ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz, 1803年12月11日 - 1869年3月8日)はサンドとほぼ同時代に生きたフランス・ロマン派の音楽家である。最も有名な『幻想交響曲』は、後に結婚することになるシェイクスピア劇団の女優、アイルランド人のハリエット・スミスソンへの片想いに着想を得ていると云われている。この美しいハリエット・スミスソンとは、恐らく言葉の違いが障害となって、後年、別れることになるのだが。
ベルリオーズは、かつてその肖像がフランスの10フラン紙幣に描かれていたことでも知られる。
彼は文学に強い愛着を寄せており、その最も優れた楽曲の多くは文学作品に触発されて書かれたものだった。幼い頃から感受性の強かったベルリオーズは、医学の道を捨て、絵画に傾倒してゆく。フランスのロマン主義運動に共感し、アレクサンドル・デュマやヴィクトル・ユゴー、オノレ・ド・バルザックらとも親交を結んだ。
ロマン派の詩人で作家のゴーチエは次のように述べている。
「エクトル・ベルリオーズは、管見によると、ユゴーやドラクロワとともに、ロマン主義芸術の三位一体をなしているようだ」
(ゴーチエ)
ベルリオーズが書き残した膨大な『回想記』からは、当時の音楽界の様子を伺い知ることができる。
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彼(ベルリオーズ)は、ほとんどの場合、フランス以外の国において、その評価を高めた。(・・・)しかし、彼の目的はあくまでパリである、その音楽的報告はすべてパリに向けて書かれたものである。いかに排斥されようとも、彼はパリ以外の地に移住しようとはしなかった。彼は故郷を喪失したロマン派のあるいはそれ以降の近代的意識に属する一員である。
ハインリッヒ・ハイネは、ベルリオーズの『レクィエム』を「超自然的な感覚を産む建築的な音楽である」と評し、その音楽を英国人の画家ジョン・マーチンの絵画と比較した。
ポール・ヴァレリーは、「ベルリオーズとヴァグナー、この二人によってロマン派音楽は文学の効果を求めつつ、その文学の効果を、文学よりもいっそう鮮やかに獲得した」と書き残している。
丹治恒次郎訳『ベルリオーズ回想記』白水社 1981年 より
画像はジョン・マーチンの絵画です。