とても古い感じのタイトルですが(笑)、そういう年代なので。
誰しも、どうしても「認めたくない」ということがあっても、それは構わないと思いますね。ただ、「自分が見たいものだけ見て」、「都合のいいことだけを信じている」というのが、自分自身でないと確信しているなら、まんまとブービートラップに引っ掛かっているようなものです。他人の価値判断や世界観をどうこう言う前に、「自分自身の目」でよく見て、考えてみた方がよいでしょう。
参考記事:
また貸金業関係を書いてしまった
水戸黄門的世界観」を難ずる人々
何かのデータがあって、2つを取り出してきて比較検討する場合、そこには何らかの意図が必ずあります。なぜその2つなのか、ということに説明の意味があるからですよね。
仮に、一つを「ビアガーデンの月次売上」というデータを見るとします(そんなデータが実在するかどうかは知らないのですけれど、とりあえず)。月毎の時系列データです。そこで、売上に影響を与える要因は何だろうか、ということを考えるとしますか。で、比較データを探す時、理由をまず考えるはずです。例えば、説明として次の2つの可能性を考えてみるとします。
①暑くて天気が良ければビールを飲みたくなる人がきっと多いはずだ。だから、売上は天候に関係しているはずだろう。
②景気がいいと会社帰りなんかに立ち寄る人が増えるが、不景気だと支出を抑える気分になるから、売上は落ちるだろう。
自分が支持したい説明があるとすれば、その為の指標を探してみることは普通です。取りあえず、今は②を支持したいとして、何かの経済指標を見るとしますか。それに関連がありそうなもので、いくつか候補を挙げてみます(全くのいい加減な例に過ぎませんので)。
・名目成長率
・実質成長率
・可処分所得額
・勤労世帯の給与所得の伸び率
・失業率
他にも色々とあると思いますが、こういうのをいくつか見て、最も「うまく表現」できそうなものを選択するとどうでしょうか。この場合、失業率が最も売上データとの相関を言いやすそうであれば、「失業率が相関関係を示しているので、ビアガーデンの売上増には、経済政策や失業対策が有効」という風に説明するかもしれません。確かにそういう可能性はあるかもしれない。けれども、本当にそれが説明として妥当かどうかは、ちょっと疑問だな、と思っておくことも必要でしょう。他の意見も参照してみてからだな、とか思うのは普通でしょう。
今度は、①の説を信じているから、天候に関する指標を探して、その関係について考えるものとしましょう。次の候補を考えるとしますか。
・平均気温
・平均湿度
・雨の降らなかった日数
・真夏日の日数
・平均日照時間
こういうので見た場合、「真夏日の日数」が最も相関が言いやすそうであれば、それを選んで「暑い日の割合が多いと売上が伸びる」と説明するということです。ビアガーデンの売上は天候(真夏日の多さ)に影響される、という主張をすることになります。
この2つの説明は違うものになる訳ですが、どちらが正しいか直ぐには判らないですよね。普通の人であれば、研究者でもないし、そんなに詳しく調べたり検討したりする必要性もないので、どちらを信頼してようとも構わないと思いますが、「絶対に天候の方が正しいのだ」と主張し、それ以外の可能性を考慮しないとすれば、それは単に「(結果を)信じ込んでる」ということかもしれないのでは?ということを言ってるんですよ。データを選んでくる時、2つの組み合わせは「意図的」なものですから、そこにはある種のバイアスのようなものがあっても不思議でないのではありませんか?これを考えることすら、そんなに「ハードルが高い」ことですか?かなりの部分は天候でうまく説明できそうだが、それだけの要因ではないかもしれない、と考えることは、普通の態度なのではないですか?うまく説明できてない部分について疑問に思い、例えば「飲酒運転問題」という特殊な社会状況があったから、とか、全体的な消費停滞によって天候の割には売上が伸びなかったから、といった他の要因を考えることは、ごく当たり前なのではないですか?
こういう時、「信じ込んでるヤツラは、『いくら天候なんだよ』と言っても説得されないのさ」と考えていることの方が、自分に都合のいいものだけを見てるんじゃないでしょうか。そのような態度こそ、「天候という要因を信じ込んでいるだけ」だと思えます。論理がどうの、科学がどうのなどと言ってる割には、随分だな~と思えますね。
何かを立証せよ、と求めてる訳でもなく、「何故~と考えたのか?」という思考の道筋を尋ねているのに、「ハードルが高い」も何もないでしょう。「何故比較するデータとして、『真夏日の日数』を選択したと思うか」という質問に、「アイスクリーム販売が天候に左右されると思ったので、ビールもそうかもしれないと思ったから」とか、普通に答えられるでしょう。「暑い日が多い方が、ビールの売行きがいいはずだろうと考えたから」とか、自分で考えた道筋はあるわけでしょう?自分の考えを決める時、賛成・反対いずれでもいいのですが、何かの理由か考えがあるから「賛成」または「反対」が決定されるのですよね?こんなの「立証」でも何でもないでしょう。答えるか否かは別として(感情の問題でしょうから)、もし答えるにしても、何ら難しい要求でもないでしょう(笑)。
何かの関係を見るとき、それを選ぶ側に特定の意図があるのは普通なんですよ。曖昧な記憶ですが、「太陽の黒点周期」と「農作物の収穫高」の関連を調べたりしてる経済学者がいたのですよね?これも、それなりの「相関関係、係数」になってるのではないですか?何かの意図を持ってデータから結論を言おうと思えば、そこそこ可能なのですよ。なので、本当に意味があるのかどうか、という視点は必要でしょう。それを認められないとすれば、それこそ「信じたいものだけを信じる」のと同じなんですって。
適当に思いつく例はありますよ。
「最近の出生数の増加への反転は景気回復によるのではないか」みたいな感じで報道されてたのですが、これもいくつかの解釈は有り得ますよね。仮に、「少子化は経済環境(景気)に影響されるので、不景気になれば子どもの生まれる数は減り、好景気になれば逆に増える」と考えることもあってもいいかもしれません。
じゃあ、ってんで、試しに1980年以降の合計特殊出生率と日本の長期金利を比べてみると、「あら不思議」ってなもんですな。両者には「相関関係がある!」という大発見ですか(勿論冗談なんですからね)。なら、長期金利が上がれば、合計特殊出生率も上がっていくと予想され、長期金利を上昇させる方法が少子化対策に有効な政策ということですかね(本当は合計特殊出生率は出生数とは違うのですが、まあ、とりあえず)。
出生数及び合計特殊出生率の推移
MRI エコノミストの眼 金利が左右する消費税論議
(グラフの雰囲気では似ているでしょう?)
ここで、何かを立証してみろ、などと言ってないし、「どうして長期金利という指標を選択したのか?」ということを聞いてるんですよ。長期金利を説明することで、合計特殊出生率の変化をどのように説明しようと考えているのか、ということを聞いているんですよ。「最近は好景気になったから出生数が増えた」と主張してるなら、過去に何度かあった好景気の時期にも同じく増加トレンドになるはず、と普通は考えるでしょう。でも実際は減少傾向であるなら、「その時期には増加しなかった別なワケがある」と解釈しているからこそ、「最近は好景気だから~云々」の説明をしているはずなのですよ。なので、「過去の好景気の時期にも増加トレンドになるはず」と考えなかった理由は何か、即ち「別なワケがある」と考えたはずだろうから、「それは何ですか?」という質問をしているのですよ。
このような簡単な質問が理解できないのでしょうか。これは立証でも何でもないではありませんか。まあ、長期金利と合計特殊出生率には「相関関係がある」と言い切られ、それを「認めないヤツラは、「関係ない」と信じ込んでいるから説得できないんだーー」と、あらぬ方向に逝っているようなものです。これこそ、「自分の都合のいいものしか認めない心理」と呼ぶべきなのではありませんか?
「Xさんが~~と言ったから」ということを受け入れてそれを信じるのであれば、自分は「Xさん(の言うこと)を信じている」ということだけでしょ?それ以外に言えんでしょ?それは権威主義的に、「信じたいものだけを信じている」だけなんですって。「結論ありき」とは、「長期金利と合計特殊出生率には相関関係がある」ということを、あくまで正しいものとして信じ込んで、他の可能性も説明も捨てているってことでしょう。これも理解できないのであれば、科学がどうのとか、学問が何だのとか、そういう問題ではないでしょう。
誰しも、どうしても「認めたくない」ということがあっても、それは構わないと思いますね。ただ、「自分が見たいものだけ見て」、「都合のいいことだけを信じている」というのが、自分自身でないと確信しているなら、まんまとブービートラップに引っ掛かっているようなものです。他人の価値判断や世界観をどうこう言う前に、「自分自身の目」でよく見て、考えてみた方がよいでしょう。
参考記事:
また貸金業関係を書いてしまった
水戸黄門的世界観」を難ずる人々
何かのデータがあって、2つを取り出してきて比較検討する場合、そこには何らかの意図が必ずあります。なぜその2つなのか、ということに説明の意味があるからですよね。
仮に、一つを「ビアガーデンの月次売上」というデータを見るとします(そんなデータが実在するかどうかは知らないのですけれど、とりあえず)。月毎の時系列データです。そこで、売上に影響を与える要因は何だろうか、ということを考えるとしますか。で、比較データを探す時、理由をまず考えるはずです。例えば、説明として次の2つの可能性を考えてみるとします。
①暑くて天気が良ければビールを飲みたくなる人がきっと多いはずだ。だから、売上は天候に関係しているはずだろう。
②景気がいいと会社帰りなんかに立ち寄る人が増えるが、不景気だと支出を抑える気分になるから、売上は落ちるだろう。
自分が支持したい説明があるとすれば、その為の指標を探してみることは普通です。取りあえず、今は②を支持したいとして、何かの経済指標を見るとしますか。それに関連がありそうなもので、いくつか候補を挙げてみます(全くのいい加減な例に過ぎませんので)。
・名目成長率
・実質成長率
・可処分所得額
・勤労世帯の給与所得の伸び率
・失業率
他にも色々とあると思いますが、こういうのをいくつか見て、最も「うまく表現」できそうなものを選択するとどうでしょうか。この場合、失業率が最も売上データとの相関を言いやすそうであれば、「失業率が相関関係を示しているので、ビアガーデンの売上増には、経済政策や失業対策が有効」という風に説明するかもしれません。確かにそういう可能性はあるかもしれない。けれども、本当にそれが説明として妥当かどうかは、ちょっと疑問だな、と思っておくことも必要でしょう。他の意見も参照してみてからだな、とか思うのは普通でしょう。
今度は、①の説を信じているから、天候に関する指標を探して、その関係について考えるものとしましょう。次の候補を考えるとしますか。
・平均気温
・平均湿度
・雨の降らなかった日数
・真夏日の日数
・平均日照時間
こういうので見た場合、「真夏日の日数」が最も相関が言いやすそうであれば、それを選んで「暑い日の割合が多いと売上が伸びる」と説明するということです。ビアガーデンの売上は天候(真夏日の多さ)に影響される、という主張をすることになります。
この2つの説明は違うものになる訳ですが、どちらが正しいか直ぐには判らないですよね。普通の人であれば、研究者でもないし、そんなに詳しく調べたり検討したりする必要性もないので、どちらを信頼してようとも構わないと思いますが、「絶対に天候の方が正しいのだ」と主張し、それ以外の可能性を考慮しないとすれば、それは単に「(結果を)信じ込んでる」ということかもしれないのでは?ということを言ってるんですよ。データを選んでくる時、2つの組み合わせは「意図的」なものですから、そこにはある種のバイアスのようなものがあっても不思議でないのではありませんか?これを考えることすら、そんなに「ハードルが高い」ことですか?かなりの部分は天候でうまく説明できそうだが、それだけの要因ではないかもしれない、と考えることは、普通の態度なのではないですか?うまく説明できてない部分について疑問に思い、例えば「飲酒運転問題」という特殊な社会状況があったから、とか、全体的な消費停滞によって天候の割には売上が伸びなかったから、といった他の要因を考えることは、ごく当たり前なのではないですか?
こういう時、「信じ込んでるヤツラは、『いくら天候なんだよ』と言っても説得されないのさ」と考えていることの方が、自分に都合のいいものだけを見てるんじゃないでしょうか。そのような態度こそ、「天候という要因を信じ込んでいるだけ」だと思えます。論理がどうの、科学がどうのなどと言ってる割には、随分だな~と思えますね。
何かを立証せよ、と求めてる訳でもなく、「何故~と考えたのか?」という思考の道筋を尋ねているのに、「ハードルが高い」も何もないでしょう。「何故比較するデータとして、『真夏日の日数』を選択したと思うか」という質問に、「アイスクリーム販売が天候に左右されると思ったので、ビールもそうかもしれないと思ったから」とか、普通に答えられるでしょう。「暑い日が多い方が、ビールの売行きがいいはずだろうと考えたから」とか、自分で考えた道筋はあるわけでしょう?自分の考えを決める時、賛成・反対いずれでもいいのですが、何かの理由か考えがあるから「賛成」または「反対」が決定されるのですよね?こんなの「立証」でも何でもないでしょう。答えるか否かは別として(感情の問題でしょうから)、もし答えるにしても、何ら難しい要求でもないでしょう(笑)。
何かの関係を見るとき、それを選ぶ側に特定の意図があるのは普通なんですよ。曖昧な記憶ですが、「太陽の黒点周期」と「農作物の収穫高」の関連を調べたりしてる経済学者がいたのですよね?これも、それなりの「相関関係、係数」になってるのではないですか?何かの意図を持ってデータから結論を言おうと思えば、そこそこ可能なのですよ。なので、本当に意味があるのかどうか、という視点は必要でしょう。それを認められないとすれば、それこそ「信じたいものだけを信じる」のと同じなんですって。
適当に思いつく例はありますよ。
「最近の出生数の増加への反転は景気回復によるのではないか」みたいな感じで報道されてたのですが、これもいくつかの解釈は有り得ますよね。仮に、「少子化は経済環境(景気)に影響されるので、不景気になれば子どもの生まれる数は減り、好景気になれば逆に増える」と考えることもあってもいいかもしれません。
じゃあ、ってんで、試しに1980年以降の合計特殊出生率と日本の長期金利を比べてみると、「あら不思議」ってなもんですな。両者には「相関関係がある!」という大発見ですか(勿論冗談なんですからね)。なら、長期金利が上がれば、合計特殊出生率も上がっていくと予想され、長期金利を上昇させる方法が少子化対策に有効な政策ということですかね(本当は合計特殊出生率は出生数とは違うのですが、まあ、とりあえず)。
出生数及び合計特殊出生率の推移
MRI エコノミストの眼 金利が左右する消費税論議
(グラフの雰囲気では似ているでしょう?)
ここで、何かを立証してみろ、などと言ってないし、「どうして長期金利という指標を選択したのか?」ということを聞いてるんですよ。長期金利を説明することで、合計特殊出生率の変化をどのように説明しようと考えているのか、ということを聞いているんですよ。「最近は好景気になったから出生数が増えた」と主張してるなら、過去に何度かあった好景気の時期にも同じく増加トレンドになるはず、と普通は考えるでしょう。でも実際は減少傾向であるなら、「その時期には増加しなかった別なワケがある」と解釈しているからこそ、「最近は好景気だから~云々」の説明をしているはずなのですよ。なので、「過去の好景気の時期にも増加トレンドになるはず」と考えなかった理由は何か、即ち「別なワケがある」と考えたはずだろうから、「それは何ですか?」という質問をしているのですよ。
このような簡単な質問が理解できないのでしょうか。これは立証でも何でもないではありませんか。まあ、長期金利と合計特殊出生率には「相関関係がある」と言い切られ、それを「認めないヤツラは、「関係ない」と信じ込んでいるから説得できないんだーー」と、あらぬ方向に逝っているようなものです。これこそ、「自分の都合のいいものしか認めない心理」と呼ぶべきなのではありませんか?
「Xさんが~~と言ったから」ということを受け入れてそれを信じるのであれば、自分は「Xさん(の言うこと)を信じている」ということだけでしょ?それ以外に言えんでしょ?それは権威主義的に、「信じたいものだけを信じている」だけなんですって。「結論ありき」とは、「長期金利と合計特殊出生率には相関関係がある」ということを、あくまで正しいものとして信じ込んで、他の可能性も説明も捨てているってことでしょう。これも理解できないのであれば、科学がどうのとか、学問が何だのとか、そういう問題ではないでしょう。