山岳ガイド赤沼千史のブログ

山岳ガイドのかたわら、自家栽培の完全手打ち蕎麦の通販もやっています。
薫り高い「安曇野かね春の蕎麦」を是非ご賞味下さい

北アルプスの秘境「初雪山」4月5,6日

2014年05月07日 | ツアー日記

 これは少し前のことである。時は四月の初旬。日本列島が最後の本格的な冬型の気圧配置に覆われた時の事、僕等は自称北アルプスの秘境「初雪山」に向かった。縦走路の主脈から外れているため、登山道は無く雪を利用して登るしかない。栂海新道の犬ヶ岳辺りから見ると、その大きな山体がとてもよく目立つ。小川温泉から登るのが一般的だが、長大な尾根の横移動がまどろっこしいので僕は大平集落から入山する。

 この記事はもっと早く書こうと思いながら、この山行の直後に行った山スキーの事を先に書いてしまった後は、何か気持ちが纏まらなくて、僕はものを書くことにあまり集中出来なくなっていた。4月と言えば、田植えに向けてのアレコレがあって、それは、慣れた仕事とはいえ一つ一つをこなしていくのにはちょっとした緊張感があるのだ。失敗したら段取りが全て狂ってしまう。仕事の順序を考え、日にちを設定し、その合間も山に行ったり、スキーに出かけたり、僕は結構綱渡り的な生活をしていのだ。加えて春というのは、何か急き立てられる様な気分がする。ぼんやり冬にはまっていた僕は、いよいよそんな春の爆発に置いてきぼりにならぬようにしなければならないのだが、それがなかなか上手く行かない。そんな季節と僕自身の心の中のズレがありありと見えて少し憂鬱になってしまうのが、この四月なのだ。そんな春が僕は少し疎ましい。ずっと冬でも良いのに・・・・・・・・まあ、そんなわけ無いわな。これは毎年の事である。そして自営業者はまた走り続けるのだ。

 強い冬型の気圧配置が列島を覆い、日本海には怒濤が押し寄せていた。冬の日本海はたまに見る分には素敵だ。うねる海が、陸の近くで急に競り上がり、砂を巻き込んだ波頭が激しく崩れ落ち砕け散る。海に縁のない長野県に住む僕にはびっくりするような迫力だった。ずっと眺めていたい気分になる。

 新潟と富山の県境の境川を上流に向かうと大平の集落に入る。少し先のゲートから雪が残った川沿いの林道をてくてく歩いた。所々雪崩後が道を塞いでいて、上流では林道は完全に埋まって斜面をトラバースしながら進む。滑落したら雪解け水の大平川へ呑み込まれて瞬く間に低体温症となって命を奪われてしまうのは確実だ。

 初雪山北尾根は末端こそ急で複雑な地形なのだが、そこだけ我慢すれば、後はブナとミズナラの快適な斜面が延々と続く。テントサイトはそこここにあるから、疲れたら何処で泊まっても良いのだが、これから強まる冬型が少し心配で出来るだけ上に登っておくことにした。明日の行動を短めににする為だ。途中熊の足跡を横切る。目覚めた熊がうろつき始めているのだ。春だからねえ。テントサイトはいよいよブナが疎林となる辺りに設けた。千切れた雪雲が時々辺りを覆い雪を降らせるが、比較的穏やかな夜。意外にも寒いことは無かった。

 目が醒めると辺りは10センチ程の積雪に覆われていた。明るくなるのを待って山頂を目指す。テントサイトから上部は見事な雪面が広がっている。時々刺す朝の斜光が新雪を照らしてキラキラと光る。ここは山スキーなら絶叫モノの極上斜面だ。最初にここを訪れたのは山スキーだったが、その時の感動は今でも覚えている。素晴らしいパウダースノーを、まるで日本海に滑り込むような錯覚に陥りながら滑る最高の斜面だった。またいつか、そう、来年辺り滑りに来ようかななどと思った。

 山頂直下はかなりの急斜面だ。そして明らかな雪崩地形。左の尾根から右の尾根に乗り移らなければならないが、ルート取りはかなり難しい。視界が悪い時は絶対に行かない方が良いだろう。さらに北西の支尾根に登ると雪は堅く緊張を強いられた。かと思うといきなり穴に落っこちてみたり、一歩一歩がロシアンルーレットのようだ。最後は傾斜は落ちたが、ボコボコの雪に苦しめられる。足は遅々として進まない。やはり昨日頑張って上部まで登っておいて正解だったなと思う。次第に降る雪が強まってきた。そして、いつもより時間を掛けて喘ぐように山頂に着く頃にはとうとう吹雪となってしまった。見えるはずの雄大な北アルプス最北の山々や青い日本海は、残念ながら打ち付ける様に降る雪のカーテンの向こうだ。体が冷える前に早々に下山するしかなかった。

 自分たちの踏み跡を頼りに下るが、見る見る降り積もる雪にそれはどんどん希薄になり、所々道を見失ってしまう。雪崩地形のところでは、霧も出て完全なホワイトアウトになってしまった。こんな時は慌てず、近くを探す。お客さんにはじっとしてもらって周囲を行ったり来たりすると、わずかに残る踏み跡を見つけた。慎重にそれをたどってなんとかテントサイトまでたどり着くことが出来た。何度も経験してはいるが、ホワイトアウトはほんとに恐い。三半規管が正常を保てなくなれば頭の中は混乱を極める。それはまるで真っ白な闇だ。慌てず事態を把握するしかない。落ち着こう。

 帰り道、大平川沿いの林道では、ミゾレまじりの猛烈な吹雪となった。既に標高は100メートル程だというのに、今回の寒気は相当なものだ。標高の高い栂池や、白馬辺りではかなり良い雪が降っていることだろう。「明日は最後のパウダーを楽しみに行こうかな」などと考えながらミゾレ降る林道を大平集落へ下山した。 

 因みに、僕はこの初雪山に7,8回訪れているが、誰ひとり登山者に出会った事はない。ただ人に会ったと言えば林道で猟犬を連れた鉄砲猟師には3回会っている。それは多分同じ人物で、「熊の足跡無かったけ?」と富山弁で僕に話しかけるのだ。猟期はとっくに過ぎている。多分法令で着なければ行けないと決められているはずのオレンジ色のジャケットや帽子も身につけず、鉄砲はケースに入れたままそれとなく藪に隠していたり。あのオヤジは間違いなく密猟師だ。今回林道を下山中、山スキーを担いだ登山者に初めて出会った。・・・・・・・・・誰もそんな事は言っていないのだが、僕は勝手に認定する。初雪山は秘境である。