母校の医学部から同窓会名簿が送られてきた。私が卒業した年、以後に卒業して死んだ人は12人である。
私のように在学中から、過敏性腸症候群、うつ病、不眠症などの病気がひどく(一年、病気休学して)同級生も、私のような半病人など、まず卒業できないだろうし、仮に卒業して医者になっても、数年で病気で死ぬだうと思われていたような生徒が、ゴキブリのように、しぶとく生きていて、健康そのもので、元気があり余っている他の生徒の内、12人も死んでいる、というのは、皮肉なものである。
何で死んだかは、知らないが、おそらく交通事故による死亡が一番、多いだろう。しかし、それも、原因を正せば過労によるものだう。死亡診断書で言うところの原死因である。
これは私を振り返って見ても、感じることである。私は研修医の時、週一回、当直病院に行っていた。基本的に、寝当直が多かったが、病人が出て、その対応で寝れないこともあったが、ただの寝当直でも、翌朝は、疲れるのである。当直病院は、研修病院のある千葉市から車で東関東自動車道を時速140km/hで飛ばして、一時間半かかる所にある小見川病院という田舎の病院である。当直明けの朝は疲れているので、何度、高速道路で、居眠り運転しそうになったことかしれない。当直明けも、働かなければならないから、当直のある日は、24時間+8=32時間、続けて働かなくてはならなかった。私は精神科だから楽な方だけど、外科の医者では、大変だろう。
医者は、24時間、じゃなくて32時間、働けますか、の世界なのである。
当直の翌日の勤務は、しんどく、研修病院の当直室で寝てたことも多かった。それでも(怒りっぽい)院長は怒らなかった。それは私が勉強熱心で、優秀な研修医だと院長が思っていてくれたからである。実際、私は、研修医の時は、夜の12時を越して勉強していることが多かった。夜の9時に、見回りに、当直の先生が二人、病棟に来るので、わかってしまうのである。
研修医の時は、しんどく、毎日、地獄のように疲れはてていたが、今は、あの頃よりは、ずっと生活が楽である。それでも、毎日が病気との闘いの日々であることは、変わらないが。
これは、仕事は無理はしないで、筋トレやプールで泳いだりして、常に健康を維持しようと意識しているからであろう。
私の父親も、会社で働いていた時も喘息に悩まされていたが、退職したあとは、父親は、気候のいい沖縄に行ったが、喘息発作を起こして、何回も病院に入院した。私も、数年前、沖縄に行ったが、父親の激しい喘鳴を聞いて、これは、長くはもたんだろうな、と思ったが、しぶとく生きている。
まあ私の場合は、一病息災、ならぬ10病、息災のようなものである。しかし、あと、10年(どころか5年)は、絶対、生きられないだろうな、とは、確信しているのだが。
そもそも医者の平均寿命は、他の職業の人より、統計的に短いのだが、まあ、これは、いわば、乳幼児死亡率が高い、ような面がある。
高校の時、私が卒業した年、以後に卒業した人で死んだ人が、何人かは知らないが、かってな想像だか、一人か二人くらいだろう。
医者の平均寿命が短い理由として考えられるもの。厚生労働省の医者いじめ。医学界の封建制。徒弟制。武見太郎氏が死んでからの医師会の弱体化。国民皆保険制度。その他あれこれ。結局、古い風習にとらわれて、ものごとを変革できない日本人気質。(というか、大切な伝統は壊さずに保持尊重しつづける、おくゆかしさ)結局、行政、官僚政治。それの元である教育制度。に行きついてしまう。
しかし、考えてみれば、全共闘世代の学生は、権力に刃向っていく度胸があった。今の学生は、おとなしい羊のようである。フリーターだのニートだのが、当たり前の感覚になってしまった。それを私は、バブル崩壊、デフレ不況のせい、だけだとは決して思わない。やはり日本人の精神が時代と共に変わっていっているのだ。
子供も世の中を見て、自分は、将来、どんな仕事をしようか、と思っているのである。フリーターやニートというのも、今の世の中の職業の一つ、という感覚の社会では。作文で、「僕は将来、フリーターになろうと思います」と堂々と書く生徒が出てきても、おかしくはない。そして、歳のいった先生は、「昔はね。フリーターという職業は社会から蔑まれていたんだよ。フリーターだと親から叱られたんだよ」と教えるようになっても、おかしくはない。
今では、自分を平気で、サドだとかマゾだとか、言うようになったが、昔は、そんなことは、口が裂けても言えないことだった。
しかし男の卒業生は、いいが、女の卒業生にとっては、同窓会名簿は、悩みの種であろう。女の卒業生は、結婚してると、夫の性で、名簿に書かれる。(結婚前の性も「」で、あわせ書かれる)そうすると、全ての人に、あの人、まだ結婚してないの、と見られてしまう。これは当人には、辛いだろう。男は、結婚しても、しなくても、性が変わらないから、非常に安心で、ありがたい。そもそも女医は結婚できにくいのである。それは、医者という仕事を捨てられないからである。女医は人生をJOY出来ないのである。
なので結婚した女医=勝ち組。結婚してない女医=負け組。という感覚が起こる。
男は、金を払って女を抱けるが、女が金を払って男に抱かれるという店は日本には無い。
結婚できない女医は、一人さびしく、自分一人分の料理を作り、それを食卓で一人でさびしく食べ、夜中に布団の中で、さびしく自分をなぐさめる。
「はあ。私の作った料理を食べてくれる彼氏が欲しいわ。私を優しく抱いてくれる彼氏が欲しいわ」
とハラハラと枕に涙をこぼしながら。
私のように在学中から、過敏性腸症候群、うつ病、不眠症などの病気がひどく(一年、病気休学して)同級生も、私のような半病人など、まず卒業できないだろうし、仮に卒業して医者になっても、数年で病気で死ぬだうと思われていたような生徒が、ゴキブリのように、しぶとく生きていて、健康そのもので、元気があり余っている他の生徒の内、12人も死んでいる、というのは、皮肉なものである。
何で死んだかは、知らないが、おそらく交通事故による死亡が一番、多いだろう。しかし、それも、原因を正せば過労によるものだう。死亡診断書で言うところの原死因である。
これは私を振り返って見ても、感じることである。私は研修医の時、週一回、当直病院に行っていた。基本的に、寝当直が多かったが、病人が出て、その対応で寝れないこともあったが、ただの寝当直でも、翌朝は、疲れるのである。当直病院は、研修病院のある千葉市から車で東関東自動車道を時速140km/hで飛ばして、一時間半かかる所にある小見川病院という田舎の病院である。当直明けの朝は疲れているので、何度、高速道路で、居眠り運転しそうになったことかしれない。当直明けも、働かなければならないから、当直のある日は、24時間+8=32時間、続けて働かなくてはならなかった。私は精神科だから楽な方だけど、外科の医者では、大変だろう。
医者は、24時間、じゃなくて32時間、働けますか、の世界なのである。
当直の翌日の勤務は、しんどく、研修病院の当直室で寝てたことも多かった。それでも(怒りっぽい)院長は怒らなかった。それは私が勉強熱心で、優秀な研修医だと院長が思っていてくれたからである。実際、私は、研修医の時は、夜の12時を越して勉強していることが多かった。夜の9時に、見回りに、当直の先生が二人、病棟に来るので、わかってしまうのである。
研修医の時は、しんどく、毎日、地獄のように疲れはてていたが、今は、あの頃よりは、ずっと生活が楽である。それでも、毎日が病気との闘いの日々であることは、変わらないが。
これは、仕事は無理はしないで、筋トレやプールで泳いだりして、常に健康を維持しようと意識しているからであろう。
私の父親も、会社で働いていた時も喘息に悩まされていたが、退職したあとは、父親は、気候のいい沖縄に行ったが、喘息発作を起こして、何回も病院に入院した。私も、数年前、沖縄に行ったが、父親の激しい喘鳴を聞いて、これは、長くはもたんだろうな、と思ったが、しぶとく生きている。
まあ私の場合は、一病息災、ならぬ10病、息災のようなものである。しかし、あと、10年(どころか5年)は、絶対、生きられないだろうな、とは、確信しているのだが。
そもそも医者の平均寿命は、他の職業の人より、統計的に短いのだが、まあ、これは、いわば、乳幼児死亡率が高い、ような面がある。
高校の時、私が卒業した年、以後に卒業した人で死んだ人が、何人かは知らないが、かってな想像だか、一人か二人くらいだろう。
医者の平均寿命が短い理由として考えられるもの。厚生労働省の医者いじめ。医学界の封建制。徒弟制。武見太郎氏が死んでからの医師会の弱体化。国民皆保険制度。その他あれこれ。結局、古い風習にとらわれて、ものごとを変革できない日本人気質。(というか、大切な伝統は壊さずに保持尊重しつづける、おくゆかしさ)結局、行政、官僚政治。それの元である教育制度。に行きついてしまう。
しかし、考えてみれば、全共闘世代の学生は、権力に刃向っていく度胸があった。今の学生は、おとなしい羊のようである。フリーターだのニートだのが、当たり前の感覚になってしまった。それを私は、バブル崩壊、デフレ不況のせい、だけだとは決して思わない。やはり日本人の精神が時代と共に変わっていっているのだ。
子供も世の中を見て、自分は、将来、どんな仕事をしようか、と思っているのである。フリーターやニートというのも、今の世の中の職業の一つ、という感覚の社会では。作文で、「僕は将来、フリーターになろうと思います」と堂々と書く生徒が出てきても、おかしくはない。そして、歳のいった先生は、「昔はね。フリーターという職業は社会から蔑まれていたんだよ。フリーターだと親から叱られたんだよ」と教えるようになっても、おかしくはない。
今では、自分を平気で、サドだとかマゾだとか、言うようになったが、昔は、そんなことは、口が裂けても言えないことだった。
しかし男の卒業生は、いいが、女の卒業生にとっては、同窓会名簿は、悩みの種であろう。女の卒業生は、結婚してると、夫の性で、名簿に書かれる。(結婚前の性も「」で、あわせ書かれる)そうすると、全ての人に、あの人、まだ結婚してないの、と見られてしまう。これは当人には、辛いだろう。男は、結婚しても、しなくても、性が変わらないから、非常に安心で、ありがたい。そもそも女医は結婚できにくいのである。それは、医者という仕事を捨てられないからである。女医は人生をJOY出来ないのである。
なので結婚した女医=勝ち組。結婚してない女医=負け組。という感覚が起こる。
男は、金を払って女を抱けるが、女が金を払って男に抱かれるという店は日本には無い。
結婚できない女医は、一人さびしく、自分一人分の料理を作り、それを食卓で一人でさびしく食べ、夜中に布団の中で、さびしく自分をなぐさめる。
「はあ。私の作った料理を食べてくれる彼氏が欲しいわ。私を優しく抱いてくれる彼氏が欲しいわ」
とハラハラと枕に涙をこぼしながら。