西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
本ブログ記事の無断転載および無断引用をお断りします。
 

ジョルジュ・サンド:部分的訳出 10

2015年08月19日 | 手帳・覚え書き
 アカデミー・フランセーズは、彼女の作品全体に文学賞を授与することを拒否した。
そのためにマチルド皇后は、ナポレオン三世に対して彼女が財政的援助を受けられる
よう仲介した。しかし、サンドは困難な境遇にもかかわらず、皇帝の援助を辞退した。

 マチルド皇后はさらに、アカデミー・フランセーズに対しジョルジュ・サンドが
アカデミー会員に選出されるよう、とりなした。しかし、女性が彼らの仲間になる
ことに反対のアカデミー会員たちは、サンドを拒絶したのだった。
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ジョルジュ・サンド:部分的訳出 9

2015年08月18日 | 手帳・覚え書き
 

 千里眼の人ジョルジュ・サンドは、自然環境を尊重するよう訴える。
彼女は人間がいかに自然にとって危険な存在かを感じ取っており、誰よりも先を
いくエコロジストとして、地球の未来を心配した。
 「遅くなれば、危険は増す。人間の欲望が、必要なものとなってしまったからだ。
(・・・)そして、この必要物に一定の限界を義務として定めないならば、人間の
要求と地球が生産する物との間の均衡がとれなくなってしまうだろう。砂漠が拡大し
消滅してしまった社会や住む人がいなくなり空気がなくなったと言われている月は、
はからずも、続く世代の無防備とまわりの自然の力の衰退によって滅びてしまった
のではないだろうか?」
 
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ジョルジュ・サンド:部分的訳出 8

2015年08月18日 | 手帳・覚え書き
 帝政時代の共和主義者ジョルジュ・サンドは、新たな政治体制の犠牲となった
共和思想を分かち合った友人たちのことを忘れてはいなかった。
 1852年、彼女はナポレオン三世に二度の謁見を求めた。彼女は共和主義の友人
たちに有利になるよう弁護し、皇帝の恩情を得た。
 彼女の数々の奔走により、ベリー地方出身の勾留者たちの解放、死刑囚の極刑
実施の中止、他の人たちの刑の軽減や釈放が勝ち取られた。
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ジョルジュ・サンド:部分的訳出 7

2015年08月17日 | 手帳・覚え書き



1848年に設立された、共和制は長くは続かなかった。1851年12月2日
のナポレオン三世のクーデターは、共和制を権力の座から追放したのだ。
 そのため、ジョルジュ・サンドは、ノアンに退いた。「最後の息の根
が止まるまで、私は貧しい人たちの味方です。そして、たとえ両手を失い、
引き裂かれようとも、私はふくろう党(レ・シューアン)のように叫ぶで
しょう。『されど民衆万歳!』と」。彼女は、その書簡の中では一歩も
ひかず、ひたむきだ。
 彼女は、いつもの情熱をもち、小説形式の作品を書き続けた。
小説は読者に「強い衝撃を与え、良心と心を目覚めさせる」のに相応
しいと彼女が考える形式だ。彼女は『我が生涯の記』の執筆を再開し
『愛の妖精』を書いた。


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ジョルジュ・サンド:部分的訳出 6

2015年08月16日 | 手帳・覚え書き
「あぁ、残念なことにローズ、お金がすべてで、あらゆるものが
買われ売られる時代には、芸術、科学、あらゆる真実は、(・・・)
特権の代金を払えない者には、禁じられているのです。
人間である権利、読めるようになる権利、考えることを学ぶ権利、
善悪を知る権利は、お金を払って手に入れなくてならないのよ。
貧乏人は例外的な才能に恵まれないかぎり、英知と教育を奪わ
れて細々と暮らす運命にあるのです。」

 1844年、彼女はベリー地方の友人たちの仲間と『真の共和国』を
創刊し、それからいくつもの新聞を発行した。

 1848年4月、ジョルジュ・サンドは、『人民の大義』を創刊したが、
そこに彼女が書いた話題の幾つかは、カール・マルクスが展開した主張
に近い革命思想と解釈された。
彼女はそれについて次のように説明している。

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ジョルジュ・サンド:部分的訳出 5

2015年08月15日 | 手帳・覚え書き
 ミュッセとの決別は、サンドにかくれんぼ遊びの終止符を打たせたが、
既婚の妻として従わなければならなかった許可申請の必要がなくなること
でもあった。
 実際のところ、ミュッセとのイタリア旅行については、夫には当時サンド
が苦しんでいた「リューマチの治療を試みるため」とし、ミュッセの母親には
冬の間、ミュッセが既婚女性のお伴をする許可を懇願しなければならなかった
のである。
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ジョルジュ・サンド:部分的訳出 4

2015年08月15日 | 手帳・覚え書き

 ジョルジュは言葉の舞台に君臨する芸術家だった。マリー
の方は、言葉に彼女の霊感、輪郭、優美さ、絢爛さを伝える。
彼女の身の動きは、彼女の意志のみに従っている。自分が
「ぼーっとしていて寡黙にみえる」と思っていたジョルジュは、
「自分の感覚が生き生きとした表現の形を取ることのできない
麻痺状態」に陥っていたが、マリーの中に完成した自分を発見
した、とジョセフ・バリーは、ジョルジュ・サンドの見事な
伝記の中で指摘している。

 「マリー・ドルヴァルが身体ごと打ちひしがれた様子をして
無気力な足取りで、しかし眼光鋭く舞台に登場すると(・・・)、
私は私自身に自らを見せるために、私と人間たちに自らをしかと
見せるために彼女の姿をして登場した自分の魂を見ているように
思われた」のだった。

 ジョルジュ・サンドが具現化するあらゆるものごとの中には、
一つの絶対的な意志が現れる。それは他者の品位をおとしめる
ものではなく、反対に、他者を理解し、実際の経験をエクリ
チュールによって乗り超えるために、他者に溶け込むという
高尚な感情だった。
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ジョルジュ・サンド:部分的訳出 3

2015年08月14日 | 手帳・覚え書き
 だからといって二人とも、文学に好んで描かれるような絶対の愛
を求めていないわけではなかった。二人はその愛を生きるために
イタリアとヴェニスを選ぶことになった。しかしそれは失敗に終わり
大きな失望の源となった。ジョルジュは悩み、アルフレッドは気乗り
のしない現実から逃走し、ヴェニスの売春宿に逃げ込んだ。その後、
今度は彼が病気に罹るが、看病したのはジョルジュだった。ミュッセ
が再び幻覚症状の危険な状態に見舞われると、サンドは詩人の枕元に
呼ばれたイタリア人医師パジェロの愛と慰めに身を任すことになる。

 ミュッセは孤独な独り者となった。サンドは、パジェロとパリに
戻った。かつての恋人同士は再会し、別れ、再び逢った。それから、
苦悩のうちに関係を絶った。彼らの熱い思いは、サンドの『彼女と
彼』を誕生させ、ミュッセの側では、彼の作品で最も美しいページ
を擁する『世紀児の告白』『ロレンザッチオ』7
『戯れに恋はすまじ』を生んだ。

 
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ジョルジュ・サンド:部分的訳出2

2015年08月13日 | 手帳・覚え書き




 サンドの人格と著作をめぐる醜聞は1833年に『マリアンヌの気紛れ』を出版した
青年アルフレッド・ミュッセにとっては、不快なものではなかった。この小説では
二人の主要登場人物のオクターヴとセリオが、ミュッセの人格の二つの面を表象して
いる。サンドとミュッセが6月末に出会ったとき、すでに彼らの名前は世に広く知ら
れており、互いの信条は二人を近づけていた。

 ジョルジュはためらい、究極の事態を受け入れる前は、友情を盾にして身を隠した。
それから彼女は、「彼に夢中になってしまいました。しかも今度は真剣です」と、友人
のサント=ブーヴに書き送ることになった。

 サンドとミュッセは、二人とも絶対なるものを探求していたが、彼の方は悪魔の餌食
となっていた。サンドはフォンテーヌブローで突然ミュッセの初めての幻覚による激しい
興奮状態を目の当たりにする。その一方で、ミュッセは愛人との生活、仕事や家庭生活と
の調和をはかろうとしていた。サンドは、「生活費を得るために、才能はないが縁かがり
をするように小説を書くのだ」と自らに言い聞かせた。というのは、彼女は物語を語る才
にたけており、真っ白なページをスラスラと文字で埋めることができたからだった。彼の
方はインスピレーションを受けて、光に到達するために翼を焼く地上の詩人と見なされて
いた。

 
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第40回「女性作家を読む会」のお知らせ

2015年08月11日 | 手帳・覚え書き

皆さま、

関東地方は、先日までの酷暑からは少し解放され朝晩は過ごしやすく
なりました。まだまだ暑い日が続く場所にお住まいの方もいらっしゃる
ことと思います。体調には十分に留意されまして、くれぐれもご自愛下さ
いますよう。

         ーーーーー

第40回「女性作家を読む会」を下記の通り、開催いたします。

8月29日(土)13時より

ーカミーユ・クローデルを読む:佐藤浩子

ージョルジュ・サンドを読む:西尾治子

表参道の会場の詳細については、参加される皆さまに追って
お知らせ申し上げます。
以上、よろしくお願い申し上げます。

世話人:西尾治子
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