山岳ガイド赤沼千史のブログ

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13男鹿岳 4月21、22日

2013年04月24日 | ツアー日記

 先日の雪の毎日ツアーから10日ほどが経って、そんな事はもうあるわけがないと思っていた事が再びおきたのだ。夕べの会津田島の駅前はミゾレ交じりで寒さがシンシンと身に染みた。寒いので地酒の金紋会津がまたすすんでしまった。いつまで経っても意志薄弱なただの酔っぱらいガイドだ。少し落ち込む。

 今日のお客様はおひとりだ。もうおひとりいらっしゃったのだが、急な風邪引きでキャンセルとなり、二人だけの静かな山旅となった。午前4時に集合して、水無川沿いの林道を車で進む。田島では雨だったが次第にミゾレとなり林道バリケードのある滝沢橋ではハンパ無い雪に変わってしまった。さて、どうしたものか?フロント硝子に降り注ぐ雪をお客さんと眺めながら思い悩む。

「まあ、最初は林道歩きだから、ダメ元で行ってみましょう」と言う事になった。

 装備を調え白んできた雪降る空を恨めしく見上げながら傘をさして出発する。雪は降ったり止んだりではあったが、確実に積雪は増えていった。先日行った横川ルートに比べれば荒れた林道もまだましで、未だ雪が少ないので問題なく先へ進んだ。気温が高めで、風が無風に近いのも助かる。雪は湿った重めの雪だ。体を濡らし風が出れば、それ以上進むことはよした方が良いだろう。低体温症を引き起こす可能性があるから。

 オーガ沢橋を過ぎ林道が北に折り返すと林道の状態もかなり悪くなってきた。藪と深く掘れた路面、路肩の崩壊、土砂崩れなど修復はかなり大変な状況だ。幅も広く、本来はしっかりした林道なのだが、何故このように放置され廃道と化していくのだろう?しかも大震災後、そのような林道が増えている。多額の税金を投入し、その本来の目的を果たさずに捨てられていく数多の林道を僕は歩いてきた。先日の塩那道路もそうだ。まさか本来の目的とはただ道を造ること?そうじゃないよね、お役所さん。

 3時間ほどで大川峠に到着した。様子を見ながらと言う事でここまで来たのだが、何とか行けそうな雰囲気なので、アイゼンを装着し南へ折り返す様に笹の尾根に入った。笹はしばらくすると途切れたり、また現れたりするが、おおむね雪の斜面を登っていける。積雪20センチ、風は殆どない、助かる。これなら行ける。

 それにしても、いったい今日は何月なのだろう?と、大雪が僕の頭を混乱させる。厳冬期の山を歩いているようなのだ。安曇野の我が家では稲の種蒔きを終えてきたばかりなのだが、芽をちゃんと出してくれるだろうかと心配になる。

 広い尾根は斜度も穏やかでさほどの苦労もない。ただこういう尾根は下りに気をつけなければいけないなどと思いつつ登ること峠から約2時間で、見覚えのある男鹿岳に到達した。新たな積雪は30センチに達していた。

 展望はなし。大佐飛山も雪雲のなか。ただただ雪が静かに降っている。誰も登ってくる気配などない。ここから10キロ四方にはおそらく誰もいないのであろう。しみじみと感じる山だ。

 登ってきた時につけてきたトレースは所々現れる笹の中では限りなく不明瞭になる。風でもあれば雪の斜面でもそれは瞬く間にかき消され僕らを不安にさせるだろう。しかし今日はなんとか大丈夫だ。慎重に方向を見極めくだった。大川峠ではさらに5センチほどの積雪が増えていた。

 これは生々しい熊の足跡。おそらく数分前に通過したものだ。弁当箱ぐらいの大きさがある。左手の山から下ってきて右手の水無川の方に降りていったようだ。子連れではなくおそらく単独のオスだろう。冬眠から醒めて忙しい生活が始まったのだ。僕らもいっしょだ。

 

 


13毎日旅行男鹿岳、大佐飛山テント泊4/6,7,8

2013年04月24日 | ツアー日記

 男鹿岳、大佐飛山は福島南会津と栃木県那須高原、塩原温泉などに挟まれた男鹿山塊にある登山道のない山である。標高はそれぞれ1777メートルと1908メートル。日留賀岳などもこの山塊に含まれる。道のない山は藪を漕ぐか、藪を避けるならば残雪期を利用しての登山と言う事になる。今回は毎日旅行としては珍しくテントを担いでの2座一気登頂ツアー、お客様は男性ばかり5名様と毎日の西山氏とガイドが僕と言う何ともコンパクトなツアー登山だ。

 前泊で会津鉄道会津高原駅近くの「夢の湯」に宿泊。夕方から季節外れの大雪が降り始め朝には10センチの積雪となっていた。どうせたいしたことないだろうと鷹ををくくって飲み過ぎたので頭が重い。少し後悔する。それでも食事を朝4時から出してくれたので、味噌汁を飲んで元気に出発。国道121号線をやや南下して山王峠南の横川からキャンプ施設「ワイルドフィールド男鹿」へ向かった。

 ここから男鹿山林道をひたすら奥へ入っていく。辺りは4月とは思えない雪景色で、未だ芽を吹く前の木々が花を咲かせた様に綺麗だが、上部の積雪を考えると気が重くなった。しかし歩いてみれば雪質は意外と軽く歩行にはさほど問題にはならないので登山中止を考える事はなかった。

 2時間ほど歩くと林道は終点となり道は川に飲み込まれ、対岸には沢水を利用したワサビ田が広がっている。ここの左岸をへつって右側の尾根に取り付きしばらく行くと、さらに上に伸びる古い林道跡にあたる。歩けば落石だらけで藪もかなり発達して所々崩落箇所もあり何とも歩きにくい道だが、ただの藪漕ぎを考えればとても助かる。気楽に歩いていけるのは確かだ。メチャクチャに荒れている箇所もあるが、かなりの急斜面を削って造られた道で標高1400メートルぐらいまではこの林道跡を利用できた。そこから先は傾斜も落ち、コンパスを振りながら広い斜面をひょうたん峠目指して登っていく。

猿に遭遇?いえいえ西山さるくん

 天候は回復傾向なので青空が時々顔を出してくれて、新雪の登りも景色を楽しみながらとなった。雪は30センチほどあるが雪が軽いし、その下の残雪は堅くしまっているのでラッセルという印象はない。やはり新しい雪は美しいものだ。歩き出してから7時間、ひょうたん峠のプレハブ避難小屋に到着した。他には誰もいない。迷わずテントではなく小屋を利用させて頂く事になった。

奥左が男鹿岳

 少し休んでから今日中に男鹿岳を登頂することになった。ここからは廃道化が進む塩那スカイライン沿いに北上し男鹿岳基部から頂上を目指した。忠実に稜線を行くと笹が立ち上げっている様なので、東側の斜面から登りあとは雪庇が張り出しアップダウンのある尾根を行けば頂上だ。難しい事はないが、テント装備を背負っての7時間の格闘のあとは堪える歩きだった。帰りの林道も微妙に登っているのでお客さんも大変だったろう。皆さんほんとに頑張ってくれた。

 季節外れの寒気はその日も去らなかった。雪こそ止んではいるが放射冷却となった朝の外気温はマイナス9度。小屋の中でもマイナス3度だ。私もそうだが皆さん厳重な防寒対策をしてこなかったので一晩中足を擦りあわせながら眠れぬ夜を過ごす。

 

 翌朝、本来ならもう一晩ここに滞在の予定だったのだが、それは体力的に無理だと判断し大佐飛山を往復後下山する予定で出発した。小屋の目の前に見える山は 1840メートルの無名峰で大佐飛山はさらにその奥にある。先ず 100メートルをくだり、250メートルを登る。多少藪があったり笹が立ち上がっているが問題になるほどではない。1870メートル峰からは再び下って登り返したところが大佐飛山だ。この日の雪も低温がキープされているので軽めなので助かった。これがもし登山道であったとしてもさほど時間的には変わらないだろう。大佐飛山まで3時間半。

日留賀岳

 近くは日留賀岳、那須連山や七ヶ岳、遠くに会津駒や尾瀬方面の山々、北にも山が見えるのだが、僕にとって馴染みのない山域が果てしなく広がっている。日本は山だらけの島国なのだ。雪はその山々を魅力的な姿に変える。これが夏であればそれはただの青い山に見えるのかも知れない。あちこち登ってみたくなるのはこの時期ならではだと思った。

1870メートル峰

 復路は足も重い。これから下山となるのだが、登り返しは何度やってもいやだ。というか、どんな小山だろうが、頂上直下はとてもきついのは僕だけだろうか?雪質は悪くないとしても、重いアイゼンを履いて不安定な雪道を行くのは大変なことだし、そのうちその一歩一歩がボディーブローの様に効いてくるのだ。避難小屋に戻り荷物をとって下山したのだが、再び降り始めた雪にグショグショにやられて下山は最悪のコンディションになった。ただただ、温泉に入って乾いた暖かな布団で眠りたいと言うことで皆さんよく頑張って下さいました。

 念願叶い、夢の湯で温泉にずっぷし浸かった時には思わず声が出てしまった。避難小屋で頂くはずだったアルファ米にレトルトのハヤシライスをぶっかけて、みんなで乾杯!男ばかりのツアーもまた楽し。