港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『5月28日』

2019-05-27 17:24:03 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジャン・ピエール・レオ Jean-Pierre Léaud (1944.5.28~ )



因縁のトリュフォーとゴダールの間で板挟みとなったフランスの映画俳優です。
父親ピエール・レオは脚本家・助監督、母親ジャクリーヌ・ピエルーは女優という映画一家にパリで生まれました。
幼い頃から俳優を志し、1957年にジョルジュ・ランパン監督の『罪と罰』の端役として映画デビューしました。1959年に
フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』の主役少年を探していると聞きつけて100人近い候補者の中から
念願の主役に選ばれました。トリュフォーも昔の自分の容姿に似ているのと彼の演技力を高く評価して、以後のアントワーヌ
三部作(二十歳の恋、夜霧の恋人たち)においてトリュフォー自身を代弁する主役として自伝的連作に主演に固定しました。
また、ヌーヴェルヴァーグ作品に出演したことからジャン・リュク・ゴダールとも親交を重ね、『男性・女性』等に出演する
一方で、ゴダールの『恋人のいる時間』『気狂いピエロ』『中国女』などの助監督も務めています。
しかし、1968年カンヌ映画祭でトリュフォーとゴダールが激しい論争の末に完全訣別したことによって、二人に可愛がられて
いたジャン・ピエールはその板挟みに苦しみ精神的に不安定な時期を過ごしたともいわれています。

【主要出演作品】
1959年『大人は判ってくれない』 Les Quatre cents coups

1960年『オルフェの遺言』Le testament d'Orphée, ou ne me demandez pas pourquoi! 
1960年『並木道』 Boulevard
1962年『二十歳の恋』 L' Amour à vingt ans

1966年『男性・女性』 Masculin féminin

1967年『愛すべき女・女たち』 Le Plus vieux métier du monde
1967年『中国女』  La Chinoise 

1967年『ウイークエンド』 Week End
1968年『夜霧の恋人たち』 Baisers volés 

1969年『豚小屋』 Porcile
1971年『恋のエチュード』 Les Deux anglaises et le continent


☆キャロル・ベイカー Carroll Baker (1931.5.28~ )



マリリン・モンロー亡き後のセックス・シンボルとして活躍したアメリカの女優です。
ペンシルベニア州ジョンズタウンに生まれ、母の再婚によりフロリダ州セントピーターズバーグに移り、セントピーターズ・
カレッジに入校しました。やがて役者を志して大学を中退し、TVのアナウンサーなどをしながらアクターズ・スタジオで
演技を勉強をしました。1949年に地元のコンテストで "Miss Florida Fruits and Vegetables" に輝いて注目され、1953年の
"Easy to Love" の端役で映画デビュー、1956年の『ジャイアンツ』の準主役級として出演し、続く主演作『ベビイドール』
ではちょっとコケティッシュな魅力を発揮してスターの仲間入りを果たしました。

【主要出演作品】
1956年『ジャイアンツ』 Giant

1956年『ベビイドール』 Baby Doll

1958年『大いなる西部』The Big Country
1962年『西部開拓史』How the West Was Won
1962年『白昼の情事』Station Six-Sahara
1964年『大いなる野望』The Carpetbaggers

1964年『シャイアン』Cheyenne Autumn
1965年『シルビア』Sylvia
1965年『偉大な生涯の物語』The Greatest Story Ever Told
1965年『ハーロー』Harlow

『5月27日』

2019-05-26 17:59:43 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆クリストファー・リー Christopher Lee (1922.5.27~2015.6.07)



ピーター・カッシングらと共に三大怪奇スターと称されたイギリスのクラシック・ホラー映画の大スターです。
ロンドンのウェストミンスターのベルグレイヴィアで生まれ、名門校のウエリントン・カレッジに学びました。大戦後は
映画俳優を志し、いとこのニコロ伯爵の紹介で映画界入りしましたが、長身(193cm)のため役に付くことができませんでした。
しかし、1950年代末期に怪奇映画ブームで大男の俳優を探していた英国の映画製作会社ハマー・フィルム・プロから白羽の
矢が立ち、1957年の『フランケンシュタインの逆襲』での怪物役が大当たりとなって怪奇映画のスターになりました。
その後もブームに乗ってドラキュラ役でピーター・カッシングとともに怪奇映画の大スターとなり黄金期を築き上げました。
やがてブームも下火になりましたが息長く俳優活動を続け、近年も『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』の
シリーズに出演するなどで、生涯出演作は278本となり、世界最多の映画出演者としてギネスにも記載されているそうです。
また、前日に紹介したピーター・カッシングとは無二の親友で22本の作品に共演していました。

【主要出演作品】
1948年『ハムレット』 Hamlet
1951年『艦長ホレーショ』 Captain Horatio
1952年『赤い風車』 Moulin Rouge
1957年『フランケンシュタインの逆襲』 The Curse of Frankenstein

1958年『吸血鬼ドラキュラ』 Dracula

1960年『狂っちゃいねえぜ』 Beat Girl
1960年『ジキル博士の二つの顔』 The Two Faces of Dr. Jekyl

1963年『顔のない殺人鬼』 La vergine di Norimberga
1965年『テラー博士の恐怖』 Dr. Terror's House of Horrors
1966年『凶人ドラキュラ』 Dracula: Prince of Darkness

1968年『帰って来たドラキュラ』Dracula Has Risen from the Grave

『5月26日』その1

2019-05-25 15:28:58 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆マランド Malando (1908.5.26~1980.11.22)



オランダのアコーデオン奏者でコンチネンタル・タンゴのマランド楽団の指揮者です。
本名はアリー・マースランド(Arie Maasland)で、オランダのロッテルダムに生まれました。6歳の頃からピアノのレッスンを
受けました。学生の頃は製図で生計を立てる予定でしたが、たまたまヨーロッパに遠征していたアルゼンチン・タンゴの
エドアルド・ビアンコ楽団の公演を目の当たりにしてたちまちその虜になり進むべき道が決定づけられました。
1932年にジャンピング・ジャックス楽団のアコーデオン奏者としてプロの世界に入り、1937年に『オレ・グァッパ』を作曲し
て名声を確立したのち、1939年に自前のコンチネンタル・タンゴ楽団であるマランド楽団を結成しました。
特徴ある歯切れのよいリズムとロマンチックな甘いムードによりたちまち人気楽団になり、世界各地で公演活動をするなどで
ドイツのアルフレッド・ハウゼ楽団と双璧のコンチネンタル・タンゴ楽団となりました。
日本にもファンが多くたびたび来日していましたが、1975年の日本でさよなら公演で引退しました。
マランド引退後の楽団は愛娘の夫君エバート・オーヴァヴェイクが引継ぎ、現在では孫のダニー・マランドが三代目となって
活動を継続しています。

【主要演奏曲】(羅列です)
『碧空』Blauer Himmel 視聴
『イタリーの庭』A Garden in Italy 視聴
『ウナセラディ東京』Una Sera Di Tokyo

『奥様お手をどうぞ』Ich küsse Ihre Hand, Madame

『オレ・グァッパ』Ole Guapa

『カプリ島』Isle of Capri 視聴
『月下の蘭』Orchids in The Moonlight 視聴
『小雨降る経』Il pleut sur la route 視聴
『ジェラシー』Jalousie 視聴
『ジプシーの嘆き』Lamento Gitano 視聴 
『小さな喫茶店』In Einer kleinen Konditorei 視聴
『花売り娘』La Violetera 視聴
『バラのタンゴ』Tango delle rose 視聴
『ビオレッタに捧げし唄』Violetta 視聴
『ブルータンゴ』Blue Tango 視聴
『ポエマ』Poema 視聴
『星降る宵』Noche de Estrellas

『マドンナの宝石』I gioielli della Madonna

『モンテカルロの一夜』https://www.youtube.com/watch?v=MIFuokr7et4 視聴
『夢のタンゴ』Tango du reve 視聴
『夜のタンゴ』Tango Notturno 視聴
『夜のバイオリン』Un Violon Dans La Nuit 視聴


☆ペギー・リー Peggy Lee (1920.5.26~2002.1.21)



1940年代から50年代にかけて活躍したアメリカを代表する女性シンガーです。
ノースダコタ州ジェームズタウンに、7人兄妹の末っ子として生まれ、生母の死や父親の飲酒、義母との不仲などで不幸な
少女時代を過ごしましたが、ウエイトレスをしながら地元のラジオ局に出演し、1941年にカリフォルニアのホテルで唄って
いたときにベニー・グドマンに認められて専属歌手となりました。1941年の『明るい表通りで』のヒットに続いて1942年の
『誰が邪魔をした』が全米1位となって人気歌手の仲間入りを果たしました。
その後、結婚のために一時引退しますが、1944年にはキャピトル・レコードと契約を交わしてカムバックし、ソロ歌手として
再デビューし、1948年の『マニャーナ』は全米1位のミリオン・ヒットになりました。
その後も映画『終着駅』の主題歌『ローマの秋』のカヴァーや映画『大砂塵』の主題歌『ジャニー・ギター』などのヒットを
飛ばし、息の長い歌手として活躍していましたが、1990年代に持病の糖尿病の悪化にともない芸能活動を引退しています。

【主要歌唱曲】
1941年『明るい表通りで』On The Sunny Side of The Street

1942年『誰が邪魔をした』Somebody Else Is Taking My Place
1947年『ゴールデン・イヤリング』Golden Earings
1948年『マニャーナ』 Mañana
1953年『ローマの秋』Autumn in Rome

1953年『ブラック・コーヒー』SBlack Coffee
1954年『ジャニー・ギター』Johnny Guitar

1954年『ラブレター』Love Letters 
1954年『マックザナイフ』Mack The Knife
1958年『フィーヴァー』Fever
1963年『蜜の味』A Taste of Honey
1965年『いそしぎ』The Shadow Of Your Smile


『5月26日』その2

2019-05-25 15:19:03 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆マイルス・ディヴィス Miles Davis (1926.5.26~1991.9.28)



「モダン・ジャズの帝王」と称されたトランペット奏者、バンドリーダーで20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンです。
イリノイ州オールトン生まれのアフリカ系米国人で、13歳のときからトランペットを始めハイスクールでバンドを結成して
セントルイスを拠点に活動を開始し、1944年にニューヨークのジュリアード音楽院に入り1945年には中退してソロとして
活動をはじめました。
1950年には『クールの誕生』をリリースして好評、1955年にクインテットを結成し『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』で
トップ・ミュージシャンとしての地位を固めました。1957年にはフランスでルイ・マル監督の映画『死刑台のエレベーター』
のサウンドを即興で制作、いわゆるシネ・ジャズの先駆者となりました。
1960~70代には名だたる名演奏家を迎えて大胆なジャズを展開しましたが、1976年に体調を崩し活動を休止しました。
1981年に復帰を果たしましたが1991年がラスト・バンドとなりました。

【主要演奏曲】
1950年『クールの誕生』Birth Of The Cool
1954年『ウォーキン』Walkin'
1954年『バグス・グルーヴ』Bags' Groove
1956年『ラウンド・ミッドナイト』Round About Midnight

1958年『死刑台のエレベーター』Ascenseur Pour L’Échafaud

1958年『マイルストーンズ』Milestones
1964年『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』My Funny Valentine

1964年『星影のステラ』Stella by Starlight 


☆ピーター・カッシング Peter Cushing (1913.5.26~1994.8.11)



クリストアァー・リーらと共に三大怪奇スターと称されたイギリスのクラシック・ホラー映画の大スターです。
英国サリー州ケンリーで測量技師の父の元に生まれ、一度は父と同じ測量の仕事につきましたが、映画への憧憬を強く持ち 
俳優を志して演劇活動に入りました。1940年代は慰問劇団やシェイクスピア劇の舞台での演技をローレンス・オリヴィエに
認められ出演した『ハムレット』で名を上げました。
1950年代後半になると英国の映画製作会社ハマー・フィルム・プロによる怪奇映画ブームが起こり、フランケンシュタインや
ドラキュラのシリーズが相次いで制作され、カッシングは主に狂気の科学者や吸血鬼ハンターを役どころとして大活躍し、
悪役で共演したクリストファー・リーとともにホラー映画のスターとして知名度を上げました。
怪奇映画ブームは1970年頃まで続いていたのですが、ホラー映画も年月を重ねるごとに過激になりクラシカルなホラーには
観客が満足しなくなって衰退し、1971年以降は体調を崩し傍役に甘んじるようになりました。

【主要出演作品】
1948年『ハムレット』 Hamlet
1952年『赤い風車』  Moulin Rouge 
1956年『アレキサンダー大王』  Alexander the Great
1957年『フランケンシュタインの逆襲』 The Curse of Frankenstein

1958年『フランケンシュタインの復讐』 The Revenge of Frankenstein
1958年『吸血鬼ドラキュラ』 Dracula

1959年『ミイラの幽霊』  The Mummy 

1959年『死体解剖記』 The Revenge of Frankenstein
1960年『吸血鬼ドラキュラの花嫁』 The Bride of Dracula
1964年『フランケンシュタインの怒り』 The Evil of Frankenstein
1965年『テラー博士の恐怖』 Dr. Terror's House of Horrors

1964年『妖女ゴーゴン』 The Gorgon
1967年『フランケンシュタイン 死美人の復讐』 Frankenstein Created Woman Woman
1967年『狂ったメス』 Corruption


☆ジョン・ウエイン John Wayne (1907.5.26~1979.6.11)



屈強のヒーローとしてジョン・フォード監督作品で名をあげたハリウッドの男優です。
アイオワ州ウィンターセットで生まれ、大学在学中に田舎の映画スタジオで働き始め、1929年の『最敬礼』の端役で映画
デビューを果たしまたものの長期に渡ってB級専門の俳優として知名度もありませんでした。しかしジョン・フォード監督の
1939年の『駅馬車』で主役を得てからはフォード作品の看板役者になりました。
その後も常に屈強のヒーロー像を築きあげ人気スターとして君臨する一方で、図体が大きく動きも緩慢なためにどうしても
演技が滑稽に見えるという難点も露呈し、俳優としての功績・評価もそれほど芳しいものではありませんでした。

【主要出演作品】
1929年『最敬礼』 Salute
1930年『ビッグ・トレイル 』 The Big Trail
1932年『歓呼の涯』Lady and Gent
1939年『駅馬車』Stagecoach

1940年『果てなき航路』The Long Voyage Home
1945年『コレヒドール戦記』They Were Expendable
1948年『アパッチ砦』Fort Apache
1948年『赤い河』Red River
1948年『三人の名付親』3 Godfathers
1949年『黄色いリボン』She Wore a Yellow Ribbon

1949年『硫黄島の砂』Sands of Iwo Jima
1950年『リオ・グランデの砦』Rio Grande
1952年『静かなる男』The Quiet Man
1954年『紅の翼』The High and the Mighty
1956年『捜索者』The Searchers
1957年『失われたものの伝説』Legend of the Lost
1959年『リオ・ブラボー』Rio Bravo
1959年『騎兵隊』The Horse Soldiers
1960年『アラモ』The Alamo
1960年『アラスカ魂』North to Alaska
1961年『コマンチェロ』The Comancheros
1962年『リバティ・バランスを射った男』The Man Who Shot Liberty Valance
1962年『ハタリ! 』Hatari!
1962年『史上最大の作戦』The Longest Day
1962年『西部開拓史』How the West Was Won
1963年『ドノバン珊瑚礁』Donovan's Reef
1964年『サーカスの世界』Circus World
1966年『エル・ドラド』El Dorado
1968年『グリーンベレー』The Green Berets
1969年『勇気ある追跡』True Grit


【ご命日】

★グンナール・ビヨンストランド Gunnar Björnstrand (1909.11.13~1986.5.26)



王位ドラマ劇場で修業を摘みイングマール・ベルイマン作品で主要な役を演じたスエーデンの男優。
主な出演作品として『道化師の夜』『第七の封印』『野いちご』『鏡の中にある如く』『仮面ペルソナ』などがある。


『5月25日』

2019-05-24 22:07:39 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆キティ・カレン Kitty Kallen (1921.5.25~2016.1.07)



1940~50年代にかけてビッグバンド専属歌手としてまたソロ歌手として人気を博したアメリカのポップ・シンガーです。
ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれのユダヤ系米国人で、子供の頃にアマチュアコンテストで優勝したのをきっかけに
歌手の道を歩き始めました。1930年代には地元のWCAUでラジオ番組を持ち、1936年からはアーティー・ショウなどの
ビッグ・バンドに所属しました。、1943年にヘレン・オコーネルの引退で女性歌手を探していたジミー・ドーシー楽団と
専属契約を交わし、同年にボブ・エヴァリー とデュエットした『ベサメ・ムーチョ』が全米1位の大ヒットとなって、一躍
人気歌手の仲間入りを果たしました。次いで、1945年にはハリー・ジェームズ楽団に移り、『お久しぶりね』がこれまた
全米1位となっています。
1950年代に入るとソロシンガーとしてモダンなポップ歌手として活動をはじめ、" Little Things Mean A Lot "が全米1位に
なるなどソロとしても大成功を収めました。1960年代にも米国でトップ20入ヒットがあり息の長い活躍を続けていましたが
歌手として致命的な肺疾患を患って引退を余儀なくされてしまいました。

【主要歌唱曲】
1943年『ベサメ・ムーチョ』 BésameMucho 全米1位 

1945年『お久しぶりね』 It's Been a Long Long Time 全米1位

1946年 " I'm Beginning to See the Light " 全米1位
1954年 " Little Things Mean A Lot " 全米1位
1954年『月下のチャペル』 In The Chapel In The Moonlight 全米5位

他にもレコーディングの年代は不明ですが下の曲も有名ですね。
『ミスティ』Misty

『白い夜霧のブルース』It's a lonesome old town



【ご命日】

★フルヴィオ・サラマンカ Fulvio Salamanca (1921.8.19~1999.5.25)



ピアニストとしてダリエンソ楽団の右腕といわれたアルゼンチン・タンゴのアレンジャーそして楽団指揮者。
主な演奏曲として『アディオス・コラソン』『チケ』『ボンボンシート』『ジーラ・ジーラ』などがある。


★ダニー・ロバン Dany Robin (1927.4.14~1995.5.25)



容姿端麗で踊れる素材として1950年代のフランスを代表した女優です。
主な出演作品として『アンリエットの巴里祭』『巴里の気まぐれ娘』『フルフル』『巴里野郎』などがある。