うさぴょん

思いのままにマイペースに進む

ポジテイブに!!

気になることを発信!<自分で読んでなるほど~!!>

大物の不貞行為

2017-04-07 08:48:14 | 日記

ベッド写真流出の可能性も!? 渡辺謙が「もうダメだ…」と弱音連発、落ち武者状態に

 ラストサムライから落ち武者へ――。超大物俳優の渡辺謙と元ホステスA子さんの“NYゲス不倫”が「週刊文春」(文藝春秋)で報じられた。「ゲスの極み乙女。」川谷絵音とは比べ物にならない大物の不貞行為に、芸能界のみならずマスコミもどう扱えばいいのかにわからずパニックになっている。

「謙さんの所属事務所のK会長は芸能界に数名いるドンのうちの1人。その事務所のトップに文春砲が炸裂したわけですから、テレビや御用マスコミはK会長に忖度が働き、ゲス極・川谷の時とは違って穏やかな論調が目立ちます」とは週刊誌デスク。

 メディアに圧力をかけて“なかったこと”にしなかったのは賢明な判断だが、SNS社会の現代では「謙さんは特別」と擁護すればするほど逆効果。“大阪テレビ界の女帝”上沼恵美子が自身の番組で「ただのオッサンやったね~」と評したように、ネット上では「単なるスケベ親父か」「サムライではなかったな」と落胆の声が相次いでいる。

 これには「何とかなる」とタカをくくっていた事務所サイドも大慌て。先日、渡辺は善後策を話し合うため極秘帰国したが、御用メディアには「空港に行ったら今後は取材禁止」とプレッシャー。現場で張っていたのは文春だけだったというから、他のメディアの及び腰は呆れるばかりだ。そんななか、当の渡辺はというと…。

「前妻との離婚の際には訴訟沙汰となり、大物女優や一般女性との浮気が次から次へと暴露された。あれで渡辺はしばらく干されることに…。その悪夢が蘇ったのか、意気消沈して食事もノドを通らないようです」とは芸能プロ関係者。

 人気者であればあるほど、実は「小心者」というのが芸能界。渡辺も例に漏れず「もうダメだ…」と怖気づいているという。ラストサムライのそんな姿見たくなかった!? 

「文春にはA子さんとのツーショット写真が何枚も流出。Aさん本人、もしくは極めて近い女性でなければ入手できない代物だったため、謙さんは人間不信になっているそうです」

しかも、これだけの大騒動になりながら、A子さんは渡辺との“特別な関係”を継続したいというから恐れ入る。事情を知る関係者の話。「A子さんは現妻の南果歩さんから謙さんを“略奪”しようと考えていた。実際、謙さんからは将来的な話もされていたようです。ところが、南さんが病魔に冒されたことで、謙さんがA子さんと距離を置こうとした。これにA子さんが不満を持ったという情報もある」

 渡辺は近日中にも会見予定。A子さんのプライドを傷つけないよう細心の注意を払いながら、関係を清算したいというが…。

「立ち回り次第でさらなる爆弾写真が投下される可能性がある。ぶっちゃけて言えば、ベッド写真ですね」(事情通)。

 渡辺は会見に向け“想定問答集”を準備しているというが、逆効果にならなければいいが…。


新元号!?

2017-04-07 07:44:30 | 日記

<退位>政府が新元号複数案 依頼の学者提出

 天皇陛下の退位と新天皇の即位に伴う新元号について、政府が複数の学者に選考を依頼し、それぞれから複数の元号案を既に受けとっていることが分かった。退位に関する特例法案の成立後に絞り込み作業を本格化させる。

 昭和から平成への代替わりの際は昭和天皇の逝去当日に正式な手続きに入り翌日に改元する慌ただしさだった。今回は事前にどの程度までオープンな選考ができる余地があるか、政府で検討している。

 政府が元号の選考を依頼したのは、中国史、中国古典文学、日本古典文学など各分野で第一人者とされる複数の学者。2016年8月に陛下がおことばを公表される以前から、水面下で作業を進めていた。内閣官房の関係者が「差し迫ったことではありませんが」と断ったうえで、学者に依頼。各学者は中国や日本の古典をもとに漢字2文字の組み合わせを考え、それぞれが複数案を提出した。内閣官房で案を管理している。

 元号案を提案した学者はいずれも各分野の重鎮で高齢のため、第2次安倍内閣発足(12年)後に亡くなった例もある。「亡くなった人の案は使わない」(元内閣官房幹部)とされ、別の学者に依頼し直す。

 政府は元号法を審議した1979年の国会答弁で、どの学者に依頼したかなどの選考過程について、「(新元号決定の)政令の公示後に国民にお知らせすることも必要」と答弁していた。しかし実際は「平成」の元号を決定後も、政府は選考過程を明らかにしていない。

 昭和に代わる新元号を選考する際、政府は山本達郎(東洋史)、宇野精一(中国哲学)の両東京大名誉教授、目加田誠・九州大名誉教授(中国文学)らに依頼した。「平成」「正化(せいか)」「修文(しゅうぶん)」の3案に絞り込み、逝去当日に有識者懇談会や衆参正副議長の意見を聞いたうえで、閣議で平成に決定した。

 公表後に宇野氏が「正化」、目加田氏は「修文」を提案したと認めていたが、平成が誰の案かは長い間確定しなかった。89年に内閣内政審議室長として元号担当だった的場順三元官房副長官は、15年の著書で平成は山本氏の案だったと明かしている。

 ◇ことば「元号」

 日本では大化の改新があった645年に中国にならって初めて「大化」の元号をたてた。中断した期間もあったが、701年に「大宝」の元号をたててからは現在の「平成」まで1300年以上にわたって続いている。明治以前は災害を理由に改元されることもあった。明治時代に旧皇室典範に「一世の間に再び改めざること」と規定され、「一世一元制」が法制化された。