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快晴が続くと気持ちがいいですね。
去年の今頃は、退院して間もなくて、手術したばかりのお腹を痛い痛いとさすっておりました。。
それから1年。健康って大事だな~と思って、日々いろいろと改めております。
入院したあの数日感は、私にとってすごく、非現実的だった。
私と同じ歳くらいの隣の患者さんが、夜も寝付けないくらい痛い痛いとうなされているのを、
ただ聞いているしかない、それも、苦しくて。
4人部屋の窓際のおばあさんは、どんな看護婦さんにも慕われている快活な方で
少しお話しましたが、食べられないまま半年くらい経ちますよ、と笑っておっしゃっていた。
私だったら笑えない。。
2日目にそのおばあさんのところに、ご挨拶にやってきた親子がいらっしゃって
どうやらお母様が亡くなられたとのことで、生前病室で仲良くしてくださってありがとうと
泣きながら、感謝を述べられているのでした。
私は、たった5センチくらいお腹を切って、そんなの毎日が病院生活の方たちから見たら
かすり傷みたいなもんで、まったく大した事でないんだ、としみじみ思ったら
あまり病室に居たくなくて、ロビーに行っては窓から見える大きな東京タワーをぼけっと見てました。
時間を気にせずにぼけっとしてると、なんとも心もとなくなり、
気づくと携帯のメールばかりを見ていたのです。
リトミックのイベントが終わって翌日から入院してしまったので、
ご挨拶メールを生徒さん皆さんに送っていたら、そのお返事がじゃんじゃんくる、
それも嬉しくて、必然的に、私の「役割」を考えてしまいました。
あー、生かされてるんだな、と。私の毎日は。自分の家族に、仕事に、大勢の子どもたちに。
そんな事を考えていた去年の秋です。
忙しさにかまけて、飽和状態となり、なんだか疲れちゃったな~なんて思っていたら、
入院というお休みもらっちゃってラッキー…、じゃなかった、
ほんとはこんなとこで寝てられない、とはたっと気づいた。
あの入院は、私にとって「リセット」するための意味のある時間、でした。
このごろ、よく考えるのは、あの病室で一緒になった皆さんは、今もあそこにいらっしゃるのかな、と。
あのおばあさんが、どうにかお元気で、今日も若い看護婦さんたちに「がんばれ!」と
声をかけていらっしゃったらいいのに、とつい、思います。
そして、その可能性はあまりに低いんだ、と思うと、ずん、と心が塞ぐのですが。。