祥伝社新書、2012年発行。
著者は現在の日本漢方界のオピニオンリーダーの一人。
現在の肩書きは、慶応義塾大学医学部准教授、同大学漢方医学センター・副センター長です。
この新書は「日本漢方の過去・現在・未来」を俯瞰する内容です。
導入部分では漢方の有用性をわかりやすく説き起こして啓蒙しています。
「怪しいもの」と思われがちな漢方ですが、現代科学の手法による解析が徐々に進み、効果の源が「免疫賦活作用」「抗酸化作用」であることが判明してきたことを高らかに解説しています。
「漢方薬は非科学的なのではなく未科学なのである」と説き、読んでいる私に期待感を与えてくれました。
漢方の歴史を紐解く項目では「日本漢方は中国医学の否定から始まった」という刺激的な文章が記憶に残りました。
理論に走った中医学、実践を重んじた日本漢方。
確かに中国の陰陽五行論はとっつきにくいと感じていた私ですが、日本人全体にその傾向があったことを知り安心しました(笑)。
さらに日本漢方がいろいろな事情で危機に瀕している現状に警鐘を鳴らしています。
生薬の原料は農産物であり、工業製品としての医薬品の薬価設定に馴染まず、採算がとれないで撤退する企業が出てきていること、原料のほとんどを中国からの輸入に頼っているために供給が不安定であることを指摘しています。
かの大塚敬節先生が残した「漢方薬がブームになるときが漢方の本当の危機だ、生薬が無くなったら漢方は存続し得ない」という含蓄のある言葉が身に刺さりました。
このように日本漢方の未来を語れる人は数少なく、貴重な発言だと思いました。
そして著者の思いは「子ども達の世代が、日本人であることに誇りを持つ社会になって欲しい」と壮大な広がりを見せます。グローバル化していく世界の中で活躍するには日本人としての誇り、自信を持つことが必須となりますが、漢方を通じて日本という国の特質を発信したい、と。
強く賛同する次第です。
以前、彼の講演を聞いたことがあります。
滑らかな口調で誠実な語り口で好感が持てました。
この本の語調はその時の印象より強い感じがします。言いたいことが多くて肩に力が入ったのかもしれませんね。
<メモ>
自分自身のための備忘録。
□ 英語で「Kampo Medicine」といえば日本の伝統医学を指す
「漢方」は中国の医学だと思われがちであるが、実は日本の医学である。
昔の中国にルーツに持つ伝統医学は、現在各地で熟成し、中国の中医学、韓国の韓医学、そして日本の漢方医学が存在する。この3つは似てはいるが同じではない。
1800年前に完成された中国の医学大系が、5~6世紀に朝鮮半島経由で日本に伝わり、少しずつ日本化されて独自に発展したのが「漢方」である。
現在の漢方の原型ができあがったのは江戸時代で、「漢方」という呼び方も、オランダ経由で入ってきたヨーロッパ医学を「蘭方」と呼んだことに対する日本での造語だった。
日本の近代医学は、戦前はドイツ、戦後はアメリカの後追いに終始してきたが、近年、その欧米から日本漢方を学びに来る人が増えてきている。
□ 漢方は生体の防御機構を最大限に働かせて病気を乗り越える医学
例えば風邪に用いる桂枝湯の飲み方(1800年前に中国で書かれた『傷寒論』の記述)は、
「桂枝湯を飲んだら、薄いお粥をすすって、布団をかぶって薬の力を強める。全身がしっとりするくらいの汗をかくといい。もし治らなければ少し間隔を狭めながら薬を足していく。生の冷たいもの、ヌルヌルした粘っこいもの、肉、うどん、にんにく、にら、ねぎ、酒、発酵した乳製品、悪臭のあるものは食べない方がよい」
と細かく指示されている。薬だけに頼る医学ではないのである。
□ アメリカでは薬の副作用による死亡者が年間10万人と推計されている
西洋医学の発想は、ハイリスク・ハイリターンで「副作用が起きても、それを上回る効果があって治ればいい」と考える。
□ 代替医療、補完医療、統合医療
しかし、現代医学=西洋医学が高度に際専門科された結果、さまざまな行き詰まりが起きている。よりよい医療を構築するために、「現代医学=西洋医学」と「それ以外の医学」を同じ土俵で組み合わせた「統合医療」を目指そうというのが、世界的に大きな潮流となっている。
その始まりは1990年代初頭、アメリカ・ハーバード大学のデービッド・アイゼンバーグ博士による「アメリカ国民の3分の1が西洋医学以外の代替医療を併用している」という論文の発表であった。
なお、「代替医療」(Alternative Medicine)はアメリカの言葉であり、イギリスを中心としたヨーロッパでは「補完医療」(Complementary Medicine)と呼ぶ。学会のような正式の場では、両者を合わせた「補完代替医療」という言い方が、現代の西洋医学の対語として使われている。さらには、よりよい医療を目指して西洋医学と補完代替医療を同じ土俵で組み合わせようとする「統合医療」(Integrated Medicine)が世界の潮流なのだ。
□ 漢方が今、危機に瀕している
伝統医学が世界的に注目されたことで、漢方薬の原料になる生薬が世界中で奪い合いになっている。生薬とは、植物など天然素材から作られた薬で、もともと主産地は中国だった。日本でも主要な生薬は作られていたのだが、需要が伸びているのに生産農家の高齢化や跡継ぎ不足のために供給が低下している。自給率は低くなるばかりで、日本国内での生産が13%ほどなのに対して、中国からの輸入は82%程度に達している。
輸入に頼る際の問題点は「必ず買えるとは限らない」ことだが、実際、既に中国は甘草と麻黄という二つの生薬に輸出制限をかけている。表向き「砂漠化を防ぐため」としているが、レアアース同様、戦略物質にもなり得る。
□ 「瘀血」の西洋医学的説明
「赤血球変形能が障害され、細い毛細血管を通りにくくなっている状態」
□ 漢方の診断名としての「証」
漢方では病気の原因よりも「患者さんが今どんな状態にあるのか」を重視する。これが「証」であり、漢方の診察ではこれを決定することが基本になる。
「お腹が痛い」「熱がある」などは症状である。「証」は様々な症状を統合したもので、その症状の現れ方や、平常時の体質や体格も含めて決定する、いわば「人間の分類」である。西洋医学では健康な人には病名はつけようがないのだが、証はあくまでも人間の分類なので、病気や症状がなくてもつけられる。健康に見えても、将来的な病気などが予測できるので、治療や体質改善の対象になる可能性は十分にある。
漢方では診察して証が決まれば、治療法も決まることになる。こうした診断方法は「方証相対」と呼ばれ、「証」と「治療法法」とが一体になっているのである。
例えば、風邪は時間経過でも適用される薬は変わってくる。葛根湯は風邪のごく初期、時間単位から日単位で飲む薬である。次のステージになると、小柴胡湯などが使われ、1週間ほどの単位で飲む。
一口に風邪の治療と云っても、初期。中期・慢性期・回復期という時間軸と、証の組み合わせで20種類くらい漢方薬を使い分けるのである。
□ 「証」の決定~虚実・寒熱・六病位・気血水
【虚実】・・・病気になったとき、跳ね返す力が強いのが「実」、弱いのが「虚」である。
サッカーボールや自転車のタイヤなどに空気がしっかりと入った状態が「実」、多かれ少なかれ空気が抜けた状態を「虚」とイメージするとわかりやすい。
病気を跳ね返す力は平素の体力に依存する傾向があるので、体力旺盛な人は「実」、虚弱な人は「虚」と見立てられる。平素が「実」の人は病気になったときの反応も「実」のことが多く、「虚」の人は反応も「虚」であることが多い。反応が「実」とは、病気に活発に抵抗して反応している状態で、高熱が出る場合を指し、「虚」とは反応が鈍くて微熱であることを指す。
ただし、虚実は相対的なものであり、絶対的なものではない。
例えば風邪を引いたとき、平素が「実」の人は汗をかかずに自分の体内に熱を作り、ウイルスを撃退しようとする。しかし、徹夜続きで体力が落ちているという場合には、ウイルスを排除できずに「虚」の反応を示すこともある。
【寒熱】・・・これは患者さんの自覚によるもので、必ずしも体温を測って高いかどうかを意味するものではない。
例え体温が上がっていなくても、患者さんが熱があるように漢字、顔が赤みを帯びていたり、発汗傾向があるようなら「熱」と判断する。逆に、体温計で測って熱があっても、寒気を訴えたり青白い顔でガタガタ震えるようなら「寒」である。
【気血水】
『気』・・・精神状態だけでなく広く生命のエネルギーを表す
『血』・・・血液を指すと共に、血液の流れも含まれる
『水』・・・血液以外の体液。このうち生理的体液を「津液」と呼び、病的な体液を「痰飲」と呼ぶ。
証を決めるに当たって重要な要素が、この「虚実」「寒熱」と急性熱性疾患の場合には「六病位」、慢性疾患の場合には「気血水」の3つである。この組み合わせで概ね漢方の証は決まり、すなわち薬も決まる。
□ 「副作用」と勘違いされる「誤用」
「友達が飲んでいて病気がよくなったので、同じ漢方薬を飲みたい」という患者さんは要注意。
漢方薬はその人の証に合わせて処方される。証は虚実寒熱・六病位・気血水という漢方理論で決まる状態であり、証が異なれば効く漢方薬も異なってくる。逆に証に合わない漢方薬を服用すれば体調が悪くなる可能性があるが、これは誤用であり副作用ではない。
例えば、実証用の薬を虚証の患者さんに飲ませれば胃腸障害が出ることはよく経験する。循環器病(心臓病や高血圧)を抱えた患者さんに麻黄の入った漢方薬を飲ませれば動悸がしたり不整脈が起きたりするが、これは想定内のことである。
漢方薬には薬局などで買える一般薬もあり、漢方に詳しい薬剤師と相談して使えば安全である。しかし最近はインターネットによる通販が普及して、厚生労働省の認可を受けていない並行輸入品が急増しているので要注意である。
□ 湯・散・丸
【湯】(例)葛根湯、人参湯、
伝統的な漢方薬はほとんどが「煎剤(煎じ薬)」だった。生薬をスライスしたものを組み合わせて配合したもので、服用するときは水から煮だしてかすを漉し、煎じた液体を飲んでいたので「湯(スープ)」と呼ばれた。
【散】(例)五苓散、当帰芍薬散
時代劇などで、薬研という道具を使って生薬を砕いているシーンをご覧になった方も多いと思う。
【丸】(例)八味地黄丸、桂枝茯苓丸
粉末にした生薬を丸めたもの。散と丸は熱に弱い成分を含んだ生薬を使う場合の製剤で、丸薬は少しずつ胃の中で溶け出して効力を発揮するように工夫されたものである。
それぞれのくすりが最も有効になるよう、長い歴史の中で工夫されてきたのだ。
□ エキス剤の飲み方
現在医療機関で処方される漢方薬はエキス剤と呼ばれ、煎じ薬を急冷・乾燥して作られる、いわばフリーズドライのインスタントコーヒーのようなものであり、基本的にはお湯に溶かして服用する。
お湯に溶かすときは、エキス製剤の顆粒を湯飲み茶碗半分くらいの熱湯で溶く。溶けるまでしばらくかかるので、しばらく待ってすっかり溶けてから飲む。よく溶けなければ、電子レンジで温めてもよい。
□ 西洋医学と中医学と日本漢方との違い
西洋医学は「この病気にはこの薬」と決まっており、そのほとんどが科学的に合成された物質で、強い薬理作用を示す。
漢方薬は「この人は○○湯の証だから○○湯」という使い方をする。証は診断名でもあり治療法でもある(方証相対)。方剤は天然素材の生薬を複数組み合わせて作られている「約束処方」である。
中医学では、時には抽象的、観念的なまでに理路整然としたプロセス(弁証)に従って証を決め、さらに薬を決めるプロセス(論治)がある。これを「弁証論治」と呼び、一人一人に合わせて生薬の配合を決めるのだ。厳密さという点では、日本の漢方やりもさらにオーダーメードであると云えるだろう。
□ 解明されつつある漢方薬のメカニズム
近年、漢方薬が生体の持つ防御機能をどうやって最大限に活用しているのか、メカニズムの一端がわかってきた。大きな柱は、免疫細胞を活性化して免疫力を高める免疫賦活作用と、細胞を参加させて傷つける活性酸素を抑える抗酸化作用にあった。
私たちの研究では、漢方薬は腸内細菌を変化させることによって、生体の遺伝子をコントロールしていることが明らかになった。大腸のインターフェロンの産生細胞を刺激していたのである。
昔から漢方では「脾胃(胃腸機能)を建て直す」といって、小建中湯などが用いられてきた。この場合の「中」は胃腸機能を表しているのだが、人間に共生する腸内細菌との関係が明らかになってきたのである。
□ 漢方薬はどのようにして腸内細菌をコントロールしているのか
腸内には細菌が100兆個存在する。人体の細胞数が60兆個だからそれよりも遙かに多い細菌が腸の中に住み着いているのである。そして腸内細菌は人体と共生関係にある。人間は腸内細菌の住み着く環境を用意し、その代わり細菌は食べ物の消化吸収を助けたり、ビタミン、ホルモンの精製に関わり、免疫力を高めたりしているのだ。つまり腸内細菌は人間の健康維持や老化防止に大きく関わっているのである。
漢方薬の成分は分子量の大きさで3つに大別できる。
1.低分子成分
そのままの形で吸収される。血中濃度のピークは1時間以内に迎え、8時間でほぼ血中から消滅する。小青竜湯に含まれるエフェドリンはこの低分子成分であり、即効性が発揮される理由である。
2.配糖体
分子の一部に糖が結びついているので、胃酸に分解されにくい。兆に達してから細菌の働きで糖成分が外されて吸収される。そのため、血中濃度のピークは6~12時間前後である。いわば天然のプロドラッグ(生体内で代謝作用を受けて活性化し効力を現す薬)がこの配糖体成分だ。甘草のグリチルリチンはこの代表例である。
3.多糖体
分子量が100万に達することもある化合物で、どのように生体に作用するのかは謎であるが、免疫を活性化するには欠かせない成分とされる。キノコ類に含まれ、健康食品で珍重されるベータグルカンもこの仲間である。
これらの糖成分が腸内細菌の栄養源となり、腸内細菌の組成が変化することがわかってきた。
□ 漢方薬の抗酸化作用
人間に限らず動物は、呼吸して酸素によってエネルギーを作り出しているのだが、その過程で活性酸素を発生している。ところがこの活性酸素は細胞を酸化させて傷つけ、老化させてしまう。活性酸素は動脈硬化を促進し、細胞の老化や癌化の一因ともなるやっかいな存在だ。
この活性酸素を抑える作用を抗酸化作用と呼び、抗酸化力を表す指標としてアメリカで使われるようになった数値がORAC(オラック)値だ。漢方薬のORAC値は高く、強力な抗酸化作用を有している。
「漢方は非科学的なのではなく、未科学」というのが漢方医の常套句なのである。
□ 日本漢方の歴史
日本の伝統医学(漢方)は中国医学の否定から始まっている。なぜ中国から離れたかと云えば、起源においては非常に実践的だった古代中国の医学が、時代が下るとともにどんどん観念的になっていったからだ。
1800年前に書かれた中国の医書『金匱要略』『傷寒論』はシンプルな指示書だった。それをさまざまな理論で肉付けしていく過程で、古代中国の自然哲学である五行説などが取り込まれて、観念的で頭でっかちなものになっていった。目の前の現実よりも頭で考えた理論を優先してしまったのである。しかも時代と共に五行説自体が全く変わってくるのに、それを絶対視して臓器を無理に当てはめるなどして理論を構築するものだから、ますます観念的になっていった。
これに対して日本では、抽象的な理論よりも実学を重視したのだった。
江戸時代前期に伊藤仁齊を中心に儒教の古義学が盛んになった。「教典解釈による難解な理屈をありがたがるのをやめて、原典に戻って実証主義的に研究しよう」というものである。医学でも「観念論を廃してシンプルな『傷寒論』の時代に戻ろう」と実学としての漢方医学が追求されるようになった(「古方派」)。文字で見ると守旧派のようだが実証主義であり、理論を優先する「後世派」に対する批判として始まったのだ。
そのため、日本漢方には大げさな理論がない。今漢方では証はおよそ80に分類されテイル一方で、中医学の証は約3000もある(そもそも中国が国家基準として証を統一したのは1995年のことで、医療の現場で絵はほとんど使われていない。統一以前は広い国土の中で、様々な理論が乱立していたのだった)。
現代に繋がる漢方の祖となったのは江戸時代中期の古方派漢方医、吉益東洞である。彼を見いだしたのは山脇東洋だ(図録「臓志」を表す)。東洋は漢方医ながら、陰陽五行説に強引に人間の臓器を当てはめたような旧来の常識を怪しんで、人体解剖によって人体の構造を確かめた(杉田玄白の17年前)。
吉益東洞は「親試実験」という言葉で「理論をいくら述べ立てても仕方がない。実際に試してみないとわからないではないか」と実際に試してみることを強く勧めている。中国で重視された脈診よりも、腹診を重視して体系化したのが彼だった。中国では儒教の影響で、直接身体に触れることを避けたために腹診は廃れている。
1804年、世界で初めて全身麻酔による手術を成功させた華岡青洲は、吉益東洞の弟子筋に当たる漢方医だが、オランダ流の外科技術も学んだ漢蘭折衷派の医師だった。全身麻酔を行いながら、麻酔から早く覚めるための漢方薬や、術後の治りを早めるための漢方薬も研究している。
明治時代には一旦捨て去られた漢方に見直しの機運が出てくるのは大正~昭和にかけてからである。
中山忠直という警世家が『漢方医学の新研究』という本をだして、漢方の見直しを呼びかけた。昭和2年に観光されたこの本で、科学の名の下に分析、細分化を進める弊害を述べ、西洋医学が万能ではないことを指摘した上で、漢方医学と西洋医学の統合を提唱している。また「西洋医学では外科の輸入はよかったけれども、内科の輸入は愚作だった」とも述べている。
医師では和田啓十郎、湯本求真、大塚敬節らが尽力した。
和田啓十郎(1872年生まれ)は西洋医学を学んで医者になった。学生時代に吉益東洞の『医事或問』を呼んで漢方医を目指し、1910年(明治43年)に研究と経験をまとめて『医界之鉄椎』を自費出版した。壊滅に瀕していた漢方を蘇らせようとして書かれたこの本は大きな反響を呼び、実践する医師も増えた。その中の一人が湯本求真である。
西洋医学を学んだ休診が郷里の石川県で開業してしばらくした頃、疫痢(今で云うロタウイルスなどによる流行性下痢症)によって家族を相次いで失い、多くの村民を治療の甲斐無く無くしていった。最新、最善であるはずの西洋医学で全力を尽くしたにもかかわらず命を救うことができなかったことから西洋医学に疑問を持った求真は、和田啓十郎と書簡のやり取りをしながら漢方を学んだ。石川県で「和漢洋医術折衷診療院」を開業した後、東京に出て漢方復活に足跡を残した。湯本求真の著書『皇漢医学』は現在の東洋医学のテキストとして使われている優れた著作であり、中国・韓国でも翻訳されている。
その湯本求真に師事し、漢方復権に尽力したのが大塚敬節だった。高知県で家業の医院を継いでいた彼が漢方に傾倒したきっかけは、中山忠直の『漢方医学の新研究』を呼んだことだった。敬節は高知の医院を閉院して上京し湯本求真に入門する。1年後には東京で漢方医院を開設して研鑽を重ね、1934年に日本漢方医学会を創立、1950年に漢方医の学術団体である日本東洋医学会を創立するなど、戦前戦後を通じて漢方の復興を主導していく。
1967年に4種類だけであったが、最初の医療用の漢方製剤が発売され、そのときから保険適用されている。1976年に医療用の漢方製剤に健康保険が適用になった段階で40種に増え、現在では147種が医療用漢方エキス製剤として使えるようになっている。
□ 薬価にしばられる生薬問題
西洋薬は工業製品であるのに対して生薬は農産物に近いが、価格は薬価で決定されている。農産物の価格も人件費も運送料金も上がったが、漢方薬は薬価という制度の下で、原料が高騰しても全くまかなえずに2年ごとに少しずつ下がってきたのである。あるメーカーの医療用漢方エキス製剤の薬価は、物価が上がるのと逆行して36%も下がっており、売れば売るほど赤字になる逆ざや品と化している。
もはや医療用の煎じ薬は「風前の灯火」に近い。
すでにメーカーの撤退や倒産が相次いでいる。事実、過去5年間で2社が倒産し、経営不振が噂されるメーカーが後を絶たない。
□ 期待される日本の生薬生産技術
日本ではバイオを駆使した製薬産業も検討されている。
【甘草の水耕栽培】
鹿島建設、医薬基盤研究所、千葉大学の共同研究。土で育てると4年かかるところが、1年半ほどで収穫できる。しかも残留農薬の心配が無く、均質に成分を含んでいる。
【朝鮮人参のカルス培養】
植物全体を育てるのではなく、有用な組織だけを選別して培養する方法。日東電工が取り組んでいる。
【冬虫夏草のカイコによる生産】
冬虫夏草はコウモリガの幼虫にきのこが寄生した生薬である。シルクバイオ研究所はコウモリガのかわりにカイコを使って無菌的に生産している。安全性が高く大量生産可能で、価格も1/10位で安定している。
□ 伝統医学を巡る中国と韓国の覇権争い
中国は中医学を伝統医療の国際標準にしようと猛進している。その背景には韓国との激しい対立がある。韓国もまた自国の鍼灸を中心に、ISOでの韓医学の標準化を狙ってアジア諸国に働きかけている。
それに比べて情けないくらい全く無策なのが日本である。
著者は現在の日本漢方界のオピニオンリーダーの一人。
現在の肩書きは、慶応義塾大学医学部准教授、同大学漢方医学センター・副センター長です。
この新書は「日本漢方の過去・現在・未来」を俯瞰する内容です。
導入部分では漢方の有用性をわかりやすく説き起こして啓蒙しています。
「怪しいもの」と思われがちな漢方ですが、現代科学の手法による解析が徐々に進み、効果の源が「免疫賦活作用」「抗酸化作用」であることが判明してきたことを高らかに解説しています。
「漢方薬は非科学的なのではなく未科学なのである」と説き、読んでいる私に期待感を与えてくれました。
漢方の歴史を紐解く項目では「日本漢方は中国医学の否定から始まった」という刺激的な文章が記憶に残りました。
理論に走った中医学、実践を重んじた日本漢方。
確かに中国の陰陽五行論はとっつきにくいと感じていた私ですが、日本人全体にその傾向があったことを知り安心しました(笑)。
さらに日本漢方がいろいろな事情で危機に瀕している現状に警鐘を鳴らしています。
生薬の原料は農産物であり、工業製品としての医薬品の薬価設定に馴染まず、採算がとれないで撤退する企業が出てきていること、原料のほとんどを中国からの輸入に頼っているために供給が不安定であることを指摘しています。
かの大塚敬節先生が残した「漢方薬がブームになるときが漢方の本当の危機だ、生薬が無くなったら漢方は存続し得ない」という含蓄のある言葉が身に刺さりました。
このように日本漢方の未来を語れる人は数少なく、貴重な発言だと思いました。
そして著者の思いは「子ども達の世代が、日本人であることに誇りを持つ社会になって欲しい」と壮大な広がりを見せます。グローバル化していく世界の中で活躍するには日本人としての誇り、自信を持つことが必須となりますが、漢方を通じて日本という国の特質を発信したい、と。
強く賛同する次第です。
以前、彼の講演を聞いたことがあります。
滑らかな口調で誠実な語り口で好感が持てました。
この本の語調はその時の印象より強い感じがします。言いたいことが多くて肩に力が入ったのかもしれませんね。
<メモ>
自分自身のための備忘録。
□ 英語で「Kampo Medicine」といえば日本の伝統医学を指す
「漢方」は中国の医学だと思われがちであるが、実は日本の医学である。
昔の中国にルーツに持つ伝統医学は、現在各地で熟成し、中国の中医学、韓国の韓医学、そして日本の漢方医学が存在する。この3つは似てはいるが同じではない。
1800年前に完成された中国の医学大系が、5~6世紀に朝鮮半島経由で日本に伝わり、少しずつ日本化されて独自に発展したのが「漢方」である。
現在の漢方の原型ができあがったのは江戸時代で、「漢方」という呼び方も、オランダ経由で入ってきたヨーロッパ医学を「蘭方」と呼んだことに対する日本での造語だった。
日本の近代医学は、戦前はドイツ、戦後はアメリカの後追いに終始してきたが、近年、その欧米から日本漢方を学びに来る人が増えてきている。
□ 漢方は生体の防御機構を最大限に働かせて病気を乗り越える医学
例えば風邪に用いる桂枝湯の飲み方(1800年前に中国で書かれた『傷寒論』の記述)は、
「桂枝湯を飲んだら、薄いお粥をすすって、布団をかぶって薬の力を強める。全身がしっとりするくらいの汗をかくといい。もし治らなければ少し間隔を狭めながら薬を足していく。生の冷たいもの、ヌルヌルした粘っこいもの、肉、うどん、にんにく、にら、ねぎ、酒、発酵した乳製品、悪臭のあるものは食べない方がよい」
と細かく指示されている。薬だけに頼る医学ではないのである。
□ アメリカでは薬の副作用による死亡者が年間10万人と推計されている
西洋医学の発想は、ハイリスク・ハイリターンで「副作用が起きても、それを上回る効果があって治ればいい」と考える。
□ 代替医療、補完医療、統合医療
しかし、現代医学=西洋医学が高度に際専門科された結果、さまざまな行き詰まりが起きている。よりよい医療を構築するために、「現代医学=西洋医学」と「それ以外の医学」を同じ土俵で組み合わせた「統合医療」を目指そうというのが、世界的に大きな潮流となっている。
その始まりは1990年代初頭、アメリカ・ハーバード大学のデービッド・アイゼンバーグ博士による「アメリカ国民の3分の1が西洋医学以外の代替医療を併用している」という論文の発表であった。
なお、「代替医療」(Alternative Medicine)はアメリカの言葉であり、イギリスを中心としたヨーロッパでは「補完医療」(Complementary Medicine)と呼ぶ。学会のような正式の場では、両者を合わせた「補完代替医療」という言い方が、現代の西洋医学の対語として使われている。さらには、よりよい医療を目指して西洋医学と補完代替医療を同じ土俵で組み合わせようとする「統合医療」(Integrated Medicine)が世界の潮流なのだ。
□ 漢方が今、危機に瀕している
伝統医学が世界的に注目されたことで、漢方薬の原料になる生薬が世界中で奪い合いになっている。生薬とは、植物など天然素材から作られた薬で、もともと主産地は中国だった。日本でも主要な生薬は作られていたのだが、需要が伸びているのに生産農家の高齢化や跡継ぎ不足のために供給が低下している。自給率は低くなるばかりで、日本国内での生産が13%ほどなのに対して、中国からの輸入は82%程度に達している。
輸入に頼る際の問題点は「必ず買えるとは限らない」ことだが、実際、既に中国は甘草と麻黄という二つの生薬に輸出制限をかけている。表向き「砂漠化を防ぐため」としているが、レアアース同様、戦略物質にもなり得る。
□ 「瘀血」の西洋医学的説明
「赤血球変形能が障害され、細い毛細血管を通りにくくなっている状態」
□ 漢方の診断名としての「証」
漢方では病気の原因よりも「患者さんが今どんな状態にあるのか」を重視する。これが「証」であり、漢方の診察ではこれを決定することが基本になる。
「お腹が痛い」「熱がある」などは症状である。「証」は様々な症状を統合したもので、その症状の現れ方や、平常時の体質や体格も含めて決定する、いわば「人間の分類」である。西洋医学では健康な人には病名はつけようがないのだが、証はあくまでも人間の分類なので、病気や症状がなくてもつけられる。健康に見えても、将来的な病気などが予測できるので、治療や体質改善の対象になる可能性は十分にある。
漢方では診察して証が決まれば、治療法も決まることになる。こうした診断方法は「方証相対」と呼ばれ、「証」と「治療法法」とが一体になっているのである。
例えば、風邪は時間経過でも適用される薬は変わってくる。葛根湯は風邪のごく初期、時間単位から日単位で飲む薬である。次のステージになると、小柴胡湯などが使われ、1週間ほどの単位で飲む。
一口に風邪の治療と云っても、初期。中期・慢性期・回復期という時間軸と、証の組み合わせで20種類くらい漢方薬を使い分けるのである。
□ 「証」の決定~虚実・寒熱・六病位・気血水
【虚実】・・・病気になったとき、跳ね返す力が強いのが「実」、弱いのが「虚」である。
サッカーボールや自転車のタイヤなどに空気がしっかりと入った状態が「実」、多かれ少なかれ空気が抜けた状態を「虚」とイメージするとわかりやすい。
病気を跳ね返す力は平素の体力に依存する傾向があるので、体力旺盛な人は「実」、虚弱な人は「虚」と見立てられる。平素が「実」の人は病気になったときの反応も「実」のことが多く、「虚」の人は反応も「虚」であることが多い。反応が「実」とは、病気に活発に抵抗して反応している状態で、高熱が出る場合を指し、「虚」とは反応が鈍くて微熱であることを指す。
ただし、虚実は相対的なものであり、絶対的なものではない。
例えば風邪を引いたとき、平素が「実」の人は汗をかかずに自分の体内に熱を作り、ウイルスを撃退しようとする。しかし、徹夜続きで体力が落ちているという場合には、ウイルスを排除できずに「虚」の反応を示すこともある。
【寒熱】・・・これは患者さんの自覚によるもので、必ずしも体温を測って高いかどうかを意味するものではない。
例え体温が上がっていなくても、患者さんが熱があるように漢字、顔が赤みを帯びていたり、発汗傾向があるようなら「熱」と判断する。逆に、体温計で測って熱があっても、寒気を訴えたり青白い顔でガタガタ震えるようなら「寒」である。
【気血水】
『気』・・・精神状態だけでなく広く生命のエネルギーを表す
『血』・・・血液を指すと共に、血液の流れも含まれる
『水』・・・血液以外の体液。このうち生理的体液を「津液」と呼び、病的な体液を「痰飲」と呼ぶ。
証を決めるに当たって重要な要素が、この「虚実」「寒熱」と急性熱性疾患の場合には「六病位」、慢性疾患の場合には「気血水」の3つである。この組み合わせで概ね漢方の証は決まり、すなわち薬も決まる。
□ 「副作用」と勘違いされる「誤用」
「友達が飲んでいて病気がよくなったので、同じ漢方薬を飲みたい」という患者さんは要注意。
漢方薬はその人の証に合わせて処方される。証は虚実寒熱・六病位・気血水という漢方理論で決まる状態であり、証が異なれば効く漢方薬も異なってくる。逆に証に合わない漢方薬を服用すれば体調が悪くなる可能性があるが、これは誤用であり副作用ではない。
例えば、実証用の薬を虚証の患者さんに飲ませれば胃腸障害が出ることはよく経験する。循環器病(心臓病や高血圧)を抱えた患者さんに麻黄の入った漢方薬を飲ませれば動悸がしたり不整脈が起きたりするが、これは想定内のことである。
漢方薬には薬局などで買える一般薬もあり、漢方に詳しい薬剤師と相談して使えば安全である。しかし最近はインターネットによる通販が普及して、厚生労働省の認可を受けていない並行輸入品が急増しているので要注意である。
□ 湯・散・丸
【湯】(例)葛根湯、人参湯、
伝統的な漢方薬はほとんどが「煎剤(煎じ薬)」だった。生薬をスライスしたものを組み合わせて配合したもので、服用するときは水から煮だしてかすを漉し、煎じた液体を飲んでいたので「湯(スープ)」と呼ばれた。
【散】(例)五苓散、当帰芍薬散
時代劇などで、薬研という道具を使って生薬を砕いているシーンをご覧になった方も多いと思う。
【丸】(例)八味地黄丸、桂枝茯苓丸
粉末にした生薬を丸めたもの。散と丸は熱に弱い成分を含んだ生薬を使う場合の製剤で、丸薬は少しずつ胃の中で溶け出して効力を発揮するように工夫されたものである。
それぞれのくすりが最も有効になるよう、長い歴史の中で工夫されてきたのだ。
□ エキス剤の飲み方
現在医療機関で処方される漢方薬はエキス剤と呼ばれ、煎じ薬を急冷・乾燥して作られる、いわばフリーズドライのインスタントコーヒーのようなものであり、基本的にはお湯に溶かして服用する。
お湯に溶かすときは、エキス製剤の顆粒を湯飲み茶碗半分くらいの熱湯で溶く。溶けるまでしばらくかかるので、しばらく待ってすっかり溶けてから飲む。よく溶けなければ、電子レンジで温めてもよい。
□ 西洋医学と中医学と日本漢方との違い
西洋医学は「この病気にはこの薬」と決まっており、そのほとんどが科学的に合成された物質で、強い薬理作用を示す。
漢方薬は「この人は○○湯の証だから○○湯」という使い方をする。証は診断名でもあり治療法でもある(方証相対)。方剤は天然素材の生薬を複数組み合わせて作られている「約束処方」である。
中医学では、時には抽象的、観念的なまでに理路整然としたプロセス(弁証)に従って証を決め、さらに薬を決めるプロセス(論治)がある。これを「弁証論治」と呼び、一人一人に合わせて生薬の配合を決めるのだ。厳密さという点では、日本の漢方やりもさらにオーダーメードであると云えるだろう。
□ 解明されつつある漢方薬のメカニズム
近年、漢方薬が生体の持つ防御機能をどうやって最大限に活用しているのか、メカニズムの一端がわかってきた。大きな柱は、免疫細胞を活性化して免疫力を高める免疫賦活作用と、細胞を参加させて傷つける活性酸素を抑える抗酸化作用にあった。
私たちの研究では、漢方薬は腸内細菌を変化させることによって、生体の遺伝子をコントロールしていることが明らかになった。大腸のインターフェロンの産生細胞を刺激していたのである。
昔から漢方では「脾胃(胃腸機能)を建て直す」といって、小建中湯などが用いられてきた。この場合の「中」は胃腸機能を表しているのだが、人間に共生する腸内細菌との関係が明らかになってきたのである。
□ 漢方薬はどのようにして腸内細菌をコントロールしているのか
腸内には細菌が100兆個存在する。人体の細胞数が60兆個だからそれよりも遙かに多い細菌が腸の中に住み着いているのである。そして腸内細菌は人体と共生関係にある。人間は腸内細菌の住み着く環境を用意し、その代わり細菌は食べ物の消化吸収を助けたり、ビタミン、ホルモンの精製に関わり、免疫力を高めたりしているのだ。つまり腸内細菌は人間の健康維持や老化防止に大きく関わっているのである。
漢方薬の成分は分子量の大きさで3つに大別できる。
1.低分子成分
そのままの形で吸収される。血中濃度のピークは1時間以内に迎え、8時間でほぼ血中から消滅する。小青竜湯に含まれるエフェドリンはこの低分子成分であり、即効性が発揮される理由である。
2.配糖体
分子の一部に糖が結びついているので、胃酸に分解されにくい。兆に達してから細菌の働きで糖成分が外されて吸収される。そのため、血中濃度のピークは6~12時間前後である。いわば天然のプロドラッグ(生体内で代謝作用を受けて活性化し効力を現す薬)がこの配糖体成分だ。甘草のグリチルリチンはこの代表例である。
3.多糖体
分子量が100万に達することもある化合物で、どのように生体に作用するのかは謎であるが、免疫を活性化するには欠かせない成分とされる。キノコ類に含まれ、健康食品で珍重されるベータグルカンもこの仲間である。
これらの糖成分が腸内細菌の栄養源となり、腸内細菌の組成が変化することがわかってきた。
□ 漢方薬の抗酸化作用
人間に限らず動物は、呼吸して酸素によってエネルギーを作り出しているのだが、その過程で活性酸素を発生している。ところがこの活性酸素は細胞を酸化させて傷つけ、老化させてしまう。活性酸素は動脈硬化を促進し、細胞の老化や癌化の一因ともなるやっかいな存在だ。
この活性酸素を抑える作用を抗酸化作用と呼び、抗酸化力を表す指標としてアメリカで使われるようになった数値がORAC(オラック)値だ。漢方薬のORAC値は高く、強力な抗酸化作用を有している。
「漢方は非科学的なのではなく、未科学」というのが漢方医の常套句なのである。
□ 日本漢方の歴史
日本の伝統医学(漢方)は中国医学の否定から始まっている。なぜ中国から離れたかと云えば、起源においては非常に実践的だった古代中国の医学が、時代が下るとともにどんどん観念的になっていったからだ。
1800年前に書かれた中国の医書『金匱要略』『傷寒論』はシンプルな指示書だった。それをさまざまな理論で肉付けしていく過程で、古代中国の自然哲学である五行説などが取り込まれて、観念的で頭でっかちなものになっていった。目の前の現実よりも頭で考えた理論を優先してしまったのである。しかも時代と共に五行説自体が全く変わってくるのに、それを絶対視して臓器を無理に当てはめるなどして理論を構築するものだから、ますます観念的になっていった。
これに対して日本では、抽象的な理論よりも実学を重視したのだった。
江戸時代前期に伊藤仁齊を中心に儒教の古義学が盛んになった。「教典解釈による難解な理屈をありがたがるのをやめて、原典に戻って実証主義的に研究しよう」というものである。医学でも「観念論を廃してシンプルな『傷寒論』の時代に戻ろう」と実学としての漢方医学が追求されるようになった(「古方派」)。文字で見ると守旧派のようだが実証主義であり、理論を優先する「後世派」に対する批判として始まったのだ。
そのため、日本漢方には大げさな理論がない。今漢方では証はおよそ80に分類されテイル一方で、中医学の証は約3000もある(そもそも中国が国家基準として証を統一したのは1995年のことで、医療の現場で絵はほとんど使われていない。統一以前は広い国土の中で、様々な理論が乱立していたのだった)。
現代に繋がる漢方の祖となったのは江戸時代中期の古方派漢方医、吉益東洞である。彼を見いだしたのは山脇東洋だ(図録「臓志」を表す)。東洋は漢方医ながら、陰陽五行説に強引に人間の臓器を当てはめたような旧来の常識を怪しんで、人体解剖によって人体の構造を確かめた(杉田玄白の17年前)。
吉益東洞は「親試実験」という言葉で「理論をいくら述べ立てても仕方がない。実際に試してみないとわからないではないか」と実際に試してみることを強く勧めている。中国で重視された脈診よりも、腹診を重視して体系化したのが彼だった。中国では儒教の影響で、直接身体に触れることを避けたために腹診は廃れている。
1804年、世界で初めて全身麻酔による手術を成功させた華岡青洲は、吉益東洞の弟子筋に当たる漢方医だが、オランダ流の外科技術も学んだ漢蘭折衷派の医師だった。全身麻酔を行いながら、麻酔から早く覚めるための漢方薬や、術後の治りを早めるための漢方薬も研究している。
明治時代には一旦捨て去られた漢方に見直しの機運が出てくるのは大正~昭和にかけてからである。
中山忠直という警世家が『漢方医学の新研究』という本をだして、漢方の見直しを呼びかけた。昭和2年に観光されたこの本で、科学の名の下に分析、細分化を進める弊害を述べ、西洋医学が万能ではないことを指摘した上で、漢方医学と西洋医学の統合を提唱している。また「西洋医学では外科の輸入はよかったけれども、内科の輸入は愚作だった」とも述べている。
医師では和田啓十郎、湯本求真、大塚敬節らが尽力した。
和田啓十郎(1872年生まれ)は西洋医学を学んで医者になった。学生時代に吉益東洞の『医事或問』を呼んで漢方医を目指し、1910年(明治43年)に研究と経験をまとめて『医界之鉄椎』を自費出版した。壊滅に瀕していた漢方を蘇らせようとして書かれたこの本は大きな反響を呼び、実践する医師も増えた。その中の一人が湯本求真である。
西洋医学を学んだ休診が郷里の石川県で開業してしばらくした頃、疫痢(今で云うロタウイルスなどによる流行性下痢症)によって家族を相次いで失い、多くの村民を治療の甲斐無く無くしていった。最新、最善であるはずの西洋医学で全力を尽くしたにもかかわらず命を救うことができなかったことから西洋医学に疑問を持った求真は、和田啓十郎と書簡のやり取りをしながら漢方を学んだ。石川県で「和漢洋医術折衷診療院」を開業した後、東京に出て漢方復活に足跡を残した。湯本求真の著書『皇漢医学』は現在の東洋医学のテキストとして使われている優れた著作であり、中国・韓国でも翻訳されている。
その湯本求真に師事し、漢方復権に尽力したのが大塚敬節だった。高知県で家業の医院を継いでいた彼が漢方に傾倒したきっかけは、中山忠直の『漢方医学の新研究』を呼んだことだった。敬節は高知の医院を閉院して上京し湯本求真に入門する。1年後には東京で漢方医院を開設して研鑽を重ね、1934年に日本漢方医学会を創立、1950年に漢方医の学術団体である日本東洋医学会を創立するなど、戦前戦後を通じて漢方の復興を主導していく。
1967年に4種類だけであったが、最初の医療用の漢方製剤が発売され、そのときから保険適用されている。1976年に医療用の漢方製剤に健康保険が適用になった段階で40種に増え、現在では147種が医療用漢方エキス製剤として使えるようになっている。
□ 薬価にしばられる生薬問題
西洋薬は工業製品であるのに対して生薬は農産物に近いが、価格は薬価で決定されている。農産物の価格も人件費も運送料金も上がったが、漢方薬は薬価という制度の下で、原料が高騰しても全くまかなえずに2年ごとに少しずつ下がってきたのである。あるメーカーの医療用漢方エキス製剤の薬価は、物価が上がるのと逆行して36%も下がっており、売れば売るほど赤字になる逆ざや品と化している。
もはや医療用の煎じ薬は「風前の灯火」に近い。
すでにメーカーの撤退や倒産が相次いでいる。事実、過去5年間で2社が倒産し、経営不振が噂されるメーカーが後を絶たない。
□ 期待される日本の生薬生産技術
日本ではバイオを駆使した製薬産業も検討されている。
【甘草の水耕栽培】
鹿島建設、医薬基盤研究所、千葉大学の共同研究。土で育てると4年かかるところが、1年半ほどで収穫できる。しかも残留農薬の心配が無く、均質に成分を含んでいる。
【朝鮮人参のカルス培養】
植物全体を育てるのではなく、有用な組織だけを選別して培養する方法。日東電工が取り組んでいる。
【冬虫夏草のカイコによる生産】
冬虫夏草はコウモリガの幼虫にきのこが寄生した生薬である。シルクバイオ研究所はコウモリガのかわりにカイコを使って無菌的に生産している。安全性が高く大量生産可能で、価格も1/10位で安定している。
□ 伝統医学を巡る中国と韓国の覇権争い
中国は中医学を伝統医療の国際標準にしようと猛進している。その背景には韓国との激しい対立がある。韓国もまた自国の鍼灸を中心に、ISOでの韓医学の標準化を狙ってアジア諸国に働きかけている。
それに比べて情けないくらい全く無策なのが日本である。