小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

野次

2015-12-04 23:19:50 | 考察文
また、私は、スポーツ観戦で、野次を飛ばす客の心理も全くわからない。

私は、野次など、大嫌いである。

たとえば、ボクシングの試合で、野次を飛ばせる資格があるのは、戦ってる選手に、「おい。お前。そんなにオレに、野次を言うならオレと戦って勝ってから、言え」と、試合をいどまれた場合、受けてたてる人間だけだと、私は、個人的に思っている。

自分は、出来ないのに、野次を飛ばす心理というものが、私には、わからない。

自分は、自分の仕事を、ちゃんと、やっている、一人前の人間だから、そして、金を払って観戦しているのだから、野次を飛ばす資格が当然ある、と思っているのだろうか?

あるいは、観客は、大勢だから、ドサクサに紛れて、野次を飛ばしているのだろう。

自分の身は安全だから。

選手と、一対一になって、自分ひとり、で、相手の前で、相手を、ボロクソに野次れるのなら、その客は、勇気がある。

しかし、そんなヤツは、世の中に、一人もいっこない。


「☆」古代のローマでは、奴隷制度があった。

そして、コロシアムで、奴隷、同士を、どちらかが、死ぬまで、戦わせた。

それは、ローマ市民の、一番の娯楽だった。

当時は、奴隷は、強制的に、戦わされていた。

奴隷に人権など、もちろん無い。

現代は、スポーツ選手は、自分の意志で、職業として、あるいは、記録のため、自発的に、コロシアムだの、スタジアムだの、後楽園ホールだので、戦っている。

しかし、観ている客の心理は、古代のローマ市民と、同じなのである。

だから、野次が飛ぶのである。

こういう事実を、現代の人間は、理解していないのである。

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応援ヨロシクという言葉

2015-12-04 21:59:05 | 武道・スポーツ
私は、「応援よろしく」という、スポーツ選手が嫌いだ。

「応援よろしく」と、平気で言う選手は、ダメになっていく可能性もある、とも思う。

応援する、観客も、おかしい、と思う。

だって。選手は、自分の年俸、世間的名誉、つまり、自分のエゴのために、頑張っているのだ。

もっとも、それは、スポーツ選手に限らず、人間は、すべて、自分のために生きているのだ。

東大に合格しようと、頑張って勉強している、受験生などでは、一日、13時間、以上、勉強している人は、ザラにいる。

そういう人は、誰にも、応援されなくても、頑張っている。

オリンピックで金メダルをとった選手、や、世界記録を出した、プロスポーツ選手は、国民栄誉賞を、よく獲る。

あれは、私には、全く理解できない。

どうして、自分のために、頑張った人間が、国民栄誉賞なのか?

それなら、一日、13時間、以上、勉強して、東大理三に合格した、受験生も、国民栄誉賞をとる資格があると、思うのだが。

それは、さておき。

国民栄誉賞は、海外医療協力隊、などで、困っている、他人のために、尽くした人間にだけ、与えるべきものだと、私は思っている。

なぜなら、そういう人達は、自分のため、ではなく、他人のために、努力して、世界のために、尽くしたのだから。

つまり。

世間の人間は、地味で、目立たない人間より、派手で格好のいい、華やかなスターの人間の方が、国民栄誉賞に、ふさわしい、と、考えていて、それを、全く疑わないのである。

素晴らしい頭脳の持ち主である。

しかし。

河井寛次郎(名利を求めないという理由で辞退)、杉村春子(分不相応、戦争中に亡くなった俳優を差し置いてもらうことはできない)、大江健三郎、は、文化勲章の受賞を拒否した。

福沢諭吉、森鴎外、原敬、宮沢喜一、も、文化勲章の受賞を辞退した。

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