松田優作は、生と映画「ブラックレイン」のどちらをとるかで、「ブラックレイン」(私は見ていない)の方をとってしまった。どうしても俳優は、今、やっている映画をやらずにはいられないものである。これは小説とか漫画とか作曲とか、芸術創作者すべてに当てはまる心理である。過去の作品に浸っていていることなんて出来ないのである。芸術家にとって過去の作品は墓場(メルロ・ポンティー)なのである。しかし、客観的に見ると、享年40歳である。40歳を越したら、もうアクションも20代のようなものは、少なくなっていっただろう。40代の男のアクションがそんなに格好いいだろうか。松田優作は、アクションがなくなっても、まだまだ魅力がある。それは彼の面白い個性であり、ユーモアである。「家族ゲーム」などアクションなど無いが、ユーモアが面白い。やはり「ブラックレイン」より、治療に専念して生きる方をとってほしかったものである。私個人の好みとしては、松田優作の作品では、「俺たちの勲章」だけにしか魅力を感じない。あの皮ジャンにサングラスは、最高に格好よかった。
ブルース・リーが内向的人間であることは、絶対、間違いない。彼がアメリカの大学で哲学を専攻したのも必然である。大学を卒業はしなかったが、生活のため、自分の道場を開いて、武道を教えたりして、忙しくて、両立は出来なかった、ということである。ブルース・リーは大変な読書家で、彼の書斎には蔵書として哲学や武道の本が厖大にあった。そして、それらをほとんど全部読みきっていた。(ことはまず間違いない)もしかすると、世界の武道を全て、知っていた可能性もあるかもしれない。私はブルース・リーの肉体や技の華麗さもさることながら、彼の書いた文が好きである。そこには間違いなく、哲学者ブルース・リーがいる。非常に思索が深い。物事の本質を知っている。そして、そもそも、スポーツマンではなく、武道家なんて人間は暗くて内向的な人間である。
さて最近、知ったのだが、「燃えよ。ドラゴン」のオープニングでサモ・ハン・キン・ポと戦うシーンのブルース・リーの肉体は、引き締まっている、を越して、痩せすぎている。彼はアメリカで腰部の神経損傷の怪我をして、半年入院生活を送った。彼は、(松田優作もそうだったが)弱音を言わない人間だったから、もしかすると、自分の将来に不安を持って焦っていたのかもしれない。ブルース・リーは怒りっぽかった一面もあったが、それも、自分の将来に対する不安や苛立ちからかもしれない。
さて最近、知ったのだが、「燃えよ。ドラゴン」のオープニングでサモ・ハン・キン・ポと戦うシーンのブルース・リーの肉体は、引き締まっている、を越して、痩せすぎている。彼はアメリカで腰部の神経損傷の怪我をして、半年入院生活を送った。彼は、(松田優作もそうだったが)弱音を言わない人間だったから、もしかすると、自分の将来に不安を持って焦っていたのかもしれない。ブルース・リーは怒りっぽかった一面もあったが、それも、自分の将来に対する不安や苛立ちからかもしれない。
さて、私のホームページ(小説)とブログ(雑文、考察文)は、かなりの量になっている。さて。
もし、私の書いたもの全部は、一日では読みきれない。と言われたら私はうれしい。なぜなら、私は一日では読みきれないほどの分量の文を書いたことになるから。
しかし。もし、私の書いたもの全部なんか、一日で読めてしまう。と言われたら私はうれしい。なぜなら、かなりの分量なのに、一日で読めてしまうなら、私の文章は非常に読みやすい文章だということになるのだから。
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