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欽ちゃん、藤村さん死去に悲痛「神様になった…ありがとね」
“おヒョイさん”の愛称で親しまれたタレント、藤村俊二(ふじむら・しゅんじ=本名同じ)さんが先月25日午後8時45分ごろ、心不全のため静岡・御殿場市の病院で死去していたことが1日、分かった。誰からも愛された藤村俊二さんの人柄を表すように、共演仲間から追悼コメントが数多く寄せられた。TBS系「ぴったし カン・カン」などで共演したタレント、萩本欽一(75)は、密葬に参列後、サンケイスポーツの電話取材に応じ、大好きだった藤村さんとの秘話を明かした。
「大好きなおヒョイさんが神様になった…」
密葬に参列した萩本はそう声を絞り出し、別れをしのんだ。祭壇には、約10年前に撮影したグレーのスーツ姿で、胸元にマフラーを入れ込んだ粋な藤村さんの遺影が。「おヒョイさんが僕に向かって『笑わないとダメだ』っていっているみたいだったよ」とポツリ。
藤村さんの長男、亜実さん(50)から「おやじの顔を見てください」と促されたが、「大好きな笑顔のおヒョイさんの顔だけにしたいから会いません」と欽ちゃん節で辞退しながら、大きな声で「ありがとね」と感謝の気持ちを伝えた。
藤村さんから毎年送られてきた台湾のウーロン茶が2年前から届かなくなり、「病気をしているのかな、と思った」と、ずっと心配していた。最後まで入院先を知らされなかった萩本は「周りの人の話を聞くと、そういう(弱った)姿を見せたくなかったのでは。時々電話をしていました」と明かした。
数年前、藤村さんからチャプリンの特大ポスターが送られてきた際、お礼の電話をすると「ぼくのところにいるより(萩本が持っていた方が)チャプリンが喜ぶから送ったよ」と優しい言葉を掛けられた。
親交が深まったのはゴルフ場で開いた40歳の誕生日会。人生初の誕生日会をゴルフ場で開いた萩本は「大好きな人に祝ってほしくて」と藤村さん一人だけを招待した。
「1番ホール、2番ホール…18番ホールと全部で18回、おヒョイさんがあいさつをしてくれて『変な奴だけど、なんかうれしい』って言ってくれた。それから、先輩面しないで、ずっとお友達のように付き合ってくれた。怒った顔を見たことないし、みんなで並んでいて『一歩前にどうぞ』って言われても、決して前に出なかった」としみじみ振り返った。
50代で初めてニューヨークへ行ったときも「そばにいてほしくて」と藤村さんにラブコール。「ホテルのチェックインとか分からなくて困っていたら、英語で全部、面倒を見てくれて。尊敬が偉大に変わりましたよ。能あるタカは爪を隠すってことわざは、まさにおヒョイさんのこと」。以来、藤村さんに会うと必ずギャグで直立不動の姿勢を取るようになった。
最後に「もっと長生きしてくれたら『神様』って言おうと思ったけど、みんなに幸せを与えてくれて偉大な神様になったんだと思う。おヒョイさんは、ぼくの心の中に笑顔で生き続けています」。藤村さんの笑顔を胸に歩み続けることを誓った。
ビヨンセ、双子妊娠発表&妊娠ヌード写真公開
ビヨンセ(35)が米国時間の1日、ラップ歌手の夫ジェイ・Z(47)との間に双子を妊娠中であることをインスタグラムで発表した。
下着姿でヴェールをかぶり、大きなお腹を両手で包み込むように座っている写真を公開したビヨンセは、「私たちの愛と幸福を分かち合いたいです。私たちは2度にわたり、祝福を受けました。家族が2人増えることを、信じられないほどに感謝。皆さんの祝福にも感謝しています。 カーター一家より」とのコメントを発表した。
2008年に結婚した夫妻には、5歳の娘ブルー・アイビーがいる。ビヨンセは2011年、MTVビデオ・ミュージック・アウォード賞授賞式で演奏後、最初の妊娠を発表。
2013年公開のドキュメンタリー「Life Is But a Dream」の中で、「妊娠するということは、恋に落ちた時の気分とすごく似ている。赤ちゃんが自分の中で育っている喜びを表す言葉がなくて、叫び声をあげて皆に知らせたくなるの」と語っていた。