もうずいぶん昔から、「ストレスを溜めないように」ということが繰り返し言われて来ました。もし溜まってしまったら早めに解消しないと病気になる。「ストレス=悪」という図式です。
ですが、神経科学ふうに言えば「ストレス」は「代謝モードを切り替える要因(刺激)」ですから、ストレス自体は善いものでも悪いものでもないわけです。
ところが現代では、「ストレス」と「快・不快」を直接関連付けて考えることが当たり前になってしまっています。
何か美しいものを見て「目が気持ちいい」ということはありません。すがすがしい香りをかいで「鼻が気持ちいい」ということもありません。耳もそうです。してみると「ああ気持ちいい」という感じは基本的に脳の中で生じていると言えそうです。これは、チョコレートを舌の上で溶かした時とか、冷たいビールを喉の奥に流し込んだ時とは違います。このことから、皮膚感覚や内臓感覚を除けば、「快」は脳の中で起きる二次的な反応なのだと見てほぼ間違いないと思います。
で、代表的な神経伝達物質にドーパミン、ベータエンドルフィン、セロトニンなどがあるわけですけれども、これらは「快」という現象に直接関わっている物質です。「快」なのですから、もちろん報酬や学習といった作用に関わっているわけです。飴と鞭(ムチ)で言えば、飴ですね。
じゃあ、「鞭」はないのかというと、アドレナリンだって気持ちいいでしょ。「快」でしょう。人にも依りますけど。少なくとも「不快」ではありません。少々煩わしいだけです。
まあ、一つ「ヒスタミン」という風変わりな神経伝達物質があるわけですけれども、これはかゆみに直接関わる物質だということですから「快」ではありませんね。不快です。ですがこれはむしろ例外的な存在だと思います。脳の中の神経伝達物質は圧倒的に「快」の方が多いように感じられます。
「ストレスを溜め込むと…」という発想は、フロイト流の快楽原則、ようするに「満たされなかった欲求が募ってそれがある種の精神病につながることがある」という考え方に由来していると思います。欲求というのは「報酬」を得ようという神経の働きです。ですから「人間も他の動物と同様、いつも欲求を持って生きている」、ここまではいいでしょう。けれども「欲求が生じたら、できるだけ早くそれを解消しないと、病気になる」、これはどうなのでしょうか? 魚や他の動物を見ていると、明らかに欲に基づいて活動しているにも関わらず、意外と気長に構えているように見えるのですが…。
確かに人間は、欲を我慢していると、だんだんと欲が強まっていく感覚は確かにあります。食欲などは特にそうで、ずっと我慢していると、だんだんとハングリーになってきますね。食べ物のことばかり考えてしまったり、ついつい食べきれないほどオーダーしたりして。
ひょっとすると、脳のシステム自体にこのような仕組みが存在しているのではないでしょうか。先日の「何かをやろうとしているがまだ成し遂げられていない」状態が続くと行動せずにはいられないような不思議な仕組みが…。もちろんこれはもともとある「報酬への期待」が強まるような仕組みでも可能でしょうし、別な神経系の作用が働いて、我慢を続けていると、その別な神経系が強度を増してくるというような仕組みでも可能でしょう。
「何かをやろうとしているがまだ成し遂げられていない」状態、これはまさしく心理学で言うところの欲求不満だと思うのですが、この状態を伸ばそうとすることが「待つ」という行動、短くしようとすることが「急ぐ」とか「焦る」という行動に対応すると思います。先ほどの推測「放置された欲求をだんだんと強めていくような仕組みが脳の中にある」ということが当たっているとすると、「急ぐ」という行動が神経科学の側面から説明されることになります。今までは、競争原理(適者生存)や経済原則(損か得か)から説明されてきたわけです。
まあ、これは今後の神経科学の進展に任されるわけですけれども、こういう推測が果たしてデタラメなものなのか、それとも検討するに値することなのか、ちょっと考えてみたいと思います。
例えば、小魚を見つけたナマズがいるとします(小魚は、水草の周囲を動き回っているミジンコを採らなくてはならないので、ナマズに注意しながら採餌行動をとっています)。ナマズは、水底でじっとチャンスを待っています。
「自分の前に脳内報酬を予期させる対象があり、それを達成できればドーパミンのバースト発火が得られるということが分かっている。」ナマズの脳はこう考えます。
けれどもそれは達成が保証されたものではなく、もしかしたら何らかの原因で不成功に終わるかもしれない。そうなるとせっかく見つけたターゲットは断念せざるを得ず、また新たにターゲットをサーチしなければなりません。
「待つ」ということをせずに、今すぐ直ちに飛びかかって捕まえてしまえば、「まだ成し遂げられていない状態」は解消されることになる。けれどもそれは成功する確率が極めて低いということが分かっています。やはりちょうどよい位置関係に来るまで待ち、チャンスを見計らって捕まえなければなりません。
そういうジレンマの中にナマズは置かれています。
ナマズはもちろん「諦める」ということも可能なはずです。ですが簡単に諦めてしまっていては、ナマズという生き物は生きていけません。小魚たちがナマズの存在を忘れてしまうだけの充分な時間、待たなくてはならないのです。
ですが、いつまでもジッとしているわけには行きません。ジッとしていても体力は消耗していくのですから、待てば待つ程よい、というわけではないわけです。最終的には飛びかかるのか、それとも諦めるのか、決断が必要です。
魚という生き物も欲求=報酬への期待を持っているということは言うまでもないことですが、のみならず、その報酬をもたらす対象から「探索像」を抽象化し、一定の期間保持するだけの知能を持っていることが分かっているそうです(1)。そうするとその一定の期間、何らかのパターンが生成されてそれがリセットされるまで続くと考えられます。探索像を保持する仕組みがあれば、それを利用して「欲求」を徐々に強めていくような仕組みを成り立たせることは充分に可能だと思います。また魚も基本的に哺乳類などと同等だというふうに考えれば、探索像を実際に眼にしている間、「休息」ではなく「覚醒状態」にあるわけで、覚醒状態を維持する仕組みを利用することもできると思います。
どちらにせよ、何らかの方法によって欲求を徐々に強めていくことが可能になれば、「簡単に諦めてしまう」ということを防ぐことができますし、「延々と待ち続けてしまう」ということも同時に防ぐことが可能になるわけだ!
またナマズが自己充足できる完成された生命体として成り立つためには、「すぐに行動する」「動かないで待つ」「諦める」という選択肢のどれもが必要なのではないでしょうか。それらの行動がどれでも自由に選択できるようになるためには、それらのどれもがきちんと育まれ、完成しているということが必要でしょう。もし3つの選択肢のうち1つでも学習経験が欠けていたら、その対応した神経は成長期に発達しなかったと思うのです。
「すぐに飛びかかる」ことができないナマズ、これは無念ですね。「動かないでジッと待つ」ことができないナマズ、これも落第です。「獲物をあきらめる」ことができないナマズ、これも可哀そう。いずれのナマズも厳しい自然の中で生きていくことはできないでしょう。
ナマズに「欲求を徐々に強めていく」仕組みが備わっていれば、こうした悲劇のナマズたちは現れずにすむことになるわけです。してみると、「報酬への期待を抱いたまま、それを放置しておくと、その欲求が次第に強くなっていく」という仕組みが備わっていた方が生存のために有利であるということはとりあえず言えるんじゃないかと思います。
というわけで、科学者のみなさん、実験をよろしくお願いします。
1 佐原雄二「魚の採餌行動」64ページ。(東京大学出版会、1987年)
ですが、神経科学ふうに言えば「ストレス」は「代謝モードを切り替える要因(刺激)」ですから、ストレス自体は善いものでも悪いものでもないわけです。
ところが現代では、「ストレス」と「快・不快」を直接関連付けて考えることが当たり前になってしまっています。
何か美しいものを見て「目が気持ちいい」ということはありません。すがすがしい香りをかいで「鼻が気持ちいい」ということもありません。耳もそうです。してみると「ああ気持ちいい」という感じは基本的に脳の中で生じていると言えそうです。これは、チョコレートを舌の上で溶かした時とか、冷たいビールを喉の奥に流し込んだ時とは違います。このことから、皮膚感覚や内臓感覚を除けば、「快」は脳の中で起きる二次的な反応なのだと見てほぼ間違いないと思います。
で、代表的な神経伝達物質にドーパミン、ベータエンドルフィン、セロトニンなどがあるわけですけれども、これらは「快」という現象に直接関わっている物質です。「快」なのですから、もちろん報酬や学習といった作用に関わっているわけです。飴と鞭(ムチ)で言えば、飴ですね。
じゃあ、「鞭」はないのかというと、アドレナリンだって気持ちいいでしょ。「快」でしょう。人にも依りますけど。少なくとも「不快」ではありません。少々煩わしいだけです。
まあ、一つ「ヒスタミン」という風変わりな神経伝達物質があるわけですけれども、これはかゆみに直接関わる物質だということですから「快」ではありませんね。不快です。ですがこれはむしろ例外的な存在だと思います。脳の中の神経伝達物質は圧倒的に「快」の方が多いように感じられます。
「ストレスを溜め込むと…」という発想は、フロイト流の快楽原則、ようするに「満たされなかった欲求が募ってそれがある種の精神病につながることがある」という考え方に由来していると思います。欲求というのは「報酬」を得ようという神経の働きです。ですから「人間も他の動物と同様、いつも欲求を持って生きている」、ここまではいいでしょう。けれども「欲求が生じたら、できるだけ早くそれを解消しないと、病気になる」、これはどうなのでしょうか? 魚や他の動物を見ていると、明らかに欲に基づいて活動しているにも関わらず、意外と気長に構えているように見えるのですが…。
確かに人間は、欲を我慢していると、だんだんと欲が強まっていく感覚は確かにあります。食欲などは特にそうで、ずっと我慢していると、だんだんとハングリーになってきますね。食べ物のことばかり考えてしまったり、ついつい食べきれないほどオーダーしたりして。
ひょっとすると、脳のシステム自体にこのような仕組みが存在しているのではないでしょうか。先日の「何かをやろうとしているがまだ成し遂げられていない」状態が続くと行動せずにはいられないような不思議な仕組みが…。もちろんこれはもともとある「報酬への期待」が強まるような仕組みでも可能でしょうし、別な神経系の作用が働いて、我慢を続けていると、その別な神経系が強度を増してくるというような仕組みでも可能でしょう。
「何かをやろうとしているがまだ成し遂げられていない」状態、これはまさしく心理学で言うところの欲求不満だと思うのですが、この状態を伸ばそうとすることが「待つ」という行動、短くしようとすることが「急ぐ」とか「焦る」という行動に対応すると思います。先ほどの推測「放置された欲求をだんだんと強めていくような仕組みが脳の中にある」ということが当たっているとすると、「急ぐ」という行動が神経科学の側面から説明されることになります。今までは、競争原理(適者生存)や経済原則(損か得か)から説明されてきたわけです。
まあ、これは今後の神経科学の進展に任されるわけですけれども、こういう推測が果たしてデタラメなものなのか、それとも検討するに値することなのか、ちょっと考えてみたいと思います。
例えば、小魚を見つけたナマズがいるとします(小魚は、水草の周囲を動き回っているミジンコを採らなくてはならないので、ナマズに注意しながら採餌行動をとっています)。ナマズは、水底でじっとチャンスを待っています。
「自分の前に脳内報酬を予期させる対象があり、それを達成できればドーパミンのバースト発火が得られるということが分かっている。」ナマズの脳はこう考えます。
けれどもそれは達成が保証されたものではなく、もしかしたら何らかの原因で不成功に終わるかもしれない。そうなるとせっかく見つけたターゲットは断念せざるを得ず、また新たにターゲットをサーチしなければなりません。
「待つ」ということをせずに、今すぐ直ちに飛びかかって捕まえてしまえば、「まだ成し遂げられていない状態」は解消されることになる。けれどもそれは成功する確率が極めて低いということが分かっています。やはりちょうどよい位置関係に来るまで待ち、チャンスを見計らって捕まえなければなりません。
そういうジレンマの中にナマズは置かれています。
ナマズはもちろん「諦める」ということも可能なはずです。ですが簡単に諦めてしまっていては、ナマズという生き物は生きていけません。小魚たちがナマズの存在を忘れてしまうだけの充分な時間、待たなくてはならないのです。
ですが、いつまでもジッとしているわけには行きません。ジッとしていても体力は消耗していくのですから、待てば待つ程よい、というわけではないわけです。最終的には飛びかかるのか、それとも諦めるのか、決断が必要です。
魚という生き物も欲求=報酬への期待を持っているということは言うまでもないことですが、のみならず、その報酬をもたらす対象から「探索像」を抽象化し、一定の期間保持するだけの知能を持っていることが分かっているそうです(1)。そうするとその一定の期間、何らかのパターンが生成されてそれがリセットされるまで続くと考えられます。探索像を保持する仕組みがあれば、それを利用して「欲求」を徐々に強めていくような仕組みを成り立たせることは充分に可能だと思います。また魚も基本的に哺乳類などと同等だというふうに考えれば、探索像を実際に眼にしている間、「休息」ではなく「覚醒状態」にあるわけで、覚醒状態を維持する仕組みを利用することもできると思います。
どちらにせよ、何らかの方法によって欲求を徐々に強めていくことが可能になれば、「簡単に諦めてしまう」ということを防ぐことができますし、「延々と待ち続けてしまう」ということも同時に防ぐことが可能になるわけだ!
またナマズが自己充足できる完成された生命体として成り立つためには、「すぐに行動する」「動かないで待つ」「諦める」という選択肢のどれもが必要なのではないでしょうか。それらの行動がどれでも自由に選択できるようになるためには、それらのどれもがきちんと育まれ、完成しているということが必要でしょう。もし3つの選択肢のうち1つでも学習経験が欠けていたら、その対応した神経は成長期に発達しなかったと思うのです。
「すぐに飛びかかる」ことができないナマズ、これは無念ですね。「動かないでジッと待つ」ことができないナマズ、これも落第です。「獲物をあきらめる」ことができないナマズ、これも可哀そう。いずれのナマズも厳しい自然の中で生きていくことはできないでしょう。
ナマズに「欲求を徐々に強めていく」仕組みが備わっていれば、こうした悲劇のナマズたちは現れずにすむことになるわけです。してみると、「報酬への期待を抱いたまま、それを放置しておくと、その欲求が次第に強くなっていく」という仕組みが備わっていた方が生存のために有利であるということはとりあえず言えるんじゃないかと思います。
というわけで、科学者のみなさん、実験をよろしくお願いします。
1 佐原雄二「魚の採餌行動」64ページ。(東京大学出版会、1987年)