「音みる(音のみるふぃ~ゆ)」ブログ...♪

100名を超える音楽教室「音のみるふぃ~ゆ」のレッスンノート。また3人娘の子育て日記。

私の足跡...教える始まり#4〜段階を踏んでいく大切さ

2024年12月20日 | 日記
お教室を持って数年経ち、私は結婚して、子どももいました。
2歳差の姉妹、2005年の1月からこのブログを始めたので、遡っていくと、当時の記事を探せるわけですが、
当たり障りのない内容で始まっています。。

その当時の自分の日記を振り返ると、ブログとはまるで別人!
たくさんの悩みを抱えていました。

生徒さんは増えていく一方で、肝心の我が娘達が置き去りになっている事実。

母親なのに、何してるんだ?仕事ばかりで、これでいいのか?と自問自答を繰り返す日々。

芸事を身につけるには、10年かかる、と私は、生徒さん達に伝えているのに、
自分のことは棚に上げてる。
そう、実際のところ、私は焦っていました。

練習しない我が子。いや、そうじゃない、私が毎日、隣で練習に付き合ってあげられない現実。
上手くなるわけがない。。

なのに、私は、自分は4歳の時にこれができた、と自分の子どもの頃と娘を比較して、
イライラする、、。

腹が立ちました。もっと弾けるはず。もっとできるはず。
親としての欲も出ます。

一番決定的だったのは、生徒さんと一緒に受けた外の世界でのステージ。

我が子の成績は伸び悩み、生徒さんはいい成績を残す。

複雑でした。「ピアノに向いてないんじゃない、頑張らないのが良くない!」と
つい娘を責めてしまう。

娘を追い込みながら、私は自分を追い込んでました。

段階を踏む?そんなことよりも。
2歳で始めることこそ、英才教育でしょう!!と。

25歳で長女を産んだ私は、私自身がまだ子どもでした。
長女が無理なら、せめて次女で!

がんばれがんばれ!
と、私は勝手に次女に期待して、できないと責め立てる。

次女は、最初こそ、楽しそうに練習していましたが、
何度も繰り返させられるテクニック練習に、飽き飽きしてくる次女。
2人して、口ごたえをしてくる。そう、私たちは師弟関係を結べない親子でした。

これは、まずい。。2人揃って、潰してしまいかねない・・・。

初めて、人に任せようと、友人のピアノの先生にお願いをしたのもこの頃です。

友人は、私が2人に渡していた課題に驚き、
「あのさ、こんな難しいの無理、、じゃない??」と。

そう、私はかなり高度なことを、自分の娘達に押し付けていた。

「だって、あーた、自分の生徒さんにはそんな難しいこと、求めてないじゃん」と。
確かにそうだよね。。。と、初めて気づく私。

はっきり言ってくれた友人にも感謝。

そうだよ、段階を踏むって大事だと、生徒さんには言えるのに、なんでそうなっちゃったの?
その時初めて、自分の身勝手さに気づきました。

でも、この感情は難しくて、徐々に諦められましたが、
実はその後も、たまに繰り返され、その度に娘たちも、私も疲れ果て、ピアノの練習は戦場と化していく・・

だって、周りにうまく師弟関係を結べてる先生親子がいるわけですからね。
なぜ、我が家はできないんだ??と。つい、自分を責めるわけです。

ということで、この20年間も同じようなことで悩むお母さんは、めちゃくちゃ多いですが、
その思いは、
わかる!わかるよ〜、お母さん達!私も経験したよ!

って、一緒に考えられる。
でも、だから、コーチとなる先生、私たち、が居るんです。

そして、お母さん、そう思うことは当たり前なんです。
お母さんはいつだって、一生懸命ですから。

その思いに寄り添いたいな、といつも思います。
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の足跡...教える始まり#2〜1人の生徒さんから30人へ

2024年12月20日 | 私の足跡…
私の足あと〜教えるの始まり
の続き。。

初めての生徒さんのお宅にお邪魔した時に、あまりの豪邸に驚いた、、ということも、ともかく、
ある有名な方のお子様で、そのご自宅にはたくさんの方が出入りしている、という事実に、アワアワ・・・と
なりながらも、とても楽しくレッスンできたことを覚えています。

そして、レッスンを重ねていく中で思い出した子供の頃の記憶。

小さな頃にした、ごっこ遊び。
友達と遊んでる中で、私は張り切って「先生ごっこ」を提案したのだけど、誰も乗ってきてくれない。
私にとっては、楽しい「遊び」と思っていたけど、何が面白いの??という雰囲気に一瞬でなったのは、気まずかった。。
それからは、密かに1人でやっていた笑。

あ〜・・そうなんだ、、私、教えたりするの、好きだったのかぁ。
ってこと。

そこからは、不思議なもので、どんどんいろいろなことが思いついていく。
数年先を見越して、その子のためのオリジナルなレッスンの中身を組み立てるのも楽しかった。

私は、そのご自宅に出入りする大勢の大人が目の前にいる「仕事場」で、レッスンをして、
先生と呼ばれるのも気恥ずかしく。。
でも、今考えれば、教えた経験がない私のやり方を、同じ空間にピアノを置いていることで、
レッスン中もご両親にじっと観察されていた、ということになる。
なるほど、、先生としての力量をさぐられていた?のかも。

そのあと、それもまた不思議だが、ご紹介やら、音楽教室の講師の誘いやらが、なぜかその年に重なり、
結局、私は会社を辞めることになり、いつの間にやら、先生業だけになったのでした。

その、1人目の生徒さんのお母さんは、生徒さんが大学生になられた年に連絡をくださった。

(中学生になった時に、素地となったピアノを生かして、別の楽器を習いたいと
移行されたので、そこでお別れし、大学生になられた時はその定期演奏会に招かれたのです。)

私は数年ぶりにお会いしたのだけど、自分のお教室を経営していることをお伝えしたら、
「やっぱり、私の目に狂いはなかった。
人を教えることに長けていると思っていたから嬉しい」と喜んでくださった。

思えば、その方のご自宅に出入りしていた皆様は、そのお母様を「先生」と呼んでいて
みなさん、そのお弟子さんだった。

技術を教える、人を育てるということに関して、お母様こそ、プロフェッショナルだったのだ。

そして、ただの営業だった私に、その素質を感じてくださって、娘さんを預けてくださった。

あの時に、声をかけてくれなかったら??
今でも考えることがある。

余談ですが、またその数年後??すっかり成熟し、素敵な大人の女性になられた生徒さんが
「徹子の部屋」に出ていて驚いた笑。

つづく・・・・














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする