「未来の漢方~ユニバースとコスモスの医学~」
(亜紀書房、2013年発行)
<内容紹介>
「気のせい」も病気のうち。体と心の不具合には、とことん向き合う。
漢方では人の体をどのように診るのか。どんな考え方で成り立っているのか。得意分野はなにか。マスを治すのに長ける西洋医学に対して、総合治療である漢方の再発見とこれから――。
聞き書きの名手森まゆみさんが、NHKドクターG出演の津田医師(JR東京総合病院)に聞く。
西洋医学と東洋医学はからだの見方が違う。つまり違った言語で人の体を見ている。そして、お互いに得意分野が違う。「なんとなく調子が悪い」とか「冷え症がなおらない」とか、病名がつかないものは、むしろ漢方のほうが得意とする。漢方の特徴と、歴史的な経緯を知れば、納得して、ゆっくりと自分の病や不具合に向き合うことができる。しかも漢方には「手の施しようがない」という考えがない。症状に合わせて治療はずっと続けられるのだ。
2007年に免疫疾患のひとつである原田病にかかった森まゆみさんが、津田医師に教えを乞うた。西洋の体系と漢方の体系がぶつかり、ひずむ所から何が見えるのか。総合医療としての漢方のこれからを考える。
医師が啓蒙書を書くと、患者視線とは異なるのでわかりにくくなる傾向あり。
一方、患者が書くと、医学的な記述が甘くなる傾向あり。
「医師 vs 患者」の対談では、うまく行けば問題点が浮き彫りになり読む価値のある書物になる可能性あり(当然、失敗の可能性も)。
森まゆみ氏は聞き書きを得意とする作家であり、自らが「原田病」という疾患の患者でもあり、その辺の素人とは違います。
その森氏が、主治医でもある漢方医に日頃の疑問・質問をぶつける対談集は、少々ハイレベル。
津田先生は博識で、漢方医学に限定せず話が広がっていくのも興味深く読ませていただきました。
一般的な疑問が氷解するのはもちろんですが、その一方で、漢方医学の歴史をストーリー性を持って詳しく述べている点が私には勉強になりました。
<メモ>
自分自身のための備忘録。
■ 西洋医学 vs 漢方医学
・西洋医学では、検査なり身体所見なりで、何か客観的に以上が出てこないと動きが取りづらい。漢方医学では、患者さんの自覚的な症状だけでも、検査の異常が出なくても、なんらかの手を差し伸べることができる。
・西洋医学で言う「健康」とは正常値ということに尽きます。漢方医学における理想の健康状態とは「バランスがとれた状態(中庸)」。
・病気の原因がハッキリ特定されていて、それを排除することが可能なものは西洋医学の方がいい場合が多い。感染症や切除可能な癌とか、外傷がこれに当たる。逆に、病気の原因が特定されていなかったり、病気の原因と、それに対する体の反応の相互関係が問題になるような場合は、漢方がよいことが多い。
■ ユニバースとコスモス
ユニバースは「数学的秩序による世界像」、コスモスは「直感的認識による世界像」。
■ EBMとNBM
経験や勘に頼るのではなく「証拠(エビデンス)に基づいた医療をしましょう」という運動が欧米を中心に1990年代になって起こってきた。この「証拠」とは、多数例の患者を詳細に調べた臨床データを、統計学的に分析したもの。しかし、このような統計データは素人にはわかりにくい上に、さまざまな誇張やトリックが入り込みやすいと云われている。
そのような「証拠に基づいた医療」を批判する立場も最近あらわれ始めている。「“語り”(ナラティブ)に基づく医療」というのもそのひとつで、これは患者さんの“語り”に耳を傾けることにより、さまざまな臨床上の問題や、診断の鍵が浮かび上がるのた、という主張。
漢方医学の長い歴史に蓄積された「口訣」というものは、先人達がさまざまな患者の訴えや言葉、所見からくみ上げられてきたドキュメント。近頃は西洋医学でも clinical pearls と呼ばれて「口訣」と同じような概念が出てきている。
■ 森まゆみ氏の原田病を津田Drが見立てる
目に来る前の時期の原田病は太陽病、ステロイドにより病勢が頓挫すると少陽病、ステロイドの副作用が問題になる慢性期になると太陰病と考えられる。この時期になると体が冷えてきたり、ぐったりする。さらに病気が進むと少陰病と云って下痢が始まり、厥陰病だと脈も触れない状態になる(ただし原田病だけではそこまでいかない)。
■ 「中医学の歴史」拾い読み
①『黄帝内経』・・・鍼灸医学を中心とした生理学・病理学の書物(ユンケル黄帝液の名前の由来)
②『神農本草経』・・・薬草に関する書物
③『傷寒論』・・・漢方薬による治療論。張仲景著。
いずれも漢代(紀元前3世紀~期限世紀)に成立した書物。
古代中国は3つの文化圏に分けられ、北から、黄河文化圏・揚子江文化圏・江南文化圏となり、黄河文化圏では『黄帝内経』の鍼灸医学が、揚子江文化圏では『神農本草経』の生薬学が、江南文化圏では『傷寒論』の漢方医学が発達した。
①中国神話時代の伝説的指導者である黄帝が、名医の岐伯と問答をするスタイルで書かれている医学書。
黄帝:「いにしえの時代は、まじないや祈祷による、精神療法だけで病が治ったというが、最近は毒薬を使った内科的治療や、鍼や石を使った外科的治療までやって、しかも治ったり治らなかったり・・・というありさまなのは、なぜなのか?」
岐伯:「昔の人々は自然に近い暮らしをし欲望少なく人生を送ったので、薬物治療や外科治療の必要がなかった。いまの人々は不摂生でストレスも多いので病気が重くなりやすく、治療もまじないや祈祷では追いつかなくなりました」
②365種の生薬を上品・中品・下品の3つに分類している;
・上品:生命力を養う薬で、無毒で長期使用が可能
・中品:体力を補う薬で、使い方次第では害が出る
・下品:病気を治療する薬で、有毒なので長期服用は不可
(・・・現代薬は『神農本草経』の分類に従えば、ほとんどが下品)
③傷寒とは病気の名前で急性熱性疾患を指す。この時代の傷寒は伝染性の発熱性疾患であり、しばしば命を落とすほどの病気であった(現代医学で云うと何の病気に当たるのかハッキリしない)。『傷寒論』はそのときのパンフレットというか、病気の始まりから最後までを見届けて情報提供する行政府の発行したガイドラインのようなもの。『傷寒論』と同時に張仲景が書いた傷寒以外の雑病を扱ったのが『金匱要略』で金匱とは大事なことを金庫みたいな箱にしまってあるという意味。
・「太陽病」の意味:お日様(太陽)の病気、という意味ではなくて、急性の時期(陽病)の一番最初(太)という意味。「太」という字には一番最初という意味があり、一番最初の男の子を「太郎」と名付けるのがよい例。
『傷寒論』以降の医師にとっては、一つの病気を研究し尽くすことにより、生体反応の「お決まりパターン」への対応を完全にマスターすれば、すべての病気に応用が利くんだ、ということになった。
(亜紀書房、2013年発行)
<内容紹介>
「気のせい」も病気のうち。体と心の不具合には、とことん向き合う。
漢方では人の体をどのように診るのか。どんな考え方で成り立っているのか。得意分野はなにか。マスを治すのに長ける西洋医学に対して、総合治療である漢方の再発見とこれから――。
聞き書きの名手森まゆみさんが、NHKドクターG出演の津田医師(JR東京総合病院)に聞く。
西洋医学と東洋医学はからだの見方が違う。つまり違った言語で人の体を見ている。そして、お互いに得意分野が違う。「なんとなく調子が悪い」とか「冷え症がなおらない」とか、病名がつかないものは、むしろ漢方のほうが得意とする。漢方の特徴と、歴史的な経緯を知れば、納得して、ゆっくりと自分の病や不具合に向き合うことができる。しかも漢方には「手の施しようがない」という考えがない。症状に合わせて治療はずっと続けられるのだ。
2007年に免疫疾患のひとつである原田病にかかった森まゆみさんが、津田医師に教えを乞うた。西洋の体系と漢方の体系がぶつかり、ひずむ所から何が見えるのか。総合医療としての漢方のこれからを考える。
医師が啓蒙書を書くと、患者視線とは異なるのでわかりにくくなる傾向あり。
一方、患者が書くと、医学的な記述が甘くなる傾向あり。
「医師 vs 患者」の対談では、うまく行けば問題点が浮き彫りになり読む価値のある書物になる可能性あり(当然、失敗の可能性も)。
森まゆみ氏は聞き書きを得意とする作家であり、自らが「原田病」という疾患の患者でもあり、その辺の素人とは違います。
その森氏が、主治医でもある漢方医に日頃の疑問・質問をぶつける対談集は、少々ハイレベル。
津田先生は博識で、漢方医学に限定せず話が広がっていくのも興味深く読ませていただきました。
一般的な疑問が氷解するのはもちろんですが、その一方で、漢方医学の歴史をストーリー性を持って詳しく述べている点が私には勉強になりました。
<メモ>
自分自身のための備忘録。
■ 西洋医学 vs 漢方医学
・西洋医学では、検査なり身体所見なりで、何か客観的に以上が出てこないと動きが取りづらい。漢方医学では、患者さんの自覚的な症状だけでも、検査の異常が出なくても、なんらかの手を差し伸べることができる。
・西洋医学で言う「健康」とは正常値ということに尽きます。漢方医学における理想の健康状態とは「バランスがとれた状態(中庸)」。
・病気の原因がハッキリ特定されていて、それを排除することが可能なものは西洋医学の方がいい場合が多い。感染症や切除可能な癌とか、外傷がこれに当たる。逆に、病気の原因が特定されていなかったり、病気の原因と、それに対する体の反応の相互関係が問題になるような場合は、漢方がよいことが多い。
■ ユニバースとコスモス
ユニバースは「数学的秩序による世界像」、コスモスは「直感的認識による世界像」。
■ EBMとNBM
経験や勘に頼るのではなく「証拠(エビデンス)に基づいた医療をしましょう」という運動が欧米を中心に1990年代になって起こってきた。この「証拠」とは、多数例の患者を詳細に調べた臨床データを、統計学的に分析したもの。しかし、このような統計データは素人にはわかりにくい上に、さまざまな誇張やトリックが入り込みやすいと云われている。
そのような「証拠に基づいた医療」を批判する立場も最近あらわれ始めている。「“語り”(ナラティブ)に基づく医療」というのもそのひとつで、これは患者さんの“語り”に耳を傾けることにより、さまざまな臨床上の問題や、診断の鍵が浮かび上がるのた、という主張。
漢方医学の長い歴史に蓄積された「口訣」というものは、先人達がさまざまな患者の訴えや言葉、所見からくみ上げられてきたドキュメント。近頃は西洋医学でも clinical pearls と呼ばれて「口訣」と同じような概念が出てきている。
■ 森まゆみ氏の原田病を津田Drが見立てる
目に来る前の時期の原田病は太陽病、ステロイドにより病勢が頓挫すると少陽病、ステロイドの副作用が問題になる慢性期になると太陰病と考えられる。この時期になると体が冷えてきたり、ぐったりする。さらに病気が進むと少陰病と云って下痢が始まり、厥陰病だと脈も触れない状態になる(ただし原田病だけではそこまでいかない)。
■ 「中医学の歴史」拾い読み
①『黄帝内経』・・・鍼灸医学を中心とした生理学・病理学の書物(ユンケル黄帝液の名前の由来)
②『神農本草経』・・・薬草に関する書物
③『傷寒論』・・・漢方薬による治療論。張仲景著。
いずれも漢代(紀元前3世紀~期限世紀)に成立した書物。
古代中国は3つの文化圏に分けられ、北から、黄河文化圏・揚子江文化圏・江南文化圏となり、黄河文化圏では『黄帝内経』の鍼灸医学が、揚子江文化圏では『神農本草経』の生薬学が、江南文化圏では『傷寒論』の漢方医学が発達した。
①中国神話時代の伝説的指導者である黄帝が、名医の岐伯と問答をするスタイルで書かれている医学書。
黄帝:「いにしえの時代は、まじないや祈祷による、精神療法だけで病が治ったというが、最近は毒薬を使った内科的治療や、鍼や石を使った外科的治療までやって、しかも治ったり治らなかったり・・・というありさまなのは、なぜなのか?」
岐伯:「昔の人々は自然に近い暮らしをし欲望少なく人生を送ったので、薬物治療や外科治療の必要がなかった。いまの人々は不摂生でストレスも多いので病気が重くなりやすく、治療もまじないや祈祷では追いつかなくなりました」
②365種の生薬を上品・中品・下品の3つに分類している;
・上品:生命力を養う薬で、無毒で長期使用が可能
・中品:体力を補う薬で、使い方次第では害が出る
・下品:病気を治療する薬で、有毒なので長期服用は不可
(・・・現代薬は『神農本草経』の分類に従えば、ほとんどが下品)
③傷寒とは病気の名前で急性熱性疾患を指す。この時代の傷寒は伝染性の発熱性疾患であり、しばしば命を落とすほどの病気であった(現代医学で云うと何の病気に当たるのかハッキリしない)。『傷寒論』はそのときのパンフレットというか、病気の始まりから最後までを見届けて情報提供する行政府の発行したガイドラインのようなもの。『傷寒論』と同時に張仲景が書いた傷寒以外の雑病を扱ったのが『金匱要略』で金匱とは大事なことを金庫みたいな箱にしまってあるという意味。
・「太陽病」の意味:お日様(太陽)の病気、という意味ではなくて、急性の時期(陽病)の一番最初(太)という意味。「太」という字には一番最初という意味があり、一番最初の男の子を「太郎」と名付けるのがよい例。
『傷寒論』以降の医師にとっては、一つの病気を研究し尽くすことにより、生体反応の「お決まりパターン」への対応を完全にマスターすれば、すべての病気に応用が利くんだ、ということになった。