港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『5月24日』

2019-05-23 16:31:18 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆リリー・パルマー Lilli Palmer (1914.5.24~1986.1.27)



作品数は少ないですが、演技派として多国で国際的に活動していた旧ドイツ出身の女優です。
旧ドイツ帝国のポーゼン(現ポーランド)に生まれ、母が女優だったことからベルリンやウイーンで演劇教育を受けました。
1932年にベルリンのダルムシュタット市民劇場の舞台でデビューしましたが、ナチの台頭でパリに逃れ、ムーランルージュ
などに出演していた時にイギリスのプロデューサーのアレキサンダー・コルダに認められてロンドンに渡り、1935年の
"Crime Unlimited "(犯罪無制限)の端役で映画デビュー、翌1936年にはヒッチコック監督の『間諜最後の日』の傍役で出演し
その後もイギリスで数他の作品に出演、1942年頃から主役に転じるようになりました。
1946年に夫であったレックス・ハリスンと共に渡米し、フリッツ・ラング監督の『外套と短剣』でゲイリー・クーパー と
共演して国際スターとして認められ、1957年のジャック・ベッケル監督のフランス映画『モンパルナスの灯』によって
演技派女優としての地位を確立しました。しかし、1960年代を過ぎる頃には作品に恵まれず、数他の映画出演があるものの
日本での公開も限られて徐々に姿を消すことになりました。

【主要出演作品】
1936年『間諜最後の日』 Secret Agent
1946年『外套と短剣』 Cloak and Dagger

1957年『モンパルナスの灯』  Les Amants de Montparnasse 

1958年『制服の処女』 Mädchen in Uniform

1961年『結婚泥棒』  The Pleasure of His Company
1962年『偽の売国奴』 The Counterfeit Traitor 

1963年『女と男のある限り』 Das große Liebesspiel 
1965年『モール・フランダースの愛の冒険』 The Amorous Adventures of Moll Flanders


【ご命日】

★ジャック・フエデー Jacques Feyder (1885.7.21~1948.5.24)



リアリズムによる人間洞察と高い芸術性の観照的写実でトーキー後のフランス映画で輝いた映画監督。
主な監督作品として『テレーズ・ラカン』『外人部隊』『ミモザ館』『女だけの都』『鎧なき騎士』などがある。


★ミゲル・カロ Miguel Calo (1907.10.28~1972.5.24)



アルゼンチンのタンゴ・スターの育ての親といわれるバンドネオン奏者、楽団指揮者。
作曲として『君なくて』(Que falta que me haces)があり、主な演奏曲として『カミニート』『マドレ』などがある。


★デューク・エリントン Duke Ellington (1899.4.29~1974.5.24)



ジャズ作曲家、編曲家、ピアニスト、バンドリーダーとして20世紀を代表するアメリカの音楽家の一人。
主な演奏曲として『A列車で行こう』『キャラヴァン』『サテン・ドール』などがある。


『5月23日』

2019-05-22 16:51:40 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ダグラス・フェアバンクス Douglas Fairbanks  (1883.5.23~1939.12.12)



サイレント時代に楽天的で痛快な活劇のキャラクターとして活躍したハリウッド俳優です。
ユダヤ人弁護の家庭にコロラド州デンバーに生まれました。リッチモンドで舞台に立ったのを契機に1902年にブロードウェイ
に端役で出演し、やがてブロードウェイのホープ・スターになりました。1915年にはトライアングル映画社が映画界に勧誘して
同年の『快男子』に主演、作品は大ヒットし意気軒高な新人スターとして一躍人気者になりました。次いで中世史劇の英雄
『怪傑ゾロ』『ロビン・フッド』などの冒険痛快活劇映画が大当たりしてハリウッドの無冠の帝王と呼ばれるに至りました。
しかし、1934年の『ドン・ファン』に主演した後に妻であったメアリー・ピックフォードと離婚、人気も陰りが見えはじめ
息子のフェアバンクス・ジュニアのプロデュースに専念するために引退を決意しました。

【主要出演作品】
1915年『快男子』The Lamb
1916年『イントレランス』 Intolerance
1916年『ドーグラスの好奇』 Manhattan Madness
1919年『ダグラス大王』 His Majesty,The American
1919年『暗雲晴れて』 When the Clouds Roll by
1920年『奇傑ゾロ』 The Mark of Zorro

1921年『三銃士』 The Three Musketeers

1922年『ロビン・フッド』 Robin Hood

1924年『バグダッドの盗賊』 The Thief of Bagdad

1925年『ドン・Q』 Don Q Son of Zorro
1926年『ダグラスの海賊』 The Black Pirate

1929年『鉄仮面』 The Iron Mask
1929年『じゃじゃ馬馴らし』 The Taming of the Shrew
1931年『ダグラスの世界一周』 Around the World in 80 Minutes with Douglas Fairbanks
1934年『ドン・ファン』 The Private Life of Don Juan


☆ローズマリー・クルーニー Rosemary Clooney  (1928.5.23~2002.6.29)



1940~50年代にかけて一時代を作ったアメリカの女性ポップ・シンガーです。
アイルランド及びドイツ系米国人の両親の元にケンタッキー州メイズビルに生まれました。1941年に二つ年下のベティとの
デュオ「クルーニー・シスターズ」を結成し1945年にオハイオ州のラジオ局のコンテストに優勝、同年にトニー・パスター
楽団の専属となりました。1948年にベティが退団し1949年にソロシンガーとして独立、ミッチ・ミラーからの誘いを受けて
コロンビア・レコードと契約を交わし、1951年にリリースした『家においでよ』が全米1位の大ヒットとなり一躍人気歌手の
仲間入りを果たしました。
1950年代には自身のラジオやTV番組も持つようになり映画にも出演するなど幅広く活躍しましたが1960年代に神経衰弱に
より長期の入院治療、一時的には再起したかと思われたのですがかつての輝きは失せていました。

【主要歌唱曲】
1951年『家においでよ』Come On-A My House 全米1位【YOUTUBEより】

1952年『ハーフ・アズ・マッチ』Half As Much 全米2位
1952年『テンダリー』Tenderly 【YOUTUBEより】

1954年『ヘイ・ゼア』Hey There 全米1位
1952年『ハーフ・アズ・マッチ』Half As Much 全米2位
1954年『ジス・オール・ハウス』This Ole House 全米1位
1954年『マンボ・イタリアーノ』Mambo Italiano 全米10位 【YOUTUBEより】 


他にもペレス・プラード楽団とコラボしたLPアルバム「タバスコの香り」が1960年に日本でリリースされて
下の曲などが収録されていました。
『メロンの心』Corazon De Melon 【YOUTUBEより】

『マック・ザ・ナイフ』Mack the Knife
『ク・ク・ル・ク・ク・パロマ』Cu-Cu-Rru-Cu-Cu Paloma
『キエン・セラ』Sway(Quien Sera) 【YOUTUBEより】



『5月22日』

2019-05-21 18:22:38 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆シャルル・アズナヴール Charles Aznavour  (1924.5.22~2018.10.01)



独自の世界感に誘わせてくれる20世紀が生んだフランスの偉大なシャンソン歌手、そして映画俳優です。
アルメニア系フランス人で、歌手兼レストラン勤務の父親と女優兼パートタイマーの母親との間にパリで生まれました。
両親は子供たちにも幼少時から舞台などに出演させる努力をしていたこともあり、9歳からダンサーとして姉と共に活動、
子役のエキストラとして多数の映画出演し、また歌手活動も始めました。
1946年にエディット・ピアフに認められて彼女の前座をつとめて以来脚光を浴び、本格的に音楽活動を始めました。
ただ、1940~50年代にかけては日本では「歌手・アズナヴール」の認知度は低く、1960年前後から頭角を現わした映画俳優
という認識の方が強かったように思えます。
俳優業としては、数他の作品に出演していましたが、日本では1959年のジャン・ピエール・モキー 監督の『今晩おひま?』
で本格的に初お目見えとなり、1961年公開のアンドレ・カイヤット監督の『ラインの仮橋』に主演して凡人で実直な人柄の
捕虜兵士を演じ、この作品がヴェネチア映画祭で絶賛されたことから一気に知名度が上がりました。次いで1963年にATG配給
されたフランソワ・トリュフォー監督の『ピアニストを撃て』でワケアリの小心なピアニストを演じ、異色の映画俳優として
強い存在感を示しました。

歌手として日本で認知されたのは、1965年前後に起きたフレンチ・ポップス・ブームによるものでした。
シルヴィー・ヴァルタン、サルヴァトーレ・アダモ、エンリコ・マシアス、フランス・ギャルなどがヒット曲を連発して
一大フレンチ・ポップス時代に突入し、すでに中堅であったシャルル・アズナヴールもこの波に乗って『想い出の瞳』や
『ラ・マンマ』などで一躍人気者になりました。そしてその歌唱力と深い意味合いの歌詞によって独特の存在感を示し、
他のポップ・シンガーとは一線を画す本格的なシャンソン歌手として認識されていきました。
特に、『ラ・ボエーム』などにみられるように、過ぎ去りし日の悲しみをドラマチックに唄い上げて自らを悲劇の主人公に
仕立て上げるパターンはまさにアズナヴールの真骨頂です。

俗にミュージシャンやシンガーを「アーチスト」と軽く呼ぶことがありますが、私個人としてはこれらの人たちをやみくもに
「アーチスト(芸術家)」と呼ぶのに大きな抵抗感があり、まことの芸術家と対等に位置してはならないと思っております。
しかしながら、アズナヴールこそ「アーチスト」と呼ぶにふさわしい別格の存在なのかもしれません。

【主要出演作品】
1959年『今晩おひま?』 Les Dagueurs

1960年『ラインの仮橋』 Le Passage du Rhin

1960年『ピアニストを撃て』 Tirez sur le pianiste

1960年『オルフェの遺言』  Le Testament d'Orphée
1961年『ヒッチ・ガール』Les Petits Matins
1962年『アメリカの鼠』Le Rat d'Amérique

1962年『地獄の決死隊』 Un Taxi Pour Tobrouk

1962年『フランス式十戒』 Le Diable et le Dix Commandements
1963年『アイドルを探せ』 Cherchez l'idole


【主要歌唱曲】
1960年『二つのギター』 Les deux guitares  視聴
1962年『コメディアン』 Les comédiens  視聴
1963年『想い出の瞳』 Et pourtant 【YOUTUBEより】

1963年『ラ・マンマ』 La mamma 【YOUTUBEより】

1963年『キ? 』Qui  視聴
1964年『イザベル』  Isabelle 【YOUTUBEより】

1964年『帰り来ぬ青春』 Hier encore 【YOUTUBEより】

1964年『哀しみのヴェニス』 Que c'est triste Venise 【YOUTUBEより】

1965年『じっとこうして』Reste  視聴
1965年『ラ・ボエーム』 La bohême 【YOUTUBEより】

1966年『八月のパリ』(Paris au mois d’out)  視聴
1974年『忘れじの面影』Tous les visages de l'amour (She)  視聴


☆ローレンス・オリヴィエ Laurence Olivier  (1907.5.22~1989.7.11)



シェイクスピア劇の第一人者として舞台や映画で活躍したイギリスの俳優、映画監督です。
牧師の子としてサリー州ドーキングに生まれました。9歳の時にロンドンの新教系の合従楽団に入り、1922年の15歳の時に
シェイクスピア劇『じゃじゃ馬ならし』の娘役キャサリンを演じてシェイクスピアに強い関心を持つようになりました。
1925年にセントラル演劇学校に入った後バーミンガム・レパートリー劇団で舞台の修業を積み、1930年に独・ウーファ社の
『The Temporary Widow』にて映画デビュー、ハリウッドでも数本の映画に出演していますが話題になりませんでした。
1933年に帰国し舞台活動を続けていましたが、1936年のパウル・ツィンナー監督の映画『お気に召すまま』の好演が認められ
シェイクスピア劇の少壮スターとして人気を得るようになりました。
その後は映画『ヘンリー五世』『ハムレット』『リチャード三世』などの主演・監督で、シェイクスピア劇の完璧な映画化と
絶賛されてシェイクスピア劇の第一人者と言われる存在になりました。しかしこの時期が最盛期で、1957年の『王子と踊子』
の失敗を最後に監督業から足を洗い俳優に専念しましたが期待に沿えることもなくなってしまいました。

【主要出演作品】
1935年『勇気ある男』 Moscow Nights
1936年『お気に召すまま』 As You Like It
1939年『嵐ケ丘』 Wuthering Heights

1940年『レベッカ』Rebecca

1941年『美女ありき』That Hamilton Woman

1945年『ヘンリー五世』Henry V

1948年『ハムレット』Hamlet

1952年『黄昏』Carrie
1953年『三文オペラ』The Beggar's Opera
1955年『リチャード三世』Richard III

1957年『王子と踊子』The Prince and the Showgirl

1960年『寄席芸人』The Entertainer
1960年『スパルタカス』Spartacus
1962年『可愛い妖精』Term of Trial

1965年『バニー・レークは行方不明』Bunny Lake Is Missing
1965年『オセロ』Othello
1966年『カーツーム』Khartoum
1969年『素晴らしき戦争』Oh! What a Lovely War

☆ケニー・ボール Kenny Ball  (1930.5.22~2013.3.07)



トラッド・ジャズの「夜は更けてシリーズ」で有名になったイギリスのジャズ・トランペット奏者、楽団指揮者です。
英国エセックス州イルフォードに生まれ、15歳から複数のバンドに参加して活動、1958年に英国風のデキシーランド・ジャズ
「Kenny Ball & His Jazzmen」 (ケニー・ボールと彼のジャズメン) を結成しました。1961年に "I Still Love You All" が英国で
ヒット、翌1962年には旧ソ連がオリンピックに対抗して開催したスポーツ祭典「スパルタキアード」第六回大会(1957年)の
記録映画のワンシーンに使用された楽曲をデキシー風にアレンジした『モスコーの夜は更けて』が全米2位の大ヒットと
なりました。次いでモーツァルトのピアノソナタ第11番第3楽章 トルコ風ロンド (通称・トルコ行進曲)をアレンジした
『ウィーンの夜は更けて』をリリース、1963年には英国で放映されたTV番組「Crane」のテーマソングの "Casablanca" を
「夜は更けてシリーズ」の第三弾となる『カサブランカの夜は更けて』としてリリースしましたが、日本ではヒットには
繋がらず「夜は更けてシリーズ」も打ち止めとなり、そのうちケニー・ボールの動向も耳にしなくなってしまいました。

【主要演奏曲】
1962年『モスコーの夜は更けて』Midnight In Moscow 【YOUTUBEより】

1962年『ウィーンの夜は更けて』Turkish Delight  視聴
1963年『カサブランカの夜は更けて』Casablanca (Theme From Crane)  視聴

『5月21日』

2019-05-20 17:42:37 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆レイモンド・バー Raymond Burr (1917.5.21~1993.9.12)



TVシリーズ『ペリー・メイスン』『鬼警部アイアンサイド』などで人気を博したテレビスター、映画俳優です。
カナダのニューウェストミンスター出身で実業家の父親の仕事の関係でら中国の重慶で過ごし、独力で重慶大学の他
スタンフォードやコロンビア大学などに籍を置いていたようです。
第二次大戦除隊後は演劇界入りし、舞台で役者を務めていましたが、1947年に『必死の逃避行』の端役で映画デビュー、
その後は特徴でもあるギョロ目と大きな体格で数多くの映画に悪役専門で出演しました。
しかし、1957年から始まったTVシリーズの『ペリー・メイスン』の主役となるに至ってこれまでの役柄と一転して正義の
行動派を演じ、1967年にはTVシリーズ『鬼警部アイアンサイド』で車椅子の刑事役を演じて一躍人気者になりました。
どちらかといえば映画俳優というよりもテレビスターと言った方が良いのかもしれません。

【主要出演作品】
1947年『必死の逃避行』 Desperate
1951年『陽のあたる場所』 A Place in the Sun

1954年『裏窓』 Rear Window


↓は『鬼警部アイアンサイド』



【ご命日】

★ヴォーン・モンロー Vaughn Monroe (1911.10.07~1973.5.21)



1940から50年代に活躍したアメリカのトランペット奏者、バンド・リーダーそして人気ポピュラー歌手。
主な歌唱曲として『レット・イット・スノウ』『ブルーレディーに紅いバラ』『ライダーズ・イン・ザ・スカイ』などがある。

『5月20日』

2019-05-19 18:15:38 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジェームズ・スチュアート James Stewart (1908.5.20~1997.7.02)



誠実で正義感溢れる役柄が多かったことから「アメリカの良心」と呼ばれたハリウッドの俳優です。
ペンシルベニア州インディアナで生まれ、プリンストン大学在学時にジョシュア・ローガンと知り合い彼の主宰する劇団
ユニバーシティ・プレイヤーに参加、ニューヨークで初舞台を踏みました。やがて1935年に『舗道の殺人』で端役として
出演したもののB級作品での傍役が続きました。しかし1938年の『我が家の楽園』あたりから主要な役どころが巡ってくる
ようになり、1939年の『スミス都へ行く』で完全な主役になったことでスターの階段を上り始めました。
大戦後は西部劇やヒッチコック・スリラーなどで新境地を拓き、1960年代には若手を引き立てる老け役に専念しました。
また、彼はハリウッドでパーセンテージ契約(低出演料だが興行収入に応じて利益配分を受けるシステム) を交わした最初の
俳優だともいわれています。

【主要出演作品】
1935年『舗道の殺人』 The Murder Man
1936年『ローズ・マリイ』Rose Marie
1936年『妻と女秘書』Wife vs. Secretary
1937年『第七天国』Seventh Heaven
1938年『店曝らしの天使』The Shopworn Angel
1938年『我が家の楽園』You Can't Take It with You

1939年『スミス都へ行く』Mr. Smith Goes to Washington
1939年『砂塵』Destry Rides Again

1940年『桃色の店』The Shop Aroud the Corner
1940年『フィラデルフィア物語』The Philadelphia Story

1941年『美人劇場』Ziegfeld Girl
1946年『素晴らしき哉、人生!』It's a Wonderful Life

1948年『ロープ』Rope
1950年『ウィンチェスター銃'73』Winchester'73
1952年『地上最大のショウ』The Greatest Show on Earth
1952年『怒りの河』Bend of the River
1953年『裸の拍車』The Naked Spur
1953年『グレン・ミラー物語』The Grenn Miller Story

1954年『裏窓』Rear Window

1956年『知りすぎていた男』The Man Who Knew Too Much

1957年『翼よ! あれが巴里の灯だ』The Spirit of St. Louis

1958年『めまい』Vertigo

1958年『媚薬』Bell, Book and Candle
1959年『或る殺人』Anatomy of a murder
1961年『馬上の二人』Two Rode Together
1962年『リバティ・バランスを射った男』The Man Who Shot Liberty Valance

1962年『西部開拓史』How the West Was Won
1964年『シャイアン』Cheyenne Autumn
1965年『シェナンドー河』Shenandoah
1965年『飛べ!フェニックス』The Flight of the Phoenix