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アンヌ=クレール・カシウス先生の津島祐子に関する研究会にご参加下さいました皆様、昨日の土曜日(2021年6月12日)はお忙しいところをご参集いただき、誠にありがとうございました。
今回のカシウスさんのご発表では、パリ第七大学で坂井セシル氏のご指導のもとで論文を完成されたカシウスさんご自身が、津島祐子本人と日本やフランスで何度も会見されたのみならず、小説『私』の中の「鳥の涙」をご翻訳されていること、津島祐子はアイヌ民族研究をめぐりモーリシャス島生まれのノーベル賞作家ル・クレジオやフランスの作家フィリップ・フォレストと緊密な交流があったこと、その創作手法は中上健次だけでなく大江健三郎やナンシー・ヒューストン等とも親和性があったことをはじめ、津島祐子のフランスでの受容について、また日本文学のフランスにおける翻訳事情に関してなど、津島祐子にまつわる一般には知られていない貴重な知見を学ぶことが出来ました。『笑いオオカミ』については、放浪という主題に着目され、「時間配列と空間を不連続にし、謎の旅を通して自分のアイデンティティを追う主人公を描く」物語であると定義されたあと、詩と散文の組み合わせという特徴をもつ江戸時代の「道行文」という詩法に関連づけた斬新な分析と考察を展開されました。
主人公が昭和20年代の戦後の日本にワープする『笑いオオカミ』に関しては、津島文学が伝統的な日本の私小説あるいは個人的な喪の文学に留まるものではなく、津島の最愛なるものを喪失した懊悩と孤独がアイヌの口承文化、室町時代に遡る「道行文」や平安時代中期の『うつぼ物語』に向かわせたように、時空間を超え、坂井セシル氏によれば「家族の説話を神話的な範囲にまで広げている」。ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』を想起させる作家のその視線は、古代や中世、近代に向けられ、逞しい想像力によって、過去、現在、未来を繋げていることが確認される。またその領域は地理的にはツングースから匈奴、スキタイ、マケドニア、オーストラリアの先住民の住む地域にまで及んでおり、国家やネーションに従属させられる悲哀を描き(『黄金の夢の歌』)、さらに『ナラレポート』では権力の象徴である大仏を想像の力により破壊することによって母と息子のアイデンティティの開放に至る過程を描いている。このような世界的視野を有する津島は、口承文学が含有する「言葉」のみならず周縁に生きる人々の言葉にならない「声」の表出をも射程に入れ、歴史、民族、輪廻転生といった主題を踏まえた壮大な文学のパノラマを読者の眼前に繰り広げている。あるいは、複数の小説の間で同じ登場人物を出没させるバルザックの『人間喜劇』のような人物再登場法を採用している(アンヌ=クレール・カシウス)、これらの点もまた、津島文学の雄大かつ広大無辺さを物語っているといえるだろう。他の作家にはみられない、まさに日本の女性作家のまったく新たな エクリチュール・フェミニンヌとも言える津島の創作技法のスケールの大きさ、主題に肉迫する鋭い感受性と詩的時空間の奥深さこそが、カシウスさんが指摘されたように津島に14もの文学賞を受賞させ、ひいては柄谷行人が強調するように、日本では知られていないが、津島祐子が有力なノーベル文学賞受賞作家候補としてノミネートされた理由を裏付けていると言えるのではないか。カシウスさんのご発表のあと、以上のような司会者による感想が披露された。
研究会ではまた、ジェンダーやフェミニズムについても多様な観点から論じられ、津島祐子は何よりも作家であり、ミリタントゥmilitante、つまり フェミニズム活動家とはいえないが、九十年代後半に三枝和子とともに「フェミニズムプロジェクト」であり「女性による新たな文学史」でもあるという『テーマで読み解く日本の文学ー現代女性作家の試み』(小学館2004年)を出版していること(木村朗子『群像』2021年3月号参照)、さらに、たとえば『笑いオオカミ』の中で、異性装を実践し、男の名前モーグリ(オオカミに育てられる人間という意味)を自称して男言葉を話し、年上の男の子のアケーリと旅をするヒロインを登場させていること(今回の研究会では指摘しなかったが、この点はジョルジュ・サンドの長編音楽小説『コンスエロ』の中の男装をし男の偽名を使って後に著名な音楽家となるバッハ少年と旅を続けるヒロインのコンスエロとの類似性が認められる)、このほか、小説のそこかしこにさり気なくジェンダー平等を示唆する言説が散りばめられていることなどから、津島祐子はフェミニズム作家といえるのではないかという点で発言者の間で意見の一致をみた。
質疑応答では、数多くの興味深いご質問を頂きました。津島作品の文体は翻訳しやすいか、アイヌ文化と津島との関係(アイヌ文化を継承している人々は津島作品を読んでいるか、作家とアイヌ文化の継承運動との関わりについてなど)、津島がアイヌ文化に関心をもつきっかけとなったのは彼女と親交のあった詩人の藤井貞和の影響によるものではないか、「鳥の涙」という言葉は何を象徴しているのか、津島祐子はクリスチャンであったかどうか、フランスの日本人作家の翻訳事情について等々。また研究会終了後にも、題名の『笑いオオカミ』のオオカミは、ヴァージニア・ウルフの作家名のウルフ(オオカミ)からとったのではないかといったご質問も頂戴しております。
この天才的な女性作家の知られざるプロフィールと津島文学をご紹介くださったアンヌ=クレール・カシアスさんに、改めて心より御礼を申し上げたいと思います。
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カシウスさんも言及しておられましたが、最愛の娘を亡くしたという点で津島祐子と共通の経験をもつフィリップ・フォレストについては、澤田直先生が下記のYoutube で解説をなさっておられますので、是非ご覧になっていただければと思います。
フランスを読む 10回目 語り手・澤田直 フィリップ・フォレスト作「さりながら」
澤田先生、ご案内いただきまして感謝申し上げます。
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日本で翻訳されているフォレストの作品:
・『さりながら』澤田 直 (翻訳) 白水社 (2008/10/31):パリ、京都、東京、神戸。これら四都市をめぐり、三人の日本人──小林一茶、夏目漱石、写真家 山端庸介の人生に寄り添いつつ、喪失・記憶・創作について真摯に綴った〈私〉小説。
・『夢、ゆきかひて』
洪水』
シュレーディンガーの猫を追って』
・『永遠の子ども』堀内 ゆかり (翻訳)集英社 (2005/2/4):幼いわが子がガンを宣告されたら? そしてあらゆる手を尽くしても死なねばならなかったとしたら? 新進気鋭の文芸評論家フォレストにこのうえない悲しみが降りかかった。最愛の娘ポーリーヌが小児ガンで亡くなったのだ。まだ4歳だというのに…。本書は娘の発病から死に至るまでを綴った父親の闘病の記録である。フェミナ処女作賞受賞。
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日仏女性研究学会 2021年度第2回「表象の会」報告
http://blog.livedoor.jp/porte21-femmes21/archives/27550032.html
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日仏女性研究学会 2021年度第2回「表象の会」報告 : 「フランス語圏の文学・芸術における女性の表象」(表象の会)
日仏女性研究学会 2021年度第2回「フランス語圏の文学と芸術における表象」研究会 司会者のまとめと感想 カシウスさん、大変貴重なご発表を...
「フランス語圏の文学・芸術における女性の表象」(表象の会)