前11時10分頃到着。高倉観音から車で約30分程です。ここは真言宗豊山派の寺院。鎌倉時代後期の嘉元年間(1303~1306年)に、融源上人によって上総国望蛇郡請西本郷に創建され、その後元禄年間にこの場所に移転したと伝えられています。

 境内を進み本堂でお参りです。本堂の前には高さ1m位の塔の上にマニ車が置かれていました。このマ二車を回すと回しただけお経を唱えるのと同じ功徳があるとされています。

 境内の左側から裏庭に行くのですが、途中に石版が並んだ所があります。

 裏庭は彼岸花が真っ盛り、多少盛りが過ぎた花もありますが、とても綺麗。

 彼岸花が似合うのは木更津ではここ長楽寺が一番です。そして境内に一輪だけポツンと咲いている彼岸花にアゲハチョウが止まって居たので、それを撮影して帰宅しました、

 


袖ケ浦市の百地蔵-彼岸花も咲いています

2024年10月23日 | 日記

 私とツレは、お彼岸には袖ケ浦市の延命寺にある百地蔵尊をお参りに行きます。ただ今年はお彼岸の前後に台風や低気圧の接近で雨が多く、訪問できたのは10/4(金)になってしまいました。

 ただ延命寺に行く道の両側には彼岸花が咲き、まるで道しるべのようです。

 延命寺は小高い丘の上に建つ寺院。登って山門から見ると、田んぼの緑と赤い彼岸花のコントラストがとても綺麗です。

 何時ものようにツレと本堂でお参りし、裏山の百地蔵尊に向かいました。途中アマビエ像が目に付きます。新型コロナ全盛の頃置かれたので、もう3年以上立っています。

  裏山にある百地蔵尊は右側の方から登りました。

 石仏や石版に貼られたお札はお彼岸の物ですが、日が経っているわりに沢山残っていました。

 延命寺は神亀元年(724年)行基上人によって創建されたと伝えられる古刹です。ここには豊臣秀吉が出した禁制の古文書が所蔵されています。この古文書は天正18年(1590年)発行の文書で、36x48.5cmの紙に乱暴、狼藉、放火は厳罰に処すると書かれています。

 そして幕末には、旧幕府軍の歩兵隊が寄宿中に、官軍の攻撃を受けたようです。

 お彼岸になると裏山の百地蔵尊に、参拝者によって無数のお札が貼られます。江戸時代には三代将軍家光から寄進を受ける等、袖ヶ浦で最も栄えた寺院の一つでした。

 この日境内には誰も居ません、私たちだけでした。1時間ほど滞在して撮影しましたが、訪問した時より元気になりました。やはりここは袖ヶ浦のパワースポットのようです。お寺の前は彼岸花が沢山咲き、秋の訪れを告げていました。