数日前に厚生労働省の苦境をたまたま記事に書いたら、本当の殺傷事件が起こってしまった。恐ろしいことだ。
事件の背景として、年金行政が関係しているのかどうかは不明であると思うけれども、マスメディアを通じた「厚労省バッシング」一辺倒の論調は改善すべきだろう。現実の「生贄」を生み出す必要性などないのだから。
いつだったか忘れたが、朝ズバに出ていた野党(共産党と民主党だったように思う)議員が、「消えた年金」「宙に浮いた年金」について、与党(自民・公明)議員に対して、「これはテロだ、『年金テロ』じゃないか」みたいに言っていたように記憶している。ああいう物言いは、広く報道するべきとは思われない。「消えた年金」問題の時に、「これは社保庁の自爆テロだ」とかも安易に言われていた。今回の一連の事件について、一部報道には「年金テロ」と表現されているが、これもあまり使わない方がよいのではないかと思う。
犯人が逮捕されてみなければ犯行動機などは明らかにはならないが、もし過去の年金行政への報復といった考えを持っていたとしても、これはただの「逆恨み」でしかない。それも虚像に基づいたものだ。ただの妄想、イメージ先行だけの、幼稚で短絡的な犯行でしかない。
そもそも官僚がどんなに偉かろうと、法を決める立場にあるわけではない。国会で可決しない限り、立法されないわけだから。年金行政に重要な役割を果たしていたとしても、最終的に法を定めたのは国会議員たちだ。そうした批判をかわそうと、官僚を悪者に仕立て上げるという安易な道を選ぶことによって、犯罪が助長されるようなことがないと言えるだろうか。怨嗟を官僚に集中させることによって逆恨みを招いたとすれば、そうした報道姿勢に何らの責任がなかったと言えるだろうか。他の国会議員たちにしてもそうだ。官僚が強大な権限を握っていて、好き勝手に何でも決めてしまえるとすると、それは統治の失敗であり、統治システムがうまく機能していないということだ。それは政治家にも責任があるし、選挙民である国民にもやはり責任があるのだ。「何故失敗したか」「何が良くなかったか」ということを繰り返し反省していく以外にはないのだ。
「消えた年金」とか「年金改竄」というのは、責められるべき大失態であることに違いはない。だが、ある程度調べても判明していないものについては、どこかの時点で諦めるよりないのでは?だって、ラスト「数百万件」が残ったとして、それが完全に解明できるまでにどれくらいの時間の費用がかかるでしょうか?そこに数百億円とか数千億円を投入するくらいなら、その分をまるまま配るとか社会保障費に上乗せとして拠出した方がずっと役立つと思うのだけれど。半分くらいの国民は「年金特別便」の返信さえしていないのでしょう?
ということは、そのくらいの国民にとっては「死活問題」なのではなく、まあ「しょうがないな」という程度のことなのではありませんかね。それを完全解明して正確な年金給付を実現できるとして、どのくらいの金額でしょう?数千億円ですか?それとも数兆円?
これが無意味だとまでは言わないけれども、そんな金額よりも「経済失政」によって失われた国民の富は、数百兆円規模にも及ぶのですよ?そちらの方がはるかに大問題だと思うのですけれど。なのに、どういうわけだか、そちらへの非難というのはほぼ出てこない。経済運営がもっときちんとしていれば、経済規模も国民所得も、単年度で数十兆円規模で増えていたことでしょう。年金財政や政府負債にも、ずっと好影響を与えていたはずです。年金積立金の運用収入だって、もっとマシになっていたことでしょう。「最後の1人」までやることが、そんなに重要なことでしょうか?その「最後の1人」の数十~数百万円分の為に、調査コストを数百億円もかけることに何の意味があるんでしょうか?
「これは年金テロだ!」と「消えた年金」問題の時に発言していた議員さんには、よく考えてもらいたい。
マスメディアも、単に煽るという姿勢を改めるべきでは。「どうやって考えたら、もっと良い道を選べるか」ということについて、真剣に考えて欲しい。それには、マスメディア自身が「よりよく考える」ということに気付けなければならないだろう。
事件の背景として、年金行政が関係しているのかどうかは不明であると思うけれども、マスメディアを通じた「厚労省バッシング」一辺倒の論調は改善すべきだろう。現実の「生贄」を生み出す必要性などないのだから。
いつだったか忘れたが、朝ズバに出ていた野党(共産党と民主党だったように思う)議員が、「消えた年金」「宙に浮いた年金」について、与党(自民・公明)議員に対して、「これはテロだ、『年金テロ』じゃないか」みたいに言っていたように記憶している。ああいう物言いは、広く報道するべきとは思われない。「消えた年金」問題の時に、「これは社保庁の自爆テロだ」とかも安易に言われていた。今回の一連の事件について、一部報道には「年金テロ」と表現されているが、これもあまり使わない方がよいのではないかと思う。
犯人が逮捕されてみなければ犯行動機などは明らかにはならないが、もし過去の年金行政への報復といった考えを持っていたとしても、これはただの「逆恨み」でしかない。それも虚像に基づいたものだ。ただの妄想、イメージ先行だけの、幼稚で短絡的な犯行でしかない。
そもそも官僚がどんなに偉かろうと、法を決める立場にあるわけではない。国会で可決しない限り、立法されないわけだから。年金行政に重要な役割を果たしていたとしても、最終的に法を定めたのは国会議員たちだ。そうした批判をかわそうと、官僚を悪者に仕立て上げるという安易な道を選ぶことによって、犯罪が助長されるようなことがないと言えるだろうか。怨嗟を官僚に集中させることによって逆恨みを招いたとすれば、そうした報道姿勢に何らの責任がなかったと言えるだろうか。他の国会議員たちにしてもそうだ。官僚が強大な権限を握っていて、好き勝手に何でも決めてしまえるとすると、それは統治の失敗であり、統治システムがうまく機能していないということだ。それは政治家にも責任があるし、選挙民である国民にもやはり責任があるのだ。「何故失敗したか」「何が良くなかったか」ということを繰り返し反省していく以外にはないのだ。
「消えた年金」とか「年金改竄」というのは、責められるべき大失態であることに違いはない。だが、ある程度調べても判明していないものについては、どこかの時点で諦めるよりないのでは?だって、ラスト「数百万件」が残ったとして、それが完全に解明できるまでにどれくらいの時間の費用がかかるでしょうか?そこに数百億円とか数千億円を投入するくらいなら、その分をまるまま配るとか社会保障費に上乗せとして拠出した方がずっと役立つと思うのだけれど。半分くらいの国民は「年金特別便」の返信さえしていないのでしょう?
ということは、そのくらいの国民にとっては「死活問題」なのではなく、まあ「しょうがないな」という程度のことなのではありませんかね。それを完全解明して正確な年金給付を実現できるとして、どのくらいの金額でしょう?数千億円ですか?それとも数兆円?
これが無意味だとまでは言わないけれども、そんな金額よりも「経済失政」によって失われた国民の富は、数百兆円規模にも及ぶのですよ?そちらの方がはるかに大問題だと思うのですけれど。なのに、どういうわけだか、そちらへの非難というのはほぼ出てこない。経済運営がもっときちんとしていれば、経済規模も国民所得も、単年度で数十兆円規模で増えていたことでしょう。年金財政や政府負債にも、ずっと好影響を与えていたはずです。年金積立金の運用収入だって、もっとマシになっていたことでしょう。「最後の1人」までやることが、そんなに重要なことでしょうか?その「最後の1人」の数十~数百万円分の為に、調査コストを数百億円もかけることに何の意味があるんでしょうか?
「これは年金テロだ!」と「消えた年金」問題の時に発言していた議員さんには、よく考えてもらいたい。
マスメディアも、単に煽るという姿勢を改めるべきでは。「どうやって考えたら、もっと良い道を選べるか」ということについて、真剣に考えて欲しい。それには、マスメディア自身が「よりよく考える」ということに気付けなければならないだろう。