山岳ガイド赤沼千史のブログ

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7月の滑落事故のこと

2014年08月06日 | ツアー日記

「きゃあーーーー!」

「止まれーーーー!」 

 僕らは登山口まであと少しという樹林帯の急斜面を横切っていた。悲鳴 が響き渡った。ふり返れば、隊列の中程にいたお客さんがその急斜面を転がって行くのが見えた。そしてそれはどんどん加速し、人車となってグルグル転がりながらあっという間に我々の視界から消えた。某社の聖岳から光岳ツアーの最終日、畑薙大橋登山口まであと少しという場所での事である。

 南アルプスの山体は釣り鐘状の場所が多く、登山口付近に急坂が存在する。ここもそんなところで斜度はおそらく35度ぐらい。樹林帯ではあるのだが南アルプスの樹林帯の林床には藪も笹もない場所が多い。ここもまさしくそんなところ。登山道を横切りながら、ずっと見通す谷底にゾクッとすることがよくある。だから、下山の時にはワンピッチ毎それを説明し、注意喚起をしている。特に最後のワンピッチは。

 滑落者は女性。同様気味のパーティーに取り敢えず落ち着いてもらって、添乗さんに後を頼む。もちろん救助要請も頼む。残念ながらここは携帯が通じない。

 そして僕は斜面を下って行った。足下は小砂利で、一足毎に足下が崩れる。木やわずかに生えている灌木に捕まって落石を落とさぬよう下った。彼女が滑落していったと思われるラインをはずしてその脇を下る。100メートル程下るとペットボトル、更にその先にザックカバー。本人はまだ見えない。わりと疎らな樹林の斜面だが、もちろん大きな木があるし、小砂利の斜面から岩盤も露出しているし、ゴロンとした石も無数にある。心の中には絶望しか無かった。転がり始めた時のスピードを思うと、とても助かる事故ではないと思った。早く見つけてあげたい、いや見つけたくないと言う気持ちが交錯した。

 大井川の河床が見えた。最後の斜面は完全な岩盤で斜度は更に急になって、大井川の河床に達していた。その岩盤を木に捕まってようやく河床に着く頃、ザックを背もたれに横たわった状態の彼女の姿が見えた。背中側が見えて、表情はわからない。

「おーい、大丈夫!」

反応は無い。だが、目をこらすと彼女はかすかに動いていた。

「大丈夫ですか?」何度か声を掛けるが、ふり返ってはくれない。だがどうやら彼女は、顔を拭いている様子だった。

 彼女は生きていたのだ。

「大丈夫ですか?よく頑張ったね」

ようやく彼女の所までたどり着いて声を掛けた。多少ぼんやりしているが、ちゃんと話すことが出来る。顔には額と頬に2箇所の大きな裂傷。顔はパンパンに腫れて傷が深い。血まみれだ。早速滅菌ガーゼと三角巾で圧迫止血する。止血をしながら、話しかけたり体を観察したりした。左手が痺れて動かない、胸が痛い、その他は大丈夫という。見るかぎり顔の裂傷以外は出血や骨折の様子も無かった。

 しきりに、僕を気遣い「ごめんなさいねえ、赤沼さん。もう少しで解放されたのにねえ。」と彼女は何度も言う。自分の名前はもちろんわかっているし、僕の名前さえ覚えていてくれた。こんな時よく記憶を失う人がいるが彼女の受け答えは明晰だった。踏み外した瞬間は覚えていないが、転がっている最中は覚えているという。出血よ止まれと念じつつ彼女の顔を手で圧迫止血した。幸い程なく出血は止まった。

 彼女が滑落してようやく止まったのは大井川の河床で、見ればすぐ脇に畑薙大吊り橋があるところ。参加者を引き連れた添乗が橋を渡っていく。

「大丈夫、生きてるよ!救助要請早くお願い!」他の参加者も心配そうにこちらをふり返っていた。考えてみれば彼女は斜度35度~40度の斜面を200メートル近く滑落し、その間、岩や立木に頭をぶつける事もなくここまで転がり落ちてきたことになる。何に対してではなく、僕は今目の前にある事全てに対して感謝した。傍らにある河原の石ころや流木にまで感謝した。

 それから、僕らはひたすら救助隊を待った。少しだけでも歩いてみますと彼女は言うのだが、結局一歩も動くことは出来なかった。手足の骨折は見えないにしろ体の内部はどうなっているのか解らない。一応、意識がちゃんとある事だけが救いだった。一刻も早くヘリが飛んできてほしかった。だが、ヘリは一向にやっては来ない。次第に空模様は不安定になり雷が轟いた。雨も降り始めたので、彼女をレスキューシートで覆い二人でツェルトを被る。

「お父さんに怒られちゃう、もう山に行かせてもらえなくなっちゃうわね。」

「そんな事ないよ、生きて帰ればお父さん絶対怒らないから大丈夫。絶対生きて帰るよ・・・ねっ!」ツェルト中でそんな会話を何度もした。

 対岸から橋を渡ってきた関係者に悪天候でヘリのフライトが無理で上流から救助隊が入ると告げられた。担架で搬送とのこと。対岸には大井川林道が有るのだが河床までは全て垂直に近い崖で、搬送可能な場所は上流に1キロほど行ったところしかない。滑落事故が起きたのが午前10時前。そして静岡市消防局の山岳救助隊が到着したのがおそらく午後1時頃。僕も夢中でこの時の時間の感覚がぶっ飛んでしまっている。ユニフォームに身を包んだ若い救助隊員達の到着がどれだけ心強かったことか。入念な身体チェックのあと救助隊6名で広大な大井川の河原を担架搬送する。連絡を終えた添乗員も合流した。雨が降り続いていた。

 河原を30分搬送し、大井川の本流を渡る。対岸の不安定なガラ場を必死に登りようやく救急車へ収容した。出発までには更に時間が掛かった。救急車の中はうかがい知ることは出来なかったが、おそらく命に別状は無いと言う判断で、緊急の手当をしていてくれたのだと思う。 

 救急車には添乗員が同行して、僕は離団を許され、警察車両で自家用車まで送ってもらった。道すがら救急車の他にも、レスキュー車や、警察車両など、沢山の関係者が見えて、頭を下げずにはいられなかった。沢山の人に迷惑を掛けて、お世話になった。申し訳ないと思う。

 山岳ガイドという職業、やればやるほど恐い仕事だと思う。一般の樹林帯をロープで繋いで歩くわけにも行かない。僕らが出来るのは、注意喚起をし続けるだけである。特に最後のワンピッチはここまで大きな事故でなくとも、怪我は良くあることなのだ。だから決まって最後「気合い入れていきましょうね。」と声を掛ける。だが、これは確率の問題でもある。事故がゼロになることは絶対にないのも事実だ。その確率を減らすように努力するのが僕らの仕事だ。

 登山口静岡市畑薙地区は静岡市内から車で3時間ほどかかる場所にある。通常、井川消防署の救急車は井川から静岡に向かい、途中静岡から来る救急車にリレー搬送される。ずっと曲がりくねった山道で重傷者を乗せた救急車はスピードを出す事は出来ない。搬送にはとんでもなく時間が掛かるのだ。僕が帰路についた後、某社の担当課長から連絡が入った。最終的には天候が回復してヘリにて静岡市内の病院に収容されたとのことであった。左腕、肋骨、骨盤が骨折。頭や内臓は無事であるとのことであった。命に別状は無し。事故から7時間以上を費やしての搬送であった。彼女は本当に頑張ってくれた。ありがとうございます。一刻も早い彼女の回復を祈る。

これは奇跡である。感謝!