小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

見合い

2013-12-05 02:15:15 | 医学・病気
二年間の研修が終わって、私は、地元の藤沢市の、ある病院に就職した。それまで、院長一人でやっていて、人手が足りなかったのである。130床のオンボロ病院である。常勤医は、院長と私一人で、院長はいつも院長室にいるので、私は、わりと広い医局の部屋を一人で使えた。

机の中に、ある女医の写真があった。写真の裏には彼女の履歴が書いてある。
週一回、非常勤で来る、高齢の医師Aが、どういう訳かは知らないが、私に、彼女に会ってみないか、と勧めた。彼女の写真は、もちろん見合い写真である。女が、見合い写真をばらまくのは、女にとって、つらいだろうが、彼女は、特に美形でもないが、ブスでは、さらさらなく、容貌は普通で、彼女としては、自分の容貌に多少は自信があるから、見合い写真を、置いておけるのだろう。彼女は、ある医学部を卒業し、小児科医となって、母校の大学に勤務していた。彼女の父親が産婦人科の、割と大きな病院の院長で、彼女の兄も整形外科の医師でアメリカに行っている。医者の娘として生まれると、もう将来は、女医になることが、ほとんど決定してしまっている。よほど医者嫌いか、勉強嫌いか、でない限り。親が娘に女医になってくれることを、望んでいるからである。彼女は、性格が素直なので、父親の思いに従順に従って、女医になったのだろう。

A医師は、私に彼女と見合いをしてくれないか、とさかんに勧めた。しかし、私は、苦笑いして、YES、とは言わなかった。何も言わず、黙っていた。しかしAは、さかんに見合いを勧める。

「別に本気じゃなくても、いいんだよ」

とか、

「私は、面白くしたいと思っているだけなんだよ」

とか言った。私ほど物事を面白くしたいと思っている人間をつかまえて。

「その気になったら、私に電話して」

と言ってA医師は、自分の家の電話番号を書いたメモを私に渡した。

私が見合いをしない理由を言わないので、A医師は、私が見合いを引き受けない理由を、勝手に憶測し出した。A医師は、私が見合いを引き受けない理由を、彼女の顔が私の好みではない、のだと憶測した。

ある日。A医師が、来た日。

「顔はそんなに美人じゃないけど」

と、苦しげに言った。勘違いもいいところである。私だって、彼女と話してみたいとは、思っていた。小児科とは、どういう患者が多いのか、とか大学病院の現状はどうなのか、などを知りたかったからである。見合いというものも体験してみたかったし、彼女とレストランで食事したいとも思っていた。しかし、結婚する気がないのに、彼女から、小児科に関する知識を聞こうとする目的で、彼女を利用しようとするのは、私の良心が、絶対に、それを許さなかった。彼女を傷つけたくなかった。うわべは笑顔で、彼女と話して、彼女が、私に好意を持つようになってしまってから、結局は、最後は、断るというのは、私の良心が、絶対に、それを許さなかった。

A医師は、最初、

「精神科医では産婦人科医院を継げないのは残念だけど」

と言っていた。つまり、A医師は、出来ることなら、私が彼女と結婚し、私が、彼女の父親の産婦人科医院を継ぐことを望んでいたのである。しかし、私は、小説家になることだけが、生きている唯一の目的であり、医者は食っていくために、仕方なく、やっているのであって、病院を継ぐなんてことは、私にとっては拷問にも等しいことである。私は勉強熱心なので、産婦人科に転科して産婦人科医になることは、私にとっては、たやすいだろう。そして、最初に、そういう私の本心を、柔らかく彼女に告げて、彼女と会ってみる、というのも、出来ないことでは、なかっただろう。また、私は彼女の誠実そうな性格が好きだったから、もしかすると、彼女を傷つけることは、なかったかもしれない。しかし私は、人を傷つけたくない、ということに、神経質すぎる所がある。だから、彼女に会って、彼女と少し話して、彼女を傷つけずに別れることも出来たかもしれない。

しかし、それも、私の良心とプライドが許さなかった。それをした時、私は、この世の中の人間の、十把一絡げの、その他大勢の一人になってしまうからだ。それが私には嫌だった。

結局、私は、彼女とは、一度も会うことがなかった。A医師は、一年くらいして、

「私ももう歳だから、辞めようと思う」

と言って病院を辞めた。

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