(1)
バロックの低い調べは狭い仕事部屋を覆い尽すように薄汚れた窓ガラスに微かに響き返して私の耳に聴こえてくるような音のずれを私、原井美紗緒は今日も感じた。
私は65歳の今の今まで生涯独り身を通して暮して来た女職人!
人形に魂をこめる仕事、人形の顔を描く「面相描師だ!」
65年前、私が生まれた東北の寒村、山深い小さな村の集落は谷あいのわずかな平坦地に寄り添うように15軒ほどの村人が住む場所だった。
私は中学を卒業したその日に3人の同級生と村の世話役のおじさんに連れられて家を離れて、東京の人形工房に連れてこられた。
私の生まれた村は先祖代々の言い伝えによると遠い昔、平家の落人で戦いに疲れてこの地に逃げて来て隠れ住みついたのがこの集落の歴史の始まりだとか、正式には分からないが私の幼い日に聞かされたまるで夢物語のような現実の事のようにも思えた怖い幼児体験の記憶のような、遠い昔の時代の話だった。
今、私が勤めている、東京にある人形工房の師匠の先祖が大将で、ある平家一族を連れて、人里離れた山の中に住みついたそうだ、長い歴史の中で、今も語り継がれている言い伝えだ!
今、現在の集落は私が生まれ育った頃とは大きくかわってしまい、数軒の家が生活するだけの廃屋だけが残る寂しい集落になってしまったが、私が生まれ育った頃はどの家にも子供の泣き声や笑い声が聞こえてくる静かだか活気ある人の住む場所だった。
15軒ほどの集落は殆どの苗字が「原井」だったり、今の私は忘れてしまったが、いくつもの不思議な伝統行事があった。
そのひとつが、昔から、この集落の子供のうち、中学の卒業生の中で幾人かはこの人形工房に親と世話役の人の話し合いで、決まり事として弟子入りする。
特に私の家は親子代々、長男、長女をのぞいて、人形の面相描きの仕事を引き受けていた事で、次女である私の意志や意見など聞かれる事も、私自身もなんの考えもなく、当然のようにこの人形工房に弟子入りした。
私が家を出た日は冷たい北風がつよく吹く寒い日だった。
馬が引く荷ぞりに町まで運ぶ荷物と共に乗せられて3人の同級生は命じられるままに着古した一組の着替えを風呂敷に包んで持ち、ひざの上に置かれた母親の心づくしの梅干をひとつ入れただけの大き目のおにぎりを3つ竹のこの皮に包んだ物を大事そうにもって荷ぞりから振り落とされないように必死に耐えて乗っていた記憶!
背中に背負う風呂敷の荷物がからだの不安定さをつくり子供だったあの頃の怖さを思い出す。
ひざの上に置かれたおにぎりからまだいくらか母の手のぬくもりが伝わるような気がしていたが実際にはおにぎりもカチカチに凍っていたのだった。
温かみなども無く、おにぎりの匂いも数切れの沢庵の匂いさえ感じとる事が出来ないほどの寒さだけが今もこの老境の身によみがえる、辛い記憶だった。
<つづく>
☆~☆~☆
私のせっかちな性格がこのような行動にでてしまう、まだ、眼の状態が良くないけれど、何かにすがりたい思いではじめてしまいました、書きとめてある物をコピーして載せた、一発勝負で、読み返しが出来ていませんので違和感を感じるところもあるかもしれませんがお許しください。
気分が良い日はつい、大胆になって、何かを始めてしまう、生きる目標なのだから良いのかもしれないが、じっさい、何処まで続けられるのかは分かりませんが、カテゴリーの書き込んだ、小説もどき?を私自身の喜びの為に続けられたらと願っています。
たとえ、つたない言葉や文章であってもつづる事の出来る、感性やエネルギーを与えてくださる『美しき人、ビョンホンさん』に心から感謝の気持ちで胸が熱くなります。




バロックの低い調べは狭い仕事部屋を覆い尽すように薄汚れた窓ガラスに微かに響き返して私の耳に聴こえてくるような音のずれを私、原井美紗緒は今日も感じた。
私は65歳の今の今まで生涯独り身を通して暮して来た女職人!
人形に魂をこめる仕事、人形の顔を描く「面相描師だ!」
65年前、私が生まれた東北の寒村、山深い小さな村の集落は谷あいのわずかな平坦地に寄り添うように15軒ほどの村人が住む場所だった。
私は中学を卒業したその日に3人の同級生と村の世話役のおじさんに連れられて家を離れて、東京の人形工房に連れてこられた。
私の生まれた村は先祖代々の言い伝えによると遠い昔、平家の落人で戦いに疲れてこの地に逃げて来て隠れ住みついたのがこの集落の歴史の始まりだとか、正式には分からないが私の幼い日に聞かされたまるで夢物語のような現実の事のようにも思えた怖い幼児体験の記憶のような、遠い昔の時代の話だった。
今、私が勤めている、東京にある人形工房の師匠の先祖が大将で、ある平家一族を連れて、人里離れた山の中に住みついたそうだ、長い歴史の中で、今も語り継がれている言い伝えだ!
今、現在の集落は私が生まれ育った頃とは大きくかわってしまい、数軒の家が生活するだけの廃屋だけが残る寂しい集落になってしまったが、私が生まれ育った頃はどの家にも子供の泣き声や笑い声が聞こえてくる静かだか活気ある人の住む場所だった。
15軒ほどの集落は殆どの苗字が「原井」だったり、今の私は忘れてしまったが、いくつもの不思議な伝統行事があった。
そのひとつが、昔から、この集落の子供のうち、中学の卒業生の中で幾人かはこの人形工房に親と世話役の人の話し合いで、決まり事として弟子入りする。
特に私の家は親子代々、長男、長女をのぞいて、人形の面相描きの仕事を引き受けていた事で、次女である私の意志や意見など聞かれる事も、私自身もなんの考えもなく、当然のようにこの人形工房に弟子入りした。
私が家を出た日は冷たい北風がつよく吹く寒い日だった。
馬が引く荷ぞりに町まで運ぶ荷物と共に乗せられて3人の同級生は命じられるままに着古した一組の着替えを風呂敷に包んで持ち、ひざの上に置かれた母親の心づくしの梅干をひとつ入れただけの大き目のおにぎりを3つ竹のこの皮に包んだ物を大事そうにもって荷ぞりから振り落とされないように必死に耐えて乗っていた記憶!
背中に背負う風呂敷の荷物がからだの不安定さをつくり子供だったあの頃の怖さを思い出す。
ひざの上に置かれたおにぎりからまだいくらか母の手のぬくもりが伝わるような気がしていたが実際にはおにぎりもカチカチに凍っていたのだった。
温かみなども無く、おにぎりの匂いも数切れの沢庵の匂いさえ感じとる事が出来ないほどの寒さだけが今もこの老境の身によみがえる、辛い記憶だった。
<つづく>
☆~☆~☆
私のせっかちな性格がこのような行動にでてしまう、まだ、眼の状態が良くないけれど、何かにすがりたい思いではじめてしまいました、書きとめてある物をコピーして載せた、一発勝負で、読み返しが出来ていませんので違和感を感じるところもあるかもしれませんがお許しください。
気分が良い日はつい、大胆になって、何かを始めてしまう、生きる目標なのだから良いのかもしれないが、じっさい、何処まで続けられるのかは分かりませんが、カテゴリーの書き込んだ、小説もどき?を私自身の喜びの為に続けられたらと願っています。
たとえ、つたない言葉や文章であってもつづる事の出来る、感性やエネルギーを与えてくださる『美しき人、ビョンホンさん』に心から感謝の気持ちで胸が熱くなります。




