『ビッグアーチとサンフレッチェの誕生』
中国新聞が2011年からなら私としては1993年のJリーグ開幕と、その前のサンフレッチェ誕生からですね。 広島と言う土地は昔からプロスポーツが盛んで早い段階から地元チームが立ち上がり、カープだって企業丸抱えの球団しか無い時代(今もですが)に市民・県民が「地元に球団が欲しい!」とチームを立ち上げ、行政の協力はあっても後に資金難で苦労するのですが、ドラゴンフライズにしても民間が立ち上げてそれを広島県など行政側が認めて支援、解散してしまった女子サッカーのアンジュヴィオレにしても横川の町の人達が手弁当で結成しています。 サンフレッチェの場合、もちろん市民運動や県のサッカー協会関係者による運動はあったにしても、母体となったマツダのサッカー部がプロ化にあまり乗り気では無かったのを広島県など自治体側が説得してJリーグの最初からの参加に漕ぎ着けたとも聞いてますし異例の形と思います。 妙に熱心だった理由を推察するとアジア大会の為に”造ってしまった”巨大スタジアムのビッグアーチ(後のエディオンスタジアム)をどうにかして使わないと、と思っていたところに”渡りに船”でJリーグ発足の話が来たからではないかと。 偶然にもアジア大会とJリーグの始まりは同時期でしたがビッグアーチの立地選定や施設の設計はJリーグの無い、日本のプロサッカーと言うものが想像も出来なかった時代に行われたのでサンフレッチェとビッグアーチ(広島広域公園陸上競技場)は、ある意味”不幸な出会い”だったのかも知れませんね...
そごう”統合”の現場から昨日、中国新聞がTwitterの公式アカウントで記事を上げていたのを見て恐らく今日の朝刊に載っている筈だとバイクのオイル交換に行ったついでに図書館へ立ち寄り、経済欄に載って......
サンフレッチェはエディオンピースウイングで迎える新シーズンに向けて宮崎でキャンプ中、最初から実戦形式の練習や紅白戦が多いらしいですが今回は初の対外試合として大学のチームと練習試合を行い、アマチュア相手なのでスコア的に圧勝した事はともかく、新戦力のFW大橋選手(J1湘南から完全移籍で加入)やMF小原選手(J3愛媛から完全移籍で加入後、即J2水戸へレンタル、そこから復帰)らがゴールで結果が出ているのがいいですね。