小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ASKA氏は無罪

2016-12-01 01:00:29 | Weblog
ASKA氏は無罪。

とまでは、言い切るべきではないが、僕の心境としては、そう思いたい。

それは、僕は、芸術のジャンル、作曲、絵画、彫刻、文学、マンガ、映画、など、全ての、芸術の分野で、音楽の作曲が、一番、素晴らしい芸術だと思っているからである。

それは、芸術の中で、音楽の、メロディーは、完全に、人間の、自分の物として、再生することが、出来るからだ。

確かに、マンガ、とか、絵画、彫刻、などは、頭で、イメージすることは、出来る。

しかし、マンガや文学を、頭の中で、完全に再生することは、出来にくい。

まあ、よほど、好きなマンガとか、小説なら、何べんも、繰り返して、覚えてしまえば、かなり、忠実に、思い出せるが。

しかし、それらは、時間が経てば、記憶が実物と、ズレてきやすい。

それに、思い出すことは出来ても、観賞することは、出来ない。

そういう点、音楽の、メロディーは、すぐに、容易に覚えられ、一生、忘れることがない。

なので、僕は、あらゆる芸術のジャンルの中で、音楽が、一番、優れた芸術だと思っている。




また。それとは、関係ないが。

覚醒剤使用に対する、法のあり方に問題がある。

覚醒剤使用は、殺人や強盗などの、凶悪な犯罪ではない。

なので、ほとんど執行猶予がつく、実刑判決になる。

しかし。

覚醒剤は中毒性疾患であり、自分の意志で、やめることは、不可能なのである。

だから、実刑で、執行猶予をつけても、中毒患者を、世の中に、解き放つだけなのである。

再犯の可能性が、90%以上、と、わかっているのである。

執行猶予中でも、覚醒剤に手を出すことの方が、普通の人間なのである。

こんな、バカげたことはない。

(中毒性のない、微罪なら、実刑で、執行猶予つきで、世の中に、解き放っても、まず問題ないが)

ダルクに参加するとか、自分の意志で、中毒から、立ち直ろう、と、それを、一生、強靭な意志をもって、実行しなくては、ならないのである。

一度、覚醒剤の味をしめた人間は、一生、覚醒剤の誘惑との闘いとなるのである。



世間の人間は、覚醒剤にまた、手を出した人間は、「またか」、と、あきれるが、その感覚の方がおかしいのである。

世間の人は、覚醒剤というものが、どんなものであるかを、知らないのである。

否。世間の人も、覚醒剤の依存性は、知っているが、社会的に批判されて、本人も、真摯に謝罪しているから、もうしない、だろう、と軽く考えている。と言った方が正確だろう。

本人が、ダルクとかで、三年、覚醒剤をやめる戦いをします、と言ったら、実刑、執行猶予、で、釈放してもいいと思うが。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする