廣島パイレーツ・チャンネル

広島の名も無き”田舎侍”が地元プロスポーツを中心に色々と書いて行く過激なスポーツコラムや、広島の市政や街づくりについても

戦国の景観

2020-04-06 22:22:22 | Weblog
 今日は広島市内中心部に出ていたので、いつもの備忘録にする予定でしたが語呂合わせで”城の日”と言う事らしいので備忘録は明日にして今回は広島と城に関する事をちょっと書いて見ます。 広島県内の城跡はハッキリ言ってあまり良い扱いとは言えないですね。 広島城も江戸時代までは全国屈指の規模を誇った平城でしたけど戦前の陸軍施設としての利用に加えて原子爆弾での破壊、更に戦後は都市化により本丸と二の丸、内堀だけになった上に残った建物は無く天守閣はコンクリート製で二ノ丸の建物だけが木造復元、それも一部は造られず生け垣で誤魔化す始末で... そして福山城は天守閣こそ戦時中の空襲で焼失しコンクリート製での復元ですが一部の櫓などが残っています。 問題は城の敷地内だった場所にJR駅が造られてしまった事ですね。 駅とちょど良い距離感に在る本来の景観とは違ったものになってしまっています。 そして三原城に至っては本丸の真上に巨大なJR駅の建物が乗ってしまってますから。 以上の3城は江戸時代まで在った城ですが、問題はそれ以前に廃城となった為に元々、これと言った施設が残っていなかった戦国時代や江戸時代初期までの城跡なのですが...


広島スポーツ揃い踏み勝利

 今日は昼間にカープとサンフレッチェとドラゴンフライズがそれぞれ試合を行ってた土曜日となりました。4月5日(木)のつぶやき今日も初勝利ならず 今日もカープはナゴヤドームでドラゴ......


 戦国時代には多数の城が広島県内にも在りましたが江戸時代に一国一城令が出て亀居城などが壊されてしまい、毛利氏の居城だった吉田郡山城や安芸の国の守護だった武田氏の居城だった佐東銀山城の跡地は歴史の中に埋もれてタダの小山になってしまい。 小早川氏の新高山城もですが最近は城ブームで戦国時代の山城にも脚光が当たり地元の有志により城跡を山登りして楽しめる様に整備されたりしてます。 そして厳島神社の神主家が拠点としていた桜尾城の跡地は桂公園として廿日市市の宮島街道沿いに小さな丘が在りますが最近、興味を持って検索して見たら桜尾城について驚く話が出て来ました。


 桜尾城について検索して見ると戦国時代には厳島神社の神主家が周辺勢力の間で揺れ動き、山口の大内氏に滅ぼされた後は毛利氏が奪って大内氏との最前線の拠点として使われ、その後も毛利氏の西の拠点でしたが江戸時代に領主となった福島正則が更に西の大竹に亀居城を築いて桜尾城は廃棄され、その後は使われませんでしたが海に突き出した半島の様な地形はそのまま残っていたのを昭和時代の戦後になって周囲が埋め立てられ、更に桜尾城の山も土を削られて地形が変わってしまったそうで、元々は今と全く違う地形だったと知って驚き。 廿日市市は観光面で宮島だけ見てすぐ帰る客が多いのが悩みの種みたいですが、埋め立て自体は否定しないまでも桜尾城の地形を残して周囲に漁港でもマリーナとか整備するとかして『厳島の戦い』の時代に思いを馳せられる様にするとか。 宮島の中に在った宮尾城も復元するとかも。 宮島に関しては対岸の山に団地を造って景観を破壊した事も陸地側の観光では阻害要因になったかも。 厳島と対岸とを繋ぐストーリーと言う観光資源を気付かず壊したのは残念。

 ...以上です。
コメント
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