港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『5月19日』

2019-05-18 20:40:18 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ダニエル・ジェラン Daniel Gélin (1921.5.19~2002.11.29)



陰りがあるニヒルな二枚目として1950年代に活躍したフランスの俳優です。
メーヌ・エ・ロワール県のアンジェで生まれ、中等教育を終えた17歳の時にパリに出てルネ・シモンについて演劇の勉強し、
コンセルヴァトワールに入ったものの中途退学して放浪生活となりました。いくつかの職を転々とした後に1939年に映画の
エキストラとして採用され、1941年のアンリ・ドコワン監督の『最初のランデヴー (Premier rendez-vous)』の端役として
映画デビューしました。1950年にはマックス・オフュルス 監督のオムニバス映画『輪舞』でダニエル・ダリューと共演し、
これで人気に火がついて1951年のジャック・ベッケル監督の『エドワールとキャロリーヌ』で念願の主役を得ました。
その後も、最も人気のある若いフランスの映画スターの一人として『埋れた青春』や『過去を持つ愛情』などで陰りがあり
ちょっとニヒルな二枚目として活躍していましたが、アルコールや薬物中毒それに自殺未遂などで映画での仕事も激減し、
1960年代は主に舞台に移り、一方で執筆活動に取り組むようになりました。

【主要出演作品】
1946年『狂恋』 Martin Roumagnac
1950年『輪舞』La Ronde

1951年『エドワールとキャロリーヌ』Édouard et Caroline

1952年『快楽』Le plaisir
1952年『愛すべき御婦人たち』Adorables créatures
1952年『愛情の瞬間』La minute de vérité

1954年『埋れた青春』L'affaire Maurizius

1954年『雪は汚れていた』La neige était sale
1954年『ローマの女』La romana
1955年『過去を持つ愛情』Les amants du Tage

1955年『ナポレオン』Napoléon
1956年『巴里野郎』Paris canaille
1956年『知りすぎていた男』The Man Who Knew Too Much
1956年『裸でご免なさい』En effeuillant la marguerite
1957年『濁流』Mort en fraude

1957年『非情』Retour de manivelle
1959年『オルフェの遺言』Le testament d'Orphée
1961年『ヒッチガール』Les petits matins
1966年『パリは燃えているか』Paris brûle-t-il?
1966年『エヴァの恋人』À belles dents


☆アルマ・コーガン Alma Cogan (1932.5.19~1966.10.26)



世界を股にかけて活躍し、若くしてこの世を去ったイギリスの女性ポップ・シンガーです。
ロンドンに生まれ、11歳の時にバンドリーダー「Ted Heath」のオーディションで優勝し芸能界入りを目指しました。1948年に
ミュージカル劇のコーラス隊などを経て、1952年にHMV にスカウトされ、同年20歳の誕生日に "To Be Worthy Of You" で
レコード・デビューを果たしました。その後、本国イギリスでは "Dreamboat" が1955年に1位になるなど多くのヒット曲が
あったようですが、日本では1960年の『恋の汽車ポッポ』が初登場でした。
その後もジャズ・スタンダードからティーンズ・ポップスまで幅広いジャンルで世界各国で活躍していましたが、1966年に
癌のため34歳の若さでこの世を去っています。

【主要歌唱曲】 (日本限定)
1960年『恋の汽車ポッポ』Train of love

1961年『ポケット・トランジスター』Pocket Transistor

1962年『ハートをキャッチ』Keep Me In Your Heart  視聴
1963年『いわなきゃだめよ』Tell Him

1963年『グッドバイ・ジョー』Goodbye Joe 視聴

『いわなきゃだめよ』のたどたどしい日本語盤は『いわなきゃだめよ』⇒ 視聴


【ご命日】

★アニバル・トロイロ Aníbal Troilo (1914.7.11~1975.5.19)



現代的なスタイルによってフリオ・デ・カロの流れを受け継ぐアルゼンチン・タンゴの作曲家、そしてマエストロ。
主な作曲として『チェ・バンドネオン』『スール』『イ・ア・ミ・ケ』などがある。


★アレクサンドル・アストリュック Alexandre Astruc (1923.7.13~2016.5.19)



カメラ万年筆論の提唱者でヌーヴェルヴァーグ・カイエ派の先駆者となった映画監督、映画評論家。
主な監督作品として『恋ざんげ』『不運な 邂逅』『女の一生』などがある。


★ロナルド・コールマン Ronald Colman (1891.2.09~1958.5.19)



貴族的な風貌と独特のコールマン髭でパーフェクト・ジェントルマンと称されて人気の高かったハリウッド男優。
主な出演作品として『ホワイト・シスター』『ダーク・エンゼル』『シナラ』『心の旅路』などがある。


『5月18日』

2019-05-17 17:41:28 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆シャルル・トレネ Charles Trenet (1913.5.18~2001.2.19)



軽やかな歌声による『ラ・メール』などで人気を博したフランスのシャンソン歌手、作詞家、作曲家です。
南フランス・ナルボンヌの音楽一家の家庭に生まれました。1930年にパリに出てパテ映画会社の助手などとして働きはじめて
夜はモンパルナスのカフェやミュージックホールで唄っていましたが、1933年にパラス劇場でプロ歌手としてデビューし、
1938年の自演映画 "La route enchantée"(輝ける道)の主題歌『ブン』 (Boum)が大ヒット、同年のディスク大賞を獲得して
一躍人気歌手の仲間入りを果たします。次ぐ『残されし恋には』もヒット、1943年には巡業中の地中海沿岸の車窓から見える
海の景色を見て『ラ・メール』を作詞・作曲、大戦直後のフランスで爆発的ヒットを飛ばしました。
1951年に作詞・作曲した『詩人の魂』は翌年にイヴェット・ジローの歌唱でディスク大賞を獲得、1954年に即興で書き上げた
『街角』はジュリエット・グレコがオランピア劇場で初披露して大喝采を浴び、その後もシャンソン界に多大な貢献と活躍を
続けました。1970年代には世界各国を巡るツアーを行いましたが、1975年に引退してしまいました。

↓はシャルル・トレネの『ブン』 【YOUTUBEより】

↓はシャルル・トレネの『詩人の魂』 【YOUTUBEより】

↓はシャルル・トレネの『ラ・メール』 【YOUTUBEより】



☆フランク・キャプラ Frank Capra (1897.5.18~1991.9.03)



ハートウォームな作品群で一時代を築いたコロンビア映画社の看板監督です。
イタリアのシチリア島で生まれ、6歳の時に一家と共にロスに移り住んでカリフォルニア大学を卒業しました。その後酒場て゛
唄ったりシナリオを書いたりしていましたが1923年に短編を監督し、喜劇役者ハリー・ラングドン主役のシリーズ物の脚本や
監督を数本担当した後に、1927年にファースト・ナショナル映画の『力漕一艇身』で注目され、次いでコロンビア映画から
声が掛かり、1928年に監督したロマンティック・コメディ『呑気な商売』がヒット、1931年には『プラチナ・ブロンド』で
ジーン・ハーローの売り出しにも成功しました。
1934年以降は立て続けに『或る夜の出来事』『オペラハット』『我が家の楽園 』などアメリカ映画史に名を残す作品を監督、
二流だったコロンビア映画社の立て直しに大貢献しました。
その後も善意とヒューマニズムに溢れるハートウォームな作品を撮り観客に夢と希望を与え続けましたが、何でもかんでも
無理やりなハッピーエンド型の作品が仇となり、現実とのギャップを埋めることができないまま監督としての使命を終える
ことになりました。

【主要監督作品】
1927年『力漕一艇身』 For the Love of Mike
1928年『呑気な商売』 That Certain Thing
1931年『プラチナ・ブロンド』 Platinum Blonde

1933年『一日だけの淑女』  Lady for a Day
1934年『或る夜の出来事』  It Happened One Night

1936年『オペラハット』   Mr. Deeds Goes to Town

1937年『失はれた地平線』   Lost Horizon

1938年『我が家の楽園 』  You Can't Take It with You

1939年『スミス都へ行く』  Mr. Smith Goes to Washington

1941年『群衆』  Meet John Doe
1944年『毒薬と老嬢』  Arsenic and Old Lace

1946年『素晴らしき哉、人生! 』It's a Wonderful Life
1959年『波も涙も暖かい』 A Hole in the Head
1961年『ポケット一杯の幸福』 Pocketful of Miracles


☆ペリー・コモ Perry Como (1912.5.18~2001.5.12)



ラジオ、テレビ、ステージで活躍したアメリカの本格派のポピュラー・シンガー、エンターティナーです。
ペンシルヴァニア州キャノンズバーグ生まれのイタリア系アメリカ人で、11歳から床屋の見習いとして働き14歳で理髪店を
オープンして顧客のために歌を唄うサービスをし、「歌う床屋さん」として大評判となりました。
やがて1936年にはプロとしてデビュー、1945年には『時の終わりまで』が全米No.1の大ヒットになりました。
1948年からスタートしたCBS系列のTV番組「ペリー・コモ・ショウ」は1963年まで続く人気番組となり国民的歌手として
一時代を築き上げました。

【主要歌唱曲】
1945年『時の終わりまで』 Till The End Of Time 全米1位
1945年『テンプテーション』Temptation
1949年『ビビディ・バビディ・ブー』 Bibbidi-Bobbidi Boo
1949年『魅惑の宵』Some Enchanted Evening 全米1位【YOUTUBEより】

1951年『バラの刺青』 The Rose Tattoo 全米79位【YOUTUBEより】

1952年『星を見つめないで』 Don't let the stars get in your eyes 全米1位
1954年『パパはマンボがお好き』  Papa Loves Mambo  全米4位【YOUTUBEより】

1955年『流れ星をつかもう』   Catch a Falling Star  全米9位
1963年『酒とバラの日々』  The Days of Wine and Roses

『5月17日』

2019-05-16 18:39:04 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジャン・ギャバン Jean Gabin (1904.5.17~1976.11.15)



トーキー初期から頭角を現わし、フランス映画界のトップスターとして最も輝いた俳優です。
パリ郊外のメリエルで生まれ、父はミュージック・ホールの芸人で母は歌手という芸能一家で育ちましたので、子供の頃から
当然のようにミュージック・ホールでシャンソンやオペレッタなどのショー・ビジネスに参加していました。
やがてトーキーの時代に入るとともに映画界に活躍の場を求め1930年にハンス・シュタインホフ監督の "Chacun sa chance"
(誰にもチャンスが) の端役でスクリーン・デビュー、1934年のジュリアン・デュヴィヴィエ監督による『白き處女地』で
俳優としての頭角を現わし、デュヴィヴィエ監督の下で『ゴルゴダの丘』『地の果てを行く』『我等の仲間』『望郷』と
立て続けにフランス映画史に輝く作品群の主役を得て大スターの道を歩み始めました。その後もジャン・ルノワール監督の
『大いなる幻影』やマルセル・カルネ監督の『霧の波止場』などの名作に出演していましたが、第二次大戦勃発と同時に
アメリカに渡り2本の作品に出演しています。
戦後に帰国して1946年にジョルジュ・ラコンブ監督の『狂恋』でフランス映画界に復帰、映画の出来、不出来よりも共演者の
マレーネ・ディートリッヒとのロマンスが話題になりましたが、その存在感は圧巻でした。
その後も、マルセル・カルネ、ジャン・ルノワール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャック・ベッケル、ジャン・ドラノワ、
ルネ・クレマン、アンリ・ヴェルヌイユ、クロード・オータン・ララなどフランスを代表する名監督の名作群に恵まれ、中年
から初老の深みある渋さで長期に渡ってフランス映画界のトップスターとして君臨し続け、ギャバンの生涯はフランス映画史
そのものだとまで言われました。

ただ、トップスターとしてのプライドなのかもしれませんが、性格がかなり気難しく並の監督では対応しきれなかったようで、
若手監督や作家主義のヌーヴェルヴァーグなどからは完全に敬遠されていたようです。また、物語を映画化する類の作品には
本領を発揮しましたが、ジャン・コクトーやルネ・クレールのような映像芸術派の作品には不向きだったようで全くお呼びが
かからなかったようです。

【主要出演作品】
1933年『上から下まで』Du haut en bas
1934年『白き處女地』Maria Chapdelaine

1935年『ゴルゴダの丘』Golgotha

1935年『地の果てを行く』La Bandera

1936年『我等の仲間』La belle équipe

1937年『望郷』Pépé le Moko

1937年『どん底』Les bas-fonds

1937年『大いなる幻影』La grande illusion

1937年『愛慾』Gueule d'amour
1938年『霧の波止場』Le quai des brumes

1938年『獣人』La bête humaine
1939年『陽は昇る』Le jour se lève
1943年『逃亡者』The Impostor
1946年『狂恋』Martin Roumagnac

1947年『面の皮をはげ』Miroir
1948年『鉄格子の彼方』Le mura di Malapaga

1950年『港のマリイ』La Marie du port

1952年『愛情の瞬間』La minute de vérité
1954年『現金に手を出すな』Touchez pas au grisbi

1954年『われら巴里っ子』Touchez pas au grisbi
1954年『フレンチ・カンカン』French Cancan

1955年『筋金を入れろ』Razzia sur la Chnouf
1955年『首輪のない犬』Chiens perdus sans collier
1956年『ヘッドライト』Des gens sans importance

1956年『殺意の瞬間』Voici le temps des assassins
1956年『罪と罰』Crime et châtiment
1957年『赤い灯をつけるな』Le rouge est mis
1958年『殺人鬼に罠をかけろ』Maigret tend un piège

1958年『レ・ミゼラブル』Les Misérables
1958年『夜の放蕩者』Le désordre et la nuit
1958年『可愛い悪魔』En cas de malheur

1960年『ギャンブルの王様』Le baron de l'écluse
1962年『冬の猿』Un singe en hiver

1962年『エプソムの紳士』Le gentleman d'Epsom
1963年『地下室のメロディー』Mélodie en sous-sol

1965年『皆殺しのバラード』Du rififi à Paname
1967年『太陽のならず者』Le soleil des voyous
1969年『シシリアン』Le clan des Siciliens

1973年『暗黒街のふたり』Deux hommes dans la ville


【ご命日】

★ローレンス・ウエルク Lawrence Welk (1903.3.11~1992.5.17)



アコーディオン演奏者で「シャンペン・ミュージックの王様」と呼ばれたアメリカのバンド・リーダー。
主な演奏曲に『夢のカルカッタ』『子象の行進』などがある。

『5月16日』

2019-05-15 16:50:26 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆マリオ・モニチェリ Mario Monicelli (1915.5.16~2010.11.29)



風俗喜劇を得意とする息の長い堅実なイタリアの映画監督です。
著名なジャーナリスト兼劇作家のトマーゾ・モニチェリの子息としてトスカーナ地方のヴィアレッジョに生まれました。
ローマ大学で哲学を専攻していたときに友人と16ミリ劇映画 " I ragazzi della" を制作、これが国際的な評価を受けたことで
映画界入りしました。その後、助監督や脚本家になり1949年のピエトロ・ジェルミ監督の『無法者の掟』の脚本で高評価を
受けた後に監督に転身して数本の喜劇や風俗描写作品を撮りました。1959年に代表作となる『戦争』を監督、第一次大戦中
でのイタリア軍の前科者と臆病衛生兵のコンビによる喜劇タッチの作品ですが、二人の軍隊行状記に中に人間の心理の触れ
合いが描き上げられました。
1962年にはオムニバス作品『ボッカチオ'70』全四話の第一話を監督したのですが、日本での公開においては第1話がカット
されて、デ・シーカ、フェリーニ、ヴィスコンティの三話のみが上映されました。言ってみればこの段階でこれら三巨匠と
肩を並べるには早すぎるという配給会社の判断だったのでしょうか。
そして同年に工場労働者組織と資本主との闘争をリアリズムタッチで描いた『明日に生きる』を監督、時代の教訓を現代的に
厳しく世にさらけ出し、以後は『ゴールデン・ハンター』をはじめとした風俗喜劇作家として数他の作品を監督し続け、息の
長い堅実な映画作家としてイタリア映画界で存在感を示しました。

【主要監督作品】
1959年『戦争』La grande guerra
 
1962年『ボッカチオ'70 (第1話)』 Boccaccio '70
1962年『明日に生きる』  I compagni 

1965年『ゴールデン・ハンター』  Casanova '70



☆マルティーヌ・キャロル Martine Carol (1920.5.16~1967.2.06)



ブリジット・バルドー以前の1950年代に妖艶な容姿を武器にしてフランスのセックス・シンボルと言われた女優。
ヴァルドマルヌ(一説ではバーズ・ピレネー)に生まれ、中等教育を終えてからパリに出て看護婦、歯科助手などの勉強を
していましたが、ルネ・シモンのもとで演劇を学び1941年にガストン・バティの劇団員となり、地方公演の舞台に立つ
ようになりました。
1949年にアンドレ・カイヤット監督の『火の接吻』で傍役として映画デビューを果たし、1952年にルネ・クレール監督の
『夜ごとの美女』、続くジャン・ドヴェヴル監督の 『浮気なカロリーヌ』で魅惑的なセクシー女優として大きく花開き、
強い集客力を持つ稼げる女優としてトップスターに昇り詰めました。
しかし、1950年半ばに同系のブリジット・バルドーが台頭して人気に陰りが出始めてから主演作品が激減し、挙句の果てに
自殺未遂や薬物乱用などのスキャンダルもあって1967年に46歳の若さで心臓発作でこの世を去りました。

【主要出演作品】
1949年『火の接吻』Les Amants de Vérone
1952年『夜ごとの美女』Les Belles de nuit
1952年『愛すべき御婦人たち』Adorables créatures
1952年『面の皮をはげ』Miroir
1953年『浮気なカロリーヌ』Un caprice de Caroline chérie

1953年『ボルジア家の毒薬』Lucrèce Borgia
1954年『寝台の秘密』Secrets d'Alcove
1955年『女優ナナ』Nana

1956年『歴史は女で作られる』Lola Montès
1956年『八十日間世界一周』Around the World in 80 Days
1960年『フランス女性と恋愛』La Francaise et L'Amour


☆ヘンリー・フォンダ Henry Fonda (1905.5.16~1992.8.12)



素朴さと繊細さを兼ね備えた若手として売り出し、ハリウッドの中心的役者として活躍したアメリカの映画俳優です。
イタリア系移民のアメリカ人としてネブラスカ州グランド・アイランドで生まれました。セントラル高校卒業後、新聞記者を
目指してミネソタ大学でジャーナリズム学科に籍を置きましたが、中退してアマチュア劇団に参加、1929年に端役として
ブロードウェイの舞台に立ちました。1934年にブロードウェイの舞台劇『運河のそよ風』で主役を演じていた時に、これが
映画化されて映画界に入り、翌年のフリッツ・ラング監督の『暗黒街の弾痕』が当たり役となってスターの仲間入りを果たし
ました。1939年の『若き日のリンカーン』以降はジョン・フォード監督に可愛がられて『怒りの葡萄』『荒野の決闘』などで
大スターの道を歩きはじめましたが、1955年の『ミスタア・ロバーツ』撮影後にジョン・フォードと決別してしまいました。
(フォンダがフォードの演出に難癖をつけたことから暴力沙汰になったようで、映画は監督の作品であることを理解せずに
ハリウッドのスター主義で天狗になっていたフォンダの態度に原因があったのではといわれています)
その後、シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』と『女優志願』の主役で輝きを取り戻しましたが、1958年には
映画から離れてTVドラマやブロードウェイでの仕事を選びました。約5年間の空白の後にハリウッドに戻って映画俳優として
復帰しますが、大役に恵まれず徐々に人気も落ちてしまいました。

【主要出演作品】
1935年『運河のそよ風』The Farmer Takes a Wife
1936年『丘の一本松』The Trail of the Lonesome Pine
1937年『暗黒街の弾痕』You Only Live Once

1937年『或る女』That Certain Woman
1938年『黒蘭の女』Jezebel
1939年『モホークの太鼓』Drums Along the Mohawk
1940年『怒りの葡萄』The Grapes of Wrath

1942年『運命の饗宴』Tales of Manhattan

1946年『荒野の決闘』My Darling Clementine

1947年『逃亡者』The Fugitive
1948年『アパッチ砦』Fort Apache
1955年『ミスタア・ロバーツ』Mister Roberts
1956年『戦争と平和』War and Peace
1956年『間違えられた男』The Wrong Man
1957年『十二人の怒れる男』12 Angry Men

1957年『女優志願』Stage Struck

1962年『野望の系列』Advise & Consent

1962年『史上最大の作戦』The Longest Day
1962年『西部開拓史』How the West Was Won
1963年『スペンサーの山』Spencer's Mountain
1965年『バルジ大作戦』Battle of the Bulge
1966年『テキサスの五人の仲間』A Big Hand for the Little Lady
1968年『ウエスタン』C'era una volta il West


【ご命日】


★ジュゼッペ・デ・サンティス Giuseppe De Santis (1917.2.11~1997.5.16)


第二次大戦後のイタリアに起こったネオ・リアリズムの一翼を担った映画監督。
主な監督作品として『荒野の抱擁』『にがい米』『オリーヴの下に平和はない』『女の部屋』などがある。


『5月15日』

2019-05-14 15:40:25 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆アルレッティ Arletty (1898.5.15~1992.7.23)



舞台出身で、映画界では遅咲きながらも中年女性の魅力をいかんなく発揮したフランスの女優です。
パリ郊外のクールブヴォワに生まれ、イディス・バルビエ専門学校で教育を受けたのち、マネキンから舞台を目指し1929年に
オペラで初舞台を踏みました。1935年にジャック・フェデーの『ミモザ館』では傍役ながらも雰囲気を醸し出す女優として
注目を集め、マルセル・カルネ監督の1938年の『北ホテル』、1942年の『悪魔が夜来る』において中年女性の艶やかさで
その存在感を示し、1945年の『天井桟敷の人々』のガランス役で一気に大女優に昇り詰めました。
第二次世界大戦直後の1945年にドイツ人将校との不倫の罪で有罪判決を受けて一時映画界から消えていましたが、1954年には
『外人部隊』や『われら巴里ッ子』で復帰し、映画や舞台などで活躍を続けました。しかし、1964年に事故で視力を失い
映画女優としての道を絶たれてしまいました。

【主要出演作品】
1935年『ミモザ館』Pension Mimosas
1938年『北ホテル』Hôtel du Nord

1939年『陽は昇る』Le jour se lève
1942年『悪魔が夜来る』Lea Visiteurs du soir

1945年『天井桟敷の人々』Les Enfants du Paradis

1954年『外人部隊』Le Grand jeu
1954年『われら巴里ッ子』L'air de Paris
1962年『ヒッチ・ガール』Les petits matins
1962年『史上最大の作戦』The Longest Day


☆ジョセフ・コットン Joseph Cotten (1905.5.15~1994.2.06)



奇才オーソン・ウェルズの盟友で、『市民ケーン』『第三の男』で映画史に名を残したアメリカの俳優です。
ヴァージニア州ピータースバーグにうまれ、地元のハイスクール卒業後にワシントンのヒックマン演劇学校に入り舞台俳優を
目指しました。1938年にオーソン・ウェルズが主宰するフェデラル・シアターズ・プロに参加し、全米を恐怖に陥れたラジオ
放送『宇宙戦争~火星人襲来』の放送に参加、1941年にはオーソン・ウェルズ監督から『市民ケーン』の準主役を与えられ
一躍ハリウッドに名を残す俳優となりました。その後主役を張れる俳優としてハリウッドでの仕事に追われていましたが、
1949年にイギリスにわたってキャロル・リード監督の『第三の男』で盟友オーソン・ウェルズと共演して再び映画史に名を
残しました。その後はハリウッドのB級作品続きで人気も下降し、1981年に脳卒中により引退を余儀なくされました。

【主要出演作品】
1941年『市民ケーン』Citizen Kane

1941年『リディアと四人の恋人』Lydia
1943年『疑惑の影』Shadow of a Doubt

1944年『ガス燈』Gaslight

1944年『君去りし後』Since You Went Away
1945年『ラヴレター』Love Letters
1946年『白昼の決闘』Duel in the Sun
1947年『ミネソタの娘』The Farmer's Daughter
1948年『ジェニイの肖像』Portrait of Jennie

1949年『第三の男』The Third Man

1950年『旅愁』September Affair

1953年『ナイアガラ』Niagara
1958年『黒い罠』Touch of Evil
1961年『ガン・ファイター』The Last Sunset
1960年『ふるえて眠れ』Hush... Hush, Sweet Charlotte


☆ジェームズ・メイスン James Mason (1909.5.15~1984.7.27)



知的なクールさが印象的な玄人好みのイギリスの俳優です。
イングランド北部ハダーズフィールドに生まれ、ケンブリッジ大学で建築学の学位も取ったのですが、好きな演劇の雑誌で
メロドラマの俳優を募集している広告を見つけてこれに応募して初舞台を踏みました。やがてオールド・ヴィク座の一員と
なり、ウエスト・エンドの舞台に立っていた時に映画界から誘いを受け、1943年に『灰色の男』で映画デビューしました。
これが高く評価されて、1945年にコンプトン・ベネット監督の『第七のヴェール』、1947年にはキャロル・リード監督の
『邪魔者は殺せ』に主演し、人気スターの仲間入りを果たしました。
直後の1947年にはアメリカに渡り、ブロードウェイ、ハリウッドへと進出し、屈折したニヒリストとして主役から傍役までを
こなして生涯100本以上の作品に出演し続け、息の長い俳優人生を全うしました。

【主要出演作品】
1943年『灰色の男』The Man in Grey
1945年『第七のヴェール』The Seventh Veil   

1947年『邪魔者は殺せ』Odd Man Out

1947年『霧の夜の戦慄』The Upturned Glass
1949年『ボヴァリー夫人』Madame Bovary
1951年『パンドラ』Pandora and the Flying Dutchman
1952年『五本の指』5 Fingers
1952年『ゼンダ城の虜』The Prisoner of Zenda
1953年『三つの恋の物語』The Story of Three Loves
1954年『スタア誕生』A Star Is Born
1954年『海底二万哩』20,000 Leagues Under the Sea
1957年『日のあたる島』Island in the Sun
1958年『針なき時計』Cry Terror!
1959年『北北西に進路を取れ』North by Northwest
1960年『日のあたる島』Island in the Sun
1962年『ロリータ』Lolita

1964年『ローマ帝国の滅亡』The Fall of the Roman Empire
1964年『女が愛情に渇くとき』The Pumpkin Eater
1965年『ロード・ジム』Lord Jim
1965年『太陽が目にしみる』Los Pianos mecánicos
1966年『ブルー・マックス』The Blue Max
1966年『ジョージー・ガール』Georgy Girl


☆ミレーユ・ダルク Mireille Darc (1938.5.15~2017.8.28)



そばかすの笑顔としなやかな容姿でバルドーの再来と言われたフランスの女優です。
南仏のトゥーロンに生まれ、そこのコンセルヴァトワールで演劇を学び、19歳の時にパリに出て舞台やTVドラマに出演し、
1960年の"Les Distractions"(気晴らし)の端役で映画デビュー、その後『何がなんでも首ったけ』など十数本の映画に出演
していますが当時の評価は芳しくなく、日本でも殆ど公開されていません。
しかし、1965年にジョルジュ・ロートネル監督の『恋するガリア』に主演し、妖しげな肢体で男から男へと渡り歩くガリア
を演じて爆発的な人気を得、バルドーの再来と言われて一大センセーションを巻き起こしました。
その後も主としてロートネル作品に出演していましたが、1968年にジャン・エルマン監督の『ジェフ』でアラン・ドロンと
共演したことが縁となって、ドロンが亡くなるまで二人は同棲生活を続けました。

【主要出演作品】
1960年『何がなんでも首ったけ』La bride sur le cou
1965年『恋するガリア』Galia

1966年『皆殺しのバラード 』Du rififi à Paname
1966年『エヴァの恋人』À belles dents

1967年『太陽のサレーヌ』La grande sauterelle

1967年『ブロンドの罠』La blonde de Pékin
1967年『牝猫と現金』Fleur d'oseille
1967年『ウイークエンド』Week End
1969年『ジェフ』Jeff

1970年『ボルサリーノ』Borsalino
1971年『栗色のマッドレー』Madly
1974年『愛人関係』Les Seins De Glace

☆トリニ・ロペス Trini Lopez (1937.5.15~ )



『天使のハンマー』『ラ・バンバ』のヒットで知られたメキシコ系の米国人歌手、俳優です。
メキシコ系米国人としてダラスのリトルメキシコ地区に生まれ育ち、1952年、15歳の時にテキサス州ウィチタフォールズで
自前のバンドを結成、1958年にソロ歌手としてデビューしています。1963年の『天使のハンマー』が全米3位の大ヒットと
なってゴールデンディスクを獲得、1960年代には『さびた手錠』『漕げよマイケル』などのカヴァー曲もありましたが、
1966年に麻薬撲滅キャンペーン映画『悪のシンフォニー』の劇中で、メキシコ民謡をロック調にリメイクした『ラ・バンバ』を
披露して話題になりました。

↓はトリニ・ロペスの『天使のハンマー』 【YOUTUBEより】


↓はトリニ・ロペスの『ラ・バンバ』 【YOUTUBEより】