今年は、三島由紀夫の自決の45年目ということで、また、安保法案が可決されたことも加わって、三島由紀夫の自決、のことが、述べられている。
色々な人が、色々な勝手な意見を言っているが。
「私には、三島由紀夫がなぜ自決したのか、わからない、という人が全くわからない」
だって。すべては、書かれ、述べられているというのに。
一億、総盲目としか、言いようがない。
外向的人間は、人間の心理の洞察には、滅法、弱いようだ。
私も、このブログで、何回か、氏の死のことを、書いた。
もっと、わかりやすく、書きたいのだが、幸い、今、体調が、良く、小説を、いくつも書いているので、こんな、ブログなんか、書いている時間がもったいない。
ただ、三島由紀夫が、書いたり、述べたりしていることの中には、自分の本心と、本心ではない、思わせぶりな発言や、作戦的なものがあり、すべてが、本心ではない。
そこを、見抜けるか、見抜けないか、である。
つまり、文章や、発言の中にある、作者の意図、真意を見抜けるか、見抜けないか、である。
特に、文芸評論家の、奥野健男氏の「三島由紀夫伝説」は、ひどい。
500ページ以上の、分厚い本だが、内容の、すべては、三島由紀夫が、自分で言っていることで、評論文として、何の付加価値もない。
よくもまあ、あんな、無意味な、長い評論文を書く気になれたものだと感心する。
さらには、とんでもなく、間違った誤解までしている。
本箱を探したら、なかった。
あまりに、無意味だから、捨ててしまった。のだ。
しかも、ネットで調べたら、あれが、 芸術選奨文部大臣賞、というのだから、びっくりした。
色々な人が、色々な勝手な意見を言っているが。
「私には、三島由紀夫がなぜ自決したのか、わからない、という人が全くわからない」
だって。すべては、書かれ、述べられているというのに。
一億、総盲目としか、言いようがない。
外向的人間は、人間の心理の洞察には、滅法、弱いようだ。
私も、このブログで、何回か、氏の死のことを、書いた。
もっと、わかりやすく、書きたいのだが、幸い、今、体調が、良く、小説を、いくつも書いているので、こんな、ブログなんか、書いている時間がもったいない。
ただ、三島由紀夫が、書いたり、述べたりしていることの中には、自分の本心と、本心ではない、思わせぶりな発言や、作戦的なものがあり、すべてが、本心ではない。
そこを、見抜けるか、見抜けないか、である。
つまり、文章や、発言の中にある、作者の意図、真意を見抜けるか、見抜けないか、である。
特に、文芸評論家の、奥野健男氏の「三島由紀夫伝説」は、ひどい。
500ページ以上の、分厚い本だが、内容の、すべては、三島由紀夫が、自分で言っていることで、評論文として、何の付加価値もない。
よくもまあ、あんな、無意味な、長い評論文を書く気になれたものだと感心する。
さらには、とんでもなく、間違った誤解までしている。
本箱を探したら、なかった。
あまりに、無意味だから、捨ててしまった。のだ。
しかも、ネットで調べたら、あれが、 芸術選奨文部大臣賞、というのだから、びっくりした。