物事の最初と最後しか見れなれい、物事が変化、発展していく途上のプロセスというものが分からない、ほとんど全ての、スポーツ教室の指導者とかコーチの注意を真面目に聞く生徒は返って下手になるのである。そうなってしまう犠牲者は全くスポーツなどしたことがない人で、「よし。何かスポーツでも始めてみよう」と思いたった人である。運動に無関心な人でもせっかく、あるレベルまでは、上達できるのに、アホなコーチにかかると、自分の行き着けるレベルまでも、行けないのである。そして止めていく。結局は不愉快な思いと、入会金と、やめるまでの数ヶ月の月謝を無駄に払うだけである。
運動というものは、技が上達するのに、歳月がかかるのである。繰り返しの反復練習をしていく内に、ぎこちない動作が、だんだん理にかなった綺麗なフォームに変わっていくのである。それは運動をつかさどる主に小脳のシナプス結合による。スポーツを練習するということは、体を鍛えているのではなく、脳を鍛えているのである。運動というものは、手塚治虫の漫画「バンパイヤ」のように、狼から人間に変身していくようなものなのである。達人でない全ての生徒は、(バンパイヤ的に言えば)、変化の途中のグロテスクな状態なのである。そして、運動は、力まず、原則を外さず、熱意を込めて続けていれば、ある時、パッと、ワンスッテップ、感動するほどの上達をする。これが租協調であり、小脳でシナプス結合が出来た瞬間である。そうして、また続けていると、また上達しない期間が続く。しかし、あきらめず熱意を込めて練習していれば、またある期間して、またワンステップ、さらに技術の上達、租協調が起こる。こうして、ちょうど階段状に運動というものは上達していくものなのである。技というものは決して、ゼロから正比例的に直線的に上達していくものではないのである。さて。ここで、世のほとんどのアホなコーチ諸君というものは、最高のレベルに達した達人のフォームしか頭にないから、達人のフォームになるように外見的な誤りを、何度も何度も繰り返し注意する。同じ事を繰り返し注意されてばかりいると、初心者ではウンザリして嫌になってしまう。そして、所詮オレには才能がないんだと、やめていく。コーチのアドバイス(注意)とは、バンパイヤ的に言えば、狼が人間に変身していく最中のグロテスクな状態を扱わなければならいのである。どうしたら、変身途中の狼もどきから人間に変身できるか、というのがコーチが考えるべきアドバイスなのである。それは極めて難しい。だから、基本的にはコーチはアドバイスなどしない方がかえっていいのである。しかし、世のほとんど全てのコーチ諸君というものは、アホだから、そういう理論がわからないのである。そして、そもそも人間とは何か喋らすにはいられないものである。どうしても喋ってしまうものである。結論から言えば。上達するには。コーチの注意など無視すべし。である。これが、運動が上手くなる原則である。しかしスポーツに無縁な真面目な生徒ほど、コーチの注意を守ろうとするから、長い目でみれば上達しうる期間を、意識がコーチのアドバイスを守ろうということに使われてしまうから、かえって、無心に練習していれば上達できる期間、熱心に練習しても上達しないということが起こってしまうのである。そしてやめていく。さて、スポーツといっても、色々ある。スキーのSAJなどでは、組織が大きいため、しっかりした指導マニュアルの本があるのである。スキーでなくても、他のスポーツでも、SAJの指導書は、スポーツを指導する人は読んだ方がいいだろう。さて、プロ野球とか、オリンピック選手のコーチとなると、さすがに、技術を指導することの危険性や、出来上がったフォームをいじくる危険性というものを、漠然とながら知っているだろう(と信じたい)から、技術の指導は慎重だろう。と想像する。しかしプロ野球などでも、ピッチングにせよ、バッティングにせよ、選手が上達しなくても、それは選手の責任であって、コーチの責任とは、とらえられないから、つまりはコーチは責任というものをとらなくてもいい立場だから、プロ野球でも、(自分は現役時代、名選手でも)いい加減な指導というものが行われている可能性はあるだろう。
運動というものは、技が上達するのに、歳月がかかるのである。繰り返しの反復練習をしていく内に、ぎこちない動作が、だんだん理にかなった綺麗なフォームに変わっていくのである。それは運動をつかさどる主に小脳のシナプス結合による。スポーツを練習するということは、体を鍛えているのではなく、脳を鍛えているのである。運動というものは、手塚治虫の漫画「バンパイヤ」のように、狼から人間に変身していくようなものなのである。達人でない全ての生徒は、(バンパイヤ的に言えば)、変化の途中のグロテスクな状態なのである。そして、運動は、力まず、原則を外さず、熱意を込めて続けていれば、ある時、パッと、ワンスッテップ、感動するほどの上達をする。これが租協調であり、小脳でシナプス結合が出来た瞬間である。そうして、また続けていると、また上達しない期間が続く。しかし、あきらめず熱意を込めて練習していれば、またある期間して、またワンステップ、さらに技術の上達、租協調が起こる。こうして、ちょうど階段状に運動というものは上達していくものなのである。技というものは決して、ゼロから正比例的に直線的に上達していくものではないのである。さて。ここで、世のほとんどのアホなコーチ諸君というものは、最高のレベルに達した達人のフォームしか頭にないから、達人のフォームになるように外見的な誤りを、何度も何度も繰り返し注意する。同じ事を繰り返し注意されてばかりいると、初心者ではウンザリして嫌になってしまう。そして、所詮オレには才能がないんだと、やめていく。コーチのアドバイス(注意)とは、バンパイヤ的に言えば、狼が人間に変身していく最中のグロテスクな状態を扱わなければならいのである。どうしたら、変身途中の狼もどきから人間に変身できるか、というのがコーチが考えるべきアドバイスなのである。それは極めて難しい。だから、基本的にはコーチはアドバイスなどしない方がかえっていいのである。しかし、世のほとんど全てのコーチ諸君というものは、アホだから、そういう理論がわからないのである。そして、そもそも人間とは何か喋らすにはいられないものである。どうしても喋ってしまうものである。結論から言えば。上達するには。コーチの注意など無視すべし。である。これが、運動が上手くなる原則である。しかしスポーツに無縁な真面目な生徒ほど、コーチの注意を守ろうとするから、長い目でみれば上達しうる期間を、意識がコーチのアドバイスを守ろうということに使われてしまうから、かえって、無心に練習していれば上達できる期間、熱心に練習しても上達しないということが起こってしまうのである。そしてやめていく。さて、スポーツといっても、色々ある。スキーのSAJなどでは、組織が大きいため、しっかりした指導マニュアルの本があるのである。スキーでなくても、他のスポーツでも、SAJの指導書は、スポーツを指導する人は読んだ方がいいだろう。さて、プロ野球とか、オリンピック選手のコーチとなると、さすがに、技術を指導することの危険性や、出来上がったフォームをいじくる危険性というものを、漠然とながら知っているだろう(と信じたい)から、技術の指導は慎重だろう。と想像する。しかしプロ野球などでも、ピッチングにせよ、バッティングにせよ、選手が上達しなくても、それは選手の責任であって、コーチの責任とは、とらえられないから、つまりはコーチは責任というものをとらなくてもいい立場だから、プロ野球でも、(自分は現役時代、名選手でも)いい加減な指導というものが行われている可能性はあるだろう。