モハメド・アリは、「オレの敵はアメリカの全ての白人だ」と、言った。
これを、ほとんどの人は、暴論だと言うだろう。
1960年代には、アメリカでは、白人でも、黒人を差別する白人と、黒人を差別しない白人がいた。
モハメド・アリは、黒人を差別する白人だけを、批判すべきだった、と人は言うだろう。
これが、常識的な、一般の人の考え方である。
しかし私の考えは、ちょっと、違う。
私は、こう考える。
というか、あなた(このブログを読んで下さっている日本人)、に問いたい。
「あなたは、日本人で、アフリカ系の黒人のように、肌の色が黒くなく、髪の毛も縮れていない。もし、あなたが、黒人を差別しない、というのなら、そして、黒人も、白人も、東洋人も、なんら変わりない、平等な人間だ、というのなら。・・・私は、あなたに問いたい。あなたは、黒人に生まれても、よかったのですね。あるいは、これから、黒人になって、肌の色が黒くなっても、いいのですね。だって、あなたの理屈では、そうなるじゃないですか」
「オレは黒人に生まれても良かった。オレは、これから黒人になってもいい」
と、本心から、答えられる人だけが、モハメド・アリを、批判する権利がある。
そう私は考える。
これを、ほとんどの人は、暴論だと言うだろう。
1960年代には、アメリカでは、白人でも、黒人を差別する白人と、黒人を差別しない白人がいた。
モハメド・アリは、黒人を差別する白人だけを、批判すべきだった、と人は言うだろう。
これが、常識的な、一般の人の考え方である。
しかし私の考えは、ちょっと、違う。
私は、こう考える。
というか、あなた(このブログを読んで下さっている日本人)、に問いたい。
「あなたは、日本人で、アフリカ系の黒人のように、肌の色が黒くなく、髪の毛も縮れていない。もし、あなたが、黒人を差別しない、というのなら、そして、黒人も、白人も、東洋人も、なんら変わりない、平等な人間だ、というのなら。・・・私は、あなたに問いたい。あなたは、黒人に生まれても、よかったのですね。あるいは、これから、黒人になって、肌の色が黒くなっても、いいのですね。だって、あなたの理屈では、そうなるじゃないですか」
「オレは黒人に生まれても良かった。オレは、これから黒人になってもいい」
と、本心から、答えられる人だけが、モハメド・アリを、批判する権利がある。
そう私は考える。