英語な日々

京都在住の英語講師のと猫と英語と美味しいもののお話。
時々、脳動脈瘤のお話もね。

前世のご縁

2011-07-09 | ネコ話(動物)


20歳の時に父がクモ膜下出血で亡くなった。
葬儀を終えた、1週間くらい後の午後、実家の2階の自室でぼんやりベッドに座っていた。

すると、窓から、透明な丸いものが、尾を引きながら入ってきた。
ふわっと部屋の中を一周して、また窓から出て行った。

父が様子を見に来たのだと、一瞬で理解した。

幽霊とか、お化けとかいうけれど、会いたい人の霊は(もしそういうものが存在するとして)ちっとも怖くない。
むしろ、お化けになっても、会いに来て欲しいと思うものだと、知ったのはその時だった。

亡くなった人に会いたいという気持ちが、人に幻を見せるのか、亡くなった人の情念が、姿となって現れるのか、私にはわからないけれど、そういうものの存在が自分を勇気づけてくれることは何度もある。


うちには福吉(ふくきち)という黒猫がいる。



うちに来たのは、福吉が1歳くらいの時だろうか。
初めてだきかかえて、その緑色の目を覗き込んだ時に、「ああ、この子とは、前世で繋がりがあったな」と確信した。

だいたい私は、キリスト教信者の家庭で育っている。洗礼も受けている。前世などというものはキリスト教には存在しない。

けれど、理屈ではない、よく分からない確信がそこにはあった。

お久しぶりです。
やっと会えました。


福吉は、いつも私のそばにいる。
ガーディアンのように。


前世というものがあって、そこで深いご縁のあったもの同士が、次の世界で出会う、そう考えるだけでも、勇気が湧いてくるような気がする。


京都には大文字焼き、という習慣がある。

8月の16日、お盆の終に、五山に文字の形の日を放つ。

その炎を見ると、自然と手を合わせたくなる。
新盆で戻ってきた魂たちが、再びあの世に戻って行く様が、オレンジ色の炎の中に伺えるような気がするのだ。

これは、自分の宗教とは矛盾する。
けれど、生まれ育った風土の中に、確実に存在するなにかが、私に語りかけているのだということは理解できるのだ。


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コメント (2)
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