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吉川洋東大教授の『デフレーション』について~5.人口構成と賃金低下

2013年04月21日 15時12分53秒 | 経済関連
前回記事で、雇用不安定化の一側面を書いてみたが、もうちょっと関連することを書いておきたい。


まず、デフレ問題で人口減少という理由を挙げられていることがあるわけだが、単なる人数問題などではなく、「雇用不安」という面から捉えるべきであると考えている。賃金低下を促進する要因となって作用した、と拙ブログでは考えている。


昔の記事になってしまうが、拙ブログの04年に書いた記事を挙げておきたい。

04年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/94a114cd2d34c1e45ef4decf96cac4ca


記事中にあるように、労働力人口が10年で730万人減少と書いていたわけだが、ほぼ10年近く経っているので、大雑把に言って700万人くらいは減っただろう。影響の大きかった部分としては、団塊世代の退職だっただろう。
これが賃金低下として作用したはずだ。比較的高賃金の団塊世代と賃金の安い新卒者が同数入れ替わったとしても(就業者数は変わらない)、平均賃金や雇用者報酬全体は下がることになるからだ。


バブル崩壊と言われた後であっても、恐らく96~97年までは就業者数は増えていたはずである。
実際の労働力の推移を見てみる(国勢調査による)。
産業別就業人口は、国勢調査の分類による。3分野の合計人数と、就業者数との差を人数差として提示した。どうしてこのような差となるかは、調査の定義によるものと思われる。就業者というのは、今現在仕事をしているかどうか(例えばアルバイトとかパートでも含まれる)で、産業別人数は恐らく常用雇用(一般的には正社員というような待遇に近いか、派遣などであっても半年とか1年くらいは仕事に就いていた人、というようなことではないかな、と。ちょっと調べてないので、間違いがあると思うが、とりあえず。)で、人数にカウントされるかどうかが変わるだろう。
また、失業率であるが、敢えて男性のみの失業率とした。



   就業者数 男性失業率  一次  二次  三次  人数差
1980  5581    2.3      610  1874  3091   6
1990  6168    2.6      439  2055  3642   32
1995  6414    3.6      382  2025  3964   43
2000  6298    3.8      317  1857  4049   75
2005  6151    4.8      297  1607  4133   114
2010  6257    3.9      238  1412  3965   642
(単位は、失業率のみ%、他は万人)


就業者数は、90年以降にも増加していた(約246万人)。バブルの絶頂期とも言うべき90年でも6168万人で、05年就業者数と大差ないわけである。2010年ではもっと多い。つまり必ずしも「仕事に就けない失業者がいっぱいいる」という単純な話でもないわけである。


90年当時と何が違うのだろうか?
多分、就業の質、であろう。それは、不安定な雇用(いつ切られるか判らない、というような)ではなく、1年とかそれ以上の就業が見込まれたのが昔で、2000年代以降では、そうではなくなった、ということであろう。それが人数差、として出たものではなかろうかと。

95年と10年を比較すると、製造業に代表される第2次産業の人員減少が顕著である。613万人の減少だ。1次の減少144万人は高齢化進展ということの影響が大きいのではないかと思う。就業者数の差が157万人で、その殆どが1次産業からの退出であり、人数差642万人のうちの殆ど―約600万人程度?―は、製造業の期間工とか請負や派遣といったような不安定雇用で代替された労働者なのではないか、というのが当方の推測である。


つまり、生業としての農林水産業から退出した人たちが144万人くらいはいただろう、ということであり、主な理由としては高齢化や収入減少などではないかと。都市部への移転なんかもあるかもしれない。
一方では、製造業を中心として雇用削減が行われた結果、2000万人超だった第二次産業雇用者数は1400万人台まで減少し、最近では雇用者数としては恐らく1300万人台まで落ち込んでいるはずだろう(参考:http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/920a924eb9a5b8fea8ccd512bc5e3b8b)



90年代以降の労働者数の変化は、主に、次のような理由によるものと考えている。

・団塊ジュニア世代の就業:1975年前後の生まれ年の人は、大卒で93~98年くらいの時期に就職需要があった。200万人規模の同年生まれの人たちが就業しなければならなかったので、就職戦線は競争激化となりフリーター問題を生起しただろう。

・90年代中頃から中高年世代ではリストラが始まっていた(主に電機業界などの製造業中心だったはず)が、女性の就業が増加傾向となっていたことや新卒者の増加があって、就業者数全体では増加しただろう。

・97年ショック以降には正規雇用が軒並み削減されていった。リストラと賃金抑制は本格化していった。特にITバブルで求人の復活したIT業界とは縁の遠かった中高年世代の切り捨て・脱落が進んだはず。彼らは非正規労働力の予備軍として機能することになっただろう。

・2003年くらいまでに、正規雇用の人数が減らされた。結果として、厚生年金保険料の納付する人数や納付金額が減ることとなった。高賃金側だった中高年男性のリストラ進展+団塊世代の退職、これらは若年・女性労働力へと代替され、一人当たり賃金の安い、厚生年金もないような使い捨ての非正規労働力になった。就業者数が増加したものの、一人当たり賃金低下がこうして起こったはずだろう。

・専業主婦だった人も下がる賃金を補わざるを得ず、第三次産業の就業者増加を支えた。主婦が外に出ることで社会的問題が発生することになる。具体的には、子育てや介護といった問題だ。ビジネス化というのは、主婦を排除することで需要を生み出し、カネ儲けを産むということだろう。この流れは高齢社会では避けられない問題ではあったので、時期が早まったということだけかもしれないが。

・男性の給料下がる(首を切られる)、食べていけないので女性が頑張って働く、すると男性の仕事が更に減る、労働力は補充されるから賃金をまた下げる、男の給料だけでは食べていけないので結婚もできない、ということで、男性失業率の上昇というのは05年まで上昇が続いたものと思う。団塊世代の退職が一段落したのと、新卒者の絶対数が減少に転じてきていたので、新規労働市場参入者の相対的減少となってきたのが、ここ数年ではないか。男性の年齢階級別の労働力率では、以前だと90%台半ばくらいだったものが(つまり100人中95人くらいは就業している)、近年では90%を切っている。働き盛りの男性が仕事に就いていない割合が増加した、ということである。

・これまで使い捨ててきた労働力は、今後は補充が困難になってゆくだろう。労働力人口が確実に減少してゆくからである。すると、移民を入れるというのが、次の作戦ということになるだろうか(競争激化で利益を得るのは労働者を使う側だからだ。TPPというのもその延長線上にあるはずだろう)。

・不安定な立場の労働者数というのは、90年代までだと100万人を下回っていたはずだろう(上記「人数差」から推定)。リーマンショック以降であると、これが650万人規模となっているのではないか、ということだ。すなわち、5600万人くらいが正規雇用か比較的安定(継続)して就業している人で、650万人くらいの人たちは短期の仕事しかないか、いくつも転職せざるを得ない状況に置かれているのではないか、ということである。



こうした人口構成上の要因が賃金低下要因として作用し、デフレ圧力として発現したのであると、日本独特の理由として考えられなくはないかな、ということである。人口が減って総需要が減る、というような単調な意味合いではなく、労働市場の大きな変化、というのがもっと影響度が大きかったと考えている。

団塊世代の退職、団塊ジュニア世代の就業、そして、非正規雇用拡大、製造業衰退(海外移転)、結婚出産適齢期の女性労働力の増加、それらが絡み合ったものではないか、ということである。


男性社会批判とか、極端な専業主婦バッシングのような風潮というのも、単なる偶然であったものかどうか。雑誌なんかで取り上げられるネタというのは、それなりの情報支配の中にあるかもしれず、労働市場への参入を促進させることは、よい面もあるが、必ずしもそうではないこともあるわけである。

最近の若い女性は「専業主婦」希望が復活してきている、というのは、良い兆候かもしれない。情報操作とか簡単な風潮に安易に流されない、ということを意味するからである。



吉川洋東大教授の『デフレーション』について~4.雇用の流動化

2013年04月21日 09時53分30秒 | 経済関連
これまでの続きです。


90年代後半以降から社会の雰囲気が大きく変わっていきました。
それは、言わずと知れた金融危機に代表される、拙ブログで言う所の「97年ショック」というものです。


90年代前半までのバブル崩壊期というのは、それなりに「ああバブル崩壊だったね」ということで若干の落ち込みは感じてはいましたが、全部がそういうことであったというわけでもありませんでした。

例えば08年のリーマンショックの後みたいな、「天から空が降ってくるんじゃないか」的なカタストロフィ感はなかったように思います。だからこそ、株式市場の急落は90年に起こっていたし、株価は半分にまで落ちてしまっていても、そんなに言うほど大騒ぎをしている人たちはいなかったのではないかと思えます。

なので、新卒採用の拡大は93年まで続いていたはずなのですから。
フリーターなる言葉とポジションというのが登場してきたのも、丁度この頃であったように思います。


話が戻りますけれども、バブル崩壊と言われる90年とか91年くらいでも、まだ土地取引問題(土地転がしで値段を釣り上げているんだ、的な批判だったかなと思いますが、定かではありません)が法制化の俎上にあったわけですから。


95年の超円高という局面においてでも、ちょっと困ったねということはありましたが、そんなに言うほど絶望的ではなかったように記憶しています。世の中の多くの人々には、そんなに言うほどの直接的ダメージというのが実感されなかったはずですので。むしろ、「円高還元セール」と称して(いま問題視されている「消費税還元セール」を禁止せよ、みたいな話題だ)、バーゲンセールなんかが組まれていたはずです。


世の中の様相というか、空気が一変したのが、やはり、山一や拓銀破綻などの一連の金融機関破綻であったはずです。


それまで、公務員とか銀行員というのは、言ってみれば「鉄板」みたいな職業観があって、安全なイメージが定着していたから、と思います。それが、「一寸先は闇」のようなことが起こると、安全地帯というものが「実感できなくなる」ということだったと思います。


「リストラ」という用語を始めて耳にし始めたのも、丁度あの頃だったと思います。
そんな外来語だかは、殆ど知られていなかった。
けれど、90年代半ば以降に入ると、大手企業を中心にリストラだ、ということを盛んに言い始めた。特に、先鞭をつけたのは、ソニーだった。


外国人株主比率の高い会社であったソニーは、何でも欧米化みたいな感じで、米国式をどんどん入れていった。年俸制みたいなことも、日本企業にはかなり抵抗感のあった「人員整理」についても、障壁を取り壊す役目を担っていたようなものであった。

だから、ソニーのITバブルも偶然起こったわけではなかったはずだ。株式市場の主役として、常に振舞っていたのだった。



話を戻そう。
電機業界なんかを中心にリストラというのが推進されていったわけだが、銀行が潰れるとはそれまで誰も考えてこなかったので、受けた衝撃は大きかったはずだ。自分がいつ切られるか、どうなるのか、誰にも判らない、ということなのですから。



この少し前から、安定の代名詞とも言うべき公務員の世界でも変化が起こっていた。

ひとつは、「非公務員化」の流れであった。
公務員への批判がよく取り上げられ、公務員を減らせ、という傾向を産んでいたように思う。その先鞭となったのが、国立大学の改革であったろう。


大学院重点化ということから始まってはいたが、実質「ポスト削減」圧力として作用したのではないか。それまでどちらかといえば院生の多かった理系のポストは減らされ、一方では法学系や経済系の大学院というのが拡張的となっていった。後に続くのは、「国立大学法人化」であった。つまりは、非公務員化ということなのである。

これに類するのが、国立病院の改革だった。赤字だ、潰せの大合唱。そして、非公務員化と似たような「国立病院機構」という独法化となったわけである。いずれもポスト削減、というのが起こることはほぼ必然だったろう。


手がけたのは、良識や知性というものの集まっている部分を、踏み潰していったということである。


また、特殊法人整理というのも行われていったわけだが、これはまだ道半ばというところであろうか。実際、無駄の温床となってきたということはあるので、これを放置するわけにはいかなかったろう。統廃合を経て(官僚たちの猛烈な抵抗で看板を替えただけ、とか、無駄は温存したまま、というのは常套手段だったかもしれないが。このヘンは、みんなの党の渡辺さんに聞いてみては)、若干は縮小されていったろう。これもまた、雇用の不安定化の一因として作用したかもしれない。


省庁統廃合も行われた。
今の形になったのは、確か橋本政権時代だった。

こうした、省庁再編、独法化、国立大学・病院改革、等を通じて、非公務員化や公務員削減というのが達成されていった、ということである。
国家公務員共済の組合員数(長期経理対象=常用雇用で共済年金がもらえる対象者)で見ると、次のようになっていた。


年度   組合員(万人)
1996   112.37
1998   111.06
2000   111.92
2002   110.22
2004   108.61
2006   107.64
2008   105.34
2010   105.50


ほぼ減少という傾向であり、増加したのは2回(99年→00年、09年→10年)しかない。96年から09年までの数字で言えば、組合員数全体でも約115.1万人→約106.6万人と-8.42%の減少であった。



リストラの嵐、公務員切り、生保・銀行潰し、これらが一致して起こった時期は、90年代後半だった、ということである。これが雇用不安を増幅し、人々を極端な防御反応へと導いてゆくこととなったのだ。この恩恵を最大限に受けたのが、人材派遣会社のような「労働力搾取システム」だった、ということだ。
狙いは的中した、ということだろう。


人々にショックを与え、防衛反応へと駆り立てさせる。
それは、仕事にありつこうと殺到することで、悪条件の雇用条件にも応じるようになる、ということでもある。

もう亭主の稼ぎだけでは、食べてゆくのが苦しくなった、と多くの女性が実感したのだ。もう男には頼っていられない、と決意した女性が多くなっていったということだ。それは晩婚化の進展と、少子化の加速を生んだのであろう。


賃金の切り下げ圧力としても、当然作用してきたはずだ。
条件のよい雇用先(例えば公務員、銀行等金融機関)の数を減らして流動化させ、不安定雇用(請負、派遣、契約社員、パート、日雇い派遣など)へと追い込んでいったわけだから。

しかも、公務員や金融機関というのは、地方でも雇用先として存在できてきた職種であったものであるが、それがそぎ落とされていった、ということだ。こうした流れは、当然に地方公務員なんかにも波及したであろうことは、十分想像できるわけだ。


賃金低下要因として作用したはずだろう、ということである。
地方の緊縮財政化が図られた小泉政権時代以降には、それが加速したはずだろう。これら非公務員化と公務員バッシングによるポスト削減は、雇用条件悪化を後押しし、賃金切り崩しには役立ったはずだ。

すなわち、デフレ圧力として作用したであろう、ということである。