また、私は、スポーツ観戦で、野次を飛ばす客の心理も全くわからない。
私は、野次など、大嫌いである。
たとえば、ボクシングの試合で、野次を飛ばせる資格があるのは、戦ってる選手に、「おい。お前。そんなにオレに、野次を言うならオレと戦って勝ってから、言え」と、試合をいどまれた場合、受けてたてる人間だけだと、私は、個人的に思っている。
自分は、出来ないのに、野次を飛ばす心理というものが、私には、わからない。
自分は、自分の仕事を、ちゃんと、やっている、一人前の人間だから、そして、金を払って観戦しているのだから、野次を飛ばす資格が当然ある、と思っているのだろうか?
あるいは、観客は、大勢だから、ドサクサに紛れて、野次を飛ばしているのだろう。
自分の身は安全だから。
選手と、一対一になって、自分ひとり、で、相手の前で、相手を、ボロクソに野次れるのなら、その客は、勇気がある。
しかし、そんなヤツは、世の中に、一人もいっこない。
「☆」古代のローマでは、奴隷制度があった。
そして、コロシアムで、奴隷、同士を、どちらかが、死ぬまで、戦わせた。
それは、ローマ市民の、一番の娯楽だった。
当時は、奴隷は、強制的に、戦わされていた。
奴隷に人権など、もちろん無い。
現代は、スポーツ選手は、自分の意志で、職業として、あるいは、記録のため、自発的に、コロシアムだの、スタジアムだの、後楽園ホールだので、戦っている。
しかし、観ている客の心理は、古代のローマ市民と、同じなのである。
だから、野次が飛ぶのである。
こういう事実を、現代の人間は、理解していないのである。
私は、野次など、大嫌いである。
たとえば、ボクシングの試合で、野次を飛ばせる資格があるのは、戦ってる選手に、「おい。お前。そんなにオレに、野次を言うならオレと戦って勝ってから、言え」と、試合をいどまれた場合、受けてたてる人間だけだと、私は、個人的に思っている。
自分は、出来ないのに、野次を飛ばす心理というものが、私には、わからない。
自分は、自分の仕事を、ちゃんと、やっている、一人前の人間だから、そして、金を払って観戦しているのだから、野次を飛ばす資格が当然ある、と思っているのだろうか?
あるいは、観客は、大勢だから、ドサクサに紛れて、野次を飛ばしているのだろう。
自分の身は安全だから。
選手と、一対一になって、自分ひとり、で、相手の前で、相手を、ボロクソに野次れるのなら、その客は、勇気がある。
しかし、そんなヤツは、世の中に、一人もいっこない。
「☆」古代のローマでは、奴隷制度があった。
そして、コロシアムで、奴隷、同士を、どちらかが、死ぬまで、戦わせた。
それは、ローマ市民の、一番の娯楽だった。
当時は、奴隷は、強制的に、戦わされていた。
奴隷に人権など、もちろん無い。
現代は、スポーツ選手は、自分の意志で、職業として、あるいは、記録のため、自発的に、コロシアムだの、スタジアムだの、後楽園ホールだので、戦っている。
しかし、観ている客の心理は、古代のローマ市民と、同じなのである。
だから、野次が飛ぶのである。
こういう事実を、現代の人間は、理解していないのである。