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エクソン・モービル撤退報道

2012年01月04日 21時08分33秒 | 経済関連
以前からあった話の続編である、ということかな?

10年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/ff34cb888cfdc34bb1e05e4413ac17cc

同>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5a43f209b0682e90c325a1d063de5006

10年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/ddd8e733cbed9dc60bc8cc2035810616


撤退は脅しではなく現実である、ということを実証した、というところでしょうか。

>http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE80301V20120104

(一部引用)

[東京 4日 ロイター] 世界最大級の石油メジャー、米エクソン・モービル(XOM.N: 株価, 企業情報, レポート)が、日本の事業から事実上撤退する方針を固めたことが4日、明らかになった。
日本で展開している石油販売などの事業と、自社が過半を出資している東燃ゼネラル(5012.T: 株価, ニュース, レポート)の株式を売却する。事業と株式ともに、東燃ゼネラルが譲り受ける方向で最終調整に入った。東燃ゼネラルによる買収価格は4000億円規模になる見込みだ。月内にも正式発表する方向で調整を続けている。複数の関係筋がロイターに明らかにした。

エクソンは日本の市場が縮小傾向にあることなどから投資回収を図る。世界戦略として、経営資源を「川下」の販売業務から「川上」の石油採掘事業に集中させており、東燃ゼネラルの持分売却もこうした戦略の一環となる。ただ、東燃ゼネラルへの原油供給は継続する。


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2010年当時の状況と今とで何がどう違うのか、あの時には撤退を決めなかったのにやっぱり撤退としたのは何故なのか、ちょっと気になるわけである。

例えば、一度は思い留まったが、いよいよ愛想尽かしでやっぱり撤退と決めた、とか?
ブラフじゃないのか、脅しのテクニックじゃないのかという指摘を受けた(笑)ので、脅しではないよというのを見せるため、とか?
或いは、もっと大きな儲け話を待ってはいたものの、やっぱり「その話はポシャリそうだわ、見込み薄だわ」となったので、処分することにした、とか?

うーん、よく分からない。
まあ、ビジネスの話なので、儲からない、ということだからでしょうきっと。でも、1年前と比べて、先行きの条件(人口減やエコカーへの移行ガソリン消費の減少傾向といったようなこと)は変更になったわけでもなく、見通し自体は大きく変わらないはずですよね。

だが、2010年報道の時には撤退せず、今回は撤退ということで、何らかの見えない要因か条件が変化した可能性が高いであろう、と思うわけです。

いくつか理由を考えてみますと、2つ思い浮かぶかと思います。


エクソン・モービルは、言わずと知れた「TPPコアリション」の代表的企業です。その企業が既に日本市場に存在していて、今後TPPが締結された暁には市場拡大や儲け話のチャンスがあるかもしれないのに、撤退ということになりますよね。それは、「TPPは望み薄」と思った、ということではなかろうかと。「TPPを待っていたけど、その線がダメということなら、待ってる理由はないから、もう止めるわ」みたいな話、ということです。


もう一つは、沖縄問題の頓挫というものです。
直接的には普天間基地移転問題というのがあるかと思いますが、これに関する「裏事情」みたいなものが、ひょっとすると何かの構想とかがあったのかもしれない、というものです。米国議会の議員さんたちからでさえ、辺野古移転は極めて困難という意見が出されていますから、「もうダメかもしれんね」という感じで諦めるに至ったのでは、と。
具体的にどういう話が想定されるか判らないですが、例えば普天間基地の跡地利用に関して、といったものでしょうか。移転に伴う沖縄振興という名目で沖縄に製油所基地を設置させる、みたいな壮大な計画とかですかね。利用する土地としては、普天間基地か返還する米軍用地などで、日本政府に殆どの金を出させて建設し、利用するのは勿論…みたいな話です(笑)。兎に角、遠大な計画ということですわ。

そういうのがどうも実現不可能、という判断に至れば、「じゃあもういいわ」ということになったやもしれません、ということです。これまで粘ってきたのは、一縷の望みが残されていたが為であったが、ここに至っては「無理だ」ということになった、と。一縷の望みを支えていたのは、従米派の「地頭クラス」の存在であったけれども、それも「効力を失った」と判断せざるを得なくなった、といった話です。


上記2つとも、いわゆる陰謀論チックな話ですから、そういうのがあるかどうかさえも判りません。けれども、撤退するなら2010年時点でもできたわけですから、それを選ばなかった理由というのが判らないわけです。


いや、もっと性善説に立てば、理由はあるか。
3.11の大震災があったから、かな?
本当は年度末で終わろうと思っていたけれど、言い出せなくなってしまった、ということなら、あり得ないわけでもないか。東燃の決算期がいつか知らないですが、タイミング的に言い出せなかった、ということかもしれないですね。


余談ですが、エクソン・モービルの日本法人って、株式会社ではなく有限会社なんですね。これは意外も意外でした。へー、そんなことってあるんだ、と。大会社って株式会社ばかりな印象でしたが、そうでもないんですね。

エクソンモービル有限会社は、東燃ゼネラルの最大株主で50.02%保有しており、東燃以下がその他企業群の株式を保有して間接支配している、という構造になっています。
エクソンモービル有限会社は、親会社である「エクソンモービル アジア インターナショナル SARL」が100%出資している会社で、資本金は500億円(!)という巨大企業です。でも、有限会社。

上場せず非上場であってもいいのですが、株式会社の方が日本では一般的なのに、不思議に思いませんか?どうして有限会社なのか、って。
あくまで個人的予想を言いますと、多分、会計監査人の問題ではなかろうか、ということですね。言い換えますと、日本の会計監査人なんかの監査を受けたくない(受ける必要性もない)ということでは。つまり、自由にやらせてくれ、と。会計や財務関連の情報は完全秘匿としておきたい、と。そういうようなことなのでは。

だから、監査役とかいらないはずだし、会計監査を受ける義務も免除されると。どんなこと(帳簿・財務内容)になっているかは、会社の中の人しか判りませんよね、ということですね。広く一般人なんかに「教えられるか」と。そういうことです。なんか怪しい、と誰しも思うでしょう?中身がわかるのは、国税だけ、ということですかな。因みに、税務調査は入ったことがあるのかな?
日本国内の普通の大企業は大体あると思うけど、外資系の有限会社って、調査に入りにくいといったことがあったりするのかな?
これはまあいいや。


いずれにせよ、エクソンモービルは事実上撤退という報道があったと。そうですか、残念ですけどサヨナラ、と。




年頭のお願い

2012年01月04日 13時50分04秒 | 俺のそれ
そんなに大した話ではないのですが。なんとなく思ってきた(以前の記事にも書いてきた)ことを、とりあえず書いておきます。


①未来を作るのは自分

よく見かける批判に、「ビジョンがない」「ビジョンが見えない」といったものがある。間違っているわけではないけれど、ヘンな宗教の教祖とかペテン師でもあるまいし、話を聞かされたくらいで多くの他人に「何か」を見せることなどできないのではないか、と思うわけです。

多分、ビジョンがない、というのは、ある人の能力とか資質といったものであって、何かの「ばら色の未来」(多くの人はそんなことを求めているわけではないだろうけれど)や「わかりやすい国のかたち」といったものを簡単に決めることなどできないであろう。そんな超人みたいな人は、きっといないのではないかと思う。

たとえ首相が思い描く未来があろうとも、そのことを万人に求めることはできないだろうし、それが受け入れられるとも限らないであろう。1国のリーダーが考えたって、高が知れてるということなのではないのかな、と。

だから、国のリーダーにはビジョンがない、ということが当てはまるのだとしても、そういう人物を選んだ有権者側にも責任があるわけであり、リーダーの無能を嘆いても仕方がないと思うわけです。

そうではなくて、ビジョンというのは自分にあるのであり、未来を切り拓くのも、結局は自分ということなわけです。首相の考える国の未来を当てにしても、期待できないであろう、ということでもあります。むしろ、自分の中にこそ、未来像を持つべきではないかな、と思うわけです。他人に見せてもらうべきものではないはず、ということです。自分が作るべきもの、ということです。

政治には、予想できるかどうか、というようなことは求めるべきです。どうして将来不安が強まるかといえば、どういう方向に進むのか予想がつかないから、ということだろうと。従って、政治が提示するのは、「ばら色の未来」なんかじゃなくて、各人が未来を考えるとき、その予想が行いやすくなるように条件や材料をきちんと提示するということです。

そうした「予測可能性」の高まった状態とか、予測可能性を高める政策を皆さんに示すことが国やリーダーの役割であり、未来像は各人がそれぞれに構築してゆくものであるはずだ、ということです。


夢は誰かが見せるものではないはず。
夢は自分が見るものです。それと同じく、未来の夢や姿というのは、自分の中に作るものであるべきではないのかな、と。ならば、首相にビジョンを見せろ、と求めるのは意味がないので、今後そういう批判は止めにしましょう、ということです。

求めるのは、「~について予測する条件が足りないので、条件を提示せよ」といったことではないなか、と。政策の大部分というのは、多分そういうことだろうと思います。


②「ダメ」「できない」ばかりから卒業しよう

これもよくある批判なのですが、「~してはダメ」ばかり言っても、問題は解決しないということです。新しいアイデアや提案などに対して、「~なので、できない」ということばかり言うのもやめませんか、と。

こういうことばかり言うのは、官僚答弁と揶揄されるようなものではないですか、と思うのです。実際の官僚がそう言ってるかどうかは定かではありませんが、ありがちではないかな、とは思いますよね。

ぼく自身もありがちなのですが、まず否定から入ってしまう癖、みたいなものです(それなりに反省しています)。
まずできない理由から考えてしまって、逆に「どうすれば達成できるか、乗り越えられるか」ということを後回しにしてしまいがちなのではなかろうか、と。

日本は長らく落ち込んできたので、気分もそういう方向になっているような雰囲気があります。そうやって戦意が乏しくなったり、失われてきたように思います。これを極力避けよう、ということです。

そこで、「~はできない」からではなく、「こうすれば達成できるかもしれない」という肯定から考えてみてはどうか、ということです。
現実には壁に突き当たったり、行き詰ることが多いはずですし、考えてもやっぱり達成が困難という結論に至ることもあるかもしれません。それはそれで無意味ということではないはずです。次に繋がるかもしれないし、新たな解決策を見出せるきっかけになるかもしれません。


だから、否定材料を探すのではなく、まず達成可能な方法から考えるようにしてみてはどうか、ということです。
そうすれば、政治や政策論議に前進が起こるかもしれません。



とりとめのない話で申し訳ありませんが、今年は上記2つを自分でも留意していこうと思っています。