西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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『ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史』』

2016年02月15日 | 覚え書き
伊達 聖伸 (著)

単行本: 586ページ
出版社: 勁草書房 (2010/11/19)

フランスのライシテは、宗教を公的領域から私的領域に追放するものだが、
それだけではない。
本書が試みる「世俗の宗教学」は、19世紀の世俗的道徳と科学的宗教学の
成立を再構成し、宗教概念の歴史的変遷を辿り、宗教に還元されない
宗教性の行方を追う。
フランスでも高く評価された、本格派の若手による、ライシテの系譜学的人類学!


フランスがライシテ原則の共和国体制をつくりあげたとき、宗教を科学的に
研究する宗教学はその先兵となって新しい時代のライシテの宗教を創り出そ
うと試みたが、19世紀後半以後、宗教研究はそのような態度を放棄した。
それはなぜか?また、いかにして、このような変化が起こったのか?
この問題設定に対し、著者は、それは、ライシテの道徳そのものがある種の
宗教性を帯びるようになったからではないかという仮説を用意し、ユゴー、
ミシュレのロマン派世代から始まって、コント、ルナンの宗教学に移り、
ジュール・フェリーやビュイソンなどの政治家の思想へと至って、最後に
道徳と宗教の問題を徹底的に考えたデュルケムとベルクソンを再検討に
付する。
この系譜の中で著者が高く評価するのが、歴史を神学的段階、形而上学的
段階、実証的段階と三つに分けたコントである。

コントは新たな社会にも宗教が必要だとして「人類教」という宗教の確立を
主張するようになるのだが、この考え方を批判的に継承したのがデュルケム
である。デュルケムはジュール・フェリーらのライシテの道徳の不充分性を
突き、ライシテの道徳もまた「宗教的オーラ」を持つべきだとした。

ライシテの道徳の宗教性こそは、エゴイストだらけになって、道徳を引き
受けるまともな人間がいなくなった21世紀の先進国がひとしなみに直面
している問題であり、一見すると、我が国とは無縁のように見えるにも
かかわらず、日本人にとってライシテの宗教性は決して他人事ではない
のである。
哲学と歴史の双方に重大な問題提起を行った真の意味での力作である。

鹿島 茂(明治大学教授)評より抜粋

サントリー学芸賞受賞
http://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/detail/2011sr2.html

コメント
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