小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

神風特攻作戦

2016-11-10 21:45:45 | Weblog
イギリスがEUを離脱した。アメリカも、レイシストみたいなのが大統領になって、アメリカ、イギリスは、ブロック経済になった。フランスも、ルペンみたいな極右が、人気が出てきて、保守主義が強まり、EUが、解体し、ブロック経済になるのは、時間の問題である。

鬼畜米英が復活した。

やはり、歴史は繰り返す。

ここに至って、もはや、日本が生き残る道はただ一つ。

来年の一月、ドナルド・トランプ氏が、ホワイトハウスに入ったら、日米同盟を破り、先手をとって、奇襲攻撃で、アメリカに宣戦布告し、爆弾を積んだ高性能戦闘機で、ホワイトハウスに、突っ込む、神風特攻作戦のみ。

「秋篠宮佳子さま。万歳」

「小川彩佳さま。万歳」

「鈴木奈穂子さま。万歳」

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菊川怜

2016-11-10 15:31:22 | Weblog
何か、CM で、きれいな人が、いたので、名前を知ろうと、ネットで、すぐに調べたら、菊川怜、という人だった。

(僕はあまり、芸能人を知らない)

かわいい。

かわいい、だけじゃなく、wikipedia を、見たら、東大理科一類卒で、現役の時に、慶応大学医学部にも合格している。

理数系が好きで、得意な女の人、というのも、めずらしい。

(女の特性として、文科系学問は好きだが、理科系学問は、苦手、というのは、統計をとれば、たぶん、有意に証明されるだろう。男の方が、理屈っぽく、女は、感情が細やかなのである)

しかし、東大理科一類と、慶応大学医学部では、偏差値では、慶応大学医学部の方が、ずっと上である。

慶応大学医学部に合格して、入学しない、というのは、普通に考えると、もったいない。

しかし、医者になる気がないなら、合格しても、入学しない、というのも、普通の考え方だが。

かわいいので、昨日は、アメリカ大統領のニュースを聞きながら、「菊川怜」のフォルダを、パソコンのデスクトップにつくって、彼女の写真を、200枚くらい、入れた。

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スポーツの技術の上達は、練習量に比例するのではなく、階段状に上達する

2016-11-10 08:10:32 | 武道・スポーツ
何か、スポーツを始める。

その時、技術の上達は。

横軸に、時間の経過(練習量)として、縦軸に、上達の度合い、というグラフを作ると。

技術の上達は、練習量(横軸)に、比例して、上達していくのではなく、階段状に、上達していくのである。

つまり。練習しても、なかなか、上手くならない期間が続く。

それでも、あきらめず、熱意をもって、練習していると、ある時、パッと、「出来た」、と、感じる瞬間があのである。

スポーツをしている多くの人は、これを経験していると思う。

これは、脳の中で、(その運動の)運動の神経回路が、つながった、ということであり、専門用語で言えば、(租協調)が出来た、ということである。

これが、上達の階段が、一気に、飛躍した時である。

(租協調が起こった時は、すぐに反復練習して、やっと、つかんだ、上達のチャンスである、租強調を、精協調にすべきなのである)

しかし、その後、練習を続けていると、また、練習しても、上手くならない時期が長く続く。

しかし、あきらめないで、続けていると、また、いつか、「出来た」、と感じる瞬間があのである。

スポーツの上達は、この繰り返しである。

そして、技が、完全に身についたら、それは、つまり、達人になったということであり、プラトーの状態であり、それ以上は、何もないのである。

スキーで言えば、SAJのバッジテストで、1級(ウェーデルンが出来るレベル)、になったら、もう、その後は、上達もクソも何もないのである。

つまり、そこが、目的地であり、終着駅なのであり、目的を達成した、ということなのである。

その後、つまり、目的を達成した後、(そのスポーツ)を続けるということは、10年一日の、同じことの繰り返し、の毎日になるということなのである。

プロ野球、プロサッカー、つまり、全ての、プロスポーツ、オリンピック選手、全て、そうである。

あとは、持久力をつけるための、ランニング、とか、パワーを、より上げるための、筋トレ、とかの練習と、なるのである。

達人になった後、さらに、続けていくと、今度は、悪いクセ、というものが、つくことが、あって、それとの闘いとなるのである。

去年だったか、巨人の強打者たちが、それまでは、打てていたのに、去年(だったか)は、打てなくなった、というのが、いい例である。

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空手指導

2016-11-10 07:07:09 | 武道・スポーツ
昨日、一年ぶりに、テニススクールに行って、テニスをした。

技、というものは、一度、身についてしまえば、1年でも、2年でも、10年でも、やらなくても、技術を忘れるということはないのである。

子供が一度、自転車に乗れるようになったら、その後、1年間、自転車に乗らなくても、すぐに自転車を乗れるのと同じ理屈である。

極めて、まれに、1000人に一人、くらい、子供の頃、自転車を乗らないで、過ごしてきた人は、大人になっても、自転車を乗れない。

そういう人でも、自転車の練習を、意識してやれば、乗れるようにはなる。

さて。技術というものについて。

もし、やらない、長いブランクの後、出来なくなっていた、というのであれば、それは、正しい、「技」、が身についていない、ということである。

たまたま、僕の、空手の技を見て、「空手を教えて下さい」、と言ってきた人が、いたので、正しい正拳突き、の仕方を教えてあげた。

代わりに、彼は、ボクシングを、多少、習ったことがあって、僕は、彼からは、シャドーボクシングの仕方を、少し、教えてもらった。

こういうと傲慢だが。

テニススクールのコーチなど、全員、指導者として、クズであり、指導者と呼べるものではない。

指導能力などない。

指導能力がある、優れた人間とは、失敗した経験があり、悩み、自分で考えて、初心者だった時の、下手な時の自分の苦労を、覚えていて、初心者から、上級者へ、変わっていく、プロセスの理論、というものを知っている人であり、それは、僕のような、数少ない人間だけである。

ほとんどの人は、新しく、何かの、スポーツを始めようと思う時、躊躇する。

上手くなれるだろうか、上手くなれないだろうか、という不安で。

上手くなれず、結局、やめてしまうことになったら、練習に費やした時間や、買った用具の無駄になったり、回りの人に対して、恥ずかしいから、ためらうのである。

しかし僕は、どんな、スポーツを新たに始めても、全く不安はない。

それは、「お遊び」、なんかではない。

僕は、「やる」、と、思い決めたら、とことんまでやる。

それでも、僕が、不安を感じないのは、上達の理論、というものを知っているからである。

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