健全な<劣等感、罪の意識、自信喪失>もあれば、不健全な<劣等感、罪の意識、自信喪失>もある。何が健全で、何が不健全かの識別知識をきちんと勉強しておかないと、とんでもないことになる。人間死ぬまでこの問題からは解放されませんが、そうかといって無視できません。どうしたらいいのでしょうか?この3つの神秘的な問題は簡単に扱えませんが、日々心の奥底からこの意識が湧き出した時、あまり深刻に取り扱わないことが秘訣でしょう。劣等感が湧きだしたら謙遜になること、罪の意識が湧きだしたら、どの程度の大きさかなど、屁理屈をぶつぶつ言わないで神仏の前であっさりと膝まずき、許しを乞い、きれいさっぱり忘れること、自信喪失になったらもう一度、自分は何の為に生きているこかを再考すること。暫くこの問題について考えていきます。
誰も知らない世界の話ですが、この魂の世界については案外学問がいつまでもしつこく追及しています。死んでみなければ分からない世界なのに何故か人類発生以来この魂をめぐり色々の神話、伝説、宗教、学問が成立しているのは何故でしょう?よほど、人類はこの魂、自分が死んだらどうなるか、というテーマがお好きなようです。魂とは何か、という定義は万とありますが、その中の一つの定義が私は大好きです。<魂は永遠不変なもの、病むこともなく死ぬこともない、愛そのものであって臨終と共に身体から離脱する知的生命体である>という定義です。この説によると生きている間はこの魂は人間の肉体により相当抑圧、抑制されているそうです。死と共にこの肉体から解放されてのびのびと天国に旅をするそうです。大きな解放感、大きな喜びに輝いているそうです。さあ、どの学説が正しいか、死んでみた後のお楽しみです。
若い頃は色々の理想と夢を描き、実現出来そうもないことに挑戦していました。挫折しても自分の能力がどこにあるのかも分からない年齢でしたので、うまくいかなくても、それほど苦になりませんでした。しかし50代の後半になり、それなりの人生を歩んで、うまくいく方法、うまくいかない体験をもつと、描く理想と夢が実現出来ないと自殺願望まで生まれます。50代60代で自殺する人々はそれなりの成功体験を沢山もった人も多いのです。人生の後半になると自分の理想と夢を再点検する必要があるようです。山で遭難するおじさま、おばさまの殆どが若い頃、鼻歌で楽しく登り降りしていた山です。人生後半の理想と夢が自殺の原因にならぬようそろそろ再点検する必要があるようです。
最近の人は何故か我慢を楽しむ方法を知らないようです。さて心理療法の世界では抑圧と抑制をきちんと分類して対応していきます。簡単に言えば抑圧は心を病的にしますが、抑制は人の心を健全にする、くらいの解釈のようがいいようです。抑制は感情を軽く押さえるもの、抑圧は強烈に抑え込むもの程度の理解でいいでしょう。抑制を生活で上手に応用していける人は自分の人生を非常に豊かにします。腹八分目、これは健康の秘訣ですが、欲望も腹八分目。面白い事に抑制のコツを覚えると喜びが倍加していることに気付きます。五感と体感、理想の設定、現実の解釈、運動量の調整、買い物の抑制、これからしばらく、抑制を楽しむ方法について思索していきます。
人生で真剣に神様に手を合わせてお祈りしてきたのに結果はあまりにも惨めで哀しいものとなった時、<ああ、神様、あなたは何と残酷な方、何と冷たい方でしょう>と叫べる人は幸せです。宇宙万物の創造主、愛そのものである神様に向かってそう叫べる人は素直な人です。親や恋人、親友に対しても同じような事を叫んでみましょう。多分、涙を浮かべながら暖かく受け入れてくれると思います。このような叫びを発したが為に、その相手が去っていったら、その人は親でもなく本物の恋人でもなく親友でもありません。自分に対してこのような言葉が発せられたら心からその人を受け入れてみましょう、多分、受け入れた人の心は神秘的な暖かいもので満たされるはずです。
憎たらしいという感情が湧きだすと心理療法家は安心します。この感情が無い人が私の患者さんだからです。能面のような感情生活は地獄です。美しい宇宙を見ても綺麗な女性を見ても可愛い小さなネコちゃんやワンちゃんを見ても、心が動かない人生ほどつまらない世界はありません。何と憎たらしい人、と感じたら、私は健全だ、と思うべきでしょう。ただ復讐を考えたり、憎悪の感情にいつまでも浸っていると幸福の条件から離れていきます。喜怒哀楽が豊かなほど、人は幸せな感情生活を創造出来ます。あとはその<喜怒哀楽の感情の意味>をどう解釈していくか、が大きな人生の分かれ道となります。感情が湧き出すには深い意味があります。何故この感情が湧き出してきたのか、その意味を解釈し悟るには相当の知恵と正しい自己愛が必要ですから、どう解釈したらストレス曲線(不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱)から幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感)へ移行出来るかは個人の責任ですので上手な解釈の仕方を自分の幸福の為に訓練していきましょう。
入院してくる人の大半は親しい人を<憎たらしい>と言えない人が多いのは何故でしょう?恋愛結婚した新婚さん、初めての赤ちゃんを生んだお母さん、上司のセクハラ、色々の場面が人生にはありますが、何故か、心の中ですら<あの人は何と憎たらしい>と意識出来ない人々が沢山います。憎たらしい、と感じたり、思ったりする事に対して、どうしてそんなにまで自分の感情を粗末にする必要があるのでしょうか?憎いものは憎い、好きなものは好き、と心に浮かんでくる感情を倫理道徳で裁いてはいけません。湧いてくる感情には深い意味があります。暫くこの憎たらしい、という感情について思索していきます。憎たらしいという感情を抑圧した途端、人は病んでいきます。
太極拳の仲間と歌うと、つい気分がよくなり踊りたくなります。ブルースでもタンゴでもハワイアンでも曲に合わせておどれるのが太極拳の面白いところです。太極拳を武道として愛する諸君、怒らないで下さい。もともと太極拳は仙人が長生きしたい一存で開発されたもの、という人もいます。太極拳と歌をマッチさせるには、相当の修行が必要できちんと技を身につけていないと曲が急に変調したりすると技を24式の順番で発露出来ません。24式を曲に合わせ順番に演舞するのです。24の技をきちんと覚えていないと曲に合わせるのは不可能です。しかし曲と24式がぴたりと合い演舞出来ると心と身体が実に爽快になります。ホノルルの老人ホームでハワイアンに合わせて真剣に演舞しましたら欧米の男女の高齢者が私に駆け寄り熱いキスをほほにしてくれました。その中に元女優さんとアメリカ海軍の老提督もいました。