いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

社会保障改革を推進せよ

2007年07月12日 16時22分01秒 | 社会保障問題
いよいよ選挙戦がスタートらしいですが、演説は邪魔だな。交通障害でしかない。渋滞は環境悪化の原因となるよ、きっと。
それと、以前に「参院選は格差問題がないと戦えない」とか何とか言ってた人々は、ありゃ一体なんだったのよ、とは思うね(笑)。格差云々を前面に押し出しているところはあるのかね、よく知らんけど。


話変わって、私は過去に社会保障の一体的改革を行うべき、と何度も主張して来まして、これは現時点でもそう考えています。当然税制についても、抜本的に見直すということです。徴収方法を変えていかざるを得ないからです。

社会保障番号導入についても、何度もお願いして参りましたが、実現に向けての動き出しは大変鈍うございました。ですが、降って湧いた年金不安(笑)が、これまでの障害を一気に取り払ってくれそうな勢いです。政府側の意志としても、「導入を前提として進める」ということでしたので、何とか目鼻が付いてきたのかな、と思っております。私の基本的な考え方は、収入が少なく支援が必要な人々に対しては「行政サービスを付加」することで対応し、ある程度余裕のある方々については自力で色々と対応可能でしょうから、行政サービスを必ずしも必要とされなくてもいいでしょう、ということです。給食費や保育料未払い問題などについても、現金で与えると未払い金なってしまうので、住民税と相殺とかそういった形で行うのが望ましいと思っています。徴収コストも減らせますし。なので、行政サービスの現物給付の形を多くして、現金給付は減らし、住民税との相殺などを積極的に行っていくことが望ましい、ということを書いてきました。公営住宅の運営にしてもそうです。住宅補助を支給しておけば済む話ですので、順番待ちとかヤクザに占拠されるとか、そういった問題はなくせるはずです。

これらは、住基ネットの活用とか、社会保障番号導入などが必要なので、それを前提として考えています。ブログを書き始めた頃からのテーマです(カテゴリーの社会保障問題の項目に入っています)。

参考記事:
社会保障番号の導入

住基カードの使い方

いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」 年金一元化を再び取り上げる


私がなぜ一元化に拘るのか、改めて書いておきます。
厚生年金や健康保険の加入から漏れている人たちというのは、かなり存在しています。特に問題なのは、非正規雇用の人たちでそれら社会保険がない人たちだ。夫の扶養に入っているパートの主婦とかならまだいいけれども、本人単独で国民年金と国民健康保険などに加入せねばならない人たちがいるのです。しかも雇用保険もないんですよ。失業したら、終わりではありませんか。そういう人々は本当に困っている人も多いのですよ。

また例で申し訳ありませんが、大雑把に仮定してみたいと思います。
税込み年収300万円程度の独身者がいるとしましょう。フリーターの中でも、かなり頑張っている方の人です。自分で国民年金と国民健康保険に加入せねばならないとします。すると、
国民年金:13600円×12ヶ月=163200円
国民健康保険:25000円×12ヶ月=300000円
くらい払うことになります。合計は463200円となります。
推定収入300万円の15.44%が「年金保険料+健康保険料」負担ということです。

ところで、国民健康保険の保険料は居住する市町村によって保険料率が異なりますが、控除後の総所得額が250万円、均等割+平等割+所得割(9.37%)で、京都市水準くらいの保険料としました。所得割の料率は8~9.5%程度と思いますが、自治体の状況によるでしょう。

こうして見ると、収入に対する負担は決して軽くありません。この他に所得税や住民税を払わねばならないのです。
条件を変えて、200万円に届かない水準の人ではどうなるか見てみましょう。
税込み年収が180万円ちょっと程度の人を想定してみます。月収は15万円でボーナスなし、みたいな感じですね。
国民年金:13600円×12ヶ月=163200円
国民健康保険料:16800円×12ヶ月=201600円
ということになります。合計は364800円です。推定年収180万円で負担率は約20.27%となります。
(所得割の控除後年収が150万円として概算で計算してみました)

つまり、低所得者ほど「社会保障負担が重い」ということなんですよ。国民健康保険料の上限は53万円ですから、年収が2000万円の自営業者の負担額は53万円で年収に対する負担率が2.65%にしかならないのです。年金保険料を払ったところで、全然大したことありません。日本の社会保障負担は、高額所得者ほど有利になっているのです。低所得者たちは、逆に高負担の為に「払えない」ということが起こりがちになっているのです。

もしも年収180万円であっても、厚生年金と社会保険のある会社に勤めているとしたら、どうなるか見てみます。
厚生年金の保険料率は14.7%くらいですので、従業員は折半ですから年収の7.35%払うものとします。健康保険料は大企業の健保組合水準であると約8.2%くらいですから(組合毎で若干異なっており、貧乏な組合では9%程度のところもある)、折半で4.1%です。合計は11.45%の負担率で済みます。年間で206100円です。しかも、事業主負担分があるのですから、年金としてもらう時には国民年金だと6万数千円程度でしかありませんが、厚生年金になれば10万円以上もらえることになります。同じ年収180万円であっても、こんなに負担も給付も変わってしまうのです。多くの企業では、フリーターや派遣などを利用するだけ利用して、こうした負担逃れをやっているだけなのです。オカシイと思いませんか?低所得者の方が、実質負担が20%を超えているのですよ?

だったら、保険料を廃止して消費税として今の5%の他に上乗せされても、消費税率が15%くらいまでなら逆に「負担軽減」効果が得られます。保険料未納もなくなるし、徴収コストで数百億円もかけなくても済むのですよ。資格停止とかもなくせるんですよ。企業には給与総額に対する税を納めてもらい、負担逃れをなくせばいいんですよ。今でも問題になっていますが、厚生年金保険料を納付していなかった企業とあるじゃないですか。税金ならば毎年確実に取れるし、未納をかなり防げるのですよ。

所得税と住民税の納付額が不変ならば保険料と消費税の比較だけでいいので、とりあえず面倒なので除外しておきます。
年収180万円のフリーターの人の保険料負担がなくなれば、180万円全部使うとして消費税に15%払ったとしても年間27万円です。現在の制度下での負担額だと、消費額1435200円(=年収1800000-保険料364800)の5%が消費税ですから71760円、この他に保険料364800円を払っているので、合計436560円ということになります。27万円との差額は166560円となります。この分だけ負担軽減効果があるのですよ。逆に厚生年金や社会保険のある企業でこの水準の給与という方々は若干負担増となるかもしれませんが、フリーターの数に比べて少ないでしょう。なので、保険料方式を止めて税方式にするだけで、増収効果はあるはずです。低所得層に付加的サービスが必要なのであれば、例えば住宅補助を出すとか、医療費の自己負担額の一回定額制(超えた分は補助する)などの支援をするとか、いくらでもできますよ。

高額所得者たちの消費額は収入に応じて増えるのですから、特に高額商品には金を出すのですから、それらの税率を上げたとしても何らの問題もないでしょう。保険料が上限制となっていることは、負担軽減という大きな特典になっているのと同じなのです。直接税である所得税は累進性をもうちょっと強化してもいいでしょう。再分配比率を上げた方がいいと多くの国民が賛成してくれるのであれば、現在の国民負担率よりも若干上げて、今までよりも「たくさん税金を集める」ことになりますけれども、分配先を変えていけばいいのですから。

この一元化をやることによって、企業は社会保障負担は正規と非正規の区分ができなくなりますから(給与総額で税を払うので)、働き方とかで雇用条件を変えていきやすくなるでしょう。女性にしても、扶養と扶養から外れる年収の壁を気にせずに働けるようになります。社内での従業員間で正社員とパートとか、そういった区別も不要になります。雇用保険もきちんと全員に行き渡ります。働ける人たちはたくさん働けばいいし、子育てと両立で半分ちょっと働きたいとかでもいいし、夫の給料が下がったので頑張りたいとか、色々とあるはずなんです。そういう自由が、社会保障負担の有無ということで選別されてしまっているのです。今は不当に、企業に労働力を搾取されているんですって。企業負担を逃れる為に、これらの社会保障制度の間隙をつかれているのですよ。これで、将来働く女性を増やしていけますか?パート扱いの女性が搾取されていくだけのようにも思えます。ちょっと良くて、派遣とか契約ですけど、厚生年金は別ね、とか、医療保険も別で、とか言われるんですよ。


だから私は社会保障の改革を、税制改革も含めて、きちんと考えていきましょう、と何度も訴えてきたのです。
地方の財政悪化とか人口減少で市町村の国民健康保険は耐え切れないと思いますよ。何で貧乏な人たちが、恵まれた条件の人たちよりもたくさんの保険料を払わねばならないんだ。財政悪化の原因を押し付けられて、払えない者は資格を剥奪されてしまう。無保険者たちや無年金者たちがどんどん生み出される。そんな社会がいいとは思っていない。将来必ず困るよ。



ワタミの介護事業は金持ち相手?

2007年06月21日 14時43分40秒 | 社会保障問題
これまであまり詳しく見てこなかったが、渡辺社長の記事(NBonlineの「あなたのお金は、直接民主主義の一票です」)を読んで、一体どのような介護事業をやっているのか、というのが気になったので。

料金説明みたいなものがワタミのHPには出ていなかったので、よく判らんが、一見すると「オイシイ」相手だけに商売をやってるんじゃないの?と思った。だって、「有料老人ホーム」で、こぎれいな施設みたいだし(笑)。


こちらの記事は結構詳しい。

中日新聞介護迷走<2> 『サービス維持できるか』暮らしCHUNICHI Web

(一部引用)

GWGは、介護事業をグループ以外に売却し、全面撤退する方針を決めた。事業の取得については、大手のニチイ学館や、首都圏と関西で二十七施設を運営する大手居酒屋チェーン・ワタミを中心とした事業者連合などが名乗りを上げている。早ければ来年三月から、新しい事業者に施設運営を引き継いでいく。

民間の介護付き有料老人ホームは、入居一時金が億単位の豪華な施設もあるが、一般的な施設ではゼロから三千万円までと幅広い。このほか生活費や食費など月額で十数万円から二十数万円かかる。事業が譲渡され、事業者が代わっても、介護保険は「公定価格」なので、訪問介護など以前と同じケアプランでサービスを受けるなら、利用者の負担は変わらない。だが、有料老人ホームやグループホームなど施設サービスには、介護保険とは別の費用がかかるだけに、事業者の変更には注意しなければならないという。

国民生活センター(東京)の調査室長だった木間(このま)昭子さんは「食費と入居費、管理費が不当に値上げされないかチェックが必要」と指摘する。特に注意すべきなのが「管理費」だという。「悪質な業者の中には、管理費の中身を明らかにせず、介護保険で賄うべきサービスを組み入れているおそれがある」

利用者と業者間の民民契約だからといって傍観するのではなく、木間さんは「事業者が利用者に不当な出費を求めることのないように、行政がしっかりと指導すべきだ」と行政の監視の必要性を強調した。




介護付きといっても、かなり幅があるだろう。病院などに送り迎えしてくれるとか、その他介護サービスの一部をやってくれることはあるだろう。けれども、基本的には、マンションを買わされるみたいなもので、金持ちしか入居できないことは多々ある。独居老人でそこそこ金がある人は、不動産なんかを処分したりして入居し、死ぬまでそこで暮らす、ってことだな。食事サービスの利用料が月に数万円~10万円程度になっていることもあるし、毎月色々と金を取られるので、上の記事にもあるように20数万も払えない人は入れないんだよ。年金で細々暮らしている老人とは隔絶された世界ってことさ。

ワタミがこういう施設なのか知らないので何とも言えないが、似たようなシステムになっているなら、要するに「金持ってる年寄り」を相手している商売だから、初めから「施設介護は欲しいが、訪問介護はいらない」とか言っていたんだよ、きっと。介護での苦しい現場というのは、こういう資金的に余裕のある人なんかじゃないんだよ。全然違うんだよ。

一人暮らしで金もない、とか、家族がいても時間も金もない、みたいな場合なんだよ。医療費や介護費用の自己負担分を払うのが精一杯というような人たちなんだよ。本当は施設入所を希望していても、空きがなくて順番待ちとか。特定養護老人ホームとかに入れるならいいのだが、空かないと入れないからね。有料老人ホームなんかに比べれば、格段に安く入れるからだ。老人保健施設もあるが、基本的には長期入所ができないので、暫く入っていても退所して在宅介護にせねばならないのだ。介護職員などの効率を考えると、こうした一箇所の施設に集めておく方が有利だ。一対一対応になってしまうと、効率は悪くなるに決まっているのである。移動時間ロスもそうだしね。なので、一対多対応が可能で、職員の効率を上げるのであれば施設介護が望ましいのだが、それを充足させるほどの収容能力がないのである。そこで、民間の有料老人ホームがある意味があり、金がある人たちは困ることなんて余りないだろうと思う。問題は、金がなくて施設にも入れず在宅介護となっている高齢者たちなのである。

この分野を誰が担うのか、ということになるが、ワタミが本当にやってくれるのか?官ではもうダメだ、国には頼らずに、経営の力で、民間の力で、みたいに渡辺社長は言っているのだが、本当にできるのか?(笑)
「やってもいいですよ、勿論。ただし、あなたが金を払えるならね」
とか言うのであれば、これは誰でもできるんだよ。どうぞどうぞ、いくらでもやってあげます、その分金出せ、ということなら、あっという間に解決ができそうだな。現実には、金があまり払えない人たちを相手にして、その中でやっていかなくちゃならない。ま、経営力でやれるのであれば、是非とも頑張って頂いて、いい介護サービスを提供してくれれば日本にとっても有益です。そういう民間事業者のお手本のようなモデルができるかもしれませんし。


よく豪華な病院食を提供します、とか有名シェフ並みのディナーをご用意、みたいなのとかあるらしいけど、あんなのも誰もタダでやってくれるのではないわけで、特別室のバカ高い料金に含まれているとかなんだろうね。結局自分が払っているに決まっている、ということ。金出せばそりゃ、やってくれるわな、いろんなサービスを。結局、そういうこと。

安い金しか払わないのにサービスがいいのは、基本的には公的な(官ってことだな)サービスしか有り得ないってのが、根本原則なんだよね。勘違いしてはいけないのだ。ワタミの介護は慈善事業でも何でもない、「払った者だけが相応のサービスを受けられる」という資本主義的原則に基づいているだけだ、ということ。



年金問題の処理を考えてみる

2007年06月13日 17時40分24秒 | 社会保障問題
これまで色々と辛辣なことや煽りを書いているので、自分も人のことは言えないが(笑)、といりあえず解決に向けた手はずくらいは考えた方がいいと思うけどね。約束しちゃったんだから。

参考記事:どうやら自民党は「非常事態宣言」らしい


人々が慌てて殺到している様は、まさしく「年金パニック」とも言えるかもしれない。だが、こういう急場のシノギに適切な対応が取れていないのは、不信感を募らせますます不満が増大していくだろう。テレビの映像では、全く繋がらないコールセンターに国会議員たちが大挙して「視察」(ある意味「査察」みたいな感じ?)に訪れ、今度はコールセンターのお役人を吊るし上げていた(笑)。まあ、アレだ、私たちは一生懸命取り組んでおります、国民の怒りの声を代わりに代弁して溜飲を下げるのに一役買っています、ということろであろう。ワラタ。

国会議員たちがするべきは、現場の役人をこっぴどく叱りつけて業務の邪魔をすることではない(笑)。視察に行くのは、1人か2人もいれば十分だろう。あんなに無駄に頭数を揃えて取り囲みに行く必要性なんかないのに。片山さつき議員も映っていたようだったので、多分自民党の広報戦略の一環として、ヤラセ映像を証拠として残す・確保するというような意味合いしかないだろう。話にならん。議員たちは、本当に頭が悪いのではないかとさえ思えた(ゴメンね、罵倒してしまって)。国会議員たちがやるべきことは、現地に行って説教食らわせることなんかではない。

膨大な資料とか、取りえるプランとか、そういうのを首っ引きで取り組んで、作戦を考えてあげることが大事なのだ。情報を集める人たちは少数でいいんだよ。他の手の空いている人間は、別な業務を分担してやるべきなのだよ。今の段階では、作戦を考える人たち、というのが国会議員の中にさえきちんとできていない。多人数で同じことをやるな。これ常識ですから。

あの映像は、まるで住民集会で吊るし上げられる少人数の行政職員、という図がピッタリだった。担当者を取り囲み、口々に文句を言う住民たち、みたいな。それか、ラーメン店の前で並んでいる客が、「こっちのボックス席も空いてんじゃねーか」「もっと入れるんだから、客を待たせないで入れればいいんじゃねーか」とか、凄んでいるのと同じだ。あれでは、解決が遠のくというのは判るよ。上がダメなら、負け戦は確実だもんね。作戦司令部が機能せず、戦場であっちに火の手が上がれば慌てて全員で駆けつけ、こっちに敵が押し寄せたら武器も揃ってないのに「とりあえず素手で突撃せよ」みたいな命令が飛んでくるわけですから(笑)。これじゃ、討ち死にといいますか、無駄死にが増えるだけですね。


今の状況を簡単に言えば、

一つしかない手術室に、100人とか押し寄せて全員が「今すぐ手術してくれ!オレを真っ先にやってくれ!ゴラァ」

となっているようなものです。そりゃ、ま、無理だな。
なので、やるべきことをある程度区分して、優先順位を決めて、仕事の内容も振り分けて、ということを考えてやらない限り、無駄に混乱が続くだけ。特に、「オラオラオラ」と議員さんたちの無理なご要望を出せば出すほど、それに対応せねばならなくなるので、かえって仕事が遅くなるだけ。

それと、判らん人間をただ無駄に増やしても、解決には繋がらないばかりか、客側のイライラが募るだけ(笑)。例えば、電器量販店にあることを電話で尋ねたら、当店の1階担当者にご相談下さい、とか言われて、店に行って同じ説明を繰り返したらここが担当ではなく別な階が担当ですからそちらで、と言われ、そっちに行ってまた同じ事を説明したら、ああ現物見ないと判らないですから持ってきて下さい、とか言われて、今度現物を持って出直したら、ああそれは既に販売中止で修理部品もないので新品を買う以外ありません、みたいな。初めから判る人が答えるなら、こうはならない、ってこと(これはあくまで架空の話ですので、実体験ではないです。量販店には何も関係はありません。これホント)。なので、コールセンターに無駄な人員を貼り付けても無駄。それと、いくらソフト開発を死に物狂いでやっても、これも多分効果はあまり大したことないのではないかな。重要部分は結局人力に頼らざるを得ず、機械的にどうにかなるものでもなさそうな感じ。できるだけやってもらっておいた方がいいとは思うけど、時間的に厳しいので、ダメかもしんない、くらいに思っていた方がいいだろう。


後は、具体的に考えてみる。

1)仕事の区分け

今殺到している人たちは、大体が暇な人とか受給者本人とかであると思う(ただの予想)。特に高齢者であることが多いと思うので、そういう人たちは「制度の仕組みをよく知らない」「何を言えばいいのかが判らない」「情報の整理があまりついていない」「話が長い」「理解や納得させるのにも時間がかかる」というような傾向があるのではないかと思う。ですので、窓口の処理速度が落ち、行列になりがちだろう。これを短縮させるためには、窓口では「決まりきったこと」だけの処理で済むようにすべき。またコンピュータ操作とかも、それ専属の人がそればかりやる方が大抵は早く処理できる。レジ係の人はレジばかりやった方がいい、ということ。なので、業務の中身に応じて、話を聞く人、書類を点検する人、入力する人、データ処理を確認する人、みたいな感じで、かなり分業体制を取らないと出来ないと思う。


2)優先順位を付けて受付を制限する

店でも商業施設でも、どこかに殺到するということが起こらないように、分散されていることが多いと思う。なので、現状、コールセンターの処理能力を上げようと思っても難しいだろう。それに上述したような、判らない者にやらせると、あっち行けこっち行けが増えるだけ。なので、順位を付けて、期間区分などで対応する。

優先するべきこととしては、
・今、受給している人
・年齢の高い人
・受給額の低い人
であるので、受給年数がまだまだ先の人たちは、今すぐに処理する必要はない。
よって、次の人たちを順次やる、と大々的に宣言する。コールセンターでの対応もそれに準ずる。


①現在、国民年金を受給している人で

ア)受給額が一人当たり月額8万円以下の人で
a)75歳以上の人
b)それ以外

イ)受給額が一人当たり月額12万円以下の人で
a)75歳以上の人
b)それ以外

ウ)受給額が一人当たり月額12万円以上の人で
a)75歳以上の人
b)それ以外

②現在、厚生(共済等含む)年金を受給している人で

ア)受給額が一人当たり月額8万円以下の人で
a)75歳以上の人
b)それ以外

イ)受給額が一人当たり月額12万円以下の人で
a)75歳以上の人
b)それ以外

ウ)受給額が一人当たり月額20万円以下の人で
a)75歳以上の人
b)それ以外

③過去に国民年金しか払っていない人で60歳以上の人

④過去に厚生年金(転職歴が5つ以下)を含む人で60歳以上の人

⑤過去に厚生年金(転職歴が6つ以上)を含む人で60歳以上の人

⑥遺族が請求する場合

⑦その他
状況を見て決めればいいのでは。年齢区分でやってもいいし。
例えば国民年金だけ、とか年齢で50歳以上と、それ以下とか。
年齢的には受給まで時間があるから、それまでやればいい。

あくまで一例ですけれども、記録上は受給者の大まかな人数とか判るはずでしょうから、適当に区分を決めればいいと思う。要は、一気に全部にならないように、「対象者を振り分ける」ということが必要。それに国民年金しかない人は必要な資料が少なく済むので早く処理可能だし、もめるのは「いつからいつまでは払ったと思うが、証拠がない」というものであろうから、これは今処理できないことに変わりないので(第三者機関で検討せねば結論が出せまい?)、「紛争例」ということに区分けさえ出来ていればいい。難問は後回しにして、5000万件のうち、減らせるデータを確実に減らしていくしかないだろう。


3)処理する手続きと話を聞く人を完全に分ける

年寄りは説明が要領を得ないとか、無駄に話すとか、そういうことが多いので、コールセンターでは
・用意するべきもの、資料
・どこに何をしに行けばいいかという窓口情報を正しく伝えること
だけをやった方がいいのではないかな。
チェックリストを作って、書類1、2、3、…とか本人が用意しなければならないものを教えてあげる(ない場合はしょうがないので、窓口で言ってもらう)。受給者がいつ頃どんな仕事に就いていたか、みたいな過去の長話を聞いていてもしょうがないのです。現在の居住地域がどこか確認して、向かうべき窓口を確実に伝える。あと、高齢者の場合で家族が一緒に行った方がいい人もいると思うので(電話での対応で直ぐに判るであろう)、そういうこともアドバイスする。

社労士団体の方で救援します、とか言ってたと思うが、コールセンターの何らの知識もない人たちが受け答えするより、社労士に対応させる方が片付きやすい。コールセンターに無闇に人員を貼り付けるくらいなら、社労士部隊にやってもらう方が効率がいいだろう。各地域の社会保険事務所ごとで社労士と取り決めを行い、一定書式の「聞き取り調査票」みたいなものを作って、それから想定される年金額が出せるはずなので、現在受給額と乖離がなければ問題なしと判定できるし、額に違いがあればデータミスの可能性が判明するだろう。コンピュータで抜けてる期間がどこかを探す人にとっては、当事者の話を直接聞くよりも、過去の居住地・勤務先とかが正確に判ってさえいれば、どの時点のデータが抜けているか探しやすいであろうし、処理速度が上がる。最も問題なのは、この「聞き取り時間」が長い、ということなのだから。

なので、話しを聞いてあげて、聞き取り調査票をとりあえず作る、という作業を社会保険事務所と社労士で複数窓口に分散して対応する体制をとりあえず直ぐ作ることにするべき。金がかかるのはどうせ同じなのだから仕方がないだろう。日替わりでも何でもいので、社労士団体に人員を出してもらえばいい。まあ、一つの「年金特需」だね。

で、データ照合して訂正手続が必要な人だけが専用窓口にてやるか、調査票からデータ照合して判明したものについては、どんどん処理をしてもらって、後日訂正がきちんと完了しました、という通知を郵送するとか。払った、払ってない、記録がない、という紛争例は、それで区分けすることができる。これについては、後ほど結論を出してもらう。


一番問題なのは、「今ここで解決結果を見せてくれ」みたいな処理をしようと思えば、大変になるだけ。あなたの不安だけは解消に繋がるかもしれんが。
なので、重要ポイントは「聞き取りして、的確にアドバイスできる人」と、「データ照合・処理する人」というのを分業にして、区分けする方がいい、ということ。聞き取りした結果、「わかりました、じゃあ、これとこれの資料とか証明書を探してもらえませんか、○○があればきっと通ると思います」とか、そういう策を与えられる人がいないと進まないのだから。あと、受給額が不足しているんじゃないか、という全く問題ないが不安だけある人たちも大量に混ざっているであろうと思うので、それらの人の長話を聞くのは大変だし処理を遅らせるだけなんではないかと。


社保庁にしても、緊急の「私たちはガンバリます」ビラみたいなものを急遽印刷して、手配りしている暇があるなら、何か策を考えるとか、聞き取り調査票の書式を組むとか、社労士団体と交渉してアクセス先を多く確保するとか、何かやれると思うのですけど。

でも、今のところ、国会議員さんたちの中にはこういった策を考えている人たちは殆どいないであろう。いたら、もう何かやってるだろうし。結局宣伝工作のダミーといいますか、煽り煽られ、みたいなことに自ら迎合するという質の低い連中が「参謀本部」に大量に巣くっている限り、物事の解決には繋がらないであろう、ということは確かではないかな。よくこれで国会議員だの、元官僚だのと言ってるな、とは思う。つまりは、自分にできそうもないことを求めるだけで、誰かを(まあ、とりあえず目の前に立ってる役人の人たちですかね)痛めつけるくらいしか能がないのである。頭数が何人揃っていても、これですから。くだらん。



年金不信が続くだけでは

2007年06月01日 15時45分39秒 | 社会保障問題
初めにお詫びしますが、早とちりで、記事に書いてしまいました。
ゴメンなさい。5000万件全件を急いで調べる訳ではないそうです。

煽り記事はコレだ>どうやら自民党は「非常事態宣言」らしい

かなり感情的に書いたので、間違いだらけでした(いつものことか?)。
年金は宙に浮いてなんかいないんだそうです。もらう人たちの額が増えることはあっても、大幅に減額ということにはならないでしょうから、年金給付額はかなり増えてしまうかもしれません。そうなると、また「保険料収入」よりも払って出て行く方が大幅に増えることになりそうです。

実際には「2000万件以上少ない」、2880万件を調べればいいだけだそうです(笑)。
オマケに、「第三者機関」を設置してやるんだそうです。それで手続きが本当に進むのでしょうか?ただ単に混乱に拍車がかかるだけなのではないかと、心配になります。1件ごとに精査してやっていては、一体いつになったら作業が終わるのか想像もつかないわけですが、どうなんでしょうか。

Yahooニュース - 毎日新聞 - <年金Q&A>照合に10年 60歳以上優先 遺族も受給


遺族が支払い当事者でもないことは多いので、過去の記録や記憶というものをどうやって証明できるのか判りませんよね。
「オレの死んだ爺さんは、払っていたはずなんだYO!」とか言う、どう見ても胡散臭い若者がやってきたら、どうするのだろうか?本当なのかもしれないし、ウソなのかもしれない。これをいちいち第三者機関が判定するのでしょうか?百万年かかってしまいそうですが、どうなんでしょうか。遺族側が証明するにせよ、じいさんが転々と引っ越していたり、何度も転職していたり、夕張みたいな閉山した炭鉱夫であったりすると、証拠書類を探し当てるのに一苦労というか大変な作業ですよね。こういうのを「全件やっていく」と。国民も行政側も。

国を挙げての、壮大な歴史探訪(家族の歴史?)大作戦、ということなんでしょうか(笑)。


関係ないけど、西友の牛肉事件のことを思い出してしまいます(参考記事:電脳炎上と現実炎上)。確か、「払い戻し」はそのスーパーにおける年間の「精肉部門の売上全部」よりも多くの額を払うことになってしまったのではなかったかと思いますが、不正確なんですけど。

まさか、年寄りがメールで「みんなに払ってくれるらしいわよ」とか連絡して、大挙してやってきたりはしないかもしれませんが、世代が世代だけに恐ろしい気もします。みんな「昔の血が騒ぐ」とかの気分になり、デモ隊よろしく「はーらーえ!はーらーえ!ねんきんをはーらーえ!!」とかの騒ぎにならないとも限らないのではないか、と危惧したりもします(冗談です)。なんてたって、ねじり鉢巻とか手ぬぐいまいて、プラカードやこぶしを掲げて、「エイ、エイ、オー!」とか真剣に戦っていた世代ですからね。何事も「力わざ」というか、暴力とか「徒党の力」とかで、問題解消(というより潰し?)やぶんどりを実行してきたという実績がありますから。年金受給年齢になっているにも関わらず、「腹が立ったので殺った」とかいう事件は珍しくありませんし(年寄りも殺人や傷害事件を起こしてますよね)。なので、イマドキの年寄りは油断も隙もあったものではなく、昔みたいに年寄りだから信用できるとか、規範に外れたことはやらないとか、そういうことはないんじゃなかろうかと思ったりもします。

どっちにしろ、混迷の続く今の年金制度を維持することよりも、抜本的な制度改革に乗り出すべきであると思います。一元化へ向けて、3党合意に基づく話し合いを進めていくのが筋であろうと思いますね。>自民党、民主党、公明党



どうやら自民党は「非常事態宣言」らしい

2007年05月30日 21時31分34秒 | 社会保障問題
この大慌てっぷりは一体全体どうしたことであろうか(笑)。それほどまでに年金「不払い」問題と、自殺問題のダブルパンチに怯えている、ということなのだろうか。

Yahooニュース - 時事通信 - 与党、衆院委で即日採決を強行=年金特例法案、野党は反発

衆院厚生労働委員会は30日夜、同日審議入りした年金時効撤廃特例法案を採決し、自民、公明両党の賛成多数で可決した。与党は社会保険庁改革関連法案と併せて31日の衆院通過を目指す。野党側は柳沢伯夫厚生労働相の不信任決議案提出などで抵抗する方針。7月の参院選をにらみ、年金問題をめぐる与野党の攻防は大きなヤマ場を迎えた。
 衆院厚労委は30日午後、特例法案の質疑を行った。与党は「国民の不安解消のため直ちに成立させる必要がある」と判断。野党の質問が終わるのを待って質疑打ち切り動議を提出して可決した上で、特例法案を採決した。




民間の保険会社が不払い問題として生保・損保が全滅で、金融庁から「地獄のお達し」を出され、連休返上(?、単なる想像です)で過去の未払いを調べていたであろうが(笑)、壮大な国家的保険料不払い詐欺は「クサイものにはフタ」ということで、「電撃決着」を望んでいるということらしい。それが、今回の救済法の採決ということだ。要するに、「我々はやりました。対策は”選挙前に”既にやりました。」ということでしょう。

一応国民としては、「あー、やっぱりな」といった程度でしか思っていないだろうと思いますね。国の年金制度が本当にきちんとしていて、将来に渡って「安心して」任せられる制度である、などとは到底受け止められないのではないでしょうか。で、5000万件にも及ぶデータを照合していったりするわけですか。たった1年で(笑)。やれるもんならやってみて下さい。

ざっとの計算で考えてみますか。5000万件のデータが「誰のものか」確定させるものとします。週休2日+祝日以外で、ざっと年間250日くらい働く日があるとしますと、1日に確定させるべきデータ数は200000件ということになります。これを専属の1000人体制でやると仮定すると、一人当たり200件です。これを8時間勤務で行うとすれば、作業を行う1人の1時間当たり処理件数は25件ということです。つまり、1件当たり144秒、2分と24秒で処理する、ということになります。これが果たしてできるのでしょうか?人員を倍に増やして2000人体制でやっても、約5分弱ですよ?それで、本当に「誰が払った年金なのか、これまでの不払い額はいくらか」とか判るんですよね?
まあ、やれるということなんでしょう。これらにも膨大なコストがかかってしまうことになるでありましょう。これを誰がやるんだ?何処から金を出すのだ?これも年金保険料からか?どうせ無駄な金が失われるだけなのさ。

あと、支払証明をどうするの?「落し物」が落ちていて、「それ私のです」って多数が名乗りでてきたら、名乗り出た全員にそれを配るのか?どうやって見分けられる?

民間の保険会社には「過去の不払い分を洗いざらい調べろ、5年以上前に(法的には多分5年だろうけど、何故か7年とか10年とか記録のある限り遡らせたのであろう?金融庁は)遡って未払い不祥事の責任を取れ、とか言っていたんではないですか?で、国のやってる年金は「お前が証明しろ」とか言うわけですな。「後で払いますから」と約束しておいて、後から「お前が払った記録なんて残ってないぞ。本当に払ったんならお前が証明してみろ」とか誤魔化して、不払いを決め込む制度が公的年金制度ということが白日の下に晒された、というところでしょうか。国の制度だから、民間みたいにお叱りを受けたりはせんのです。誰も責任を取らされることもないわけです。いい気なもんです。


参考記事:
年金不安は越年

所得代替率という「ゴマカシ」

未納徴収に係る膨大なコストとか、免除の問題とか、そういうのも基本的には同じような構図なんですよ。やればやるだけ無駄が増える。杜撰な業務・管理状況だったことが明らかになる。そういう詐欺的装置が日本の公的年金制度であった、ということだけでしょう。

年金の信頼性を回復する、とか、やったフリとか、もういい加減にするべきだ。もっと根本的な解決策を考えるべきだ。



公務員共済は単独でやれば?(笑)

2007年04月15日 14時06分18秒 | 社会保障問題
小ネタですけれども、一応記しておく。

年金の問題というのは、今の状態で既に解決されたとは思っていませんが、「これでいいのだ」(バカボンか?)という意見もあるかもしれません。それはそれで1つの意見でしょうから、別にいいと思います。私は「所得代替率50%」がデマゴギーとしか考えていませんが、信じたい人は信じている限り幸せに過せる(?)のでメリットはきっとあるでしょう(笑)。

参考記事:
所得代替率という「ゴマカシ」


年金の専門家?故なのか判りませんが、「年金」制度のことをだけではなく、もっと全体像を見てものを言って欲しいな、と思わないではありません。この前公務員共済の問題を少し取り上げましたが、「共済」というひと括りを不満に思ったのかどうかは知りませんが、誰も「私学共済」の話なんか取り上げていないし、私学共済の保険料推移の歴史なんて日経の記事でも取り上げられていませんね。

大体「私学共済」の積立金なんて全然大したことないんじゃありませんか?3兆円くらいの話でしょ。それは共済全体に対してごく一部でしかなく、1割にも満たない水準なのではありませんか(6%前後くらい)?他の国家公務員・地方公務員共済の問題とは関係ないですし、積立金の問題ではほぼ無視できる程度でしかない、ということです。そんな私学共済の話を援用して共済全部を語られても、私学共済と公務員共済が同じではないのであれば、よく知らない人に誤解を与えるだけなのではないかと思います。


公務員共済であっても年金・健康保険の保険料を事業主と折半で払うというのは厚生年金なんかと同じなわけですが、公務員共済全部ではないにせよ、折半でなんて払っていない公務員はずーっと存在してきたわけです。要するに事業主負担を多くして、自分たちの保険料を少なくすることが可能である、というのは、公務員以外からすると「お手盛り」としか見えないのですよね。違うというのなら、「公務員共済において、”お手盛り”は一切無かった」と断言してほしいもんです(笑)。


年金の仕組みというのは、私のような一般人から見ると大変複雑で中々理解が難しいので、ごく簡単な例で考えてみることにします。

ある国に年金制度が1つしかなく、とある共済組合が運営するものとします。今の日本の公務員共済と制度が同じようなものであるとしましょう。極めて単純化すれば、次のようになるとしましょう。

・収入:
①労働者が払う保険料
②事業主が払う保険料
③税金による一部補助

・支出:年金給付

①と②は折半で、同額です。③というのは、今の年金制度でいうと「基礎年金の国庫負担」のようなもので、給付に必要な一部分が公費によって賄われている、ということになります。ある時点で調べると、年金給付額は300億円、①と②は125億円、③が50億円でした。この何年か経過後に、従来とほぼ同じような給付水準を維持するとした場合に必要な年金給付額を調べると、受給者数が増加した為に必要額は400億円と算出されました。さて、この場合、不足分の100億円をどのようにしたらよいか、ということになるわけです。
考えられる方法としては、
ア) ①と②を増やす=保険料率を上げる
イ) ③を増やす=増税する
ウ) 受給者一人当たりの受給額を下げ、300億円給付する
というものでしょうか。

保険料率を上げれば、①と②の負担を各50億円増やし、400億円を賄うことは可能です。上げられた方は文句が出るかもしれませんけれども。③を増やすと、直接税か間接税かなどで文句の出る層は変わるかもしれませんが、増税ということですね。ウ)の場合であれば、現役世代からの文句は回避できますが、受給者たちの不満は大きくなりそうですね。でも、いずれかを選択しない限り、年金制度を維持できません。積立金が多額にある場合には、積立金取り崩しによって賄うことも考えられますが、どの程度それが可能なのかは、積立金の額にもよるでしょう。年金改革で行われたのは、ア)とウ)であり、保険料を上げるとともに給付額を抑制し、どちらか一方だけであると影響が大きいから、ということかと思います。

しかし、公務員共済のやったような方法を取れば、いくらでも可能です。それはどのような方法か?
エ) 「打ち出の小槌」という別な財源から調達する
というものです(笑)。名称は悪趣味な冗談ですけれども、実態としてはこういうことと同じです。

決めるのは官僚たちですから、現役世代が払う保険料を上げたくはない、ということで、①と②の負担を増やすということにはならないのです。で、受給者側というと、官僚OBの国会議員たちなんかがたくさんいるし、他にもウルサイOBなんかがゴロゴロいるので、怖くて受給額を下げることもままならない、と。そういうわけで、増税くらいしか残らないのですが、それは他の国民からの反対があるので無理。最後に残るのは、公務員共済の為だけに別な財源―すなわち「打ち出の小槌」というサイフ―を確保するということなのです。これは「国庫」から別口でお金が持ち出されるのであり、上記架空の年金制度であるならば、不可能な手法を取っているわけです。厚生年金制度の場合に、給付が大幅に上回ってしまえば、「積立金取り崩し」「保険料率アップ」「年金給付額抑制」などで対応せざるを得ないのに、公務員共済の場合であれば「他のサイフ」から金を調達している、ということです。当たり前だわな。他に「打ち出の小槌」なんて何処にも存在しないのですから。
にもかかわらず、公務員共済は「自助努力によって積立金を多く積んできた」などという、トンデモナイ理屈を出してこられた日にゃ、呆れて何も言えんね。


年金の基本システムとしては、「現役世代の払う年金保険料」を年金給付に充当するので、年金制度というのは破綻せずに持続可能性は元来問題など有り得ないのである、ということを、学者さんなんかが太鼓判を押してくれているわけです(笑)。なので、まあそうなんでしょうね、とは思いますが、私には到底信じることはできませんね。

国家公務員共済であれば、上記①と②はそれぞれ約5000億円ちょっと、③に該当するのは公経済負担約1500億円、ということでしょうか。これだけで賄える給付額を決定しておくか、給付水準を維持していくのであれば保険料率を上げるしかないのであるが、公務員共済では「追加費用」として国庫から金を持っていくのである。これが約5000億円くらいだったのだが、その後にやや減少してきている(4800億円くらい?)。給付額を決定するのは「お手盛り」でやっているだけであり、「現役世代が払った保険料を年金給付に回しているに過ぎない」というのは真っ赤なウソとしか思えないのである。一体どこに、こんな年金制度があるのか?(笑)追加費用の額を決めるのも、お手盛りでやってきたに過ぎないのである。

上記架空の年金制度を考える時、不足分を①~③以外の「謎の財源」から充当ということで設計可能であるなら、そりゃいくらでも持続可能だわな(笑)。不足分は「謎の財源」に求めればいいわけで。積立金を取り崩す必要もありませんからね。公務員共済のやってきたことというのは、まさにこういうことだろ。「謎の財源」とは、エ)の「打ち出の小槌」のこと、つまりは税金なのだ。


国家公務員共済は受給者と保険料支払者の割合が1:1にかなり近いけれども、年金制度というのは1:1であっても永遠に支えきれるのだろ?(爆)ならば、単独で運営したらいいんだよ。追加費用分の5000億円程度取り崩しても、積立金は約8兆7千億円くらいあるから、20年くらいは行けそうだよね?(数字的には17.4年だけど、もっと延ばせるかな、と)追加費用分はいずれ完全に消えてなくなるわけだし。現役世代と受給世代が1:1で支え続けてあげたらいいんじゃないですか?

イヤイヤながら、無理に統合せんでもいいでしょうよ。相対的に多い積立金が惜しいでしょう?じゃあ、統合しないで、公務員共済は単独ということで、学者さんの仰る通りに、「現役世代の保険料+公経済(国庫)負担」を年金受給に回すように設計しておけばよろしい。これで持続可能、ということで。


<ちょっと話が少し変わりますが、職域加算があるのは当然ということを企業年金と同列で語っている人がいるわけですが、3階部分のある労働者というのは、大多数ということではありません。多くは「なし」です。労働者6千数百万人のうち、1割程度しか3階部分を持っていませんから、世間の標準とは「なし」ということだろうと思うのですが、どうやら「自分たちの世界」では「あり」が標準と思っている人もいるかもしれません。「公務員は大企業と同じレベルでなければならない」ということを多くの国民が認めなくないと思っているのであれば、それは仕方のないことですね。相対的に恵まれた待遇という人々に、更に公金から出すことの必要性が感じられないということではないかと。それとも、仕事の結果が悪すぎて、そんなに金を出したいとは思えない、という人が多いのかな?なぜそうなってしまったかということは、当事者が一番よく知っているのではないかと思います。>



崩壊は止まらない

2007年03月01日 18時15分42秒 | 社会保障問題
巨大なダムが決壊する前兆のようなものかもしれない。はじめは小さな穴から漏れていくが、いずれ大規模に流れ出る。耐え切れなくなった壁が破壊されるのである。そうなってしまえば手遅れである。

雪崩が起こっていることを、なぜもっと真剣に考えようとしないのだろうか。警鐘はずっと前から鳴っていた。これまでのシステムが支えきれなくなった時、人材が枯渇する。教える人も、現場の担い手も、全てが失われた後になって気付いても遅いのである。


Yahooニュース - 産経新聞 - ICU医師全員退職へ 国循センター 執刀との分業困難

(以下に一部引用)

国立循環器病センター(大阪府吹田市)で、外科系集中治療室(ICU)の専属医師5人全員が、3月末で同時退職することが28日、分かった。同センターは国内で実施された心臓移植の半数を手掛けるなど循環器病治療の国内最高峰で、ICUは心臓血管外科手術後の患者の術後管理・集中治療を受け持ち、診療成績を下支えしてきた。同センターはICU態勢の見直しを検討している。

同センターによると、ICUには5人の専門医が所属。所属長の医長を含む2人のベテラン医師が辞職を表明したのをきっかけに、指導を仰げなくなる部下の3人の医師も辞職を決めたという。

 ベテラン医師2人は辞職の理由を「心身ともに疲れ切った」と説明しているという。

同センターのICUが対象とするのは、先天性心疾患や冠動脈・弁疾患、心臓移植、大血管疾患などさまざまな心臓血管外科系の難病患者。成人だけでなく小児も対象とし、外科手術後の患者の最も危険な時期の全身管理や集中治療を24時間態勢で行ってきた。ICUの入院病床は20床で、年間1100症例を超える重篤な患者を受け入れ、常に患者の容体の急変に備え、緊張を強いられる環境にあった。




多くの医療関係者が警告してきたように、支えてきたものが失われた時、「心が折れる」のである。その結果が、こうした雪崩現象となってしまうのである。国立循環器病センターは国内有数の施設である。そこで働く医師やスタッフたちも、勿論優秀な人たちであろう。このセンターで仕事ができることが誇りにはなっても、不名誉ということは普通では考えられないのである。にも関わらず、流出を「止められない」のである。雪崩現象が起これば、止めようがないのである。


何が直接の要因なのかは窺い知れない。憶測で申し訳ないが、私からみた要因をいくつか挙げてみたいと思う。

一つは、未来が失われたことだろう。それはこれだ。もう1年以上前だが。
話題シリーズ22

国立がんセンターだけではなく、他の医療センター施設も独立行政法人化するという計画なのである。

国立高度専門医療センター関係について

愚かしい。これは国家公務員を数で削る、という数値目標だけの為に考えられたことなのである。頭数を減らすには手っ取り早いからだ。省庁の中枢は事務系に握られているから、当然のことながら「省庁毎に割り当て」をされてしまえば、技術・現業?系の部門を削るに決まっているのである。独立行政法人になることが決まれば、例によって採算・経費削減・効率化せよ、みたいなのを事務方から押し付けられるのだ。どの道、将来の展望というのは開けてこないような気がするだろう。それに、大幅な制度改変ということになれば、文書の作成業務だの、どうでもいい会議だの、そういうのにも駆り出されるだろう。元がお役所事務なので、「~計画」を作って出せ、とか、「○○配置基準を作ってだせ」とか、なになにの概算経費を計算して出せ、とか、どういったことがあるのか実は全く知らないが、恐らくこういった「雑務」が膨大に増えるのではないか。連続勤務も過酷ではあるが、その他にこうした運営業務に関わる雑務もこなさねばならないことを思えば、馬鹿らしくなってくることは十分考えられるのではないか。


もう一つは、奈良県の「たらい回し」報道に関するものだ。
参考記事:続・奈良の妊婦死亡事件について

この時、最終的な受け入れ先として決まったのが、確か国立循環器病センターだけだった。他が全て受け入れられない、という状況であったからだ。ある程度高度な医療が可能な施設というのは限られる。近隣府県からの救急搬送が増加するということになれば、院内でさえ手一杯であるのに、限界を超えてしまうであろう。その上、転送されてきた患者が不幸にして死亡したりすれば、バッシングに晒される。誰に責任があったのか、どこでミスったのか、過失がないにせよ「犯人探し」が行われる。どこの医療機関も恐れて「ウチではできない、手に負えるものではない」と拒否すれば、最終的に行き着ける場所は最も高度な医療機関しかないのである。国立循環器病センターには、その拒否権はないのかもしれない。そうなれば、ありとあらゆる責任を押し付けられるのだ。他の誰も手出ししない、できないものばかりを引き受けねばならないのである。それには、スタッフ数や医師の人員が必要であるが、チームが編成できないような状況の中でもお構いなしに送られてくるのである。

バレーボールの試合をするのに、6人必要なところを「お前らは生産性が低いから、5人で6人分の働きをせよ」とか言われて、どうにか試合をやり続けるが、少ない分だけ1人ひとりへの負担は大きくなるのだ。そこで更に1人ケガでチームを離れてしまうようなことがあれば、今度は4人でやらねばならないのだ。これが3人になれば・・・つまりチームとして成立しない状況になっていくことが明らかであるなら、全員が試合を放棄せざるを得ないのである。

実際、問題になった奈良県の妊婦をICUで受け入れたかどうかは判らない(救急部門が別にあればそちらかもしれない)が、当事者でなかったとしても「もう疲れたよ・・・」のネロ状態になったとしても不思議ではない。あの報道や騒ぎ方を見れば、「限界だ」というところに行き着いてしまうだろう。そして、実際そうなってしまった。「心身ともに疲れきった」との言葉にそれが顕れている。

メディアは、これを一体どのように考えているのであろうか。

高度な医療を担う最先端の現場で、撤退する医師が続出すれば日本の医療は大きく後退するだろう。その不利益を蒙るのは、国民なのだ。煽動して、注目を集めることだけに関心を持っていたメディアが、誤った方向へと世論を誘導し、国民から医療を奪ったに等しい。


政策面からは、医療費抑制策だけに固執していることが明らかであるが、これも大きな誤りであると改めて言っておきたい。今後の日本のサービス価格を押し上げるのは、健康・医療分野、そして教育分野なのだ。これが「非製造業」における成長分野の2本柱である。製造業は競争激化や相対的に安価な製品供給が進むので、新興国がとって変わるだろう。しかし、サービス分野は代替が困難な面があるため、成長が期待できるのだ。それ故、営利企業群が虎視眈々と狙っているのがこの2つの分野であり、「規制緩和」と称して参入し利益を貪ろうとしているのである。純粋に営利目的が存在理由ともいえる企業がこういう分野を手がけると、とんでもない結果が生まれそうではある。

医療分野での「生産性が低い」というのは、価格統制が厳しすぎる結果にすぎず、本来的にはもっと価格が上昇しなければならないはずである。医療全部のコストで考えると、安すぎるのである。製造業では技術革新などや競争によって従来1000円でしか作れなかったモノが、中国とか安い海外工場で作ったりすれば100円で作れる、ということが起こるのである。収入が同じであれば、定型的な消費財が安く手に入るのであるから、これまでモノに使っていた1000円が100円で済むのであるから、残り900円を他に投入するのは当たり前なのである。だが、それが理解できない経済界の人々や行政府にいる政治家や政策立案者たちが多いのである。財価格が相対的に低下していく中であれば、経済成長に伴って教育費や医療費といった財以外のサービスの相対的割合が増大するのは当たり前なのである(笑)。

大学教授の給料がべら棒に高いのは、教授の能力が高く職業固有の絶対的生産性が高いからではない(笑)。ただ単に、授業料が値上がりしただけだ。教育サービスの価格が高くなったのは、技術革新でも何でもない。むしろ、質的には劣化しているかもしれないが、他の消費財価格が相対的に低下した為に、教育に投入できる資金の割合が多くなっただけだろう。職業固有の生産性向上になんて全く貢献していないのが、教授である。政策を考える時、そういうことも考慮して頂けると大変有り難い。


いずれにせよ、医療崩壊が重要な医療機関、それも最先端を担うべき現場で起きていることに最大の注意を払うべきである。これ以上の警鐘はない、と考えるべきである。


健保組合の存在する意味とは

2007年02月13日 12時15分25秒 | 社会保障問題
これも前から書いているが、タダの無駄な組織としか思えない。運営事務なんかは「政府管掌」があるのだから、当然一本化した方が効率的に決まっている。おまけに組合理事長だの理事だのと、健康保険料から社長みたいな「給料」を払ってるところも多々ある。個々に「理事長ポスト」を多数生み出して給料をばら撒く必要性なんかないのである。福利厚生事業をやりたいのであれば、医療とか年金の事業は切り離して、統合して行えば済むことである。これを何故推進できないのか?それは、既得権益だからである。

健保組合の運営状況によって、苦しいところもあればリッチなところもある。これも当然のことながら格差を生み出しているのである。国民の基本的な保障基盤にも関わらず、社会保障の「負担が違う」のである。給与水準が高いところでは、当然余裕があるし、副業なんかもできるので規模のメリットも生かせるのである。こんなのがバラバラに数千とか存在する意味はないと思う。だが、彼らは健保組合解体を考えたりはしない。それは厚生労働省が「やりたくない」と考えているからである。役人どもの「天下り先」として、たくさんの「イス」がないとうまみがないからである。要するに、天下りポスト供給先としての「健保組合」とは、役人たちと一致結託しているようなものなのである。

厚生行政の中には、重複組織がゴッソリと隠されているのである。似たような機能、同じような業務内容、そういったことを手間暇かけてやっているフリをしているのである(笑)。

とりあえず存在意義のあまりない組合に「裁量権」を持たせたフリをして、仕事をしてる組織であるという見せ掛けでもやるつもり、ってなところですか。リッチな健保組合―都会の大企業中心ということだ―では、みんなが必ず賛成に回るであろう「少子化対策」の一環として、出産給付を増やそう、ということだな。


NIKKEI NET:経済 ニュース

(以下に記事より引用)

厚生労働省は大企業の社員らが加入する健康保険組合について規制を緩和することを決め、全国の組合に通知した。公的な出産育児一時金(35万円)に各健保組合の判断で上乗せできる金額を倍増。財政に余裕がある組合なら、加入者に公的給付とあわせて計70万円の一時金を支給できるようにする。

健保組合は厚労省が定める運営指針に基づいて事業を運営しており、給付に様々な制約がある。健保組合の財政状況は格差が大きいため、厚労省は運営指針を見直して各組合の裁量権を広げることにした。財政に余裕がある場合は、少子化対策などを独自に実施できるようにする。




大都会で大企業に勤めてる人は、「セレブ出産」(ふざけたネーミングだな。どこのドイツが考えたのか知らんが。アホか、猫も杓子もセレブ亡者)だかができる、ってことにしましょうということですか。これが、厚生労働省官僚の「天下り先シート」(シルバーシートみたいなもんか?)を確保する為の、健保組合に付与する「裁量権限」ですか。将来組合を無くそう、という時の、「反対理由」にする為ですな(笑)。独立してやっている意味がある、それは「個別の裁量権」があり、独自の保険事業を行っているからだ、と。「恵まれる人々はとことん、どこまで行っても恵まれる」ということにしたい、と。なるほど。

大体、大企業に勤務してる人々のうち、自分の親を扶養してない人たちは相当いるのではないか?田舎に住んでるとかで同居もしてなくて、勤務地と同一地域にもいない、とかそういうのが多いのではないか?高齢者の比率が少なければ、財政状況は楽に決まってるよ。若い人の比率が多ければ、あんまり病気にもならないもの(笑)。で、地方に置き去りにしてきた自分達の親たちは、貧乏な地方自治体の国民健康保険なんかで「面倒をみさせてる」ようなもんなんじゃないか?若い加入者たちの殆どが給料の安いパートやらフリーターやらで(社会保険じゃない職場ってことだ)、残りの圧倒的大多数は病気しがちな仕事もしてない高齢者たちだろう。老夫婦か独居老人というのは、自分の子どもがいない場合もあるかもしれないが、大都会に出て行って親の面倒もみない人たちも当然いると思うね。そういう「自分たちの親」を、地方の金もない人々に負担させてるんだろうと思うね。それが全部ではないとは思うけど、そういうのはかなり存在していると思う。介護も同じだ。都会のヤツラは面倒みないで、費用負担だけ地方に押し付けてるんだよ。その分は地方から都会への所得移転と同じ効果を持つことになるだろう。その分都会の人たちは、自分たちが「使えるお金」は増える。

地方自治体で、扶養義務のある人々から確実に徴収する制度とか、そういうのがあればいいのだが、その為のコストは膨大になってしまうだろう。なので、実際都会に住む子どもたちから親の社会保障費をゲットしてくるのは難しい。普通に考えれば、地方ごとなんかではなく、運営主体が一つだけ存在すれば事足りるのである。国が保険者、被保険者は国民全員、これで済む話なのである。だが、これを認めたがらない。組合も厚生労働省も「既得権益が失われる」からだ。ボロボロと存在している他の公的中間組織も、その存在意味が失われるからだ。


公務員共済を見れば判るよね。こういう裏ワザも使えなくなるもんね。全部統合されたら(笑)。


NIKKEI NET:経済 ニュース

(以下に引用)

横浜市や名古屋市など全国65市町村の職員が加入する16の健康保険組合で、労使の折半負担が原則の保険料について、50%を上回る比率で使用者である自治体側に負担させていることが明らかになった。税金を使い公務員を優遇している形で、2005年度の割増負担額は全体で約205億円に上る。




統合によって、一部の既得権益者たちの利益は確実に失われるからな。こういうヤツラが、好き勝手に法律の解釈を捻じ曲げ、自分達のやりたいようにコッソリお手盛りを繰り返してきたんだろ。バラバラに存在すれば、こういうのがいくらでも可能だからだ。そういうのを守りたい連中がいる限り、統合なんて無理か。社会保障番号導入の話も止まったまま放置だしな。

変えていくには、大きなエネルギーが必要なのだ。



所得代替率という「ゴマカシ」

2007年02月11日 17時06分57秒 | 社会保障問題
内田先生が観たフランス映画は、『ヤマカシ』。これは「ゴマカシ」。似て非なるもの。
全然関係なかった。失礼。

まずコレ>中日新聞ホームページへようこそ

(記事より一部引用)

昨年末に公表された新たな人口推計に基づく試算。04年の年金改革の際より合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供数の推計値)が低くなったものの、政府が04年当時に維持可能だとした所得代替率50・2%を上回る結果となったのは、景気の回復や好調な積立金の運用を反映したためだ。前提条件によって数値が変わる微妙な結果ともいえ、国民の関心の高い年金問題だけに、論議を呼びそうだ。

06年度のモデル世帯の年金受給額は22万7000円で所得代替率59・7%。試算によると、代替率は徐々に低下するが経済成長が順調な「基本ケース」では(1)出生率が1・55まで回復すれば20年度以降の代替率54・2%(2)新人口推計通りに1・26だと26年度以降51・6%(3)1・06まで落ち込めば31年度以降49・4%-となる。一方、01-02年ごろの経済動向を踏まえた04年当時の経済見通しのまま、同様の出生率を当てはめた「参考ケース」では(1)29年度以降50・3%(2)35年度以降46・9%(3)38年度以降43・9%-になるとした。

年金財政は、受給者と支え手の人口構成、保険料収入や積立金の運用に影響する経済動向などに左右される。従来は、50年の合計特殊出生率が1・39になるとの見通しだったが、新人口推計では55年に1・26になるとの予測だったため、新たな年金財政試算が行われた。また、経済見通しは、1月に内閣府が発表した「日本経済の進路と戦略」に準拠。「11年度に名目成長率3・9%を達成」と仮定し、長期的な実質成長率を1・0%としている。




中々うまいこと試算していますよね。新たに「基本ケース」と名付けるのも妙味がありますね。何で04年推計の基本線を「基本ケース」と名付けないのか不思議です。厚生労働省の試算というのは、「100年安心、これで大丈夫なんだ」と言っていた割には、たった2、3年で前提条件もあれこれ入れ替える、適当な試算なんですか?(笑)年金試算は技術的に「難しい」というのは判るよ。でも、国民に約束した以上、その責任を負うべきだし(勿論法案可決した国会議員たちもだ)、「計算結果」というのがどれほど重要な意味を持つのかわかっているはずだろう。この前そのことをちょこっと非難したんですけれども(個人消費のこと)、官僚にありがちなのは「過去の失敗」を隠しておきたい、ということなのかもしれんね。間違いだった、ということを決して認めることをしないのが官僚という人種らしいから(←印象論)。

こうして見ると、官僚の傾向ってのがよーく判ります。そういう卑怯さは、見ていて滑稽でもありますね。官僚がこれまでやってきた「過去のこと」を多くの人々に知られたくない、中身を隠そうとする、ということですわな(笑)。都合の悪い発表なんかを隠蔽するという体質なんですよ。小心者というか、小賢しいのか、いい子ぶるのか、自分の名声’だけ’は守りたいってことなのか、何なのか全く判らんのだけれどね。これって、まさしくデジャビュみたいな気がするね。



脇道に逸れましたが、まず、厚生労働省の資料を見てみると、ホントなの?と思える部分はありますね。


長期の設定(2012以降~)はこんな感じ。
今回基本ケースと呼んでいるのは、物価上昇率1.0%、賃金上昇率2.5%、運用利回り4.1%となっており、04年改正時点での設定を今回は「参考ケース」と呼び、物価上昇率は同じ1%、賃金上昇率は2.1%、運用利回りは3.2%だった。この運用利回りについても、全然達成できてないじゃないか、ということを指摘したことがあるが、「いつかいい時も(多分)ある」というようなご意見だったような気がする(本当か?)。昔のことは措いておくとして、この長期設定のポイントは2つ。

①賃金上昇率が2.1→2.5%へと強気設定
②運用利回りは更に強気で+0.9の4.1%


次に足下の設定を見てみよう。
06年は既に過ぎたので、物価上昇率0.3%、賃金上昇率0%、運用利回り1.7%、と大体「実態に近い」数字となっている(笑)。皆さんにもよく知っておいて欲しいのですが、これが実力ってことですから。で、07年以降に並んでいる数字を見ると・・・・

物価上昇率は08年から11年まで1.2~1.9%という見通しです。割と強気。日銀さんは、厚生労働省に何か言ってやれば?(爆)
賃金上昇率は今年いきなり2.5%達成、これが4.1%まで行くという「超ブル」モードです。マジ?団塊世代が大挙して退職すれば、雇用需給は引き締まるかもしれんが、まだまだ失業率は高いし非正規雇用者は多いからね。果たしてここまで賃金上昇が達成できるのか不明ですね。運用利回りもかなり強気で数字を出しているが、本当にそれが達成可能なのでしょうか?あんまり信用できないな。

ここでもポイントは
③賃金上昇率が高い
④運用利回りも高い

ということなんですよね。これら①~④が見込みとしてどうなのか、というのは疑問は残る。よっぽど「上げ潮」になってないと無理なんじゃないか?(笑)本当に日の出の勢いでライジングになっていかないと難しいよ(内閣府の見込みが悪い、って批判もできるかもね、特に財政再建一派からすると)。


あと、所得代替率とか言うのも、夫が40年一定に働き、妻は専業主婦で貰える年金額が基本だから、独身で過ぎた人にしてみれば、代替率はずっと少ないはず。年俸300万円(平均月給25万円)程度の手取り賃金の人が貰える年金額は15万円以下ってこと。共働き世帯で、妻が結婚前と子育て後に合わせて25年以上正規で勤務していても、やはり年金額は代替率は50%以下だ。更にマクロ経済スライドで受取年金額は減額される可能性が高い。なので、「50%を約束します」なんていう言葉は、ほぼウソなのだ。

机上の計算では、保険料は全部入ってくることになっているのだろうし、未納にかかる徴収費用がどれほど計算されているのか不明だが、現実には未納はかなりあるし免除も勿論あるわけで、将来は生活保護とかであっても面倒を見ていかねばならない。そういうのがどの程度織り込まれているのか、ということも疑問ではある。


更に、人口推計の数字を見ると、2055年の前提は総人口8993万人、65歳以上の老年人口3646万人(40.5%)、生産年齢(15~64歳)人口4595万人(51.1%)、15歳未満の年少人口752万人(8.4%)ということだ。これはどういうことか?

主に、生産年齢人口が「働いて稼ぐ、税金を納める、保険料を払う」という世代であるとしよう。生産年齢人口のうち、15~24歳程度の人たちは殆どが働いていないだろう、きっと。学校に行くからね。今後大学院やロースクールみないな教育を受ける人々が増加する可能性が高く、これまで以上に労働に参加する時期は遅くなるだろう。となれば、15~24歳の人たちがざっと800万人と仮定(全く調べてないけど、年少人口の数と大きく違わないかな、ということで)すると、約4600万人のうち800万人が働いてない人ということになり、残りは約3800万人しかいないことになる。この3800万人の人たちが、「高齢世代」の年金や医療の面倒を見て、尚且つ自分達の下の世代約1600万人の人たちの子育て費用や教育費なども払わねばなりません。前に書いた(参考記事)3人で2人の高齢者の面倒を見るどころか、3800万人で3600万人の面倒をみることになります。ほぼ1:1、ということですな。そこにプラスして子どもたちの面倒を見る、ということなんですよ。

税金を投入すればいいとか、積立金があるから大丈夫、というのも、本当にそうなんだろうか、とは思うね。ほぼこれに近い状態を何十年と続けていかねばならんのだし。「日本の年金制度というのは、その制度の性質上、決して破綻することはない。何故なら、支える世代が払った年金保険料を高齢世代に回すだけだから」とかいう説明もあるらしい。そりゃそうだ。仰る通り。じゃあ、「1:1」対応で支えてごらんよ。それでも破綻せずに必ず払い続けられるんですね?


厚生労働省以外の数字はどうなのか、一応挙げておく。

新人口推計を契機に建設的な年金論議を(II)-「日本の将来推計人口(平成18年12月推計)」発表後の年金財政予測 RIETI 経済産業研究所

このシミュレーションは、厚生労働省の昔の「基本ケース」(今回のじゃないよ)に則って条件設定されている。なので違いがあるのは仕方がないだろう。

中身を見ると、厚生年金積立金残高推移があって、2006年中位推計マクロスライド2023年までのケースだと積立金が枯渇することになっている。これが果たしてどうなのか、というのは正確に評価できないが、重要なことが判る。それは、積立金運用益の利回り、そしてマクロ経済スライドの期間ということだ。

今後共済と統合されていくであろうが、各年金の積立金を全部合計すれば額が大きくなることは確かである。その巨額積立金をいかに運用するかによって、相当大きな違いが出てくるだろう。1%台という低レベルでは話にならない、ということなんじゃないか。ああ、でも年金資金で日本国債を買っておかねば買い手が不足するか。もしも償還された国債の資金で新規国債を買わずに、別な投資先に順次資金を振り向けるとすれば、国債の買い手が足りなくなってしまうか、ということだ。このあたりはよく判らない。

たとえば運用部隊として、国内のファンドマネージャーなんかで構成する「ドリームチーム」を結成してもらい、運用報酬をべら棒に高くしても何でもいいので(成功報酬制でいいと思うけど)、一定額の資金を与えて利益を出してもらった方がいいようにも思えるね。恐らくざっと200~230兆円規模の年金積立金が存在すると思われ、その1割くらいを投入してもいいと思うね。20兆円の巨大ファンド誕生、ということですよね。これを更に細かく分散して、日本国債以外に投資させる。VCに1兆円とか。株式市場に3兆円とか。ダメ?そんなに上手く行くなら、誰かがやってるか(でも、役人に金を持たせるとロクなことがないんだよね、本当に。必ず大損させられるから)。

年平均10%程度の利益を上げ続けると、積立金全体の運用利回りを1%近く押し上げることになり、すると持続可能性はかなり改善される。今後年金保険料が上がり続ける間は、年金積立金は増加していくはずで(厚生年金の取り崩し額は現時点でもかなりデカイけど)、その間にいかに運用利益を上げておけるか、というのが大事なんじゃないか。その後に訪れる超高齢社会に「持ってるモノ」が、多いか少ないかでかなり違うのでしょうね。


マクロ経済スライドに関しては、恐らくずーっと続けられるだろう。私は多分2050年までは生きていないと思うけど、今後65歳で受取開始(2031年)となり80歳(2046年)で死ぬとすれば、その間もずっとスライドになっていると思うよ。だって、無理だもの。払う世代はそんなに支えきれないと思うよ。それに行政の「暫定的措置」みたいなのって、面倒だから「このままやっとけ、どうせみんな気付かないから変えずに行っとけ」という感じが多いように思うね。なので、積立金枯渇を先延ばし可能にするスライドは継続されるだろう。

やっぱりこのままではイカンと思うよ。とりあえず年金財源だけ考えたとしても、まだ医療や介護の財源問題は残される。無年金者たちが生活保護とかの対象になれば、当然医療や介護も必要になるのですからね。



年金不安は越年

2006年12月30日 21時48分01秒 | 社会保障問題
「年金制度というのは破綻しない制度である」という説明を誇らしげにする人たちがいるが、こういうのを見るに相当アレだな、と思ったりする。もうちょっと一般社会の人々と同じ程度に考えて下さいよ。普通、「給付水準をお約束しますから、この制度改革案に賛成して下さい」と言っているのであれば、それが「契約」とほぼ同じ意味合いであると考えるのは当然であろう。「100万円預けたら、利息を1万円払いましょう」という約束をしていて、そうだろうと信じて預けたのに、「やっぱり100円しか払いません」と後で言われりゃ、「契約違反じゃないか」と思うのではないか?給付水準を50%確保します、なんて謳い文句を信じろというのは難しいんじゃないか?


年金見込み水準、人口減で破たん ニュース 医療と介護 YOMIURI ONLINE(読売新聞)


出生率に怯える社会


子どもの数が急には増えないのは、今すぐにはどうしようもない。回避できない。仮に上向いてきたとしても、効果が出るのはずっと先。なので、保険料を払う人々の割合が確実に減っていく。今のような厚生年金制度から漏れてる人たちとか、年金未納者たちとか、そういう人々の負担を将来誰かがせねばならない。その上、高齢者は確実に増えるから、受け取る人々は多いのである。現役世代の人々が払う保険料や税金でこれらを賄わねばならないのである。保険料の形であろうが、税金の形であろうが、取られることは同じである(笑)。よく「保険料で全部賄うのではなく、国庫負担がある」とか当たり前のことを言う人もいるのだが、国庫は「打ち出の小槌」なんかではないのである。誰かが税金を払わねばならないのであり、年金財源が不足するからといって、無限に国庫から金を引っ張ってこれるわけではないのである。


現在支払っている保険料の払い込み合計額と将来予想される受取額を考えた時、公的年金の水準が「約束通りには払えません」という落ち込みが強く推測されるなら、払わない方がいい場合も有り得る。別な消費や投資に回した方がマシだと考えるからである。それに、現時点で低所得の為払える余裕がないのであれば、「将来生活保護でいい」と考えることもあるかもしれず、そうであるなら未納を選択する方が有利である。遠い将来の数万円よりも、目の前の数千円、というのが本当に必要な人たちはいるのである。


悲観的な見方になれば、現役世代3人で2人の高齢者を支えろ、とかいうことになるかもしれないのである。本当にそれが可能なのであろうか?今の時点でさえ、厚生年金の保険料と給付額の差は6兆円規模でマイナスなのである。運用益や積立金取り崩しなんかで穴埋めはしているが、今後も労働者の給与が伸びず、企業が負担を回避している限り、給付額の伸びには追いつけない。負担逃れで「厚生年金には入れてやんない」という選択をしているのであるから、保険料の払い手の頭数が大幅に減るに決まっているのにね。


要するに、たくさん保険料か税金の形で現役世代が払い続け、給付を受ける高齢者世代も思ってたよりずっと少ない額で我慢することになり(働き続けられる限り働かねばならないかもしれない)、老後の生活設計の大幅変更を強いられるのが関の山である。こういう制度を「破綻している」と呼ぶのは当然ではないか。


そういえば、上の参考記事でポンジーのことを書いたのだが、前に立ち読みした経済関係の本にも出ていたな。著者の書名も全く覚えていないけれど、確かに出ていた。割と有名な経済学者の本だったと思うんだけどな・・・・


消費税議論の欺瞞

2006年07月28日 12時48分52秒 | 社会保障問題
以前から注目していた谷垣くんが総裁選出馬を表明したんですけれども、今回は男らしさ(笑)を出していますね。それは康夫さんが消えた今、「反靖国」「柔軟外交」路線を引き継げる者が、谷垣くんしか残されていないからですね。安倍ちゃんや麻生親分だと、どうしても強硬路線を心配する人々が出てくるわけです。これはやむを得ない面はありますが。

なので、昨日・今日の谷垣くん出演番組では、特に「報ステ」「朝ズバ」なんかだと、「谷垣待望論」的な好意的評価が多かったように思う。これはこれで、ある意味成功のカギかもしれんね。対立軸を「外交」に置いて、国内の改革路線は小泉改革を踏襲しつつも、「財政再建」「地方再建」を掲げるということで色を出すということができる、ということですね。毎日・朝日系は概ね「財政再建」に強い関心があるためなのか、「消費税を10%」に拒絶反応どころか、むしろ「歓迎ムード」を醸し出していて、ちょっと気味が悪かった。少し前ならば、「庶民の生活を苦しめる消費税アップは絶対に阻止せよ」みたいな感じになるとことではないかと思ったわけですが。


スタートでは、谷垣くんは無難にいったと思いますね。総合評価としては、悪くはなかった。外交の「融和路線」+「財政再建」派をまとめられれば、これはこれで一つの軸にはなると思った。特に消費税に関しては「先に言った」ことで評価されたということにはなるが、実際にどうなるかは判らないね。康夫さんが消えて、「乗る馬」を失った人々は、公明も含めて「谷垣くん」に外馬ということはあるかもね、と。私の個人的評価としては、元々高かったのですけれども、いかんせん世間の人気がないので、どうでしょうか。


話は変わりますが、「基礎年金の国庫負担2分の1引き上げ」ですけれども、これも今までにも何度も書いてきましたが、「増税」で財源を確保するのは絶対に許さんからね。与党は何をやったか、よく思い出してみるんだな。公明党の腐れ改革案に強引に引っ張られて、強硬採決したんだからな。「百年安心年金」なのだから、公約通り、それを実践せよ。できもしないくせに、法案を強引に通したのかね?そんなこと、絶対に許さないからね。

参考記事:赤字は続くよ、どこまでも~


04年参院選挙の最大の争点であった「年金改革」では、国庫負担引き上げ財源は「国民的議論」とか、ふざけたことを言っていたのではないですか!!選挙前には民主党が「消費税を充てる」と主張した時、自民党は「それは安易な増税だ」みたいに言ってたでしょ。民主党が「じゃあ、自民党は財源どうする気なんだ?」とツッコンだら、「消費税を上げるとは言ってない」とか主張したんでしょ。それを受けて年金改革関連法案を無理矢理通したんだから、責任取れよ。国民は参院選挙の時に、与党の年金改革案ではダメです、という意思表示をして、その結果民主党が勝ったんでしょ。国民の多数派の意志表示を無視した挙句、これで「年金は改革したんだ」というポーズというか、やったフリをしてるだけでしょ。ふざけるな、と言いたいね。与党は嘘つきだよ。都合のいいことしか言ってないでしょ。メディアも物忘れが激しいのか、何でそういうことを言わないワケ?これこそツッコミどころでしょ?


今更になって、「基礎年金の国庫負担引き上げの財源は消費税を充てる」なんてことは許せるワケないでしょ。政権交代でもして、前は自民党じゃなかったのならば仕方ないよ。でもね、政権執ってたのは同じ与党なんですから、約束を守れよ。


特に、公明党、腐れ改革案を通した責任を取れよ。
基礎年金の国庫負担引き上げ財源には「消費税アップを絶対に使わない」と豪語したのは、公明党じゃなかったのか?死んでも、その約束を守れよ。それを信じた国民が投票したのは、僅か2年前だ。もう忘れたのか?財源には、「定率減税の縮減・廃止、年金課税の見直し等」で引き上げ財源とする、ということにしてたんではなかったか?国民を騙したんでしょ。与党は、こうやって国民を欺き、その時々で勝手な都合のいいことを言い、忘れた頃を見計らっていい加減な適当な理由で増税や保険料アップや負担増を強いるのでしょ。「定率減税」は既に縮減されてるし、廃止も決まってるのだから、これ以上「国庫負担引き上げ財源」としての”増税はない”はずだ。あるとしても、福井総裁みたいな高額年金受給者の「課税強化」くらいですか?(笑)


調子よすぎ。後から、「実は財源はないので増税します」じゃ、バカでも考え付くことでしょ。政策だけ先に決める、予算が足りなくなる、なので後から「金出せ」って、こんなやり方がありますか?

例えば、カラスが回収前のゴミを散らかすので、地域住民で「カラス除けゴミ収集箱」を設置しよう、ということにして、費用は住民の会費から捻出することにしましょう、って決まったとする。この案に反対していた人たちは、「後から会費が上がるのは困るので」と主張していて、これを説得する際に「新たに会費は上げなくても捻出できますから」って言っておきながら、実施した後になって「やっぱり費用がかかるので会費を値上げしますから」って言ったら、これは詐欺みないなもんではないですか?誰でも言えるよ、こんなの。アホか。


というわけで、国庫負担引き上げ財源として「消費税増税」は許さない、絶対に。約束を守れ。


三党合意があるのだから、社会保障の一体改革(年金一元化は当然含まれる)、それに伴う税制・保険料等の一体的見直し、これをやらない段階で、消費税増税なんて許されない。国民を欺くのはいい加減にして欲しい。



サンバの幻想?

2006年07月22日 16時39分10秒 | 社会保障問題
数日前、筑紫さんのニュース番組をチラッと観たら、気になったので取り上げることにします。それは産婦人科医の減少と、出産難民化という問題でした。


普通に考えると、少子化が進んでいるのだから、将来的に需要はどんどん減少していくので、医師の実数は今までよりも必要なくなる。需給関係だけ考えれば、小児科や産婦人科を選択する人数が減る方が好ましいはずだし、合理的であると言えるのではないか。経営原資をみんなが払ってくれて、赤字だろうが不採算だろうがよいのであれば、小児科や産婦人科医を規制して強制配置することも一法ではあると思うが。患者層の数が減っていき、収益的にはマイナスが予想される分野に、無理矢理「おまえが産婦人科医になれ」とか言うわけにもいかないのだから、仕方がないでしょうね。ある程度まで医師数が減少していけば、他よりも競争が少なくなって「それなりに儲けられる」という水準になるでしょうから、そこまで行けば新規参入者のインセンティブとなるのではないでしょうか。


番組中では、産科医減少の事態を改善する為の方策として、「助産師」(昔で言う「助産婦」、看護婦が看護師、保健婦が保健師と名称変更されたのと同じです)の活用を図るべきだ、というような論調でした。まあ、それはそれで一つの案であろうと思いますね。行政の方では、数年前から議論を重ねてきているようですから、今後何らかの方向性が出てくるのではないかと思います。


ここで、ある種の懐古主義的な運動というか、「女性の為の出産」とかみたいな、一部の錯覚とか誤解があるのではないかと思うので、そのことについて書いてみたい。


女性の生物学的な機能としては、「出産」というのが自然なものとして大体備わっている。それはそうだろうと思いますね。犬でも猫でも同じですね(人間の女性が犬や猫と同じだ、とかそういうことを言うワケではないですから。お間違いなきようにお願いします)。病院なんかに行かなくても、はっきり言えば野っ原とかでも産めてしまう、ということです。数千年前とか数万年前には、病院もなければ、特別な設備もないところで、誰もが出産していたんですから(笑)。そうでなければ、人類は滅亡してしまっていたでしょう。なので、出産は自然なことであり、特に病院での特別な保護がなければならないというものでもない、という面はあります。


戦後であっても、出産を自宅で行っていた人たちはたくさんいました。必ずしも病院で出産しなくても、家で十分可能だと言えます。その当時には、所謂「産婆さん」というのが呼ばれたりして、出産に立会い、子どもを取り上げたりしていたようです。田舎になると、免許を有する産婆さんがいなくて、ただ単に「おばあさん」が取り上げたりしたことも多々あったようです。(病院や産婆院に行くまで)遠距離だから、と言う理由ばかりではなく、金がないから、ということも理由の一つになっていたかもしれません。或いは、出産経験が多くなれば(今よりも子どもの数が多かった)、「病院になんていかなくても平気さ」というツワモノも増えていったかもしれませんし(笑)。要するに、「産婆さん」と、ただの「婆さん」と微妙に違いますけれども、そういう人々が出産をさせていたのです。


現代でそういうことのできる女性の数は非常に減っていると思います。これはある意味、文明化の影響かもしれません。それこそ脳の都市化、先入観が作り上げた「不安」「恐怖」とか「自分にはできない、無理だ、危険だ」という妄想の一部なのかもしれません。正確には判らないですが、その結果、大昔みたいに「誰でも自分で産む」ということができなくなってきたのかもしれません。馬とかクジラとかは、自分で産んで自分で育ててきたので絶滅してないはずで、人間だけが特別で、1人で出産できない、というのはオカシナ話なのです。出産についての「経験」や「伝承」が、時代経過と伴に失われて行ったのだろうな、と思います。


そこで近頃登場したのが、「自宅出産」とか「産婆さん」の見直し、というような風潮ですね。「昔はできたのに、今できないわけが無い」というのはその通りと思います。上述した「助産師」の話も、その延長線上にあると思います。これを復活させることで、「女性の権利が・・・云々」とか、「女性にとっての出産の意味づけがどうのこうの・・・」とか、そういう論調の一部に利用されている面があるかもしれません。私の意見としては、「自宅で産みたい」「産婆・助産師の出産をしたい」という人は、希望通りにすればいいのではないかと思います。でもそれが、「女性の地位・権利がなんたらかんたら」とかとは無関係なので、そういうのを喧伝するのは止めて欲しいと思います。酷い言い方をすれば、馬小屋でも出産できますので。出産自体は、特別なことでも何でもないんですから(たまに「嬰児殺し」事件が報道されたりしますが、そういう事件の場合には、たった一人で出産していることも多いですよね?)。あと、それを選択するのであれば、相応の覚悟をしておくべきでしょうね。リスクの問題ですが、よく考えて、判った上で選んでもらいたい、ということです。


昔の「産婆さん」や「婆さん」での出産というのは、現代と何が異なるかと言えば、自然に近い、ということであり、もっと端的に言えば、母体も出生児も「死ぬ確率」は高くなる、ということです。昔の周産期(妊娠22週以降~出産後1週)における母体死や出生児死亡はかなりの数に登っていたと思われます。母体の栄養状態や環境という要因もあると思いますが、「自然に近い」ということはそれなりの「死亡数」が必ず発生する、ということを意味しています。病院などで「救える数が増える」というのは、より不自然である、ということでもあります。ハッキリ言えば、昔ならば「未熟児」として死んでいたものが、今ならば「助けられる」ということに他ならないのであり、これは生物の選択システムとしては甚だ「不自然」で、結果的に「弱い遺伝子」が残される、ということでもあるかもしれません。


日本の周産期死亡は3.3(出生千人対)、早期新生児死亡は1.1(同)です。周産期死亡というのは、1000の出生数がある時、母体又は出生児の死亡が3.3人ある、という意味です。この水準は先進諸国の中でもダントツに少なく、先進国の大体半分くらいであり、早期新生児死亡は半分~3分の1程度に過ぎません。経年的にも、大きく減少してきました。これらは、医療の努力によって、「不自然さ」を追求していくことで達成されたのです。私が生まれた後の1970年でも、今の約7倍くらいは死亡していたのですよ。「産婆さん」の出産が今よりもはるかに多く行われていた当時は、それなりに「死んでいた」ということです。このことを受け入れられるという覚悟をする人たちは、どのような出産を選んでもいいと思いますね。

統計要覧

(リンクが貼り付けられないので、この第1-24表を見て下さい)


因みに、先進国以外となるとデータがあまりわからないのですが、テロの巣窟であるアフガニスタンでは、母体死だけで2.57、新生児死亡は17となっています。つまり、日本の昭和45年頃と似たような水準ということですよ。恐らくアフリカの栄養事情や生活事情の悪い環境であれば、もっと死亡数は多くなると思われます。これでも、「婆さん」(「産婆さん」もそうかもしれないが)の歴史の中で、伝承が何万年かに渡って行われた「知の集積」によって、人間という種族の死亡数は減ってきたはずですが、それでも現代医療の水準の方が優れているのです。出産を自然に任せておくということはどういうことなのか、考えてみることも必要でしょうね。


きっと、自然の選択システムは、無慈悲であり、残酷であり、冷徹なものなのです。他の動物にしても、過酷な選択を受けてきたはずです。つまり、出産に伴って必ず一定数は死亡していく、ということです。直ぐに死ぬことが、遺伝病を持つ個体や弱い個体を排除し、強い遺伝子を残していくという結果になってきたのかもしれません(イジメの問題とも関係しているのではないかと個人的には思っていますが、それはまた別の機会に)。そういう選別が自動的に行われる、ということです。それが最も「自然な状態」なのだろうと思います。このようなシステムに逆らって命を救ってきたのが、小児科であったり産婦人科であったりしたのでしょう。


先日にもちょっと触れました(プロフェッショナルと責任)が、医療の現場では厳しい風当たりもないわけではありません。たとえ通常ではない、稀な事例であったとしても、「救えなかった」ということは責任を追及されます。そのような情勢の中で、どの程度のリスクを取って、或いは知って、「自宅出産」や「助産師による出産」が許容できるでしょうか。もしも死亡例があって、一例でも問題となれば(過失か否かは関係なく)、医療従事者の責任追及とか行政の責任・管理体制とかが厳しく非難されると思います。メディアにしても、「たとえ新生児死亡率が上がったとしても、自宅で出産させる利益の方が大きい」などという主張を果たしてするでしょうか?(笑)


何故事前に診断できなかったのか、何故リスクが判らなかったのか、そういう追及だけはあるでしょう。産婦人科医にしても、ハイリスクグループだけ受け持ってくれ、と言われたとして、利益はそれで出せますか?医師一人当たりの診る患者数は減らせると思いますが、逆に収益にならない、時間とリスクだけが大きい患者ばかりになってしまって、経営できなくなるので早晩ギブアップするのではないかと思ったりもします。それなりの訴訟リスクも抱えることになりますし。私はそういう業界の人間ではありませんので、実際のところは判りかねますが。


出産のリスクは取りたくない、でも、女性の権利がどうの、生き甲斐がどうの、だとか、産婆は良かった、自然な出産が良かった、だとか、思い違いが多すぎなのではないかと思えますね。その代わり、昔は死んでいったんですよ。一定数は死ぬことになってしまうのですよ。その覚悟がありますか?あるなら、別に構わないと思いますよ。そのことをメディアは伝えるべきだろうね。「問題のない部分」だけを取り上げて言うのは簡単なんですよ。「何故最善の医療を受けられなかったのか?」――後からそういうことを決して言わないで欲しい。



社会保障はフラット化できないのか

2006年07月04日 21時09分09秒 | 社会保障問題
世界はフラット化していくのに(笑)、何故か医療とか年金などの社会保障はフラット化できないのは何故なんでしょう?
現在の保険料方式は、必ず資格問題というのが起こってしまう。これは健康保険だけの問題ではなく、年金であってもそうですね。


例えば国民年金に未加入か保険料未払いのままで過してきた人たちがいて、既に加入期間が25年未満しか残ってない人たちもいるでしょう。すると、どうなるか?仮に45歳の人がいて、今後20年間保険料を納付し続けたとしても、国民年金は貰えないことになります(納付期間が25年以上ないと貰えない)。そうであれば、わざわざ払う必要性なんてないんですね。払っても「どうせ貰えない」と判っているからです。今から払い込む意味なんてない。そんな時に、「これは法律で決まってる義務だから、払え」と言ってみたところで、この人には何のメリットもないのですよ。そういう人たちからも保険料を徴収するために、多額のコストをかけているんですよ、今の制度というのは。

また取り上げて申し訳ないですが、福井総裁みたいな資産もガッポリある高給取りに、貧乏な国民年金生活者よりも多額の公的年金が給付されとるんですよ。今の年金制度というのは、そういうものなのです。再分配というのがあんまり機能してないとしか思えないんですよね。高給取りが(保険料も多く払ったので)高額年金を受け取れる仕組みになってるからですよ。しかも保険料には最高等級になってしまうと上限があるからね。どこかの取締役みたいに1億円の給料の人であっても、2千万円の人であっても同じだけの厚生年金保険料で済んでしまいますからね。


私は、消費税を財源として年金・医療等の社会保障をフラットなものとして、制度設計するべきだと今までにも主張してきました。この方式では、誰もが「資格制限」などを受けることもなく、生存していく為の保障だけは最低限確保されるからです。年金は基礎年金相当分だけを一律として、余裕のある人たちは別な年金を自助努力で確保すればよいのです。所得の追跡なんか必要がないですよ。徴収コストは大幅に削減できるし。無駄な社会保険庁のような部門も削減できるし。とりあえず制度を複雑にしておけば、一般人はよく判らないし、計算や徴収などの業務が増えるから、役人の頭数も増やせるからね(笑)。

asahicom:国保滞納で保険証取り上げ、受診抑制の21人死亡-暮らし

(記事より一部抜粋)

国民健康保険(国保)の保険料の長期滞納を理由に、正規の保険証を市町村に返還させられ、代わりに「被保険者資格証明書」を交付される加入者が急増している。05年度は全国で約32万世帯に上り、00年度の3・3倍だ。滞納対策の一環だが、証明書で受診した場合、医療機関の窓口でいったん医療費を全額自己負担しなければならず、受診を手控えるケースが後を絶たない。朝日新聞社の取材では、00年以降に少なくとも21人が受診抑制の末、死亡していたことが分かった。




国民健康保険も似たようなもんでしょ。地方の財政は苦しくなるし、いいことなんてないんですよ。保険料が払えずに、資格を奪われた人たちがいくら困っても、現在はどうにもできないことになってるんですよ。でも、今の保険料方式でなければ、資格を失ったりせんでもいいのですよ。自己負担金はあることはあるけどね。無保険よりはマシでしょ?本来、消費税によって年金も医療も徴収することにしてしまうなら、余計な給与計算とか徴収にかかるコストとかは減らせるし、事務だって大幅に簡素化できるハズなんですよ。


朝日の記事が全部に該当しているわけではないと思いますが、こういうのはきっとあるんだろうと思いますね。

今のままでいいとは到底思えないですよね。



恩給等の減額問題

2006年04月15日 03時39分29秒 | 社会保障問題
恩給・追加費用について色々と議論があるようです。TB頂いた「飯大蔵の言いたい事」さんの記事で知りました(こちらからTBしようと思ったのですが、できなかったので・・・スミマセン)。

asahicom:文官の恩給もカットへ、年金一元化に連動-政治


重要なことは、本当に「年金」としての意味合いがどれほどあるか、ということですね。恩給は共済ができる以前の制度であったので、社会保障としての意義は確かにあるでしょう。ただ、これには注意が必要です。共済制度に切り替わったのは、昭和34(1959)年ということです。

参考記事:
恩給・職域加算の減額は憲法違反か?その2



場合分けをして考えることにしましょう。

①S34年以前に退職した人
②現在受給権があり、S34年以後に退職した人


①の人は追加費用とは別の、「恩給」ということになります。共済には未加入ですので、共済年金の受給は受けていないハズです。②の人は恩給相当部分が「追加費用」で賄われ、34年以後に掛金を払った部分に対応するのが共済年金(プラス職域加算部分も)ということになります。


①の場合:

昭和34年(1959年)までに退職している人とはどんな人か?1959年に退職し、定年が55歳だったとすれば(ちょっと正確に判りません。いつから60歳定年になったのか知らないです)、1904年生まれということです。つまり現在102歳ということですね。ご本人の受給者というのは、殆ど存在しないか、いたとしてもごく僅かです。仮に配偶者がご存命であり、本人が他界している場合は遺族年金の形(正確な名称は違うかもしれないです)で受け取ることになると思います。夫が102歳で、妻が一回りの12歳下であるとしても既に90歳ということになります。この場合にも、受給を受けている人の数はそれほど多くないと思われます。「約3万人が平均約112万円を受けている」という記事の通りだとしても、3万円×112万円=336億円程度の支出にしかならず、全然少ないのですよ。


しかし実際には、恩給は9千億円とか1兆円とかの水準で給付されているんですよ。これは誰が受けているのか?結構謎ですよね。旧軍人以外にも誰かいるのか?

受給資格が本人又は配偶者ではなくて、既にその子供とか孫に移っていることも考えられますか?公務員は年金の受給資格が孫や祖父母まであるらしいからね(恩給がそうかどうかは知りませんが)。もしも、子又は孫が受給している場合には、労働対価としての評価は全く観念できないのであり、国からの贈与に他ならないし、別な年金や仕事からの賃金収入などがあるかもしれず、親や祖父母からタダでもらった受給資格によって自分の生活基盤(主たる収入)となす、というのは見当ハズレでしょう。「自助努力でお願いします」ということで、何ら問題ないですね。出自で国民に格差があるのと一緒ではありませんか。親父又は爺さんとかが「公務員」だったからといって、孫が金を貰わねばならない理由なんて、何もないと思いますが。このようなケースでは、はっきり言えば、限りなくゼロに近くても(できれば廃止でも)問題ないと思います。


他には、勲章を受けたような人たちが受給しているのでしょうか?勲何等みたいなやつですね。勲章授与と年金は全くの別ものであり、労働対価としての賃金でも何でもなく、掛金を払ったわけでもないのですから、単なる贈与なのではないですか?もしもそうであれば、恩給の大幅減額で何ら問題ないですね。名誉があれば十分ではありませんか(笑)。通常は社会的成功者にしか勲章は与えられないようにも思うので、そういう人たちは十分蓄財も成功しているだろうと思いますね。大方は一財産築いているでしょう。ということで、勲章に係る受給資格取得者は、別な生活手段でガンバレ。ある程度の資産や他の年金制度が全くない人に限っては、減額幅の検討をしておけばよい。


②の場合:

まず、組合員本人が現在年金受給者であるとすれば、既に65歳に到達しているはずです。しかも1959年には勤務していなければなりません。1959年に大卒22歳で勤務開始の人であれば、1937年生まれです(今年で69歳)。恩給対応期間が僅か1年、60歳定年まで勤務したとすると、1997年退職ということになります。当時の初任給がどれ位か知らないですが、多分1万円とか2万円という世界でしょう。であれば、仮に平均給与2万円、うち10%が年金部分(労使併せた額)としても、掛金は1000円にしか過ぎません。38年前に払った1年で12000円分の元金の運用収益は1997年時点でどれくらいに増えているでしょうか?例えば年利7%の1年複利で38年間運用したとしても(現実には無理だと思うけど)、38年後時点で年金原資となるのは約157000円に過ぎません。これを元金として年利5%で給付できたとしても毎月約654円の増額にしかなりません。年利3%なら約393円です。年金への上乗せ額はたかが知れています。


もっと高齢の人を考えてみましょうか。今年80歳の人(1926年生まれ)は恩給期間が先の人よりも長く、加入期間が12年になります。この場合には、平均年12000円を12年間払い続けるとしたら(恐らく初任給がずっと安かったのと昇給とがバランスしたと考えて)、34(1959)年までに元本144000円が恩給対応部分となります。これを年利7%で38年間運用したとすれば、38年後時点では約188.3万円となります。この場合、5%給付であれば月に約7848円、3%給付ならば約4709円の上乗せとなります。

これも本人又は配偶者以外が受給している場合には、「年金」としての意味合いなどありません。他の収入で生活するように頑張ってもらえばよいでしょう。また、元々掛金など払っておらず、贈与的な部分でしかないのだから減額は問題ないと思いますけど。



上記の計算は全くのいい加減な仮定なので、普通の公的年金制度からはかなり離れていると思いますが、言いたいのは「(まるで給料みたいに)生活できる程多い額がもらえるというのは、そもそも間違いなんじゃないのか」ということです。短い加入期間の部分でそんなに多く給付されることがどう考えてもオカシイのですよ。
(勿論、年金制度がなかった時代の社会保障という部分は、通常の年金制度同様に生活資金提供は認められていいと思いますが。それが本来の恩給の意味であったのではないかと思いますけどね。それってS34年以前の退職者の話でしか有り得ないだろうな、と。)


与党にも野党にも、法曹出身者もいれば官僚出身者たちも大勢いるわけですが、今までどうして誰も何も言わなかったのですか?公務員共済の問題というのは、ずーっと昔から判っていたはずだ。でも、完全に隠し続けてきたのでしょうか?要するに、カゲの部分には触れないようにするだけなんじゃないのか?官僚だったのに、内部事情が判らないわけがないのだぞ?法的解釈や評価だって、法曹出身ならば専門なのだから判りそうなものだろ?


結局こうした議員たちも官僚と同じであり、自分のことしか考えていないとしか思えんね。それかよっぽど頭が悪いのか?卑怯なだけか?何の為の国会議員なんだ。知ってて黙ってるのは、もっと悪いと思うね。



労働保険行政は根本から変えよ

2006年04月10日 21時49分38秒 | 社会保障問題
もう何度も書いてきたが、雇用保険事業に関する「悪行三昧」は枚挙に暇がありません。労働局の裏金という刑事事件までありました。更に雇用・能力開発機構のような「無駄飯食い」が未だに温存されており、労働族の利権とともに抵抗勢力と化しているだろうと思う。独立行政法人とは言ってみても、運営交付金なしでは自分たちの給料さえままならず、いつまで経っても自立できないんですから。全然独立なんかじゃないんですよ。

一応、無駄の見本を。

建設に4406億、127億で売却…勤労者福祉施設 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

以下に、一部抜粋。




雇用保険料で建設された勤労者福祉施設の売却処分が3月末に終了し、買い手のついた1976施設の売却総額は約127億円で、全施設の建設費の2・9%にとどまったことが8日、厚生労働省のまとめで分かった。

 92施設については、買い手がつかずに取り壊され、新たに約20億円の解体費用がかかったことも判明。勤労者福祉施設については、体育館を1050円で売却するなどの「投げ売り」が指摘されていたが、取り壊しのために雇用保険料がさらに投入される矛盾が表面化した。

 勤労者福祉施設の建設は、サラリーマンの福利厚生のためとして、当時の雇用促進事業団により1961年にスタート。計4406億円を投じ、体育館や保養・宿泊施設など2070施設が2001年までに建てられた。

 特殊法人の整理合理化の一環として、99年に全施設の売却方針が決まり、同事業団を引き継いだ厚労省所管の独立行政法人「雇用・能力開発機構」(横浜市)が処分を進めてきた。

 厚労省によると、買い手がついた1976施設の売却先は、主に市町村や財団法人など。売却総額の約127億円は、2070施設の建設費総額の2・9%だった。不動産鑑定評価の総額721億円に対しても17・6%にとどまった。




本当にアホじゃ。いいんですか?財務省。いくら金貨オークションで数億円を回収しても、こんな風にアッサリ数百億円規模で「回収失敗」ですから(笑)。評価額が700億円超いっていても、半分どころか3割も回収できないんですよ?不良債権みたいなもんですか?(爆)

少なくとも、雇用・能力開発機構の予算を100億円毎年減額しておけ。運営交付金の予算を認めないで、はじけばいいんだよ、財務省は。自分たちの失敗は自分たちでケツを拭けって言ってやれ。6年後には700億円以上回収したのと同じ効果が出るから。せめてそれくらいはやれ。財務省がガーンと怒っておけば、いいんだよ。「何でもっと回収しなかったんだ!」って。国の資産売却云々で財務省がえらく責められてるってのに、一方では「これっぽちしか回収できませんでした」って、暢気なんですから。その罰は受けるべきでしょうな。

参考記事:

特殊法人の不良債権額の推測?2



そもそも社会保障番号を導入すれば、雇用保険料徴収等の業務なんかなくせるんですよ。保険料ではなくて、税方式でも何にも変わらないのです。未加入企業があることで労働者の権利を守れていないという側面もありますから、キッチリ税として徴収してしまえばそれも防げるし、国税庁が多分頑張るでしょう。それに、社会保険労務士等の「利権」もちょっとはあるかもしれんね。ハッキリ言うと、労働保険の手続き関係は、「労働保険事務組合」と旧労働省関連の天下りとかの温床になっているのではありませんか?事務組合というのは、労働保険から手数料みたいなのをかなり引っ張ってきているんでしょ?数百億円規模なのではありませんか?そういえば、厚労省の何かの入札に1円入札を入れてたのが、社労士団体だったような気がするね。やっぱり何かの利権を守りたいのではないでしょうか?


社労士は今のところ主に労働保険に関する手続き等をメインに稼いでいるのではないかと思うが(事実誤認かもしれません、全くの推測です)、もっと労務管理の監視・監督の強化の方向の方が求められる業務になるべきだと考えています。労働保険のないフリーター・パートたちは、企業側が不当に労働保険を逃れていることで権利を侵害されていることも少なくないのではないでしょうか。あるいは、休暇も取れないとか、産休もないとか、労働条件の大きな不利益を強いられているかもしれず、そういう企業の是正や指導・監督の方が重要な仕事であると思うのです。勿論正社員たちもサービス残業を暗黙のうちに求められたり、無理な休日出勤をさせられたり等々、労働条件の劣悪な企業(主に中小企業の場合が多いと思うが)もきっとあるでしょう。企業への適正な指導こそ、労務管理のプロのやるべき仕事ではないでしょうか。多分、条件のよい企業(主に大・中堅企業)はそうした労務管理が行われていることが多いと思いますけれど、大多数の零細・中小企業では不足がちではないかと思います。


規制強化によって、時間外労働の上限(例えば「月に50時間以内」とか)を設け、労働者の健康・家庭生活などに配慮させるようにする、ということはできると思う。これは特定の労働者に労働・責任が集中するのを防ぐことができるし、社会全体で見れば、(過労が減少することで)健康な人の相対割合が増えれば医療費等支出が抑制され、自殺や過労死などが減少させられるかもしれません(効果の程は研究してみないとわからないだろうけど)。結果的には、不利な部分ばかり(企業にとっては雇用者数が増えるので総賃金が増加する可能性が高い)ではなくなるかもしれません(公的支出減少に繋がれば、他の税が軽減される可能性が出てくる)。また、はやく家に帰れるようになるので、少子化対策という点でも意味があるかもしれないです。


そして、最大の効果としては、労働者の需要が増す、ということです。それと同時に、仮に一人が欠けても仕事は進むようにできるかもしれない、ということです。これは比較的長期間に渡る「育児休暇」を取り易くなる、とか、長期有給休暇も取り易くなる、というような効果が生まれるかもしれないです。なので、できれば年間総労働時間の上限制にしたり、月間の時間外労働時間の上限を設けたりする方がいいと思っています。しかし、多くの企業がこうした「規制強化」には反対するでしょう。人件費が増加するからですね。そこで、前から何度も言っているように、社会保障関連の費用を適正に負担する仕組みに変えれば済むのですよ。今までは労働保険のうち数千億円規模で「労働族」のタカリに遭っていたのを、スッパリなくせば済むのですね。変な労働族の巣窟である公益法人などに予算を付けないようにすればよいのです。そうすれば、労働保険の料率を間違いなく下げることができるんですよ。それに、今までは不当に負担を回避していたような企業が、税として納めるようになれば社会全体で見れば納付率が上がるというか、労働保険関連費用としては従来よりもはるかに多く回収できるはずです。となれば、企業にとって人件費が増えた分、そのままを増大させることにはならないだろうと思います。


現在でも労働基準監督署が多少の立入検査などをやったりしていると思いますが、きっと「タレコミ」があったような場合にしか個々の事業所の監督なんてできないだろうし、全国の事業所の数と労基署の数・人員とではあまりに開きが大きいでしょう。なので、実際の労働環境がどうなっているか、なんてことは、「野放し」状態に近いのかもしれません。企業側の「自助努力」というか「倫理」に大きく依存しているだろうと思います。全部の管理監督というのは確かに難しいでしょうけれども、社労士が大勢いるんでしょうから、そちらで労基署の不足分をある程度カバーしてむらうことでいいのではないかと思います。


企業にとって考えてみると、はるかに割高な休日・時間外労働賃金を特定の同じ人に支払うのではなくて、別な労働者にその分を振り向けると考えれば、それほど大きな損ばかりではないはずです。しかも、休暇を取られても急には困らなくないようになるかもしれないですし。

例で考えてみましょう。
従来の労働者の陣容をとりあえず次の通りとします。
①正規職員で週60時間(40+時間外20):10人
②パート労働で
週35時間:20人(P1と呼ぶことにします)
週25時間:10人(P2と呼ぶことにします)

この時、①の労働量(仮に、人数×時間と定義することにします)は600人・時間、②は(35×20+25×10)=950人・時間ですので、合計1550人・時間の労働量を投入している、ということですね。合計でこの労働量がカバーされればよいのです。賃金水準は、次の通りにしましょう。
①の人は正規賃金を2a、②のP1の人はa、P2の人は0.6aであるとします(実際の数字で言うと、例えば月給(ボーナスを含む平均)が正規が30万円であれば、P1は15万円、P2は9万円ということです)。ここで、正規の人は時間外賃金が25%増しとなるとすれば、時間外賃金分は1.25aとなり、合計では3.25a の賃金を支払うことになります。すると賃金合計はそれぞれ次のようになります。

①の分:3.25a×10人=32.5a
②のP1の分:a×20人=20a
②のP2の分:0.6a×10人=6a

となります。全部の合計は58.5a です。企業は従来社会保障負担を逃れていたのが、26a に該当する部分ですね(今後はこれを負担してもらうようにするべきです)。今の制度では、社会保障負担は32.5a に対してかかり、年金・医療・介護・労働保険の負担率が計16%であるとしますと、事業主負担分は32.5a×0.16=5.2a となります。


これからは、社会保障負担を給与総額に対して行うものとしましょう。
また、労働時間の改善を図り、時間外勤務を減らすこととし、職員を次のようにしました。
①正規職員:週40時間を12人、労働量は480人・時間
②のP1:週35時間を22人、労働量は770人・時間
②のP2:週25時間を12人、労働量は300人・時間

これで、上と同じく合計労働量は1550人・時間となっていますが、実人数が6人増加しています(40人→46人)。つまり、雇用者数は増加して、雇用促進政策としては有利になります。次に、この賃金を見てみましょう。

①:2a×12=24a
②のP1:a×22=22a
②のP2:0.6a×12=7.2a

合計では53.2a となります。
すなわち、正規職員に時間外労働を多くさせるよりも、時間内で終了できるような人員配分を考える方が有利であると思われます。そこまで教育・成長させるのに先行投資が必要、という考え方もあるかもしれないですが(その分、企業負担が重くなる)。ですが、長時間の時間外勤務を継続することは、労働者個人にとっても相当の負担となりますので、雇用人員を減らすことばかりではなく、いくつかの労働力の組み合わせで調整可能な部分は調整した方が有利となるのではないかと思えます。それに、誰かが休む場合(産休育児休暇とか有給休暇とか)には、他の人たちに負担がかかるかもしれませんが、人数が多い方が一人当たりの分担する仕事量は軽減されますよね。


社会保障の事業主負担は賃金総額53.2a の16%であるとすれば約8.5a となり、最初の5.2a よりも増えますが、人件費トータルでは、それほど大きく違いが出る訳ではありません。最初が58.5a+5.2a=63.7aで、下の場合では53.2a+8.5a=61.7a となって、人数が増加し社会保障負担も増加するのですが、全体では逆に減少しています。差額分は企業利益とするよりも、パート職員の給与アップなどで、正規との差を小さくすることに使えばいいと思います。これであれば、正規職員の個人的負担は軽減され(但し、一人当たりの給料は減少している、時間外賃金分が減ることになります)、労働環境としては好ましいでしょう。通常時間外賃金がたくさん出る(=時間外労働時間が長い)ことを前提として求職することは少なく、労働条件の提示でも時間外賃金が含まれない正規の賃金額だと思います。なので、変更する場合には、今まで働いていた人たちの給与が少なくなる為にちょっと不満が出るかもしれませんが、新たな人たちを雇う分には問題ないでしょう。


労働条件を工夫すれば、雇用人員の需要は増加し、パート職員にも雇用保険もあれば、年金もある、という風にできるのではないでしょうか。労働保険料率が少なくできるのであれば、もうちょっと企業負担は減るかもしれないですし。この方式は、従来の正規職員たちの給与水準を相対的に低くすること(=正規・非正規の格差を縮小)で達成されることになります。初めは10人だけが3.25a という高い賃金を得ていたものを、広く他の人々にも均等化するということに他なりません。それまで収入がゼロだったのが2a へと増加した人、a へと増加した人、0.6a へと増加した人、という風に、各2名が増加しています。この分は全て最初の10名が占めていたのであり、仕事も賃金も少ない人数で分けるよりも、16名で分けた方が望ましい、ということです。この方法にすんなりと賛成する既得権者たちは多くはないと思われ、それを緩和する意味ではインフレ率というのが大変役立つのです。


インフレ率よりも既得権者たちの賃金上昇を抑制し、新規参入労働者たちの雇用増効果を狙う方が社会的・政策的には望ましいはずなのです。同様に、旧来の高額な年金受給者たちの受給額も同様にインフレ率より低く抑制する(むしろ据え置きでもいいと思う)だけで、給付削減効果とともに現役世代(今の若い世代)との世代間格差を縮小させることが可能になります。これまでは、ちょっと少ない人数で分配していた分を、分配される人の数を増やし、高い水準であった人たちとの格差を相対的に縮小させることが必要だろうと思います。そして、既得権者たちの受け入れがたさを緩和させるのが、インフレ率ということです。給料が減っていくわけではなく、数字自体が増えている(or 減ってない)のならば、大きな不満は出にくいのではなかろうかな、と。


それから、従来は書類などの「ご職業」欄には、「パート」とか「フリーター」とついつい書かざるを得ず、社会的評価も「それなり」の扱われ方であったのですが、今後はそういう労働者の区別が必要なくせるかもしれないです。もうちょっと「労働の柔軟性」というのがあってもいいと思います。労働者の「組み合わせ」による調節効果を狙うのが望ましいと思います。その前提としては、やはり社会保障負担の均一化であると思いますね。まともに払っている企業は、こっそり脱退している企業の分も肩代わりしていることになり、結局損するんですから。それに各種保険財政悪化は事業主負担率の上昇を確実に招くだけであり、いくら歳出削減だとか言っても限界がありますよ。