焼岳ツアーから帰る途中私の携帯が鳴った。それは遭難対策協議会(以降 遭対協)からのもので、蝶ヶ岳で単独登山者が、道迷いで救助を求めているとの事。我々も下山には苦労したので、その過酷さが想像出来る。長塀尾根にテントを設営し、アタックザックにて登頂したが、降り積もる雪で帰りのルートを見失い、蝶ヶ岳ヒュッテ冬期小屋に避難しているとのこと。シュラフもないはずだから、それはそれは寒いだろう。
急いで家に帰り、装備を整え、長野県警救助隊と風穴の里にて合流する。天候は依然悪いから、今日中のヘリ救助は難しいだろう。こういう時は、我々のような救助隊が、地上から現場を目指すのだ。県警隊員は2名、遭対協隊員が5名の編成で、今日のところは釜トンネルからすっかり日が落ちた雪道を上高地に向け歩く。テント泊なので、焼岳から下山したばかりの体には、重い荷物がこたえる。
到着は午後8時。雪を溶かし、水を作り、簡単な食事をとり少しウイスキーを頂いて就寝する。
夜半、頭がやたら寒い。痛いほどだ。風がないのでシュラフの中は暖かだが、半分出た頭が寒さで悲鳴を上げている。シュラフにすっぽり入って、体を丸めた。
3時半に起床し出発の準備をするが、気温はマイナス17度。これでは頭が痛いはずだ。遭難者は冬期小屋に入っているとは言え、どれほど寒い思いをしているのだろう?
アルファ米の朝食を済ませ5時には出発する。快晴、星が降り注ぐ様だ、風もない。これなら、朝一番のヘリ救助が期待できる。
明神に着く頃、夜が明け始めた。とりあえず蝶ヶ岳が見通せる場所で、ヘリの救助を待つ事にする。明神岳が朝日を浴び始めた。この時の気温はなんとマイナス24度。足先が千切れるほど痛いので、全員地団駄を踏んでヘリを待った。
午前7時、遙か蝶ヶ岳上空にヘリの音が聞こえる。程なく無線に無事救助の連絡が入り一同喜びの声を上げるが、これは遭難者が無事であった事に対してではなく、これから予想されるラッセルをしなくて済んだ事への歓喜の声だったのかも知れない。全く不謹慎なり人間の心とは。
晴れやかな気持ちで釜トンネルへ下山する。川面から覗くバイカモがきれいだ。外はマイナス20℃なのに、湧き水に守られて、こんなに青々と、目に痛い。いつもからかって遊ぶ岩魚ちゃんは見えない。いったいどこにいるのだろう?
河童橋からは穂高がよく見えるが、予報通り薄雲が早くも広がってきた。今晩からまた雪になるから、ヘリ救助されて本当に良かった。
焼岳も冬は一際美しい。
大正池からの穂高連峰、雲がかなり広がってきた。
このあと救助隊から解放された私は、もう一人の仲間とともに、乗鞍スキー場へ転進、ヘロヘロになるまでスキーに興じたのだった。ただでは帰らない、どん欲な山ヤ達なのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます