少し長いですが、判決文(p183~184)の引用をします(原文は改行なく一連の文章です。拙ブログの説明の為に、区分を施し先頭に記号を付しています)。沖縄県HPの知事公室のリンクから引用しました。
判決文の後半>http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/henoko/documents/hanketsu03.pdf
ア)解によれば、国地方係争処理委員会の決定が被告に有利であろうと不利であろうと被告において本件指示の取消訴訟を提起し、両者間の協議はこれと並行して行うものとされたことが認められる。そして、国地方係争処理委員会は前記のとおり地方公共団体のための簡易迅速な救済手続であり、
イ)是正の指示に対しては、その適法性のみを審査するところ、同委員会において本件指示を違法と判断しても、国はこれに従わないことが和解の前提となっており、
ウ)同委員会の決定自体は紛争解決のために意義のあるものではなく、その手続において議論として争点を整理すること、その間に原被告において解決のために協議することにのみ意義があったことは、解関係者は一同認識し、和解成立の前提としていたことである(当裁判所に顕著な事実)。
エ)これによれば、国地方係争処理委員会の決定は和解において具体的には想定しない内容であったとはいえ、元々和解において決定内容には意味がないものとしており、
オ)実際の決定内容も少なくとも是正の指示の効力が維持されるというものに他ならないのであるから、被告は本件指示の取消訴訟を提起すべきであったのであり、それをしないために国が提起することとなった本件訴訟にも解の効力が及び、協議はこれと並行して行うべきものと解するのが相当である。
以下、いくつか述べる。
1)和解当時、多見谷裁判長は国の係争委「勧告拒否」を知っていた
沖縄県は、和解条件の国の指示内容、国地方係争処理委員会の審査結果を知ることはできなかった。この審査結果に対する国の諾否についても同様である。このことは、多見谷裁判長においても同じはずである。
ところが、イ)の『同委員会において本件指示を違法と判断しても、国はこれに従わないことが和解の前提』と述べている通り、係争委の判断がたとえ違法であっても「国はこれに従わない」を予定していた、としている。
またウ)のように、係争委の手続は解決の意義がなく、争点整理と(待つ間の)協議の2点の為にあったとしている。
こうしたイ)及びウ)については、和解の前提条件として、多見谷裁判長を含め和解関係者一同の認識だったと述べる。『当裁判所において顕著』とは、当然の帰結であるというに等しいということである。
2)国地方係争処理委員会の存在意義を無にする指揮
判決文エ)の如く、元々和解において同委員会の決定は意味がないものと裁判長が自ら認識していたことは間違いなく、そのような指揮は許されるものではない。
本来、国と地方自治体の争いを解決するべく制定された、解決手段としてあるはずの同委員会及び制度について、「意味のないものとする」「手続に解決の意義はない」などと裁判所が認定するなど、もってのほかである。
言い方を変えれば、裁判長は「係争委の審査結果には意義がない」ことを自覚していながら、沖縄県に対して
・地方自治法251条の五第1項に基づく提訴を取り下げさせた
・代執行訴訟を和解に至らしめ、係争委に敢えて申請させた
(筆者注 ※※これは詐欺的行為である。「意味も意義もない」係争委への申し出を沖縄県に勧め、現に行われていた(代執行)訴訟上での解決手段を放棄させたのだから。裁判官が「判決で解決するしかないんだ」(係争委には解決できない)と自分で宣言しておきながら、意義のない係争委へ申請するよう唆した、ってことではないか。何らの薬効もない薬を飲むよう勧めておきながら、飲んだ後になってから、「そんなもんは飲んでも無駄なんだよ、意味ない」と言い放ったようなものだ。赦し難し!)
しかも、同委員会が「指示を違法と判断しても、国はこれに従わない」ことを前提条件に置く和解案を提示し、これを和解調書とすることは、裁判所が自ら国に対し違法を助長する行為であり、許されない。
国は、行政主体として、違法を率先して実行することなど元来想定されておらず、行政の基本とするべき法秩序を根底から覆すに等しいもので、看過できない。
いうまでもなく、裁判所も国も、常に法に基づき法に則った行動をとるべき義務を有する。
3)和解の意義を失わせる多見谷裁判長の訴訟指揮は不当
和解の目的とは、互譲により争訟の早期解決を図り、争いを終了させるものである。また、裁判所は、法律上の争いを解決する役割を担っているはずであるが、多見谷裁判長の訴訟指揮はこれに違背しており、不当である。
そもそも、本件訴訟に至ったのは、国が提起した代執行訴訟において、
・沖縄県知事のした埋立承認の取消処分が違法であること
・故に、これを取り消すべきこと
と主張し、この問題の解決を図ろうと代執行手続を選択していたものである。
国と沖縄県の争いの根本は、この点にあることは明白であって、国の主張は、代執行訴訟でも、係争委の審査、或いは本件訴訟のいずれにおいても、この2点を言うものである。
このことは、和解した代執行訴訟の時点から、多見谷裁判長は認識できたはずであり、本件違法確認訴訟の審理においてもそれを判断していることからして、明らかである。そうであるなら、代執行訴訟において、根本問題たる2点についての、”当裁判所”の判断を示すべきであり、判決による解決ではなく和解をもって争訟の終結を目指したのであれば、和解させた代執行訴訟と同一論点によって本件訴訟で沖縄県の違法を言うのは、不当と言わざるをえない。
すなわち、和解させた代執行訴訟と本件違法確認訴訟の、争いの本質部分において、原告国の主張及び高裁の審理内容には何ら違いがないのであり、これは既に「訴訟上の和解」の意義を失っているものである。
多見谷裁判長が代執行訴訟において和解を用いたのは、決して争訟解決の目的ではなく、本件の如き別の違法確認訴訟を呼び込む為に利用したに過ぎず、裁判所の役割として許されるものではない。
4)多見谷裁判長は本件訴訟に和解の効力が及ぶことを認識
判決文オ)によれば、「本件訴訟にも解の効力が及ぶ」ことを裁判長自らが述べているのであるから、これは当然である。
従って、原告国のした、国土交通大臣の行政不服審査法に基づく審査請求の「裁決」権を消滅させたこと、および代執行手続に伴う国のした勧告及び指示を無効とする結果を生じることは認識しており、和解により確定判決と同一効が及ぶのは当然となろう。
そうすると、国が無効となった指示と同一の指示をすることは、甚だ不当であり、裁判所がこれを認めるべき理由はないはずである。にも関わらず、この点について多見谷裁判長の何らの顧慮もなかったことには重大な落ち度があり、不当の謗りを免れない。
5)まとめ
和解時点において、国のする245条の七に基づく指示(=国の関与)内容を知ることができなかったはずだ。国地方係争処理委員会の審査結果も同様である。被告の沖縄県だけでなく、裁判所も知る立場にはなかったはずである。
にも関わらず、係争委の審査結果が出される以前から、この結果を無視することを前提とし、審査結果について何らの精査もすることなく国の諾否を事前決定しておいたり、たとえ違法の審査結果であろうとも国がこれを無視して行動することを裁判所が認めておくなど、裁判所としてあるまじき行為である。
あたかも最初から新たな訴訟上において、「国の関与」を”当裁判所”で審理することを当然として予定していたことは、現行司法制度上許されない。しかも、その審理内容は、裁判長自らが和解させた訴訟と実質的に同一の争いであるにも関わらず、和解の法的効果を無に帰するに等しい判決をしたのである。
かかる不法行為を放置すれば、法秩序のみならず、司法制度の根幹を揺るがすこととなり、看過できない。
よって原判決は破棄を免れない。
判決文の後半>http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/henoko/documents/hanketsu03.pdf
ア)解によれば、国地方係争処理委員会の決定が被告に有利であろうと不利であろうと被告において本件指示の取消訴訟を提起し、両者間の協議はこれと並行して行うものとされたことが認められる。そして、国地方係争処理委員会は前記のとおり地方公共団体のための簡易迅速な救済手続であり、
イ)是正の指示に対しては、その適法性のみを審査するところ、同委員会において本件指示を違法と判断しても、国はこれに従わないことが和解の前提となっており、
ウ)同委員会の決定自体は紛争解決のために意義のあるものではなく、その手続において議論として争点を整理すること、その間に原被告において解決のために協議することにのみ意義があったことは、解関係者は一同認識し、和解成立の前提としていたことである(当裁判所に顕著な事実)。
エ)これによれば、国地方係争処理委員会の決定は和解において具体的には想定しない内容であったとはいえ、元々和解において決定内容には意味がないものとしており、
オ)実際の決定内容も少なくとも是正の指示の効力が維持されるというものに他ならないのであるから、被告は本件指示の取消訴訟を提起すべきであったのであり、それをしないために国が提起することとなった本件訴訟にも解の効力が及び、協議はこれと並行して行うべきものと解するのが相当である。
以下、いくつか述べる。
1)和解当時、多見谷裁判長は国の係争委「勧告拒否」を知っていた
沖縄県は、和解条件の国の指示内容、国地方係争処理委員会の審査結果を知ることはできなかった。この審査結果に対する国の諾否についても同様である。このことは、多見谷裁判長においても同じはずである。
ところが、イ)の『同委員会において本件指示を違法と判断しても、国はこれに従わないことが和解の前提』と述べている通り、係争委の判断がたとえ違法であっても「国はこれに従わない」を予定していた、としている。
またウ)のように、係争委の手続は解決の意義がなく、争点整理と(待つ間の)協議の2点の為にあったとしている。
こうしたイ)及びウ)については、和解の前提条件として、多見谷裁判長を含め和解関係者一同の認識だったと述べる。『当裁判所において顕著』とは、当然の帰結であるというに等しいということである。
2)国地方係争処理委員会の存在意義を無にする指揮
判決文エ)の如く、元々和解において同委員会の決定は意味がないものと裁判長が自ら認識していたことは間違いなく、そのような指揮は許されるものではない。
本来、国と地方自治体の争いを解決するべく制定された、解決手段としてあるはずの同委員会及び制度について、「意味のないものとする」「手続に解決の意義はない」などと裁判所が認定するなど、もってのほかである。
言い方を変えれば、裁判長は「係争委の審査結果には意義がない」ことを自覚していながら、沖縄県に対して
・地方自治法251条の五第1項に基づく提訴を取り下げさせた
・代執行訴訟を和解に至らしめ、係争委に敢えて申請させた
(筆者注 ※※これは詐欺的行為である。「意味も意義もない」係争委への申し出を沖縄県に勧め、現に行われていた(代執行)訴訟上での解決手段を放棄させたのだから。裁判官が「判決で解決するしかないんだ」(係争委には解決できない)と自分で宣言しておきながら、意義のない係争委へ申請するよう唆した、ってことではないか。何らの薬効もない薬を飲むよう勧めておきながら、飲んだ後になってから、「そんなもんは飲んでも無駄なんだよ、意味ない」と言い放ったようなものだ。赦し難し!)
しかも、同委員会が「指示を違法と判断しても、国はこれに従わない」ことを前提条件に置く和解案を提示し、これを和解調書とすることは、裁判所が自ら国に対し違法を助長する行為であり、許されない。
国は、行政主体として、違法を率先して実行することなど元来想定されておらず、行政の基本とするべき法秩序を根底から覆すに等しいもので、看過できない。
いうまでもなく、裁判所も国も、常に法に基づき法に則った行動をとるべき義務を有する。
3)和解の意義を失わせる多見谷裁判長の訴訟指揮は不当
和解の目的とは、互譲により争訟の早期解決を図り、争いを終了させるものである。また、裁判所は、法律上の争いを解決する役割を担っているはずであるが、多見谷裁判長の訴訟指揮はこれに違背しており、不当である。
そもそも、本件訴訟に至ったのは、国が提起した代執行訴訟において、
・沖縄県知事のした埋立承認の取消処分が違法であること
・故に、これを取り消すべきこと
と主張し、この問題の解決を図ろうと代執行手続を選択していたものである。
国と沖縄県の争いの根本は、この点にあることは明白であって、国の主張は、代執行訴訟でも、係争委の審査、或いは本件訴訟のいずれにおいても、この2点を言うものである。
このことは、和解した代執行訴訟の時点から、多見谷裁判長は認識できたはずであり、本件違法確認訴訟の審理においてもそれを判断していることからして、明らかである。そうであるなら、代執行訴訟において、根本問題たる2点についての、”当裁判所”の判断を示すべきであり、判決による解決ではなく和解をもって争訟の終結を目指したのであれば、和解させた代執行訴訟と同一論点によって本件訴訟で沖縄県の違法を言うのは、不当と言わざるをえない。
すなわち、和解させた代執行訴訟と本件違法確認訴訟の、争いの本質部分において、原告国の主張及び高裁の審理内容には何ら違いがないのであり、これは既に「訴訟上の和解」の意義を失っているものである。
多見谷裁判長が代執行訴訟において和解を用いたのは、決して争訟解決の目的ではなく、本件の如き別の違法確認訴訟を呼び込む為に利用したに過ぎず、裁判所の役割として許されるものではない。
4)多見谷裁判長は本件訴訟に和解の効力が及ぶことを認識
判決文オ)によれば、「本件訴訟にも解の効力が及ぶ」ことを裁判長自らが述べているのであるから、これは当然である。
従って、原告国のした、国土交通大臣の行政不服審査法に基づく審査請求の「裁決」権を消滅させたこと、および代執行手続に伴う国のした勧告及び指示を無効とする結果を生じることは認識しており、和解により確定判決と同一効が及ぶのは当然となろう。
そうすると、国が無効となった指示と同一の指示をすることは、甚だ不当であり、裁判所がこれを認めるべき理由はないはずである。にも関わらず、この点について多見谷裁判長の何らの顧慮もなかったことには重大な落ち度があり、不当の謗りを免れない。
5)まとめ
和解時点において、国のする245条の七に基づく指示(=国の関与)内容を知ることができなかったはずだ。国地方係争処理委員会の審査結果も同様である。被告の沖縄県だけでなく、裁判所も知る立場にはなかったはずである。
にも関わらず、係争委の審査結果が出される以前から、この結果を無視することを前提とし、審査結果について何らの精査もすることなく国の諾否を事前決定しておいたり、たとえ違法の審査結果であろうとも国がこれを無視して行動することを裁判所が認めておくなど、裁判所としてあるまじき行為である。
あたかも最初から新たな訴訟上において、「国の関与」を”当裁判所”で審理することを当然として予定していたことは、現行司法制度上許されない。しかも、その審理内容は、裁判長自らが和解させた訴訟と実質的に同一の争いであるにも関わらず、和解の法的効果を無に帰するに等しい判決をしたのである。
かかる不法行為を放置すれば、法秩序のみならず、司法制度の根幹を揺るがすこととなり、看過できない。
よって原判決は破棄を免れない。