三島由紀夫が、早稲田大学の学生と話をしている、動画がある。
かなり前の、今年になってから、出てきた。
東大全共闘は、三島由紀夫と対立していたが、早稲田大学の学生は、三島由紀夫を、「先生」、と、呼び、学生運動も、していない。
というより、早稲田の学生でも、学生運動をしていた、生徒は、たくさん、いたろうが、三島由紀夫の講演会には、学生運動をしている学生は、出ていない、という方が正しい。
その「9」番目の動画で、早稲田の学生が、三島由紀夫が、40歳過ぎて、生きていることから、若くして死ぬ気はなかったのでは、ないか、と三島由紀夫に、質問した。
しかし、これは、誤りである。
太平洋戦争は、三年半の戦いだった。
三年半で、終わった戦争、といえば、後から考えると、短いように思われてしまう。
しかし、これは、完全な結果論、事後考察である。
戦争している国、や、国民は、この戦争が、いつまで、続くのかは、わからないのである。
わからないと、戦争という性質から、人間は、長引くだろう、と思ってしまうものである。
ましてや、日本は、広島に、原爆を落とされた後でも、本土決戦を主張し、特攻隊を続け、一億総玉砕するまで戦う、気でいた。
若者は、二十歳までの命、と、教育された。
つまり、日本人は、敗戦の色が濃くなるにつれ、もう、死ぬ運命だと覚悟していた。
もちろん、三島由紀夫も、死を覚悟した。
後から、太平洋戦争を見ると、激戦とはいえ、三年半で終わった、短い戦争だったが、当事者には、戦争で、死ぬことが、日本人の宿命として、決まっていた、精神状態だったのである。
だから、三島由紀夫は、死を本気で覚悟していた。
しかし、日本の、文化、歴史、伝統、天皇制、それらを、すべて壊すと、考えていた、鬼畜米英は、日本を民主主義国家にした。
(これは、ソ連の脅威に対抗するための極東軍事基地という目的もあったが)
三島由紀夫は、美しく死ぬためなら、太宰治のように、女との情死でもいい、と言っていた。
つまり、美しく死ぬためなら、その方法は、何でも良かったのである。
さらに、「美しく死ぬための方法をたくらんでいる」、とまで言った。
これから、わかるように。
昭和45年11月25日の、三島由紀夫の、自決は、自分が、美しく英雄的に死ぬための手段であって、「自衛隊の違憲性」、に対する憤りの諌死では、全くないのである。
何か、政治的な矛盾、なら、何でも良かったのである。
しかし、自分が、美しく英雄的に死ぬための手段として、無法的なことをするというのは、傍迷惑なこと、である。
(世間の人間は、みな三島由紀夫にだまされている)
しかし、三島由紀夫が言う、「果たしていない、たった一つの約束」、つまり、遺書を書いて、死を覚悟して、他の学友が戦死していったのに、自分が生き延びた、ことに、対する、罪悪感、は、三島由紀夫の純粋な思いである。
しかし、夭折の美、とか、若くして英雄的に美しく死ぬ、などというのは、漫画や、テレビドラマや、小説や、映画などの、フィクションのお話の中で、主人公に、させるのならいいが。そして、あくまで、フィクションのお話の中だけで、とどめておくべき事である。
それに、本気で憧れて、それを現実に実行するなど、不謹慎、きわまる、狂った考えである。
三島由紀夫という、社会的にも、モラルがある、天才作家が、言っているので、誰も、それを、「不謹慎」、だと、言わないだけである。
多くの人が言うように。
「人間には生きる権利があるのと同時に、生きる義務がある」
のである。
僕、個人としては、自殺を無条件に悪いとは、全く思わない。どうしても、仕方のない自殺というものは、僕はあると思うし、認める。
しかし、人間は、安っぽく、死んでは決してならない。
歳をとるのは、つらいことだが、それは、我慢しなれば、ならないのが人間の宿命である。
運動し、食を節し、健康に気を使っていれば、若さは、かなり保てるのである。
かなり前の、今年になってから、出てきた。
東大全共闘は、三島由紀夫と対立していたが、早稲田大学の学生は、三島由紀夫を、「先生」、と、呼び、学生運動も、していない。
というより、早稲田の学生でも、学生運動をしていた、生徒は、たくさん、いたろうが、三島由紀夫の講演会には、学生運動をしている学生は、出ていない、という方が正しい。
その「9」番目の動画で、早稲田の学生が、三島由紀夫が、40歳過ぎて、生きていることから、若くして死ぬ気はなかったのでは、ないか、と三島由紀夫に、質問した。
しかし、これは、誤りである。
太平洋戦争は、三年半の戦いだった。
三年半で、終わった戦争、といえば、後から考えると、短いように思われてしまう。
しかし、これは、完全な結果論、事後考察である。
戦争している国、や、国民は、この戦争が、いつまで、続くのかは、わからないのである。
わからないと、戦争という性質から、人間は、長引くだろう、と思ってしまうものである。
ましてや、日本は、広島に、原爆を落とされた後でも、本土決戦を主張し、特攻隊を続け、一億総玉砕するまで戦う、気でいた。
若者は、二十歳までの命、と、教育された。
つまり、日本人は、敗戦の色が濃くなるにつれ、もう、死ぬ運命だと覚悟していた。
もちろん、三島由紀夫も、死を覚悟した。
後から、太平洋戦争を見ると、激戦とはいえ、三年半で終わった、短い戦争だったが、当事者には、戦争で、死ぬことが、日本人の宿命として、決まっていた、精神状態だったのである。
だから、三島由紀夫は、死を本気で覚悟していた。
しかし、日本の、文化、歴史、伝統、天皇制、それらを、すべて壊すと、考えていた、鬼畜米英は、日本を民主主義国家にした。
(これは、ソ連の脅威に対抗するための極東軍事基地という目的もあったが)
三島由紀夫は、美しく死ぬためなら、太宰治のように、女との情死でもいい、と言っていた。
つまり、美しく死ぬためなら、その方法は、何でも良かったのである。
さらに、「美しく死ぬための方法をたくらんでいる」、とまで言った。
これから、わかるように。
昭和45年11月25日の、三島由紀夫の、自決は、自分が、美しく英雄的に死ぬための手段であって、「自衛隊の違憲性」、に対する憤りの諌死では、全くないのである。
何か、政治的な矛盾、なら、何でも良かったのである。
しかし、自分が、美しく英雄的に死ぬための手段として、無法的なことをするというのは、傍迷惑なこと、である。
(世間の人間は、みな三島由紀夫にだまされている)
しかし、三島由紀夫が言う、「果たしていない、たった一つの約束」、つまり、遺書を書いて、死を覚悟して、他の学友が戦死していったのに、自分が生き延びた、ことに、対する、罪悪感、は、三島由紀夫の純粋な思いである。
しかし、夭折の美、とか、若くして英雄的に美しく死ぬ、などというのは、漫画や、テレビドラマや、小説や、映画などの、フィクションのお話の中で、主人公に、させるのならいいが。そして、あくまで、フィクションのお話の中だけで、とどめておくべき事である。
それに、本気で憧れて、それを現実に実行するなど、不謹慎、きわまる、狂った考えである。
三島由紀夫という、社会的にも、モラルがある、天才作家が、言っているので、誰も、それを、「不謹慎」、だと、言わないだけである。
多くの人が言うように。
「人間には生きる権利があるのと同時に、生きる義務がある」
のである。
僕、個人としては、自殺を無条件に悪いとは、全く思わない。どうしても、仕方のない自殺というものは、僕はあると思うし、認める。
しかし、人間は、安っぽく、死んでは決してならない。
歳をとるのは、つらいことだが、それは、我慢しなれば、ならないのが人間の宿命である。
運動し、食を節し、健康に気を使っていれば、若さは、かなり保てるのである。