さて、三日前に「コーチの注意は無視すべし」と書いたが、もう少し正確に書いておこう。ちょっとこれでは荒削りすぎる。コーチは生徒の外見的な誤りも指摘していいのである。また、スポーツにおける、守るべき原則を10個でも、それ以上でも、最初にでも、途中にでも言っていいのである。というより、言った方がいいのであり、さらには、言うべきなのである。生徒は、それらをしっかり頭に入れておいた方がいいのである。ただ、大切なのは、生徒としては、それらは、頭の片隅に入れておくべことであって、全部をいっぺんに守ろうとすると、逆効果なのである。生徒としては、それらのアドバイスの内、自分にとって一番重要な事を、せいぜい一つにしぼって、意識して練習すべきなのである。技術的なことで何かを意識しながら、運動しようと思ったら、意識できることは、一つが関の山であり、また一つの方が二つのことを意識するより、運動の上達には効率がいいのである。
さて、コーチとしては、守るべき原則や、生徒の外見の誤りは、アドバイスしたり注意したりしていいのである。ただ、大切なことは、毎回、毎回、生徒が、うんざりするほど言うのは、よくないのである。そして、守るべき原則やアドバイスを言った後、「これらのことは頭の片隅には入れておいて下さい。ただ、いきなり多くのことを意識することは出来ませんし、逆効果です。だから、自分にとって一番、重要だと思うことを、一つだけに絞って練習して下さい」と言うことが必要であり、重要なのである。この一言をいうかどうかが、大きな違いになってくるのである。その一言をいうコーチが良いコーチなのである。悪いコーチとは、それを言わず、生徒の誤ったフォームを、直すよう毎回、毎回、繰り返して言い、そして、生徒がそれをしなければ、気がすまないようなコーチが悪いコーチなのである。(そして、そういうコーチは、生徒が、とにもかくにも、コーチのアドバイスを守ろうとすると、「よーし。それでいい」と喜ぶものなのである)
こういうのは、どこかで見たことがあるのではないだろうか。それは、漫画「巨人の星」で、オズマを星一徹が、コーチした時の光景である。「スタンスが広すぎる」「手首を返せ」と命令し、それを守れないオズマを、「スタンスも手首も直っとらん」と竹刀で思いっきり、ぶっ叩いていたが、ああいうコーチが悪いコーチの見本なのである。まあ、漫画の世界だから厳しさを表現するためであるが。漫画の中ではいいが。しかし、それを現実にやっては、全然、よくないどころか逆効果なのである。
確かに、世の中には、いくつもの事を同時にすることは出来る。たとえば。車を運転する時は。車を運転しながら、カーラジオを聞きながら、助手席の女と話しながら、煙草を吸いながら、外の景色を見ながら。と五つのことを同時に出来る。しかし、それらは、全て、すでに身についている簡単なこと、や、受動的なことばかりだから出来るのである。しかし、スポーツの上達過程においては、技術的なことで何かを意識しながら、練習するというのは、非常に大変なことなのである。
しかし現実には星一徹のようなコーチもいるのである。それは本人の性格が大きいが、中には漫画かぶれ、している人もいるだろう。そもそも、ネットで、「スポーツコーチ募集」とかで検索すると、全てのスポーツスクールのコーチ求人の条件は、自分が欠点なく、しっかり上手く出来るのが条件の全てであり、指導歴何回とか、指導した経験あり、などというものを求人の条件としている所など一つもない。プロ野球のコーチとても、コーチには給料を払わねばならないから競争率の厳しい現役引退後の選手の憧れる就職先なのである。そして、それに採用されるかどうかは、やはり現役時代、自分が選手して、どれだけ良い成績を残したか、が採用される条件だろう。(と察する)
さて、悪いコーチにつくと、せっかく長い目で見れば上達できる能力を持っているのに、コーチに、同じことを毎回、毎回、注意され、上達せず、もう嫌になったり、わけがわからなくなったりして、結局はやめていく。そしてコーチは、根性のないヤツだ、と軽蔑する。コーチも生徒も両方とも盲目である。
だからこそ、悪いコーチにはつかないよう注意すべきだし。「三年かけて良師をさがせ」(意味=下手なコーチに三年習うより、三年かけて良い師を探した方がいい)などという諺が出来てしまうのであり、また、地理的、環境的に、どうしても悪いコーチの指導のもとで練習しなければならないのなら、「コーチの注意は無視すべし」という原則を守らなくてはならないのである。
さて、スポーツコーチの事を悪くばっかり言ったが、中には才能のあるコーチもある。You-Tubeで、色々見ると、「あっ。このコーチは才能(人を上手くさせる能力)があるな」と思われるコーチが、結構いるのである。悪いコーチの犠牲者となって、スランプとなってしまった人は、そういう良いコーチの所まで足を運び、一度か数度か指導を受けるのがいいだろう。それと、あとは自分で考えてみること。そして、本人のやる気の度合いである。
さて、コーチとしては、守るべき原則や、生徒の外見の誤りは、アドバイスしたり注意したりしていいのである。ただ、大切なことは、毎回、毎回、生徒が、うんざりするほど言うのは、よくないのである。そして、守るべき原則やアドバイスを言った後、「これらのことは頭の片隅には入れておいて下さい。ただ、いきなり多くのことを意識することは出来ませんし、逆効果です。だから、自分にとって一番、重要だと思うことを、一つだけに絞って練習して下さい」と言うことが必要であり、重要なのである。この一言をいうかどうかが、大きな違いになってくるのである。その一言をいうコーチが良いコーチなのである。悪いコーチとは、それを言わず、生徒の誤ったフォームを、直すよう毎回、毎回、繰り返して言い、そして、生徒がそれをしなければ、気がすまないようなコーチが悪いコーチなのである。(そして、そういうコーチは、生徒が、とにもかくにも、コーチのアドバイスを守ろうとすると、「よーし。それでいい」と喜ぶものなのである)
こういうのは、どこかで見たことがあるのではないだろうか。それは、漫画「巨人の星」で、オズマを星一徹が、コーチした時の光景である。「スタンスが広すぎる」「手首を返せ」と命令し、それを守れないオズマを、「スタンスも手首も直っとらん」と竹刀で思いっきり、ぶっ叩いていたが、ああいうコーチが悪いコーチの見本なのである。まあ、漫画の世界だから厳しさを表現するためであるが。漫画の中ではいいが。しかし、それを現実にやっては、全然、よくないどころか逆効果なのである。
確かに、世の中には、いくつもの事を同時にすることは出来る。たとえば。車を運転する時は。車を運転しながら、カーラジオを聞きながら、助手席の女と話しながら、煙草を吸いながら、外の景色を見ながら。と五つのことを同時に出来る。しかし、それらは、全て、すでに身についている簡単なこと、や、受動的なことばかりだから出来るのである。しかし、スポーツの上達過程においては、技術的なことで何かを意識しながら、練習するというのは、非常に大変なことなのである。
しかし現実には星一徹のようなコーチもいるのである。それは本人の性格が大きいが、中には漫画かぶれ、している人もいるだろう。そもそも、ネットで、「スポーツコーチ募集」とかで検索すると、全てのスポーツスクールのコーチ求人の条件は、自分が欠点なく、しっかり上手く出来るのが条件の全てであり、指導歴何回とか、指導した経験あり、などというものを求人の条件としている所など一つもない。プロ野球のコーチとても、コーチには給料を払わねばならないから競争率の厳しい現役引退後の選手の憧れる就職先なのである。そして、それに採用されるかどうかは、やはり現役時代、自分が選手して、どれだけ良い成績を残したか、が採用される条件だろう。(と察する)
さて、悪いコーチにつくと、せっかく長い目で見れば上達できる能力を持っているのに、コーチに、同じことを毎回、毎回、注意され、上達せず、もう嫌になったり、わけがわからなくなったりして、結局はやめていく。そしてコーチは、根性のないヤツだ、と軽蔑する。コーチも生徒も両方とも盲目である。
だからこそ、悪いコーチにはつかないよう注意すべきだし。「三年かけて良師をさがせ」(意味=下手なコーチに三年習うより、三年かけて良い師を探した方がいい)などという諺が出来てしまうのであり、また、地理的、環境的に、どうしても悪いコーチの指導のもとで練習しなければならないのなら、「コーチの注意は無視すべし」という原則を守らなくてはならないのである。
さて、スポーツコーチの事を悪くばっかり言ったが、中には才能のあるコーチもある。You-Tubeで、色々見ると、「あっ。このコーチは才能(人を上手くさせる能力)があるな」と思われるコーチが、結構いるのである。悪いコーチの犠牲者となって、スランプとなってしまった人は、そういう良いコーチの所まで足を運び、一度か数度か指導を受けるのがいいだろう。それと、あとは自分で考えてみること。そして、本人のやる気の度合いである。