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20歳の時に父がクモ膜下出血で亡くなった。
葬儀を終えた、1週間くらい後の午後、実家の2階の自室でぼんやりベッドに座っていた。
すると、窓から、透明な丸いものが、尾を引きながら入ってきた。
ふわっと部屋の中を一周して、また窓から出て行った。
父が様子を見に来たのだと、一瞬で理解した。
幽霊とか、お化けとかいうけれど、会いたい人の霊は(もしそういうものが存在するとして)ちっとも怖くない。
むしろ、お化けになっても、会いに来て欲しいと思うものだと、知ったのはその時だった。
亡くなった人に会いたいという気持ちが、人に幻を見せるのか、亡くなった人の情念が、姿となって現れるのか、私にはわからないけれど、そういうものの存在が自分を勇気づけてくれることは何度もある。
うちには福吉(ふくきち)という黒猫がいる。
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うちに来たのは、福吉が1歳くらいの時だろうか。
初めてだきかかえて、その緑色の目を覗き込んだ時に、「ああ、この子とは、前世で繋がりがあったな」と確信した。
だいたい私は、キリスト教信者の家庭で育っている。洗礼も受けている。前世などというものはキリスト教には存在しない。
けれど、理屈ではない、よく分からない確信がそこにはあった。
お久しぶりです。
やっと会えました。
福吉は、いつも私のそばにいる。
ガーディアンのように。
前世というものがあって、そこで深いご縁のあったもの同士が、次の世界で出会う、そう考えるだけでも、勇気が湧いてくるような気がする。
京都には大文字焼き、という習慣がある。
8月の16日、お盆の終に、五山に文字の形の日を放つ。
その炎を見ると、自然と手を合わせたくなる。
新盆で戻ってきた魂たちが、再びあの世に戻って行く様が、オレンジ色の炎の中に伺えるような気がするのだ。
これは、自分の宗教とは矛盾する。
けれど、生まれ育った風土の中に、確実に存在するなにかが、私に語りかけているのだということは理解できるのだ。
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