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野垂れ死にが47万人?の怪

2008年05月16日 16時47分04秒 | 社会保障問題
どうして落ち着いて考えるということができないんだろうか。

はてなブックマーク - 河野美代子のいろいろダイアリー 日本は本当に姥捨て山になる。


殆どがデマだろ、デマ。煽り過ぎだっての。
中身をみると、47万人が「その他」―つまり路上死する、みたいなことが書かれているが、こりゃウソだろ。

厚生労働省が47万人の難民が出ることを知っていながら、「路上死しろ」と主張しているかの如く、一般人を誤認させる内容になっている。
本当にそんなことを言っていたんですか?>河野美代子氏(って、ところで何処の誰?)


まず、情報の出所を探した。
コレ>暮らし・後期高齢者医療制度は「団塊うば捨て山」 (2)2030年には47万人の終末期難民が出現

今年2月の記事だね。この「47万人説」を採用している人たちは、大体同じ情報源だろうと思う。河野氏はそういうのを繋ぎ合わせて書いた程度の内容でしかない。パクリン?(笑)ですか?
さも、自分が大発見したみたいに大袈裟に書いているが、全然ダメダメじゃないかと思うが。JANJANの方が詳しいよ。

資料自体は記事によれば「07年10月21日に青森市で開催された第16回青森県老人保険研究会の特別講演で配布された資料」ということだそうですので、厚生労働省が作成したかどうかは不明なんじゃないですか?というより、研究会関係の方が作成したんじゃありませんか?


河野氏は「その他」について、
『「その他」とは何ぞや。病院でも、自宅でも、施設でもない。参考までに、2005年の死んだ人の割合の中で「その他」とは、路上や公園などで死んだ人のことを指している。』
と書いている。
まるで野垂れ死にみたいに書いているが、多分違うでしょうね。
通常、死亡する場所が交通事故であったりすることは珍しくない。職場で急死することもあれば、産業事故もある。海水浴等の海での死亡、登山や雪崩等の事故もある。スポーツ事故なんかだと、グラウンドやプールなんかもある。そういう死亡数の方が、ホームレスみたいになって「路上や公園」で死亡する数よりも、恐らく圧倒的に多いだろう。別に姥捨て山みたいに、公園などの空き地に捨てられるわけじゃない。人々の恐怖心や不安を煽っているだけなのだよ。普通に考えれば、死亡する場所が自宅や病院ばかりではないことくらいは判るのだが、人々はついつい「路上や公園」という記述に囚われてしまうのだ。
大体、孤独死(餓死とか病死とか自殺とか)だって、通常は「自宅」死亡だろ。


こういう言説に引っ掛かりやすいのが世の常なのである。煽りには弱いのである。
元々の47万人の根拠というか意図としては、病床数を削減するのだから一般病院死を増やさないように仮定してみたらどうなるか、ということであろう。病院や介護施設や自宅でなければ、他はどうなりますかね、という提起をしているのであって、実際に公園や路上で死亡するということを意味するわけではないだろう。

統計資料はこちら>第5表 死亡の場所別にみた死亡数・構成割合の年次推移

ざっと言うと、100万人死亡数で、病院が80万人、自宅が13万人、施設+老人ホームが2.7万人、診療所が2.8万人、残りがその他2.8万人だ。医療機関での死亡が約8割、残りの大半である13%が自宅、あとはチョボチョボってことだ。今の病床数でこうなのだから、将来死亡者数が160万人以上になれば、その増加分(約60万人)の大半が「行き場がない」かもね(=47万人が難民化)、ってことを指摘しているのだが、そうであるとしても「自宅で死ねない」とかって話にはならないのは明白だ。

数字を見れば判るように、1980年には自宅死亡割合が38%あった。今の3倍くらい、ということ。病院死亡は約半分でしかなかった。160万人の4割が自宅死亡であれば64万人ということになり、ジャンジャンの資料で指摘する自宅20万人+47万人の合計くらいにはなるね。つまり、1980年頃と同じくらいにしていくようにしましょう、ということを想定しているのであって、自宅死20万人になれなかった人たちは路上死せよ、とか言っているわけではなかろう。


それから、前に書いたが、自宅出産の礼賛みたいな連中がいたと思うんだが、過去の数字をよく見るといいよ。
サンバの幻想?

周産期死亡がかつては非常に高かった、って言ったろ?
病院ではなく、自宅出産だの、助産院だので出産していたから、死亡する確率は高かったのだよ。
上記人口動態資料では、助産院での死亡数は昭和35年で791人、昭和40年で774人だ。この数がどういう意味なのか考えて見るとよい。今と比べると、かなりの高率で死んでいたんだよ。昔はそれが普通だった。いちいち訴えたりはしてなかったけど。

出産は自宅推奨で、終末期は自宅じゃ無理だ、っていうのも、調子のいい主張に聞えますね。あっち系の人たちが、自宅で産めだの自然分娩せよだの、運動しているんだけれども、在宅死もそういう運動みたいなのと何ら変わりないんじゃないの?あっちだか、そっち系だかよく判らんけれども、自宅死を推奨しているような「患者側代表」?だか「国民の意見の代表」?だか知らないが、そういう「消費者側の視点」(笑)に立った「代表者」が頑張った成果が、「病院で死んだら高くつくから、自宅で死んでこい」という制度を生み出すのにかなりの貢献をしたことは間違いないでしょうな(笑)。

「姥捨て山だ」とか散々批判する人たちは、「そっち系の連中」を叩けばいいものを、何故だか政治家や官僚を憎むわけです。こういう制度の元を辿れば、大体はナントカ審議会だの有識者会議だの、そういう偉そうな肩書きを持つ連中の会議に行き着くわけで、そこから出されてこなければ官僚たちだって素案を組んだりなんかできんのですよ。強くプッシュする人たちがいるからこそ、こういう制度のたたき台が上がってくるわけで。何もないところからは、生み出せないですって。

また使ってみるか。
>みのもんたさん江
朝スバによく呼ばれる元宮城県知事の浅野氏ですけれども、彼は社会保障関係に詳しいらしく、知事時代なんかに審議会のメンバーによく選ばれていたりしましたので、是非とも彼のご意見を伺うといいのではないかと。浅野氏は後期高齢者医療制度を作り上げる過程に、深く関わっていたはずではないかと思いますので。制度を主導する役割を担っていたのは一体誰なのか、よく聞いてみて下さい。いつもは好きなことを言える批判側の立場でしょうけど、浅野氏が何と答えるか見てみたいです。



皆さん!安易に煽動されないようにご注意を。
まずは疑え、です(笑、冗談です)



ちょっと追加。

別に今の後期高齢者医療制度に大賛成しているわけじゃないけど。何遍もいいますが。
でも、ニセ情報に踊らされるのはよくないよ、っていうこと。

それと、自宅死の割合を1980年頃と今や将来とを同じ水準にしよう、というのは、数字が同じ位であっても社会情勢が当時と今とでは全然違う、ということを考慮するべきだと思う。
当時は、専業主婦がかなりの割合を占めていたこと、一人(一組)の親に対して子ども世代が多かった(兄弟が何人もいた)こと、同居世帯が多かったこと、などがあるだろう。

しかし、現在や将来見通しとしては、
・専業主婦が少ないので親の面倒をみることを期待するのが難しい(女性の就業率は将来上げていかねばならないので)
・少子化で一組の子ども世代が2組の親の面倒をみる、というような状況(実質的に負担が大きく難しいだろう)
・高齢者単独世帯が増加しているし、将来も増えるだろう(子ども世帯と親世帯は距離的に遠いことが多々ある)
ということで、高齢者世帯が在宅で取り残されてしまうことが起こり得る。

なので、在宅医療の方向に進めるのであれば、自分の子ども以外の社会資源を活用する以外にはないだろう。つまりは介護サービスや地域社会の人々(行政、警察、訪問看護、医療職等)の支えが必要。その為の対価を社会全体で分担することになるだろう。
金銭的に余裕のある人たちは、高齢者向けマンション等に入れるだろうが、余裕のない人たちは(運が良ければ)公的介護施設入所か自宅(当然借家や公的住宅含む)しかない。家族が自力で面倒をみない代わりにお金を払う(サービスを買う)か、お金を払えず時間を持つ人たち(仕事に就かずにいてお金を持たない人たち)は自分で面倒をみてもらうか、高齢者が単独で自力生活するか、というような選択を迫られるであろう。

そういう選択社会がいいかどうかは、国民に判断が委ねられる。
もしも多数派の人たちが、「過去に頑張ってこなかった人たちの老後まで面倒をみきれません」と言い出したら、やはり自力である程度頑張ってもらうしかない、ということ。お金を出せないのなら、家族で支えてあげてください、支える家族や親族がいなければ、自力でお願いします、ということかと。

これまで国保や介護保険料を滞納してきた高齢者は、少なからずいる。そのことをどうするか、ということもある。結構ニュースなんかでも指摘があるのだけれど、給食費や公立の授業料の滞納については、若年世代がバッシングに遭うわけだが、これが高齢者になると責任を問われずともいいのか?

日本の高度経済成長期を謳歌してきた世代であるはずなのに、道徳なんかも叩き込まれてきたであろう世代であるはずなのに、高齢者の国保納付率は高いとは言えないわな。だから天引きされるって話になるわけだ。そういう指摘を誰もできなかったんだよ。何かといえば、年寄りを苛めるのか、って話になるから。

いずれにせよ、よく考えるべき問題だと思う。



医療制度を議論する前に

2008年05月11日 18時58分56秒 | 社会保障問題
ありがちな対立としては、経済成長と財政再建を軸にされることがよくあるが、これらは両立させられるものであって、必ずしも相反するものではないだろう。通常、経済成長が順調に進めば財政健全化は促進されるであろう。結果的には財政再建に繋がるのである。
また、高齢者が負担するか若者が負担するか、という単純な対立も「ちょっと待て」ということである。それぞれに前提というか、基礎となる考え方があるのだ。


1)対人サービスが成長できないわけではない

これまでよく言われてきたことに、医療費が増大すると制度が破綻する、ということがある。それは、医療費以外の制度をいじらない、という前提で考えれば制度的に苦しくなる、ということである。それがまずよくないよ、と言っているのである。
これまでにも何度も書いたが、医療や介護分野は需要が増大する分野なのだから、経済成長の重要なエンジンとなる。対人サービスというのは代替性が困難なものが多く、工場で何かを作るのとは違う。例えばエステだのネイルサロンだのパーマ屋だのは、貧困国では需要は殆どなく裕福な国でしか商売が成り立たない。みんなの平均的な賃金が多く基礎消費以外の余裕があるかどうか、だ。日本のネイルアーティストの生産性がインドのIT技術者よりも高いというわけじゃないが、平均的な賃金が日本の方が多いがゆえに、ネイルサロンの儲けが増え付加価値が高くなるだけだ。同じことを喋ったとしても、賃金が高い人と低い人では「価値が違う」のだよ。サービスの付加価値というのは、一部幻想みたいなものなんだよ。そう信じていれば、いくらでも付加価値が高くなるのさ。詐欺とか○○商法とか、みんなそうなんだよ(笑)。
生活に余裕があるからこそ、セコムみたいな商売が成り立つのも同じなのだ。貧乏な国では商売が成り立たないが、先進国では需要がある。仕事固有の生産性や付加価値が高いからなんじゃなくて、余った金を安心にかけてもいい、安心を金で買ってもいいです、と思わせられるかどうか、というだけなのだ。別にセコムの仕事そのものに、世界中のどこでも通用するような特別な付加価値があるわけじゃない。

ちょっと極端な例を出してしまったが、工業化の後に来る産業として情報通信関連だのソフト分野だの色々とあると思うが、対人サービスが増えなければ仕事が減っていく一方なのだ。工場が消えて海外に移ったり、炭鉱や農場が消えていけば、その分仕事が減っていくのだから。昔は100人がかりでやっていた製造工程を、今はロボットシステムやラインの管理の数人で済む、という効率化が図られれば、100人分近くの仕事が消滅するわけだから。そういうのを補うには、「他の分野や仕事」が必要なのだよ。それを創造していかなけりゃならないのだ。医療や介護分野は需要が増加していくことは予想できるので、四苦八苦して新規分野を「創造」しなくとも、必ず必要とされるのだから雇用が生まれるのだ。そういう成長分野に資金を回せ、と言っているのだ。

しかし、大儲けを企む連中が、それを阻もうと兵糧攻めをやってきたんだよ。資金を枯渇させると、医療側も国民も困ることが判りきっているのに、だ。
そうするとどうなるか?
ギブアップと言い出すのだよ。自ら折れてくれるのだよ。国民は「税金を上げてもいい」と自ら申し出る、ということ。医療側も「参りました、民間大資本の参入をどうぞ」と軍門に降って、更に悪条件下でこき使われる、ということになるのだ。


2)成長分野に資金配分すれば地方の雇用を増やせる

医療や介護の需要はあるのだから、そこに資金配分をすればいいだけだ。道路建設だの、ハコモノ工事だのに回さずに、「医療や介護をする人」に直接資金を配分できるのは、医療制度や介護制度なのだ。日本の医療費のGDP比はOECD中でも下位であるのだから、それを是正するだけで十分なのだよ。まずは先進国なみに近づけるようにするだけでいい。それには財源が必要になるが、社会保障制度改革と税制一体改革が必要だと言っているのですよ。また、道路特定財源みたいに道路に資金投入するのを止めさせるだけでかなり賄える。医療従事者や介護従事者に資金投入すると、将来に渡って資源になるんですよ。それらの人たちの能力という形で、残されるのです。だから、それをやりなさい、と言っているのですよ。

地方でも需要はかなり見込まれるのですから、地元の若者の雇用口は増やせるだろうし、就業者数が増えるから地方の税収も増やせるのです。立派な道路であっても、市民税を払ってくれるわけでもなければ、地元の商店街でお金を使ってくれるわけじゃない。逆に自治体に借金を背負わせて、負債を後世に残すだけだ。

今後労働人口が減少していく中にあっては、たくさん稼げる優秀な人たちには男女を問わず働いていただいて、日本を支えてもらわねばならないのです。その為には、高齢の親の面倒をみるとか子育てや教育に関する部分とか、「後顧の憂い」なく仕事をしてもらえるような環境を整備しておかなけりゃ、思い切って働けないですよ。稼ぎの大きい優秀な人たちが安心して仕事に打ち込めるように、サポート部隊をきちんとしておかねば立ち行かなくなりますよ、ということです。そういう面でも、主力となる現役世代と、彼らを支える基盤(医療、介護、教育、福祉等)を整備し、高齢世代の方々にも子育てなんかのサポートをお願いしたらいいのです。


3)高齢者に負担してもらうのは止むを得ない

今後の人口構成を考えれば、若年世代にだけ負担を求めるというのは無理があるだろう。そういう意味においては、高齢世代の方々にも負担をお願いせねばならない、ということ。後期高齢者医療制度の良し悪しについては、別としても、基本的な考え方として制度の持続可能性を考えれば、広く負担を求めていくのは致し方ないであろう。ただ、過重負担とならぬように、病気の重い方、障害の重い方、所得水準の低い方、そういう方々には給付をきちんと確保しましょう、ということです。

現時点で既に65歳以上の高齢者率が21%くらいになっているのですから、今後世の中の3分の1の方々を残った現役世代が支えきるのは容易ではありません。いずれ現役世代の不満が爆発してしまうでありましょう。大企業を中心とする健保組合のやり口や彼らの主張が必ずしも正しいとも思えませんし、医療費削減一辺倒の「費用削減至上主義」を掲げる過激な原理主義集団のようではありますが、そうだとしても高齢世代に負担をお願いするべきだと考えます。

参考までに書いておきますが、この医療制度の導入は、中医協改革で医療側の発言力を削ぎ、粛清を図った効果の賜物だ。国策捜査と同じようにして厚生族や元社保庁長官が追い込まれたからだ。決定の影響力を握ったのは、「保険者代表」(例えば健保組合の人とか)だの「公益代表」だの、そういった「非医療」側の勢力だ。国民にこれら制度を強いた張本人は、官僚側でもなければ、勿論医療側でもない。「国民の代表」ヅラした、いい加減な主張であろうと国民の声といって憚らないような、「医療の反対側」にいた人々なのだよ。多くの国民はそういうことを知らない。
もっと言うと、根本的に改革実行を推進したのは、財政再建至上主義の息のかかった連中や、大企業等の経済界の操り人形や、「腐れ経済理論」を掲げるような学者、そういう人々なのだ、ということを忘れるな。医療側の発言力が弱まった為に、こうした改革に至ったのだ、ということを肝に銘じるべきだ。


4)とは言うものの…

私は大企業が憎いわけじゃない。彼らだって、それなりに苦しんでいることもあるだろう。別に楽して過しているわけじゃないからね。それは判るよ。年金保険料だって上がっていくし、法人税だって高いし、その上、医療保険料まで上げられたら困る、というのが本音だろう。これは大企業に限らず、中小企業であっても、社会保険料負担が重荷になっている、ということはあるからね。

更に、これまで散々大企業経営者たちがバカだったから日本がこうなった、とか非難してきたし、非正規労働で搾取してきたんだ、とか色々と書いてきたら、ちょっぴり反省してくれたみたいで(笑)正規雇用を増やした企業は結構ありました。大企業だってバカじゃないから、人材投資するべきだなと考えることはあるだろうし、日本の将来の為にと思って正規労働者を増やそうと考えてくれたのかもしれない。それはそれで、感謝しています。嫌々ながらでも(笑)労働者に投資してみようと考えてくれたことには、素直に御礼を申し上げたいです。

なので、大企業の台所事情というものもあって、あまり一方的にも責められない部分はあるのです。こんな経済情勢ですから、先行き見通しが立たないと、賃金を大幅に上げることは難しいですし、非正規から正規に切り替えただけでも相当の人件費負担が増加することにはなるでしょうし。かなり頑張ってくれたことは評価していますよ。数十万人とかの規模で正規雇用が増えるというのがどれほど大変か、というのは理解できますので。

だから、今ここで医療費負担も企業がやれ、とは申しませんよ。すぐに負担を強いるということはしません。しかし、同じ税収額であっても、振り向け先を変えることで医療費の確保は不可能ではありません。無駄な天下り先に回っているお金をまず分捕ってくればいいのだし、道路財源だの空港整備特会みたいに非効率分野への資金配分が過大になっているものを引き剥がしてくればいいだけです。そういうところを本気で崩そうと思うのであれば、政界への働きかけのやり方を変えて欲しいですね。

法人税を下げてくれ、ということを本気で主張するのであれば、税制のあり方を完全に変えるつもりでお願いしたいですね。地方の自主的な徴税権を強化するべきであり、国の徴税権限を縮小するべきでしょうね。地方なんて今後土地は大量に余るし、値段なんてあってないようなもんですから、土地に関する税制だの農地の規制だの公示価格だの、そういうのを自由にして欲しいですよね。田舎なんて、土地をタダで提供したとしても、そこに産業が生まれ人々が居住してくれるのであれば、それだけで税収が増えますから。別に、土地から微々たる税金を集めていく必要もないように思う。
法人税にしても、東京みたいに土地代金が高くて、そこにいるだけでコストが高い自治体は高い税金でもいいだろうし、田舎なんて法人税は半分とか3分の1でもいいよ。法人の国税なんて払う必要ないもの。地方税だけ払うことにすればいいんだよ。そうすれば、田舎に法人を移転するだけで大幅減税達成じゃないか(笑)。何で人気のない場所でも、東京でも同じでなけりゃいけないんだよ。ITの威力というのは、ド田舎であっても同じ仕事が出来うる、ということがあるからいいのだよ。小規模企業なんて、ほんの少しの地方法人税を払うだけで十分なんだよ。地方では、そこに住んでくれるというだけで十分なんだもの。なので、単純に「法人税を下げろ」ということではなく、国税は廃止、地方法人税だけは地方が「自由に決められる」ということにすればいいだけなんだよ。人が増えてきて、税を集めて諸問題を解決しなくちゃいけない、ということになれば、税金で何とかしましょう(例えば交通、ゴミ、学校、病院等)ということなんだから。



そういうわけで、単に「後期高齢者医療制度」は、姥捨て山だ、死ねってことか、全然わかんねー、呼び名が悪い、みたいな感情的批判をいくら集めてきても問題解決には繋がらない。まず、制度の持続の為にはどういう方向性でいくか、ということを説明せにゃならんでしょ。医療だけじゃなく、社会保障全体と税制面でもどうやっていくか、そういうことを積み上げていかなけりゃ解決には向かわないでしょ。誰がどれくらいの負担をするか、どういう配分でやっていくか、そういうことから考えた方がいいと思うよ。

大体、基礎年金国庫負担引き上げ問題だって未解決というか、見通しゼロのまんまでしょ?(笑)
暫定税率の2.6兆円と妙に符合するんだけどさ、基礎年金の国庫負担に必要な額って2.6兆円くらいなんだよね。だから公明党はほぼ同規模の税収に相当する「定率減税」を廃止する、って言ったんだから。今回の暫定税率如きで財源不足だ、と喚くんだから、今度はどうする積りなんかね?日本沈没ですか、もう、こうなったら。
地方出身の議員たちや首長たちも、道路工事がなくなったら地方の仕事がなくなるんだ、だから必要だ、ってバカなことばかり言ってるのも異常だ。目先のことだけにしがみついても、しょうがないだろ。麻薬と同じさ。薬が切れると苦しいんだ、だから麻薬をくれ、ってのと一緒だろ。誰も今すぐ全部切る、って言ってるわけじゃない。将来どうするか、ということを真剣に考えるべきだ、と言ってるんだよ。



すかさず反論ですか?(笑)

2008年04月22日 17時03分09秒 | 社会保障問題
なに、なに、ウチのブログに書いた途端に、反論ですか?(笑)

後期高齢者医療制度に文句を言ってる人たちは、調べて理解してから言え

後期高齢者医療制度への攻撃の手が緩んだのは何故?

いや、単なる偶然に過ぎないんだけどさ。
掌返しですか?それとも、大企業さまのご意向を汲んでみたんですか?

asahicom:企業健保、高齢者医療費4300億円負担増 新制度響く - 暮らし

健保連 高齢者医療支援5000億増 ニュース 医療と介護 YOMIURI ONLINE(読売新聞)


なんで、一斉に「健保組合だって苦しいんだ」の論調に変わるんだろうね?(爆)
な、だから言ったでしょ。
後期高齢者医療制度の反対をする時には、中身を知りもしないで散々文句を言う。そうかと思えば、急に健保組合の擁護を始める。どっちなんだよ?今回の高齢者医療制度には賛成なのか、反対なのか、どっちなんだ?いいのか、悪いのか、どっちなんだよ?
まず、それをはっきりさせてもらおうか、って言ってるんですよ。どうしてこんなにコロコロの変われるんだろうね。、結局、どんな制度であろうとも、必ず文句をいい、難癖つけてるだけなんじゃないの?それと何が違うのよ。

マスメディアの方々というのは、何かを自ら考えるとか、学ぶとかできないもんなの?
どうして、「大本営発表」みたいなのを、ただスラスラと流すだけなんでしょうか?確かに時事的というのか、タイムリーな新鮮ネタを提供しなけりゃいけない、という役割もあるでしょう。けどね、全部の人たちがそれに右へ倣えで、一斉にやる必要性ってないんじゃありませんかね?主要メディアの一部が既に流しているのであれば、もっと違う角度とか掘り下げるとか、重要な問題点はどこにあるのか、とか、そういうのに目を向けるべきなのではありませんか?

あるテーマについて問題意識を持っているのであれば、年金問題でも、医療問題でもいいのですけど、落ち着いて考えた後から報道することができるでしょう?深く考えてみる、とかできるでしょう。詳しく調べて、国民に判りやすく示すことだって、利点欠点を洗い出すことだってできるでしょう?なのに、安易に単純なネタに飛びつくだけ。
これでは、ネットの「炎上」現場に大量に集まってきてる○○さんたちと、全く同じなんですって。マスメディアが「炎上」を演出しているのと何が違うっていうのですか?まるで同じなんですよ、マスメディアのやっていることというのは。


後期高齢者医療制度になったから、75歳以上の老人に医療費が大量にかかるので健保組合の拠出金が増加し、赤字が続出している、と言いたいわけですか?マスメディアの方々は。
何を言ってるんですかね、あなた方は。

参考までにヒントを差し上げましょう。
99年度に健保組合が老人保健に拠出した額は1兆8800億円だ。就職氷河期の02年度でも1兆8370億円だった。まあ年齢基準が70歳以上から、75歳以上に引き上げられた制度改正の影響は若干あるかもしれんが。
これと比べて、拠出金は昨年度1.2兆円、今度の新制度でも1.3兆円に過ぎないではないか。健保組合は6000億円もの「老人保健拠出金」削減を行ったんですよ。違いますか?別に新制度になったから大幅負担増となったわけじゃない。新制度のせいで拠出が増加したわけではないんですよ。
マスメディアの方々は、こういう事実を拾い集めて考えることができんのです。リテラシーがどうの、読み取り能力がどうの、と教育批判を行う当のマスコミが、自分たちは全然できないのではありませんかね、って話です。

じゃあ、何が変わったか?記者諸君には判らんでしょう、多分。
普通、会社勤めを終えた人々はどうなるでしょう?
定年退職して、別な仕事に就く人も少しはいるかもしれないが、大半は健保組合から外れ国保に加入するんですよ。健保(被用者保険)→市町村国保となる、ってことです。で、過去の動向からすると、昔は自営業者や農家が多くてサラリーマンは社会の大部分ではなかったが、段々会社員が多くなったんですよ。なので、毎年毎年退職者は増加するだろうと思われるのです。過去にリストラで切ったといっても、それでも団塊世代の退職が続く限り、退職者は増加していくわけだ。
そうすると、その退職者医療費というものが多くなることは当然なんですな。今まで自分たちの健保組合にいた人たちが「大量に退職し医療費の給付も大量にかかる」、ということなんですよ。そういう、「昔:健保組合」「今:市町村国保」となった人たちが増加するから、組合では面倒をみきれません、だから市町村でやれ、ということだわな。4月からは都道府県単位で、ってこと。

健保組合に加入していた前期高齢者(65~75歳未満)の人たちに金がかかるから、老人医療費は切り離せ、ってことです。健保組合の負担増とか上の記事で報じられているが、旧でいうところの老人保健拠出金(後期高齢者医療制度への拠出)が大幅に増加したんじゃない、自前の退職者が増加しただけだ。

健保組合に加入するのは、現役の時だけで(自分の子どもも組合員なら扶養家族に入れてもらえるかもしれないが)、そういう現役世代の頃には医療費が高齢者ほどかかるはずもなく、そりゃ給付は少ないに決まってるんですよ。医療費が大量にかかるようになる年代になってきて「後期高齢者」になれば、後は知らん、そっちで面倒みてもらえ、ってことだわな。

<寄り道:
社会保険庁が解体された後で社保庁職員の行き場がないと困るしね。できるだけバラバラと組織が細分化されていて、事務が複雑な方がいい、って腹もあるかもしれんがね。これはただの勘繰りなので、全然違うかもしれない。笑>

年金だと、若い世代の払った保険料が高齢世代に回されるんだが、医療保険では必ずしもそういうバランスにはなっていないわけだ。健保組合の現役世代の払った保険料のうち、老人保健に回されてたのは一部だけなんですから。高齢者になった途端に、組合から弾き出されて国保に混ぜられるんだから(笑)。

それから、健保組合の保険料率だけど、安いんですよ、ちょっとだけ。
確か政府管掌は8.2%で、うち特定保険料率は3.3%だったはず。健保組合の保険料率は組合ごとで違いはあると思うが、7.7%くらいでしたよね?高齢者に回される特定保険料率は3.2486%でしたか?政府管掌よりも「得」しているのは何故なんでしょうか、って話もあるわな(笑)。大企業さま優遇制度でもあるんですか、って話だわな。

ああ、これはド素人でしかない私が書いてることなので、本当は大企業さま・健保組合さまが正義であり、彼らの言い分が正しいのかもしれませんので、真偽のほどはマスメディア各位で確認をお願い申し上げます。


要するに日本は、医療費は自己責任の自前でやれ、というアメリカ型になっていけばいいのだそうです。
アメリカ万歳の方々の目論見どおりに行けば、米国なみにGDP比15%の国民医療費が達成できることでありましょう。日本の倍近くですけれども、そういう方向を目指せ、ということらしいです。高齢化率は日本の方が高いから、もっと上げられるかもしれません。良かったじゃないですか。

ですよね?>マスメディアのみなさん。

で、マーケットは資本家に差し出せ、ということで、利益は某国系企業に吸い取らせろ、ということなんだそうです。民間保険会社とかがボロ儲けできるようになればいいんだそうです。医療を受けたければ金持ってこい、貧乏人は医療を受けなくてもいい、という社会を希望しているのが、「市場主義原理が正しい」派の方々なのだそうです。



後期高齢者医療制度への攻撃の手が緩んだのは何故?

2008年04月21日 21時37分30秒 | 社会保障問題
何と申しましょうか、マスメディアの方々というのは反応が非常に単純なのではなかろうかと思えるわけですが、どうなんでしょうか。ひょっとして、制度導入は「大企業さまのご意向なのだよ」とウチのブログでアドバイス(笑)をしてあげた途端に、「姥捨て山ダ!」バッシングが鈍ってしまうもんなんですか?私個人の印象なんで、実際どうなんだか判りませんけれども、「ウェークアップ」だと健保連がスポンサーについてるからしょうがないとしても(この前の番組中では、まあまあ制度を客観的に説明していたように思います)、あれほど制度が悪い!、とんでもない制度だ、お年寄りの切り捨てだ、と叩いていたトーンが急に変わったのはどうしてなんでしょうか?(笑)

制度を廃止に追い込めるようにマスメディアが頑張ってみたら宜しいのではなかろうか、と思わないでもありません。いや、別に旧制度に戻るだけだから、今すぐにはどってことないでしょ。戻せばお年寄りの怒りも鎮まるし、マスメディアの方々のバッシングネタも毎日盛り上がって一石二鳥ではないかと思いますが?続けたらいいのではありませんか?バッシング。徹底糾弾したらいいですよ。
制度が酷いんでしょ?
(入山料さえ取る―by 共産党)「姥捨て山制度」なんでしょ?
マスメディアはその意見を貫けばいいではないか。何故それをしないのだ?スポンサーに顔向けできないからか?大企業さまを怒らせるわけにはいかないからですか?それとも、自社の健保組合からさえ文句が出るからか?腹がいてえ。毎度のことながら、マスメディアの上滑りっぷりには幻滅しますぜ。


もうね、スポンサーが怒ろうと、文句言おうと、やっちゃってくださいよ。トコトン戦って下さいよ。それもできんのですか?(笑)
ならば、始めから文句をつらつらと並べるのは止めればいいのにね。バツが悪くなるだけだもんね。


医療保険制度の概要


健保組合の老人保健給付対象者はたったの2.1%に過ぎない。加入者は本人が約1500万人で家族も大体同じくらいだな。つまり加入者3000万人で、老人(75歳以上、今でいえば後期高齢者)は僅か60万人しかいないんだよ。
だが、国保では約23%が老人なんだよ。な、言ったろ?市町村国保でそんなに支えきれると思うか?税金とか何とかで補助があるとしても、全然足りないのだよ。

健保組合が文句を言うのは判るよ。だって、加入してる老人は僅か60万人しかいなくて、その人たちの給付は2千億円しかかからないんだもの。老人医療費約11.5兆円のうち、僅か1.7%だけだもんな。そりゃ、払いたくないと。で、老人保健拠出金を9千億円も取られて、超ムカつくぜ、ってことを健保が言うわけだ。そーですか。

もうちょっと数字を見ますか。大雑把ですからね。
老人保健対象者は約1450万人、うち、被用者保険(健保組合、共済、政府管掌等)加入は約260万人(うち健保組合が60万人)、残りは市町村国保で1190万人だ。つまり、健保組合が面倒をみてもいいよと思うのは自分とこの60万人で、他の年寄りなんて知らねえぜ、自分とこは自分で面倒みろ、ってことなんですわ。そっちはそっちでやれ、と彼らは強硬に主張しているんだわ。

まあ市町村国保が約1190万人を支えきれるわけでもあるまい。公費投入額が大きいといったって、全てがカバーされるわけじゃないからな。日本国民の健保組合3000万人の人が面倒みるのを分担する老人が60万人、残り9700万人の人で1390万人分担せよ、と大企業の健保組合さまが言うのですから、しょうがないでしょうな。
3000万人の人々の先祖は60万人ですか。随分と少ないですが、相当出産人数が多かったことでしょう(笑)。健保組合の基本的な方針としては、「他人の親だの年寄りだのの面倒なんてみれるか、現役世代の俺たちが稼いだ金なんだから、俺たちに使わせろ」ということですね。

で、市町村国保には1190万人の老人―つまり後期高齢者―がいるけど、自己責任でやれ、ということだそうです。老人は金がかかり過ぎるから切り離せ、と強硬に主張したのは一体誰だったんでしょう?
国民はこのことをよく知るべきだ。

大企業で、日本の法人税が高すぎる、医療費も高すぎる、利益も国内ではなく海外のおかげだ、とか言ってるヤツラがいるんだが、だったら日本からあなた方が消えればいいだけだろ。そんな簡単な経営方針が何故判らんの?とっととどこへでも好きなところへ行けって。税金が安くて社会保障費も全然少なくて、賃金が低くても文句も言わず働いてくれる国なんて、日本以外でもごまんとあるだろ。そういうところへ、金を持って経営陣も本社も移転したらいいだろ。


そういうわけで、大企業は自分の先祖は切り捨てろ、ということを先導したいんだそうです。さすがだ、民間は。効率を追及しているだけのことはある。先祖は金だけかかるが、生産性が低いというか生産がほとんどできないからだね。生産性の低い人間は、どんどん切っていけばいいんだね。それが効率化を図るポイントなんだね!なるほど!!
日本国民はこのことをよく考えた方がいい。


自分の年老いた親がいた場合、親を田舎に残して、自分だけはサッサと社会保険料の安い地域に移動すればいいだけなんですって。そうすると、その田舎の地域の人が親の面倒をみてくれるんですって。へえー、そうなんだ。日本って、そんなうまいシステムができたんだね。こりゃ、素晴らしいライフハックだ。大企業と健保組合のお墨付きですからね。

そういう大企業の言い分に沿って、マスメディアの論調が決まっていく、と。
これも経済合理性の結果なんだね!
いやー、勉強になるなー(笑)。



後期高齢者医療制度に文句を言ってる人たちは、調べて理解してから言え

2008年04月17日 00時39分12秒 | 社会保障問題
タイトルは勿論冗談です。
が、中には意見を言う前に本を読めだの、理解してから言えだの、調べて議論を俯瞰できてから言えだの、難しい要求を出す人たちはかなりいるわけです。いや、別に特定の誰かを非難しているわけではありませんよ。けれども、そういう要求を突き付ける以上、それができていない一般個人全般について、是非それを求めてみたらいいのではないかな、ということです。

今、マスコミで大騒ぎを演出されている後期高齢者医療制度ですけれども、理解していない高齢者の方々が殆どなのではありませんかね?そうであれば、判りもしないで文句ばかり言ってる高齢者の方々を是非とも徹底糾弾して欲しいんですよ。そういう批判をしない理由なんてないのではありませんかね、ってことです。
一般個人であっても、自分で調べたり何かを読んだりして最低限度の努力(笑)さえしてないとか、理解できてないのに文句や反対を述べてはいけないんですよね?

くだらないたとえ話ばかりの記事で申し訳ないんですが、参考記事を挙げておきます。

万人に「本を読んでから意見を言え」と要求するのは不適切

前の続きだけど(追加あり)


本題に戻りましょう。新たな制度が複雑だの、天引きは許せないだの、色々と文句が多いわけですが、これらについて書いてみます。


1)じゃあ、旧制度を説明してみてごらんよ

後期高齢者の方でもいいですし、年齢に関係なく旧制度をどれくらい理解していたんでしょう?
多い不満は「わかりにくい」「複雑だ」とかなんですが、だったら、前の制度が簡単で説明可能であったのでしょうか?って話ですよ。調べてないから判らないわけですが、恐らく殆どの後期高齢者の方々には理解できないだろうし、説明できるものであったとは思えないわけです。なのに、制度が変わった途端に、複雑だ、とか言い出すのは何故なんだろうか、と思うんですよ。前も判らなかった、今も判らない、ということなら、別に何も変化なんてなくて、「前からずっと判らなかった、複雑だった」ってだけなんではありませんか?

何なら、マスメディアの人でもいいですし、みのさんでも古館さんでもいいんですが、本当に説明できるかやってもらえませんかね?できますか?個人的予測では、まず無理だと思いますけど。私も難しいな、思いますしね(笑)。

旧制度ですけれども、老人保健法と多くは国民健康保険法に規定されていた部分があるのですが、分けて書いていきます。

①老人保健法という制度

75歳以上の方々はこれに該当します。老人医療券とか書かれた保険証みたいなものを受けるわけです。で、老人医療の費用分担の仕組みは、大雑把に言うと、a)自己(利用者)負担分(1割又は2割)+b)老人保健拠出金+c)公費負担、となっています。

自己負担分というのは1割なので全然少ないですから、殆どの部分は拠出金と公費で賄われていました。自己負担分は所得水準に応じて個人の月額上限と世帯月額上限などがあって、入院と外来でも上限が異なりかなり複雑です。個人の所得水準で異なり、自治体ごとでも異なります。

自己負担分を除いた部分を2等分し、半分は拠出金、半分は公費です。拠出金の額は健保組合、政府管掌、共済、国保等保険者ごとで割合が異なり複雑な計算式を用いて算出されます。これも凄く大雑把にいうと、保険料収入が多く財政的に裕福な保険者は負担割合が大きくなり、貧乏な保険者(典型的には過疎地の国保とか)は少ない割合です。
残り公費部分は、国が3分の2、都道府県と市町村が各6分の1の負担となります。

ここまでを一言で言えば、「複雑です」ということですわな(笑)。

②国民健康保険

これもいろんな場合があって、子どもが被保険者で老人がその扶養家族であることもあるので、全員が国保というわけではありません。年金暮らしであっても、子どもが健保組合とか共済とか政府管掌であれば、それぞれの社会保険に扶養家族として加入していたことになります。しかし、現実には子どもは都会で暮らし、親が田舎で暮らしていたりするので、扶養にはなっていない(子ども世帯自体が生活が苦しいというようなこともあって保険料まで負担できないということがある)こともあるでしょう。

こういう人たち以外では、自分で仕事をしていて社会保険に入っているケースは極めて少ないので、殆どの人が国保ということになります。国保の保険料計算は以前にもちょっと取り上げたことがありますが、これは複雑なんですよ。
基本的な部分だけ書くと次のようになります。

d)所得割:前年の基準総所得×料率(約8~12%程度)
e)資産割:今年の固定資産税額×料率(約20~30%程度)
f)均等割:被保険者数×定額(3万円前後?)
g)平等割:世帯ごとに定額(3~5万円程度?)

これを計算し、最高限度額(約50~60万円)を超えると上限額、それ以下であれば、計算額に応じて月額が決定されることになります。国保の料率や均等割、平等割は市町村ごとに異なるので、計算結果は一概には言えないのです。あと、低所得者については免除制度があって、住民税額に応じて減免されたりします。
一般的傾向としては、国保の加入者には高額所得者は少なく、社会保険適用となっていない(つまり正社員ではない低所得)フリーターとか自営業者とかが現役世代ということになり、その他は年金暮らしの高齢者が多いので、保険料の「払い手」(現役世代)の割合が少なく所得も少ない、ということです。社会保険であれば、労使折半なので同じ所得水準(例えば年収300万円)であっても負担が少ないし、高齢者の加入率も少ないのです。それに比べれば、国保の保険料は高いのですよ。

こんな複雑な保険料制度を高齢者の方が理解できていて、説明可能であると思いますか?自分の住んでいる市町村の料率だの均等割や平等割の額を言えると思いますか?そんなのは、殆ど無理なんですよ。後期高齢者医療制度が複雑なんじゃない、元から複雑なんですよ。こんな仕組みを理解できていた高齢者なんて、いたと思いますか?高齢者に限らず若者で現在の国保加入者であっても、知らない人たちの方が圧倒的に多いと思いますよ(笑)。

a)~g)の説明ができたら、合格ですね。そんなに理解されているとも思えませんがね。


2)何故決定前に文句を言わなかったのか

かつて医療費抑制策が本格的に問題とされたのは、05年だ。郵政選挙の前じゃないか。どうしてその頃から、大騒ぎして反対しなかったんだよ。
自民党内でも反対の声、ってオマエら○○か?
そもそも03年に閣議決定されたのが発端じゃないか。その後棚上げされていたが、05年春頃から社会保障費、殊に医療費抑制策が問題とされてたんじゃないか。私は反対したけど。キャップ制は回避されたものの、翌年度以降の大幅削減が決まった。更に、医療費適正化について骨太に書かれ(閣議決定)、郵政選挙後にはスイスイと医療制度改革大綱が決まってしまった。翌06年には法案提出し可決されたんじゃないか。今いる自民党議員が賛成票を入れたからこそ、通ったんだろ。

参考:社会保障改革の文献的考察

05年初め頃から散々医療費の問題が出ていたのに、みんなは反対しなかったじゃないか。あの当時に大騒ぎしていれば、骨太には書かれず、閣議決定にも至らなかっただろう。それを何だ。今になって、制度が悪いって、アホか。少なくとも郵政選挙前だったのだから、何らかのアクションをやるべきだろうが。都道府県単位構想が出されたのは、ずっと前からだろ。


3)何故この制度が通されたのか

元々医療費抑制を強く求めていたのは誰なのか?
これが今回の混乱の根本原因であろう。国民の多くは政治家が悪い、とか、厚生労働省が悪い、というような誤解を持つのではないかと思う。確かに、一部にはそうした意向が働いていた人はいたかもしれないが、私の予想は全然違うと思う。

恐らくは、企業だ。特に大企業だ。そして健保組合(大企業が中心の運営主体だ)。それに連なるのは経済学者だの、欧米かぶれの何とかだの、そういう連中だ。入れ知恵していた人間がいて、強く主張できたのは「金持ち資本家」っぽい大企業なんだよ。
何故そう思うかって?
大企業にとっては、厚生年金の保険料率が上げられたのは、煮え湯を飲まされたのと同じであったからさ。料率は確実に上がっていくことは決まってしまったからだ。18.3%まで着実に毎年毎年上がっていく。これに輪をかけて、労働保険料が上げられた。更には介護保険料も年々増加していく。高齢者率が増大するのだから、止むを得ないわな。

そうなると、残るは医療費抑制策だけであり、特にGMが医療費の負担増やデルファイ破綻などで経営悪化や格下げを招いたこと(05年初め頃だったと思う)が、影響していたであろう。自動車業界は日本の主要企業群の中ではとりわけ発言力があったからだ。奥田さんが諮問会議にいたし、経団連会長であったからね。だからこそ、医療費は抑制されねばならない、という意見が主流であったであろう。
更には、企業のメリットというものが期待されたのだ。それは医療という「成長分野」に企業が参入したい、という強い意向があったからだろう。これを唆していたのは、某国のコンサル軍団だの、かぶれた学者だの、そういう資本家腰ぎんちゃくがいたからだ。マッキンなんちゃら~、とかもそういう一部だろう。実際、彼らの言い分通りに市場化して、そのうまみにありついた人々は多く存在した。介護事業や人材派遣業なんかがそうなのだ。結果、どうなったかは、見てのとおりさ。日本がどうなったのか。

大企業の健保組合は高齢者の加入している割合が国保なんかに比べれば断然低いのだよ。そりゃそうさ。田舎に自分の親を残してきて、都会で暮らしてるから。自分の親の面倒は知らないぜ、田舎の人間が面倒をみろ、ということなのだよ。だから高齢化が進んでいる地方では国保財政が極めて苦しくなるのだ。だが、健保組合は自分の保険に加入している高齢者の割合が少ないので、上記b)の拠出金割合が多いことについて、昔から不満タラタラで、「老人保険のせいで健保組合が大迷惑を蒙っている」と散々文句を並べていたのだよ。そういう大企業さまの意向に合わせると共に、年寄りが多い地域が医療費をたくさん使ってるんだから、たくさん使っている都道府県が自分の分は自分たちで負担するようにしろ、と強く求められた結果が、今回の後期高齢者医療制度なのだ、ということだ。

だから、広域連合という形式となり、都道府県単位とされたのだ。地方は地方、大都会は大都会、という、いってみれば「東京だけ(プラス愛知?)が生き残ればいい」ということさ。東京とかの大都会にある大企業さまのご意見が最優先された結果なのだ、ということ。そういう国になったんだ、ということを、地方の人間はもっと自覚せよ、ということだな。


4)文句を言う前に

世帯の年金収入が300万円を超えている人たちは結構いる。いや、全部ではないよ、そりゃ。でも、貧しくて目立っている高齢者たちがいることは確かなんだが、若者が年収200万とかもっと安い中で年金や医療保険料を払い、税金も払い、苦しい生活を強いられているという現実がある。年金生活者が若者よりも多くの年金を受け資産もあって自宅に住んでいながら、年金保険料もなく税金も払わないで「負担増で生活が苦しい」とか言ってることは多いわけだ。じゃあ、若者は我慢して高齢者の為に税金を払って貢げ、ってことか?

本当に生活が苦しい高齢者には補助とか支援が必要だろうと思うが、それは全員ではないんだよ。金融資産は中央値で2000万円を超えている世代が、若者から援助をそんなに必要とするか?違うだろ。もっと低収入で年金や医療や税金を払わねばならない若者こそが、支援すべきなのではないのか?高齢者で生活苦の人たちの子どもは一体何をしているのだ?親の援助くらいやれよ、って話だな。同居できないにしても、資金援助くらいはできるだろが。いや、みんなが子どもいるってこともないというのは判るけど、昔なんだから兄弟が何人もいるとか珍しくない世代でしょう?だったら、親に少しずつ援助くらいできるだろ。そういうのが無理な人たちはいると思うけど、1割にも満たないのではないかとしか思えないんだが。
75歳以上で子どもが1人もいなくて、金融資産も全然持ってなくて、年金額が凄く少ない人、って、そんなに大勢いるかな?
年金だけでは足りず預貯金を取り崩さねばならなくなった、ってそりゃ当たり前だろ。若者は取り崩すべき預貯金もないのに、税金や年金保険料を払わねばならんのだから、それを思えば少しくらいは我慢できるだろう。どうしても生活の苦しい年金生活者には支援をすればいいのだよ。支援の方法なんていくらでもある。

それから、天引きが許せない、って言うんだが、じゃあ市町村の引き落とし手数料とかどんだけ多いか知ってんのか?
いや、私も知らないんだけどさ。けど、国保の未納を回収する為の費用とか、かなりかかってると思うよ。高齢者ばかりではないだろうが、それでも徴収コストがかかるし、口座引き落としであっても手数料を取られるから、そういう経費を節約できれば市町村にとっては大きなメリットがあるんだよ。そういうことを考えて「天引きすんな」とか言ってるのか?とてもそうとは思えないんだが。過誤調整とかにしても、たった100円振り込むのに105円の手数料とか払うのって全くの無駄だろ。そんな無駄な手数料を使うくらいなら、相殺して天引き額で調整する方が圧倒的に経費節約に繋がるんだって。国保の徴収業務のコスト削減に繋がるなら、天引きがいいに決まっておろうが。各個人の払う手間暇も軽減されるから、願ったりかなったりじゃないか。コストが減るのだから、何が不満だというのか。


結局のところ、自分の金は払いたくない、けど、サービスは満額やってくれ、みたいな不満が多いだけなのではないのか。自分たちにはこんだけ「もらう権利がある」というような、既得権益意識が強いだけなんじゃないのか。今になって生活が不安だ、とか言うなら、どうしてもっと昔から不安に思ってこなかったんだよ。30年前から不安に思って貯金するなり何なり、しておけばよかったんじゃないのか。

支援が必要ならばするべきだが、それは大勢ではないと思うぞ。他の多くの年金生活者は同水準の年収の若者よりもいい暮らしをしているだろう。そういう若者を犠牲にしてもいい、という人がいるなら、出てきてもらって議論をしたらいいよ。

いずれにしても、文句を言い始めるのが遅すぎる、後悔するのも遅すぎる、というようなことかな。それと、一番得した人は誰なんでしょうか?ってことをよく考えてみるべきだろう。



当然の帰結

2008年04月03日 15時34分58秒 | 社会保障問題
予想された結果でしかない。

はてなブックマーク - <国立がんセンター>麻酔医が相次ぎ退職 手術にも支障(毎日新聞) - Yahooニュース

医師たちを支えていたものが、破壊されたからさ。
単に給料が高い安いとかの問題ではなく、日本の中心的医療機関で果たしてきた役割とか、誇りとか、感謝される喜びとか、そういうものが打ち砕かれたからだろう。

これまでにも何度か取り上げた。

Terror of jurisdiction ― 司法権力が医療崩壊を加速する

崩壊は止まらない


予想通りということ。
普通に考えれば誰でも判ること。
がんセンターも国循も、同じように壊れていったのだよ。

今後も同じように崩壊が進展するだろう。

人材育成には時間がかかる。失った時間は取り戻せないのだ。




社会保障制度改革再論~2

2007年10月30日 20時45分07秒 | 社会保障問題
1)大きな視点でみれば

他の様々な改革についてもそうであったと思うが、大きな制度改革が実行されればこれまでとは異なった問題が生じてくるであろう。それら副作用的なものへの対処が可能な環境になっていなければならないであろう。つまりは、経済的環境が順調な時期、ということが大前提となるであろう。例えば、消費税率アップということについて、かつての如く駆け込み需要とか若干の混乱などが起こってしまうとしてもそれを吸収できる程度には、全体として安定性がなければならない。

なので、仮に制度改正へと実施段階となっていくとしても、かなり綿密なステップを組み上げることと、急激な変化をできるだけ抑制できうる対策を事前に準備しておかねばならないだろう。年金制度ばかりではなく税制改正も含めて、ということになれば、中期的な実施プロセスが必要となるであろう、ということ。その方向性を検討する上でも、早急な意見集約とか検討結果が出せるものでもないであろう。それくらい大きなテーマであるということだ。

さて、この作業中にできうることは、一体何か?
それはずっと問題となってきた「デフレ」だ。失業率の改善はやや進んできたのだが、ここに来て逆戻りの感が出つつある。それは米国経済の迷走という見えない不安が根底にあるだろう。世界経済にブレーキがかかってくると、当然日本にも影響が出るかもしれない、ということで、新規雇用を絞ってきている企業等が割りと出始めてきた可能性はあるだろう。昨年来からの日銀の金融政策が緩和から引き締めへと方向転換し、この変化を多くの経済主体が明確に認識することで経済活動に影響を与えたであろうと推測される。そうした金融政策上の大きな誤りによって依然としてデフレが継続しており、「名実逆転」現象も続いたままなのである。これが解消されない限り、正常な経済成長過程には戻れない。その役割を担うはずの日銀は、政策的失敗を認めないどころか硬直的な官僚主義の悪弊とも言うべき「失敗の隠蔽」に狂奔しているのみである。

デフレ脱却チャンスを迎えた「ITバブル期」においても、日銀は過剰なまでの反応で引き締めへと動いて日本経済の回復機会を確実に潰した。そして今回(量的緩和解除~利上げ)もまた日本経済の好転を敢えて潰したことで、デフレ脱却への足がかりが失われようとしているのである。金融政策決定会合のメンバーは、昔であれば即刻「腹を切れ」(笑)と言われても当然であろう。彼らは独立性を盾にして、重大な失敗に関して責任を問われることが決してないのである。故に、反省もないのである。

「どのようにして成長率を上げるのか?」
誰にも答えの判らない問いをいつまでも発して、これに囚われている限り、結果は同じなのである。成長力の源泉は「人々のspirit」としか言いようがない。それを操作することなど難しいに決まっている。かといって、何もできないわけでもないだろう。たとえば梅田望夫氏のようなオプティミストがどんどん誕生してきて、旺盛な活動ができるように環境を整備していくことは可能だ。何故そうなるのか、なんて今のところ判らない。でも、人々が何かを信じて「やれる、きっと大丈夫、できるはずだ」という考えを持つに至れば、そうなるだろう。

付加価値にしても、何が大きな価値を生み出すのかなんて判らない。それは「絶対に大当たりする映画」とか、「人気沸騰のアニメ」とか、「ベストセラー間違いなしの本」とか、そういったものの法則性を見出すか筋立ての原則を発見するようなもので、「誰にも判らない」としか言いようがないのである。「どうやって?」と頭の悪い子どもみたいに同じ質問を繰り返している限り、前進はない。自分で考えずにすぐに答えを聞こうとばかりすることそのものが、ダメな証だ。みんなで色々とやってみるしかないんじゃないか。やってみたら、中にはうまくいくものが出てくるだろうな、ということ。付加価値なんてある種のサギみたいなもんで(笑、冗談です。これは言いすぎだ)、オレが球を投げても一円にもならないが、松坂が投げると600万ドルになる、みたいなもんだな。「ボールを投げることにそんなに価値があるか?誰がわざわざ大金払うんだよ!」とか言われたとしても、実際価値を生み出しているのは確かなんだから。

原価30円で手に入れた薬草を100円で売る人と、同じく1万円で売る人がいれば、後者の方が付加価値は大きいわけで。売る値段が「営業トークが違う」とかで変わるなら、「営業トーク」という能力に対して価値が付くことになるでしょう、多分。それは結局「自分の仕事はこれだけの価値があるものだから」と各人が思うのであれば、そういうことになるんだろうね。「スーパーカリスマ心理カウンセラー」が一回30分で2万円なのと、「無名平凡心理カウンセラー」が1回30分で2000円なのでは、「人の違い」ということでしかないもんね。

実質成長には何かと不明点が多いのだけれども、少なくとも名目成長は「会計上の規則」みたいな性質があるので、数字自体が大きくなっていくことはそんなに難しいわけではない。まずこれをどうにかせねば、いつまで経っても低成長率が続いていってしまうのですよ。その結果として、過去の債務が過重負担となり、借金苦のせいで今のような疲弊をもたらしたのですよ。これを正常化させない限り、日本の将来はありません。


2)高額所得者ほど社会保険料負担率は少ない

現行制度と同様の所得税と住民税であるとして、独身者のAさんとBさんを考えてみる。
(税額が正確に判らないので、大体の収入水準ということになると思います。Aさんの国民健康保険料が若干異なるかもしれませんが、大して変わらないであろうと思います。Bさんは最高等級なので影響を受けません。)
税金と社会保険料以外の「残り」を全額消費に回すものとします。

○Aさんの年収180万円(+税金)=(所得税+住民税)+国民年金163200円+国民健康保険130800円+残り1506000円
社会保険料294000円は収入の約16.33%、この他に消費税5%分75300円を払っているので、実質使えるのは1430700円(約79.48%)。

○Bさんの年収1800万円(+税金)=(所得税+住民税)+厚生年金620000円+健康(+介護)保険848700円+労働保険108000円+残り16423300円 (税込みだと2千万円くらいになるでしょうけど、分母は1800万円として計算します)
社会保険料1576700円(約8.76%)と消費税5%分で約821000円、実質使えるのは15602300円(約86.68%)。

こうして見れば、高額所得者の社会保障負担比率は軽減されており、Aさんは労働保険がないとしても負担割合は多いのです。これを保険料ではなく消費税15%としたならどうなるか比較します。

・Aさん180万円=実質使用分1530000円+消費税270000円
・Bさん1800万円=実質使用分1530000円+消費税2700000円
当たり前なのですが、消費税15%で同一なので同じ比率分だけ負担することになります。Aさんの負担額で見れば、約37万円くらい社会保険料負担がありましたが、10万円くらい軽減されることになります。Bさんの負担額は若干増えていて、約30万円くらい増税効果があります。

但し、高額所得者は貯蓄に回す比率が大きいので、全額消費に回すものとは考えられませんから、直接税の累進性を強化するといった工夫が必要になると思います。そうでなければ現行制度の社会保険料+消費税合計額の2397700円を下回ることが可能になりますからね。例えば200万円貯蓄して1600万円消費に回すと、消費税15%分で240万円であると現行制度と同じくらいですから、もうちょっと多く貯蓄に回せばいいということになりますので。それと、Bさんがもっと高額所得者である場合には、社会保険料負担率は更に低下していることになります。

他には、資産総額に応じて配当課税や利子課税を強化するというのも有効になります。日本では税率が一律適用となっていますが、諸外国では異なる税率適用があります。更に、贅沢品や高額商品への消費税率を高くして、食料品や日用品の課税率を低くする(現行~8%程度)ことも必要だろうと考えています。

高額所得者は殆どが大都市部に集中していること、人口比ではごく少数に過ぎないこと、などから、実施は障害が少ないと考えられます。例えば住民税率を大幅に引き上げてみたとしても、実質的には殆どが都会での話、という面が強いのではないかと思います。こうした課税強化について抵抗すると考えられるのは、特に政治的影響力の大きい人々(政財界人)であり、これまで社会のルールを作ってきた側にいた人たちということになるでしょうか。

彼らに対抗する方法とは、ズバリ「票」です。株主の議決権と違って、納税額で票の大きさが決まっていませんからね。誰でも1票なのです。故に、ごく少数の大金持ちや特定階級の人々を突き崩せるのは、名も無き人々の票です。言うなれば、大株主に対抗するために、小口株主でもみんなの委任状を集めて票数で勝つ、みたいなものですね。なので、権力階級に勝つ方法というのが、無名の一般大衆の「投票力」なのだ、ということを、もう一度多くの人々に自覚して欲しいですね。特に若い世代の方々にこそ、考えてもらいたいのです。現状の高齢世代にいいように負けている状況というのは、票の動員力による違いなのです。


3)大企業こそ高額所得者である

法人について触れておきたいと思います。企業であっても、いってみれば人間みたいにみなしたものが法人ですので、ごく少数の「高額所得者」にはそれなりに課税を強化するという理由は有り得そうに思われますね(笑)。何故大企業の言い分だけが通ってしまうのかというと、少数ではあるけれども支配下領域が広いのと(関連会社、下請け会社や業界全体など)、政治中枢への距離が非常に近いので密接である、ということです。発言力の大きさが大きい、ということだけであって、彼らが必ずしも正しい主張をしているとか、日本全体の意見を代弁しているわけでもありません。政官業構造の中でうまくやってきた、ということはあると思います。

大企業は法人の中の僅か0.3%くらいでしかありませんが、日本の法人全体の富の多くを占めているでありましょう。これはまさしく0.3%の超高額所得者たちが、どれくらいの収入や資産を持っているか、みたいなものと似ているのではないでしょうか。集中しているところから取るのが望ましいですね(笑)。「法人税を下げろ、下げろ」と財界人たちが言ってきたことは、一体全体何の効果があったであろうか?これまでの教訓としては、あまりメリットがなかったどころか、大きな誤りであった可能性すらありますね(笑)。

・法人税引下げで投資効果は大きかったか?→NO
企業投資はあまり活発にはならず資金需要もダメ。04年以降からようやく設備投資が増えたくらい?

・株価は大きく上昇したか?→NO
企業利益が多くなるはずが、逆に大きく下がった。日経平均でもTOPIXでも見てみたら?海外企業に負けるだの、株主がいなくなって株価が下がるだの言っていても、外国人投資家がボロ安値で大量に仕込んだだけ。騙されて持合解消を進めた結果、海外企業に買収されてもいいのか、まで言い出す始末(爆)。法人税率と企業成長力はあんまり関係なさそうかもね、と。

・納税額は増えたか?→NO
空前の企業利益とか言いながら、納税額は大幅ダウン。財政再建の足を引っ張る張本人が大企業(笑)。10兆円規模で企業が持ち逃げした結果、税収悪化を招いた。そのツケを国民全体の課税強化、保険料上げ、などで払わせた。それが自らに回り回ってきて、売上高減少などに繋がったのかも。

法人税の国と地方の取り分を工夫するとか、税率について自治体独自に設定可能でなければ、意味がない。田舎で法人が少ない地域こそ、法人税率は低くてもいいし、国税を払う理由なんてないように思うね。大企業が法人税下げろ、とか言うなら、本社を法人税の安い田舎に移転すればいいだけなんだよ(笑)。人気の高い地域(例えば東京)ほど高い税率でもよく、人気のない地域は安い税率で呼ばないとダメに決まってる。新興企業を育てようと思えば、田舎ほど低い税率でも十分なんだよ。ゼロだった税収を少し増えるだけでも得なんだから、田舎でしか営業してない企業はちょっぴりの法人税であってもいいのです。それより雇用効果とか消費人口増なんかの効果が期待できるから大幅に得になる。工場や店舗などがあるとか、雇用されてる人が住むから住民税とか固定資産税とか増えるし。

なので、大都市圏以外の地方ほど安い法人税にできるから、本社を移転するだけで法人税率を下げられることになるよ>大企業どの

あと、社会保険料の事業主負担分の問題を書いておこう。
厚生年金の適用事業所から意図的に外れていたりすることは多々ある。これまで摘発は困難だったが、徴税は厳しいのでかなり捕捉されているだろう。なので、保険料なんかではなく税として徴収する方が、強制力は発揮しやすい。事業主の未払いで年金保険料が未納扱いとなってしまったりする問題も防げる。雇用保険詐欺みたいなものも防ぎやすくなると思います。
現行制度では、年金保険料が約15%まで上がってきましたので事業主は7.5%くらい払いますし、健康保険と介護保険あわせて9.43%の半分払うことになります。合計では約12.22%です。労働保険関係では、事業主負担分が雇用保険0.9%、労災(0.45~11.8%の幅があるが、大体は0.5%程度)0.5%として合計で約1.4%となります。社会保険料分は、ざっと13.62%くらいは払っていることになります。

ただ、非正規雇用者の多くは適用から漏れていることが多いので、これまでの「適用になる人とならない人」という区分をなくし、「給与総額」に対して一定の料率を適用して払わせるということを想定しています。給与計算などは簡略化されるでしょう。法人税などとは全く別の税ということで、新税を作るということになります。大企業ではやや高い税率、中小企業ではそれより低めにしてもいいと思います。大企業は15~18%、中小では13~15%くらいでしょうか。これは全ての事業所に適用になります。年金だけ先に制度を変えていくのであれば、この新税の料率はそれに応じたものとなります(他の医療保険や労働保険関係は当面残ることになる)。

保険料方式から切り替えたとしても、企業にとっては必ずしも増税ということにはならないでしょう。既に納めている事業主負担分程度の税を払ってくれ、ということですので。しかも、これまで払ってこなかった企業や非正規ばかり増やしていた企業の多くは別に払わされることになり、若干ではありますが懲罰的な面があるかもしれません。
まあ、全部をいっぺんにやると企業でも困るところは出てくるので、順番にやっていくといいと思いますね。まずは労働保険関係から始めてはいかがでしょうか。料率が小さいし面倒な労働保険料の事務から役所は解放されるでしょうから、労働環境の指導などにもっと労力を充てられるようになるのでは?事務組合とかの経費削減にも繋がります。

参考記事:年金一元化を再び取り上げる




社会保障制度改革再論~序

2007年10月29日 21時41分17秒 | 社会保障問題
主に年金制度の問題から始まった社会保障に関する議論ですけれども、諮問会議や民主党のご意見が出されてきましたし、消費税率などの税制に関する問題も含まれますので、もう一度書いておきたいと思います。これまでの主張については、「社会保障問題」のカテゴリーに入っています。


1)将来見通しを明確にすること

特に大きな問題になっているのがはっきりとは判らない、目には見えない、漠然とした将来に対する不安だと考えています。そこに拍車をかけているのが、杜撰な社保庁の管理や宙に浮いた年金問題などです。国民からの公的年金に対する信頼性は失われたでしょう。更に言うと、人口構成の問題というのがあります。少子高齢化の流れは今のところ継続しており、これが急速に改善するというのは期待できません。

参考記事:<a title="いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」 所得代替率という「ゴマカシ」" href="http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a6091ff5451044eba8d911f5e3232025" target="_blank">所得代替率という「ゴマカシ」

2000年に生まれた子どもたちは既に小学生になっていますが、この方々の恐らく半分以上は2090年頃まで生きているのではないかと予想されます。平均余命で見るべきなので正確ではありませんが、平均寿命は僅かながらも延長して行くと予想され、大雑把に「男性80歳以上、女性90歳くらい」というふうになっていくでありましょう。つまり、現在の年金制度が途中で行き詰まることになれば、既に生まれている世代において「年金制度が維持できない」ということが起こりかねないのですよ。まだ生まれていない世代が困るとかの話ばかりではなく、今目の前にいる自分の子どもや孫の世代でそうなってしまったらどうしますか、ということなのです。それでいいのでしょうか?

2050年過ぎには、65歳以上の人口は約4割に達するのです。現役バリバリで働いてる中心世代が25~65歳(便宜的に現役世代と呼ぶ)として、ざっと3800万人くらいしかいなくなるのですよ。専業主婦はいなくなり全員が働いても4000万人以下、ということ。高齢世代は約3600万人いる(今で約2450万人くらい)。これで支え切れますか?って言ってるんですよ。この状態は若年人口が増加してこない限り、似たような人口比が継続していくことになるでしょう。積立金があるうちはまだいいかもしれないが、いずれ減少し枯渇するでありましょう。入ってくる保険料よりも、給付額が多いからですよ。当たり前だわね。2050年頃の現役世代は「税金」と「保険料」で高齢世代の年金・医療・介護を支え、尚且つ若年世代の教育・育児費用なども支え、自分たちの医療費も同時に支えねばならないことになるのです。これが本当に可能なのでしょうか?

仮に、年金財源問題は現行保険制度を維持したままどうにか手当てできたとして、高齢人口が2400万人時代と3600万人時代では医療費+介護費用の大きさは比べものにはならないでありましょう。この財源をどうしていけばいいのか、ということは依然として目処が立っていません。諮問会議が出してきた「増税か、サービス削減か」という選択に従い、仮にサービスをカットしていく方向にしたとして、それは何を意味するでしょうか?それは、自分のことは自分でどうにかせよ、ということなのです。介護問題についても、公的サービス給付を大幅抑制すると、補助的に民間事業者を使え、みたいなことにならざるを得ないでしょう。その費用が払えない人々は、サービスを受けられなくても我慢せよ、ということです。これはまるで今の義務(公的)教育と民間事業者の塾みたいなものですね。足りない部分は自分たちで何とかしなさい、ということです。介護と大きく異なるのは、勉強ならば本人が自分で何とか頑張ればどうにかなる面が大きい(公的教育だけでも何とかなる)のですけれども、介護は頑張りようがありません。本人の努力ではどうにもできない部分が圧倒的に大きいのです。けれど、サービスカットか、増税か、という2者択一を迫られているのです。民間事業者の餌食にさせる部分を大きくする目論見なのかもしれませんね。金を払える人たちには、快適で充実した介護サービス付き高齢者専用マンションとかに囲い込み競争になるんですよ。他は知らん、ということなんでしょう。

結局は、あらゆる社会保障サービスは「自助」で頑張れ、ということになってしまうでしょう。


2)基本的な装備を持たせようということ

これから冒険の旅に出かけようという状況だとしましょう(言ってみれば昔ながらのRPGみたいなものです)。
どんなモンスターとか危険が待ち受けているか判らないのに、全くの無防備状態、ノーガードで戦えというのは酷ではありませんか、というのがまず第一です。装備は一切なし、ということで「あとはお前ら自分で頑張れ」と言われて、放り出されてしまうのは危険じゃありませんか、ということです。

喩えて言うと、こんな感じです。
正規雇用者:ミスリル製の鎧、エクスカリバー、イージスの盾
非正規雇用者:なし

非正規雇用者は、厚生年金に入れず、労働保険も漏れていることが多く、医療保険もお金がないので払えないことが多いのですよ。特に若年層ではそうなんですよ。国民健康保険にどうにか加入しようとすると、収入が非常に低いにも関わらず厚生年金よりも多額の保険料負担を強いられるのですよ(参考記事:社会保障改革を推進せよ・3)。この格差は一生涯続いていくのです。これは余りに問題があるでしょう、ということです。なにもエクスカリバーを装備させろ、みたいに言っているのではありません。自力で冒険の旅を頑張ってもらうには、せめて最低限の装備はさせましょう、傷ついた体を休めたり体力を回復したりできるような休憩所や宿屋くらいは整備しましょう、ということを言っているのです。

なので、「装備なし」じゃなくて、少なくとも全員に装備品を調達しましょう、ということです。鎧は無理でも「布の服と麦わら帽子」とか、エクスカリバーの代わりに「6尺棒」とか、イージスの盾の代わりに「鍋の蓋」くらいは装備させてあげましょう、ってことを言っているのです。そうでなければ戦えませんよ。自力で頑張るにも限界がありますよ。こうした最低限の装備品を整えるのにかかる費用は、ベースラインとして「税で整備しましょう」というのが私の考え方です。

(中にはもっと過激な人たちがいて、「お前が装備している盾を俺によこせ」という運動をやろうとしていることもあります。その主な理由というのは「イージスの盾は努力で勝ち得たのではなく代々受け継がれてきただけだろ。お前ら、元から持ってるのはズルイんだよ。俺がぶん取ってやるぜ」みたいなものです)


3)消費税をどのように使うのか?

とりあえず現行税制を基本に考えますけれども、社会保障関係の保険料は税に振り替えられる、ということになりましょう。保険料を払う代わりに消費税で負担を広く求めることになります。現行制度においても、年金も医療も「公費負担分」というのが投入されており、保険料と税のミックスになっています。この公費負担分は「消費税なのか!所得税なのか!どっちだ」みたいに問題にはされていないでありましょう。これまでは、国民年金特別会計、厚生保険特別会計、雇用保険特別会計、労災保険特別会計、みたいに細かく区分されていたのを止めさせるということになります。お金の流れを明確にし、中間組織に貪られてきたのを改めます。保険制度的な部分を残した方がよいのであれば、その性質のうち重要部分だけは引き継ぐことを考慮してもよいかもしれませんが、基本的には税という位置づけになります。

制度が複雑なことで得するのは誰かというと、官僚組織的な中間体です。かつて商品の流れが複雑で、製造者から問屋、仲買人、小売みたいに通過すると、その分だけ最終価格に上乗せされてきたはずです。これが、製造から小売までの流れが簡素化してダイレクトに流れてくるようになると、中間でかかっていた経費は削減可能になります。現在の制度で中間体の多くは「官僚制度が生み出してきた特殊法人系の組織」ということになっているのです。年金の徴収コストで比較しても、税金に比べるとかなり無駄なコストがかかっています(3倍くらい?だったか)。未納に係る徴収コストもかなり膨大です。印刷物の大量郵送なんかも癒着の温床になってたりするかもしれませんし。これは他の医療保険や労働保険関係においても同様にコストが多くかかっていることになるでしょう。
また、被保険者からすると「制度の全貌が見え難い」ということになっており、情報が非対称となっています。なので、これまでだとお役所仕事の「良し悪し」というものが各被保険者には判断のつけようがなかった、ということです。会計が透明化すると、随分と評価が変わるのではなかろうかな、と思っています。

所得税にしろ法人税にしろ消費税にしろ、まず国庫に入るのであるから、そこから出る時には、このお金は元々何だったか、ということは使う時にはあまり関係がありませんね。もしも消費税を上げた時に約束として「原則的には社会保障費以外には使用しない」ということを明言するのであれば、それはそれで望ましいと思いますね。保険に比べて、税の方が安易に下げられるみたいな意見もありますけれども、必ずしもそうでもないでありましょう。
例えば雇用保険の料率なんて、積立金が枯渇するので上げろ上げろと役所が大騒ぎして急に上げられましたね。でも雇用能力開発機構みたいな労働保険料の貪食組織のせいで数兆円もの損失を出されたとか書かれたら、今度は失業が落ち着いたので料率を下げます、ってバカみたいな政策だったんですよね。どうみても保険制度だからとか、財務省よりも信頼できるとか、そういうことはないね。どっちもどっちかもしれないけれど。財務省と厚労省のどっちが信頼できるか?という選択は、究極の選択ってやつですかい?(笑)
ま、個人的には、どちらかというと財務省ではないかな?とは思いますけど。でもね、許せない面はかなりある。

高額所得者は年金をもらえないのに消費税だけ払うのか、みたいな意見というのは全く反対理由になっていないので、無視できるものでしょう。言い換えると、高額納税者たちにしてみれば、それは全ての部分について通用してしまうからですね(笑)。
生活保護費を受け取らないのに、所得税だけ払わねばならないのか!
カゼ一つひいたことないのに、~だけ払わねば…!
子どもなんて1人もいないのに、~だけ払…!(以下略)

そんな反対理由が認められるのであれば、納税者は等価の受益を確約せねばならないとでも言うのであろうか?累進課税は根本的に不可能になってしまうね(笑)。多く納税してくれている人たちのお陰で、全然払ってないとかあんまり払ってない人たちへのサービスが維持されている、ということに他ならないでありましょう。

そういう意味では、税というのは、基本的に高額納税者の善意みたいな部分が大きいのだろうと思いますね。負担者は自分への直接的な見返りを必ずしも求めませんし。みんなで感謝しましょうね。




増税??そうは「いかんざき」

2007年10月26日 16時00分17秒 | 社会保障問題
社会保障制度の再構築と単なる増税という話は全くの別物だってば。以前から書いてる通り、04年の年金改革の時の約束を忘れたとは言わせないぞ。

消費税議論の欺瞞


04年当時、厚生労働委員会で強硬採決をやったでしょ。あそこで、遮二無二公明党案を通していったんじゃないか。与党議員たちは賛成に回ったんだから、その責任を取れ。法案を可決した議員たちは、今すぐ名乗り出て下さいよ。

今更、基礎年金の引き上げ財源はないので消費税増税だと?
約束を守れ。

基礎年金国庫負担2分の1の引き上げ財源は

・定率減税廃止
・年金課税

という約束をしただろ。これを反古にするというのか?

「担当者出て来い」
国会議員たちの得意のセリフだ。官僚を呼べ、当時の担当者に罰を与える、とか息巻いているんだから、自分たちも当然同じくするべきだろう。当時賛成に回った議員たちに責任を取らせるべきだ。
この公約を掲げ、厚生労働委員会で強硬採決に加わった議員は出てきて説明するのは当然。
この年金改革関連法案に賛成した議員たちは、詫び入れるべきだろう。
引き上げ財源の手当てもついてないのに、後出しで増税という政策が許されるとでも言うのか?ふざけるんじゃないよ。

財務省に数字を出させろ。
定率減税完全廃止で2兆円以上の効果があったのではないのか?ひょっとすると、3兆円以上かもしれんぞ?
年金課税効果でいくら税収があった?
合計でいくらの税収増だったんだよ!!

この期に及んで、何故「増税」なのか言ってみろ。
ウソをつくんじゃないよ。
情報を隠している、というのはどこでもやってるんじゃないか?
定率減税廃止分は誰が何処に持っていったのか、言ってみな。

年金改革に賛成した連中が責任を取らない限り、絶対に増税は許さんぞ。
定率減税廃止の時に使った理由で、また増税なんて許されんだろ。


国民に選択を迫る時、小賢しいヤツラというのは、選択肢で誤った回答を誘導しようとするんだよ。ボケ。

いいか、「社会保障サービス維持か」or「増税か」なんて誰がそんな選択肢の設定をしろと?卑怯なんだよ、やり方が。前にも書いたけど、設問の設定のやり方がオカシイんだって。

例えば50億円の使い道、ということを考える時、国民に選ばせてるわけじゃないだろ。予算には優先順位というものがあるんだよ。その選択肢がないにも関わらず、社会保障水準のダウンか、増税か、なんて設問に同意できるわけないだろ。

<例>

設問1:
①90式戦車10両
②障害者自己負担額公費助成

設問2:
①新型対戦車ヘリコプター2機
②奨学金無償補助

設問3:
①剥がして埋めるだけの舗装工事
②介護施設補助金

設問4:
①ボンクラ議員への政党補助金100億
②過疎地医師確保の補助金100億

設問5:
①天下り野郎どもの巣窟に補助金100億
②大学等研究資金100億

設問6:
①天下り機関の○○機構への運営交付金1000億円
②自治体への教育費用補助1000億円



さあ、2択です。どうでしょうか?って訊いて欲しいもんだね。オレに訊いてくれたら、答えは勿論決まってるけどな(笑)。


最近ふと気付いたのだが、自分の政治的傾向というか主張部分が、昔で言う左派的なものが実は多いということなんだよね。
自分としては割と保守寄りだろうと思うし、色々な調査結果(ネット上によくあったテストするやつ…)もそうなってはいたんだけれど、特定分野だけ見ればどう見ても昔の共産党っぽいです、みたいな(笑)。

ま、それはいいとして、どこの家でも「新型クーラーを買うか」、「お父さん、子どもたちのお小遣い減額か」、みたいな選択肢は提示されない訳で(笑)。一家の資金配分は「優先順位の選択でなされる」ということ。「新型クーラー」「デジタルテレビ」「洋服代」「温泉旅行」みたいな中から選択するとか、実行の優先順位を付けていくんだろうが。そんなのあたり前のこったろ。

なのに、負担を増やすか、社会保障サービスを削減するか、というような2択で国民への誤解を植えつけようとする魂胆は許せないっての。「社会保障を削られるよりかは増税もやむなしか」みたいな言質を取ろうと思ってるだけだろが。そういう提示なら、ついつい引っ掛かって「消費税を上げてもいいよ」と答える人が多い、ということを予め知っているからだろ。
そういう誘導が汚いんだよ。
最初っから、そう答えさせようと狙ってるのが気に入らないって言ってるんだよ。
卑怯な誘導は止めろ。

国庫負担引き上げの為の増税は許さない。
朝日新聞とか毎日新聞とか、こういうところこそ、長期キャンペーンでも張って阻止するべきだろ。違うか?定率減税廃止を財源とする、ということを約束したのだから、その責任を取らせろ。徹底的に追及せよ。



年金保険料の使途に関する問題

2007年08月07日 15時36分53秒 | 社会保障問題
あれです、「シト」と言ってもあっちの使徒ではなく、使途の方です。私は「エヴァンゲリオン」マニアとかではないので。
勿論、「evangelist」でもありません(笑)。投票日直前のネタでしたが、取り上げようと思っていたのですけれども、ズルズルと過ぎてしまいました。

年金施設 回収不能1兆円 ニュース 医療と介護 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

読売朝刊にドーンと出ていたのですけれど、時期が時期だったので、ちょっと気になっていたが放置しておいた。官側のリーク作戦?みたいなものなのではないのかな、とか、チラッと疑ったり(笑)。ホラ、社保庁の自爆テロだ、というような流言?もあったので。

毎日新聞の記事は金額が判り易い。

年金問題:保険料約6兆9千億円を年金給付以外に流用-今日の話題:MSN毎日インタラクティブ


一応触れておくと、損失分が6兆円超という数字は小泉さんの時代に、既に判っていたことですよね?これを処理するかどうかで問題になった時、野党は反対してたはずじゃないですかね。この費用を仮に何かで埋めるとして、何で埋めますか?って話なんですよね。国のお金で、とかっていうのも出所が変わるだけで、結局は国民の払った税金ですから。年金財政の中で処理する方が円滑に処理できるだろうと考えているのです。だから処理を進めるのは当然だ、と書いたと記憶している(行政に変化の兆し)。

あと、6兆円超というのは62年分くらいをまとめた分なので、年平均だと1千億円くらいだし、こう言っては語弊があるが大した額じゃない。過去に無駄な使い道に回されて大幅な損失を蒙ったし、利権野郎どもに食い物にされたであろうことも想像できる。私自身もこれは言ってきたからね。
新聞に出る数日前に書いた記事がコレ>社会保障改革を推進せよ・4

運営経費は必ず必要になるので、仮に1945年に100億円の経費が必要で、その後年率4%で経費の名目額が増加すると、63年後の2008年には約1138億円かかる。この63年間の合計額は約2.7兆円だ。なので、6.9兆円くらいの流用があるにせよ、必要な経費を除けば約4兆円くらいは無駄だったかもしれない、ということはあると思う。その程度の額なら、運用収益がコンスタントに出せるのであれば1年で取り返せる額なので、通算の損失額そのものは大したことない。それよりも、今後毎年の運用率とか、保険料収入と給付額の差額分の方がはるかに問題になるだろう。

そうは言っても、実際、4兆円は大きな金額だ。これはその通り。
4兆円もあれば、例えばこれを基金化して、その運用利益を障害者の医療費自己負担額に充当することができ、運用利率が年平均3%であっても毎年1200億円を生み出せることになり、障害者の方々の自己負担額を増額したりしなくてもかなりの部分が賄えるだろうと思うのです。今は、この一部分に過ぎない数十億か数百億円を切り取る為に、障害者自立支援法で自己負担増額をやったようなもんです。こういう現実を見ると、本当に腹が立つのですよ。4兆円を無駄に失ってなくて、本当に国が困っているなら「皆で協力していきましょう」ってなるのは判る。だが、好き放題無駄に使ってきた挙句に、今は金がなくなったのでオマエら金出せ、っていうような、その根性が気に入らないって言ってるんですよ。大きな穴を開けてしまったのなら、挽回しろよ、と。大穴の責任を取れ、と。そういうのが一切なしに、負担だけは国民に求めてくるという発想とかやり口が許せないんですよ。


政府出資金を食いつぶした独立行政法人なんかも同じだ。運営交付金などでも毎年金を食い続けたのだ。こいつらに金を回さずに、本当に困っているところや必要なところにまず回さなければならないに決まっているのである。福祉行政とか教育行政なんかがここまで停滞してしまうことになったのは、ひょっとすると過去の政治的闘争というか、プロパガンダに利用されたことに一因があったのかもしれない。こうした闘争に利用された結果、政治活動の上では左派系のお題目というかスローガンだけが作り上げられたが、それが逆に大きなマイナスとなってしまったのかもしれない、ということだ。増税反対、自衛隊反対、福祉と教育を守れ、みたいな。野党がそういうことを言わず、与党内に政治的影響力を持つ政治家を送り込んでいたなら、もっと違った資金配分になっていたのかもしれない。そう思うと残念だ。厚生行政だの福祉行政だの言っても、実質的には「土建屋」型福祉みたいなものだったからな。そういうのが、大量の年金関連施設の残骸となって残った、ということかと。


まあ、社会保障問題を政権選択とか政治的闘争のスローガンに利用されてしまって、逆効果とならないことを願うばかりである。



社会保障改革を推進せよ・4

2007年07月18日 14時58分27秒 | 社会保障問題
年金会計の実態がよく判らない、という意見はありがちだ。確かにそうだ。いくら使ったのか、いくら損したのか、数字を出せ、とか、野党やみのもんた(笑)とか、よく言っているよね。金の流れが把握し難い、というのはあるだろう。これは今に始まったことじゃないのだけど。

一元化を反対しているのは、旧大蔵勢力なのではないかと思っている。
それは何故か?過去の悪行三昧がバレるからなのではないか?(笑)。
制度があまりに簡単になってしまえば、金の出入りも流れも判り易くなってしまう。それではダメなのだ。いかに「貪り組織」を維持するか腐心してきたであろうから、金を横流しできるシステムを組んでおかねばならなかったのだろう。金をあっちへ動かし、こっちへ入れ替え、そうやってロンダリングを重ねて、そこから自分たちの取り分を分配していくのさ。要するに、そういうこと。(かな?と思った。陰謀論だけど)
年金資金から預託金利2.5%で集めて、それを再び4%とかで貸し出せば、利払い差額は大蔵が使い道を決められるからね。100兆円分ならば、1.5兆円がバックされることになるから、その決定権限を行使することが可能になる、ってことだ。その金が有効に使われていたのであれば、文句は出にくいだろうが、そうとも言えなかった、ということだろう。

旧大蔵の資金運用部に集められた金は、湯水の如くに注ぎ込まれた。無駄な分野にも。官主導でよい投資対象をたくさん見つけられれば良かったのかもしれないが、それは困難だった、ということであろう。大雑把に言って、旧郵政省時代の預託金150兆と年金資金150兆の合計300兆円もの資金があったのなら、この300兆円をいかに用いるかで大きく変わっていたであろう。最も大きな誤りであったのは、国立大学や国立病院などの投資対象を真っ先に切っていったことだろう。教育と医療・介護分野は成長分野であったのに、公共投資対象から外していったのだ。利払い主体としては、本来的には望ましかったのに、だ。利益水準が厳しいというのであれば、確かに経営努力は必要であるかもしれないが、税によって一部利子補給なども可能であったし、それこそ(省庁お得意の)施設整備費として部分的に負担することも可能であっただろう。どうでもいい分野に投資するくらいなら、こうした未来へ繋がる投資を選択する方が何倍も良かったであろう。結果的にはそれら利益は国民に還元されるものだからだ。利用者と税負担をした国民たちが利払いしているのとほぼ同様であり、それが回りまわって郵貯や年金の利払いに10兆円程度(300兆円規模の資金に3%程度の利息を払うことになると仮定して)還元されることになるなら、分配先としてはあまり問題ないように思うけど。しかし、教育や医療が、公共投資分野から真っ先に切り離されたのだ。


年金の話に戻ろう。
年金のカラクリというのは中々複雑だ。けれども、判ったこともあったので、見てみることにする。

厚生保険特別会計~年金勘定

資料の数字がH13年度末のものなので古いのだが、他の資料が見つけられないので、とりあえずこれを見てみた。
この中で、年金勘定(要するに厚生年金)の比較貸借対照表があったので、それを見て下さい。

未払い保険料が2兆円以上にもなっている、というのがH11年から続いているのだ!
これって、どうよ?と思いませんか?恐らく未納保険料の債権は5年でしょうから、5年以上経過してしまえば、まるまる損失となってしまうのです。なので、毎年数百億円か数千億円規模の徴収漏れ保険料が存在していることになるのではないか、と。ただ、2兆円超の未納分のうち、13年度末に旧三公社(NTT、JR、JT)共済の未払い金が約7840億円存在するようです。民営化に伴って(旧職員分?)、一気に払うことが出来なかった分が1兆円以上残っていたのだが、これを数千億円程度分割で払っていたのであろう(現在は未払い分が残っていないかもしれません)。それでも、1兆数千億円もの保険料が未納のまま時間が経てば順次消えていっている、ということだ。

もっと驚愕すべきことは、H13年度末時点で業務費用・財源差額累計は約10兆円にも達しており、資産・負債差額は累計で4兆8200億円にもなっていたことだ。保険料のアップで多少改善されてきたのかもしれないが、それでもマイナスは残っているであろう。

旧大蔵の資金運用部は、年金福祉事業団に10兆円超の資金を移し変えたんだろう、多分(この辺の経緯はよく知りません)。1兆円以上の政府出資金も含まれていたようだ。11年度の出資金明細のところに出ていた。「承継一般勘定」という名目だ。推測であるが、これの一部が例のグリーンピアものとか何とかに投入された資金だろうと思う。現在はこの損失をまだ抱えている、ということだ。帳簿上では減価償却が進むので、長い年数を置いておけば、いずれ資産規模は縮小して消えていくからだろう(笑)。途中で処理しない限り、損失が表面上にハッキリ出てこないだろうからね。売却損は簿価よりも大幅に減るからでるわけで。

事業団の維持運営費として、一般会計や特別会計から業務費用とか補助金の形で毎年数千億円もの資金が供給されていたはずで、それらの投入資金も全てパーになった(本当は全部じゃないだろうけど)であろう。で、損失があまりにデカイので、どうしたかと言うと、総額を膨らませて薄める、という作戦にしたのだろう。それが総合勘定というヤツだな。大蔵が損失を挽回する為に「追い貸し」した、ということだろう。

これは多分こういうこと。
10兆円が長期返済の借入(年金資金から事業団への投入)で、期間中は利払いもある。事業団の事業単独では10兆円は返せないし、利払いもできない。ではどうするか?10兆円を更に「追い貸し」して総額を大きくし、貸し付け金利以上の運用成績を出してもらって、返済に充てる、ということだ。追加した10兆円の利払いが3%なら年3000億円の金利を大蔵(財務)省に払わねばならないが、運用が5%とかならば3000億円払っても2000億円分は承継勘定の利益ということにできるからね。それでも3兆円以上の欠損金を抱えていただろう。

年金資金運用基金

これで見ると、保養基地の投入資金規模は1000億円くらいで、痛いことは痛いが全体(年金積立金とか)に比べればそうでもない。交付金527億円の方が毎年毎年なので、ダメージが大きい。年金住宅融資の延滞債権の約580億円も大きいね。年金保険料未払い金に比べれば全然小さいけど。まあ、欠損金の3兆3820億円が回収されるまでは、まだまだかかりそうだ(笑、ここ2年くらいでかなり挽回できただろうと思うのだけどね)。

国民年金の保険料未納額はH13年度時点で1兆8千億円超だったので、現在は2兆円以上になっているかもしれない。厚生年金と国民年金両方では4兆円規模になってしまうかもしれない、ということだ。こちらの問題に比べれば、グリーンピアとかなんとかは、額が小さいのだ。未納保険料は毎年生み出されて、債権期間を過ぎれば取れなくなってしまうからね。
厚生年金保険料未払いは、企業倒産などで未収になってしまうこともあるかもしれないが、この分は今の記録漏れ問題とも関連しており、複雑だろうな。従業員は払ったことになっているが、事業主が払ってなければ「払っていない」のは確かだし。これをどうするか、というのはよく検討するべきであろう。


いずれにせよ、年金財政に大きな影響を与えているのは「未納分」が一番なのだ。未納を解決することが、近道と思えるが。国民側にしても、グリーンピアとかのヘンな資金投入で政治家や官僚を責める気持ちは判らないでもないが、影響で見れば大したことないのだから、現実を知るように努力するべきなのだろう。一番責められるべきは誰かといえば、「払ってない人たち」なのではないか?それは大勢の国民ってことだよね。



医療費のコスト~命の値段を付けられるか?(ちょっと追加)

2007年07月16日 00時37分28秒 | 社会保障問題
医療費の問題について、とてもよく判る記事がありましたので、書いておきたいと思います。

原田氏は、高齢化要因ということで医療費が増大するわけでもない、ということを述べておられる。GDP成長率よりも低い程度でしか増大しない、という推計を出しておられた(是非元の記事をお読み下さい)。

BizPlus:コラム:原田 泰氏「経済学で考える」第61回「『高齢化で医療費増』は本当か」

(一部引用)

医療費の増加が医療の進歩によるのであれば、国民の負担は増えていない。それで難病が治り、健康寿命が延びるのなら、実質的に国民は豊かになっているのだから負担にはなっていない。大きなテレビが買えるようになったから、負担が増えたと考える人はいないだろう。白内障が治ったら、それは生活水準が格段に向上しているのであって、負担が増えている訳ではない。これを企業の立場から見れば、売り上げの増大は高齢化によってではなく、医療技術の進歩によってもたらされることを意味する。

 ただし、医療の進歩には疑問を呈したい点がある。どんな産業の進歩でも、生活を快適にする進歩とそれを安価にする進歩の2つがある。薄型テレビは、大画面、高画質、高音質になりながら安価になった。ところが、医療においては、治癒向上の進歩はあっても、コスト低下の進歩が起きることがまれであるように思える。医療においても薄型テレビのような進歩を起こし、健康寿命を伸ばしながら医療費を安くすることが求められている。質とコスト両面からの技術進歩が進めば、懸念れているような医療費の膨張は、名実ともに回避できるのではないか。




医療費については実額が増大したとしても、「対GDP比は減少する」という推計を出しておられます。そうであるなら、厳しい医療費抑制策というのは、理に適っていないのではないかと思えます。政治家たちや厚生労働省は何とか考えて、過度な抑制路線を変更してくれ、と思ったりします。


これとは少し離れますが、引用部分のご指摘について検討をしてみたいと思います。
質の向上と、コストを低コスト化していく面と、両方が望ましいというご意見ですが、これはそうだろうなと思います。医療以外の多くの分野でそういうことが達成されてきましたから。では、医療においてはどうなんだろうか、ということを考えてみたいと思います。

例えばガン治療というのは、昔は大変難しかった。ほんのひと昔まえのドラマとかだと、「ガンだということは本人に言わないでおきましょう」みたいに、ひた隠しにしていたでしょう。要するに「死の病」というイメージだった。だから、「あなたはガンです」と言われりゃ、まさしく「ガーン」って(笑、オヤジギャグでごめんね)なっていたのです。告知するべきか、しないべきか、みたいな「社会派テーマ」で大問題となっていたわけです。それこそ数限りなく論争みたいなものがあったり、文化人とか識者たちがあれこれと「言うべきだ」「いや、本人の云々」「家族が~」「支える人が~」「生きるって~」「人生って~」となっていたわけです。でも、イマドキ、そんなテーマで大論争みたいなものとか、あんまりないと思うのですよ。それはどうしてそうなったかというと、方向性が定まったからだ、という部分はあると思いますけれども、それ以上に、「死の病」ではなくなってきた、ということの影響が大きいのではないのかな、と思うのです。

それは民間会社の医療保険の傾向などにも現れていて、3大疾病だの、ガン保険だのと色々と出ているわけです。住宅ローンにさえ、特約がついている時代です。それらは主に「死を前提」として商品価値のある保険ではないでしょう。治療して、その後の生活があるので、それらをカバーするべく保険制度となっていると思うのです。治療する、生きる、そういう為にある商品でありましょう。死を前提とするのであれば、「死亡保障」だけあればいいわけで、それなら普通の生命保険と同じ意味合いでしかありません。ですので、ガンという病は、ある程度克服可能な疾病であるということになってきたのです。

ここからは、あまりに酷い喩えといいますか、非人間的な仮定をしていくことになりますので、反感を憶える方々もおられると思いますので、予めお断りしておきます。私個人としては、「人間の命の値段なんて付けられないんだ!」という意見とか考え方には、共感できるのですが、それでも社会的には「意図的に考えねばならない時もある」ということをご理解下さい。交通事故で死亡したら、逸失利益として金額で出されてしまいます。それはやむを得ないのです。私自身、自分の家族とかに値段なんて付けられません。金じゃないんだ、命は地球より重いんだ、というのはそうだろうと思いますけれども、説明には金額が必要ですので、ご容赦下さい。


毎年人口も死亡者数も変わらず、一定の年齢で死亡していくものと仮定します。で、ガンで毎年20万人が死亡するとします。これは常に一定です。この疾病の発生確率は変わらないものとして考える、ということです。「昔」という時点と、「現代」という時点とを比較検討することとします。

昔:
・年間100人が治療により助かる
・治療費は一人当たり100万円
・治療後全員3年間生存し、その後再発で死亡する
・全員の生み出す平均利益は一人当たり300万円
こういう条件であるとします。すると、ガンにならなければ得られていたであろう利益というのは、死亡した20万人分があったはずです。毎年、300万円×20万人分あったことになります。けれども、ガンという疾病によってそれらは失われてしまう、ということです。

一人当たりの利益は300万円で3年間生存しますから合計900万円ですが、治療費を100万円投入しているので、差額の800万円が回復された利益ということになるかと思います。これが100人分ならば8億円です。収支は、治療費1億円で9億円を回収したことになります。

次に、時代を変えて見てみます。
今:
・年間10万人が治療により助かる
・治療費は一人当たり150万円
・治療後全員5年間生存し、その後再発で死亡する
・全員の生み出す平均利益は一人当たり450万円
条件が変わりました。
医療費も利益も1.5倍としています。
更に、生存率が向上して5年になっているとします。

一人当たり450万円×5年分=2250万円ですが、治療費150万円が投入されているので差額は2100万円となります。10万人が助かるので、全部で2兆1千億円となります。投入された治療費は全部で1500億円です。昔に比べて1500倍の治療費となっていますが、得られる利益は約2333倍です。命を買う、人生という時間を買う、ということは、本来的には「プライスレス」だと思うのですが、助けられる人の数が増やせるというのは、多くの場合に大きな経済学的利益を生み出すはずです。

医療において「低コストになっていく」ということはどういうことかと言えば、相対的に投資効率が良くなることで、以前には100人にしか提供できなかった医療技術や水準というものが、今では1000倍の10万人に提供できる、というようなことです。一人当たりの単価自体は若干上がってしまうとしても、得られる成果は大きくなるので、相対的にコストは下がっていると考えられるでありましょう。それは、言い方を変えれば、かつては「死」をもってそのコストを支払っていたことになるからだと思うのです。

近年、薬剤耐性の結核が問題になってきていますが、それでも昔のような「サナトリウムの美少年」みたいに、若くして死亡みたいなことが減って、結核で死亡する人たちは減少したでありましょう(最近は逆にやや増加基調だったかもしれません…ちょっと調べてないので判りません)。そうした時代の人々は結核自体の医療費は今よりも少なかったかもしれませんが、命でコストを払っていたからです。自分の人生という時間を削って、コストを払うことになっていたからです。ですので、低コスト化ということを達成するのは、目で見て数字で表すというのは難しい面があるかもしれませんが、「あなたの命、人生の時間で払ってもらえればいいですよ」と言われた時、お金ではなくそれらで払える人たちはどれほど存在しているでしょうか、ということです。死亡率の低くなった疾病の多くは、知識とか治療技術などが確立されていく過程で、「命で払う」「自分の時間の削って払う」ということがなくなり、「お金で払う」ということに変わっていったのだろう、と思います。昔の一人と、今の一人の命も時間も全く同じ価値であるなら、昔の多く死んでいっていた時代というのは、病気のコストが「凄く高かった」としか思えないのです。


変な例かもしれませんが、ここであるゲームというか遊びを考えてみます。
チェスの対戦をします。相手は史上最強の人工知能を持つ「ディープ・レッド」であるとします。AI に勝利すれば、あなたには「名声」「喜び」が手に入るとします。あなたが直接対戦することも可能ですし、代理人を立てることも可能であるとしましょう。勝利の確率を次のように仮定します。

対戦するのが
①自分の時:勝利確率は「0.1%」
②A級代理人の時:同 「1%」
③B級代理人の時:同 「50%」
とします。
負けた場合には、あなたの命を頂くことになっています。
この時、代理人AやBのコストはどのくらいになるでしょうか?

うまく考えることができないのですが、これって自分の命に値段を付けねばならない、ということなのではないでしょうか。
勝利しない場合には命を取られるので、代理人Aと代理人Bの値段を決めるとなれば、Bの方が相当高額になって当然なのではないでしょうか。でも、公定価格によって決まっていて、あまり上がってこなかったであろうと思います。それと、かつてはA級しかいなかったのですが、B級代理人の数が圧倒的に多くなれば、1回の対戦当たりでの勝利のコストは「下がった」ということになるのではないでしょうか。

病気の時(=対戦する時)は避けられないのですし、代理人(=医療従事者)は法外な報酬を請求してきたりはしないのです。公的に決まっているからです。勝利コストを確実に下げてきたとしても、多くの人々にはそれがあまりに当たり前過ぎて判らないのであろうと思うのです。もしも判っているのであれば、例えば、周産期死亡がこれほど減ってきたことの意味が理解できていたはずで、医療ミスを責め立てるようなことにもならなかったでありましょう。


結局のところ、自分自身(それとも家族とか?)の命の値段、自分の人生の時間の価値、それらが安価であるなら低コスト化ということには繋がらないでしょう。逆に、価値が高ければ高いほど、低コスト化が達成されているということになるのではないでしょうか。生命、健康、時間、それらをベットして、勝利を手に入れるゲームに参加しているのですから。代理人の報酬と成果は、もたらされた利益―すなわちベットされたものの価値―の大きさとの比較に過ぎないのです。



ちょっと追加ですが、以前にも似たようなことを書きましたので、参考まで。

医療費の分析~その1(追記あり)

医療費の分析~その2

介護問題を考える~「時は金なり」



社会保障改革を推進せよ・3

2007年07月15日 13時47分41秒 | 社会保障問題
何度かコメントを頂いたのですが、もうちょっと調べてみました。
給与を貰っている人の場合には、給与所得控除後の「給与所得」を用いるとのことでした。
国民健康保険の保険料算定について、誤りであったのでお詫びして訂正致します。

社会保障改革を推進せよ

所得割の計算に用いられる「収入」は「給与所得」で、年収180万円の人であるなら40%が控除される為に、給与所得は180万円×0.6=108万円となります。基礎控除33万円を引いた残り75万円の9.37%が所得割保険料ということになります。これで計算しますと、年間保険料は月額で約10900円(年間130800円)となります。前の記事に書いた201600円とは大きく違いました。

この場合には、年間の国民年金保険料+国民健康保険料=294000となり、年収180万円の約16.33%となります。厚生年金+健康保険の人の11.45%の負担に比べれば「重い」ことは確かであるし、受取年金額も厚生年金に比べれば少なくなることに変わりありません。
保険料以外の1506000円を消費に回すとすれば、消費税負担は75300円で、保険料+消費税=369300円で年収の20.52%を占めることになります。
もし消費税が15%になったとしても、180万円を消費して27万円ですから、今よりもお得なことに変わりはないと思われます。

国民健康保険料は政府管掌健康保険等に比べれば同じ年収であっても、かなり高いことは確かです。労使折半ですから、180万円×4.1%=73800円で済みますからね。国保の人は、約1.8倍の負担をしていることになります。


いずれにせよ、計算方法が間違っていましたので、申し訳ありませんでした。


年金の第三者機関が総務省に置かれたワケ

2007年07月13日 20時57分42秒 | 社会保障問題
総務省に設置された「年金記録確認中央第三者委員会」という非常に長い名称(笑)の第三者機関ですけれども、何故総務省に置いたのか、ということがようやく判りました。ゴメンね、総務省。文句ばかり言って。
核心部分としては、厚労省や社保庁管轄では「全く当てにならん、信頼できない」ということなんでしょうけどね。

というのも、総務省は政策評価をやる、ってことになっていて、それなりに頑張ってくれていたんですね。ホント、今まで気付かなくてスミマセン。国民側も文句ばかり言うだけではなく、理解しようと努力することも必要ですよね。ごめんなさい。
マスメディアの人々とか、政治的なことを研究している人たちとか、そういう人たちが広く情報を提供してくれると有り難いのですけどね。そもそも、野党の議員たちとか、「情報を隠している」とかよく言うんだけれど、確かに判らないものもあるけれど、結構調べれば出てくるものもあるので、まずは自分たちで全力で調べてみろ、とか思うよ。それでメシを食っているのだから、それくらいの労力は当然だろうと思うのですけれどもね。その権限もあるのですからね。


偶然発見した文書がコレ>年金に関する行政評価・監視結果に基づく第2次勧告

第1次勧告において指摘したとされる内容とともに、重要なことが書かれていた。以下に一部引用する(P4~5)。

『住民基本台帳ネットワークシステムを活用して把握される第1号未加入者とともに、第1号種別変更未届者の加入手続を早急に行うことが必要となっている。
また、社会保険庁が適用業務(国民年金への新規加入や既に国民年金に加入している者の被保険者種別の変更等に係る業務)を的確に実施することは、国民年金保険料の安定的な収入の基礎となるばかりではなく、年金を受給できる資格を得られない者の発生の防止や年金受給権者に対する確実な年金給付など、国民皆年金の実現を図るための基本的かつ重要な対策の一つとなっている。』

全く仰せの通りでございます。総務省の言ってることは正しいです。平成16年秋時点で、住基ネットを使おうね、ということを総務省も言っているわけですね。しかも、国民側が手続関係とか仕組みをよく知らないで過していて、年金制度から漏れてしまうようなことになると困るから、社保庁側から手続を進めるようにしなさいよ、ということを指摘してくれているのです。

それから、電話での納付督励は1件かけると平均単価210円だそうだ。最低は142円、最高は385円とべら棒な違いがある。「何件かけたか」ということでカウントされるので、案外適当なのかもしれない。「ワン切り」みたいに、即切っても1件なのかもね(笑)。実態は知らんけど。電話番号列に沿って電話をかけ続けたら、それだけで金を貰えるのかも。これも業者との「オイシイ関係」がありそうな感じだけど、どうなんでしょうか。勘繰りに過ぎないんですけど。

国民年金推進員の業務実態も怪しいね、とか指摘されてるし。でも、徴収業務を頑張ってる人もいて、年間約224万円の給料で2700万円以上の保険料を徴収した人がいたそうだが、214万円の給料を貰っていたのに一円も集められなかった人もいたんだって(笑)。意味ないじゃん。金を捨ててるのと一緒だね。全体で見れば、徴収にかかっている人的コストは「少なく見積もって43.9%」に達しているのだそうだ。徴収員が集めた保険料を100とすると、これにかかる費用が43.9ということ。100億円集めるために、43.9億円も使わないとならないんだそうだ。無駄だらけ、ということだ。やっぱりそうだったんですね。

保険料徴収コストは100円につき3.17円だそうで、国税は1.66円、地方税2.63円に比べると高い。社保庁は無駄が多い、ってことだろうね。国税徴収の2倍くらいコストがかかっている、ということなんだよね。


ま、総務省から見ても「かなり問題あるね」というのが社保庁だった、ということに違いはないでしょうね。あの頃に社保庁問題というのが確かに噴出していたし。



社会保障改革を推進せよ・2

2007年07月13日 11時24分46秒 | 社会保障問題
昨日コメントを頂きましたので、もう少し考えてみたいと思います。
かいつまんで申し上げますと、年間180万円の給与所得者においては、40%が控除されるので、控除後所得は108万円ではないか、というご指摘と理解しました。そうであるなら、国民健康保険料の負担額というのも、もっと低いはずだ、ということかと思います。


社会保険料の計算に給与所得控除があるとは知らなかったのですが、これは本当なのでしょうか?税額(所得税、住民税)計算の為に用いられるのが給与所得控除額ではないかと思っておりましたが、これが年金や健康保険料の算定にも用いられるとなると、納付額は随分下がるのではないでしょうか。私自身も正確な保険料算出ができるわけではありませんが、普通に考えて、年収500万円とか600万円のサラリーマン世帯で夫+専業主婦という場合に、年金額が50%の所得代替率であると信じている国民は多いのではないかと思われますが、どうなのでしょうか。すなわち、250万円とか300万円といった年金がもらえるものと推測しているのではないかな、ということです。

しかし、給与所得控除後の所得で計算となれば、年収600万円の人であっても給与所得控除が174万円ですので、控除後所得は426万円となってしまいます。これを元に年金保険料が決定されているのであれば、代替率50%として213万円の年金額しかもらえないことになるのではないでしょうか。標準報酬がずーっと年収600万円のままならば月額50万円ということになると思いますが、給与所得控除後の426万円が算定基準であるなら355000円となってしまう、ということです。保険料率が約14.7%の折半であると、前者なら保険料は50万円×7.35%=36750円、後者であれば355000円×7.35%=26092円となって、保険料差額が10658円も生じることになります。

年収180万円なら40%が給与所得控除になるので、月額15万円だったけれども、控除後所得は9万円になる、ということになります。厚生年金や健康保険料はこれに応じた負担ということになるはずだ、という主張をされておられるということです。

年金保険料や健康保険料の計算方法はどれも複雑ですので大変判り難いですし、私自身正解を確実に知っているわけでもありません。ですので、給与所得控除後の金額を使うんだ、と言われれば、そういうことってあるのかな、とも思いますが、どうも現実的に合ってないとしか考えられません。給与所得控除を社会保険料算出に用いるというのは、間違っているのではないかということです。