高田は、松方弘樹という役者を、高倉健や菅原文太と比べて分析した。
「僕が書いた『強盗放火殺人囚』(75年、東映)でも、ああいう二枚目なのにコミカルな芝居をやるのがうまいんだ。運動神経がいいのもあったけど、健さんや文ちゃんにはない器用さが抜きん出ていた。ラブシーンをやるのでも、何か1つは工夫を入れてくるしね」
高田は、笠原和夫に代わって「仁義なき戦い 完結篇」(74年、東映)を担当する。大友勝利(宍戸錠)と並び、凶暴な“ヤクネタ”として松方に市岡輝吉役を用意。松方は目の下に朱を入れるというアイデアで、市岡の不気味さを表現した。
だが、高田が脚本を書き、松方と高倉健が壮絶な銃撃戦をやった「野性の証明」(78年、角川春樹事務所)では違った。高倉は地上から、松方はヘリコプターに吊られて空から応戦するはずだった‥‥。
筆者は今から2年前、松方から思いがけない話を聞いた。
「実は僕は大の高所恐怖症で、佐藤純彌監督に『ヘリにぶら下がらない?』と言われたけど、絶対、ダメですと。ところが主演の健さんに『弘樹ちゃん、やりなよ』と言われたら断るわけにはいかない。だけどヘリの操縦が荒くて、離陸と同時に失神‥‥いや、今だから言うけど、実は失禁もしていた。監督が拡声器で『弘樹ちゃん、撃って!』と叫んでいるのが遠くで聞こえる感じだったね」
結局、アップになるシーンでは地面に穴を掘り、松方をローアングルから撮って、空中戦に見えるように処理したという。あれだけ柔軟に役をこなす松方にも、意外な泣きどころがあったのだ。
さて、松方の訃報に接し、元妻の仁科亜希子とともにコメントを寄せたのが、松方の愛人だった元歌手・千葉マリアである。
〈お見舞いにうかがいたかったけど、本人が姿を見せたくないということだったので、心の準備はしていました。格好良く生きた人だと思います。私は感謝しています〉
千葉は84年に松方との間の子を産んでいる。それが87年に発覚し、当時の妻である仁科亜希子が激怒する一幕もあった。
「女房にパイプカットしろと怒られました」
松方は会見で堂々と語り、実際に芸能界では大橋巨泉以来となるパイプカットの事実を認めた。
そんな騒動の一方の主だった千葉を訪ねると、今も消えない記憶として語り始める。
「私が知り合った時の松方さんは42歳で、それはもう色気があふれんばかりでしたよ。例えば、私と2人でスナックに行くと、ホステスさんたちが私と松方さんの間に割って入って来る感じでした」
松方とは、京都の有名クラブ「ベラミ」のママを通じて知り合った。小柄で、歌がうまいというのが松方のタイプであるらしく、千葉は一目で気に入られることになる。
そして千葉は84年11月2日、松方との間に男児を出産する。この出生日が、仁科亜希子を激怒させる要因であった‥‥。