東日本大震災と敗戦には、焼け野原からの復興という点では共通している面がある。しかし、東日本大震災では、敗戦からの驚異的な復興というものは望めない。いくつも違いがあるが、まず、敗戦では、雑に言うと、日本国全部が焼け野原になった、という日本人全員が共通した条件にあった。日本人全てが、自分達の国民性に劣等感を感じ、「よし。やってやろう」という意欲が強く起こった。水泳の古橋広之進や物理学者の湯川秀樹などは、震災とは比べものにならないくらいの勇気を国民に与えた。軍部の洗脳から解けて、戦後、一時、思想的に気落ちした人もいるが、何といっても自由を得た喜びの方が強い。
それに対し。震災では、東北や福島など、被災した地域と、関東や関西など被災していない地域があるという点。こうゆう状況では、団結して、「よし。やってやろう」という気持ちが起こりにくい。劣等感や恨みは飛躍するエネルギーとなるが、天災ばかりは恨みようがない。こういう状況では、やりきれない憤りは誰かに責任を押しつけたがろうとする。震災では、結局は政府に対してということになる。そして、政府は、与野党では震災の復興で一致団結すべきなのに権力奪取ということを全く抜きにしてものを考えられないから、被災者は政治に対して不満感を募らせるだけとなる。
それに対し。震災では、東北や福島など、被災した地域と、関東や関西など被災していない地域があるという点。こうゆう状況では、団結して、「よし。やってやろう」という気持ちが起こりにくい。劣等感や恨みは飛躍するエネルギーとなるが、天災ばかりは恨みようがない。こういう状況では、やりきれない憤りは誰かに責任を押しつけたがろうとする。震災では、結局は政府に対してということになる。そして、政府は、与野党では震災の復興で一致団結すべきなのに権力奪取ということを全く抜きにしてものを考えられないから、被災者は政治に対して不満感を募らせるだけとなる。