小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

田原総一郎は老人性ロリコン症候群である

2016-12-24 14:12:23 | Weblog
田原総一郎は老人性ロリコン症候群である。

田原総一郎は、AKB48、が好きらしい。

田原も、老人になってしまって、一人で、さびしいのである。

別に、AKB48だけが、特に、好きなわけでは、ない。

麻原の三女とも、話している。

(あの会話の田原の、偏見の全くない見方は立派だ)

要するに、若い、かわいい子なら、誰でもいいのである。

しかし、今年は、色々と、社会問題が起こって、そうすると、田原は、また、元気が出てきた。

社会問題を論ずることが、田原総一郎にとって、一番の、「生きがい」なのである。

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miwaさん。新山詩織さん。ついでに、藤原さくらさん可愛い

2016-12-24 13:53:11 | Weblog
miwaさん。新山詩織さん。可愛い。ついでに、藤原さくらさん、かわいい。

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首相官邸は厚木飛行場の近くに移せ

2016-12-24 06:05:27 | 政治
首相官邸は厚木飛行場の近くに移せ。

ついでに、防衛大臣や、日米安保を、大事という自民党のヤツラは全部、厚木飛行場の近くに住まわせろ。

僕は、藤沢に住んでいるが、テニススクールで、厚木飛行場の近くにあるテニススクールが、あって、昔は、よく行っていた。

そこは、屋外テニスコートで、上空を、自衛隊の飛行機が、ひっきりなしに飛んでいる。

その頻度。そして、その爆音のすさまじさ。

テニスコーチが、何か話しても、全く、聞き取れないのである。

こんな所に住むことになったら、たまったものではない。と、僕は思っていた。

墜落の危険、以上に、神経がイライラして、とても生活など出来ない、のである。

日本を守るために、日米同盟が大事、と、ぬかす自民党のヤツラは、全員、厚木飛行場の近くに住まわせるべきだ。

当然、首相官邸も、厚木飛行場の近くに移すよう、そういう法律を作るべきだ。

人間として当たり前だろ。

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時間は存在するのか?

2016-12-24 01:10:17 | 考察文
テレビで。

「時間は存在するのか?」

というのをやっていた。

僕は、「時間は存在するのか?」、ということを、ずっと前から疑問に思っていた。

もちろん、いくら考えてもわからない。

しかし、僕は、「時間は存在しない」、と、かなり前から思うようになっていた。

ほとんどの人は時間の、存在を、当たり前のこととして、疑わない。

僕は、「時間というものは、存在せず、物が変化する、だけだ」、と思っている。

たとえば。

映画館で、映画を上映していて、それを観客が見ている。

映画の中で、時間は存在している。

ストーリーが進行している。

しかし。ある時、ある場面で、映写機が故障して、あるシーンで、止まってしまったとしよう。

その後は、いくら経っても、シーンは、その場面のままでいる。

しかし、それを見ている観客は、あたかも、映画の中で、時間が止まってしまったような、感覚になる。

しかし、実際には、(時間というものが存在するのなら)、シーンは、止まっていても、時間は進行していることになる。

それ以外でも、全く動かない物を、見ていると、はたして、時間は、存在するのか、という感覚になる。

時間が存在する、というのなら、「時間」、というものを定義して欲しいものである。

定義など出来ない。

時計の針の動きなど、時間の感覚を便宜的に、知る道具に過ぎない。

動いている人間、社会、世界、があるから、あたかも、「時間というものは、存在するものだ」、と誰も疑わないだけだ。

全く動かない空間、を見ていると、時間とは、何なのか、わからなくなる。

時間とは、映写機の中に収められたフィルムのようなものだ。

映画が止まってしまって、困惑している観客たちは、「時間が止まってしまっているみたいだ。早く動いて欲しい」、と思っている。

しかし。その観客たちを、撮影している、映写機があるのだ。

それを、見ているのを、あえて、便宜的に、「神」、としよう。

あるいは、その映画を操作している物を、便宜的に、「神」、としよう。

すると。その、人間世界の、映画を見ている、「神」、は、映写機を止めてしまうことが出来る。

つまり、全く、動かない、物を見ていると、はたして、「時間」というものは、一体、何なのか、という疑問が起こる。

経験的に、その存在を信じて、疑わない、「時間」、というものを説明できなくなる。



「時間」というものは、微分的に、考えてみると、わかりやすい。

人間は、「今、の一瞬」、つまり、「現在」、だけを生きている。

と言える。

もし、「時間の流れ」というものが、存在するのなら、「現在」の先は、「未来」であり、「現在」の後ろは「過去」となる。

ではその、一瞬の「現在」、とは、何なのだ?

一秒なのか?

(そんな長いはずはない)

0.1秒なのか?

(いや。それより、もっと短いはずだ)

0.00000000000000000001秒なのか?

(いや、それより。もっと、短いはずだ)

0.000000000000000000000000000000000000000000000000000000001秒なのか?

(いや、それより。もっと、もっと、短いはずだ)

もし、「現在」、に、ほんのわずか、でも、「存在」が、あったなら、「時間の流れ」というものは、「存在」する、ことになる。

(時間が「存在」する、と考えている(普通の、多くの)人は、「現在」という、一瞬に、限りなく、短い「存在」がある、と考えているのだ。限りなく短い、一瞬の「存在」があり、その「存在」が、続いているから、「時間」の流れ、が、「存在」する、と思っているのだ)

しかし、「現在」、は、限りなく、0 に近い、「存在」、ではないのだ。

0 そのものなのだ。

つまりは、「時間」、というものは、「存在」しないのだ。

人間は、「物の変化」を、「時間の経過」、と、感じでいるだけなのである。



「時間」というものは、金太郎アメ、と考えると、わかりやすい。

金太郎アメは、どこを切っても、金太郎の同じ顔が出てくる。

しかし、細工によって、アニメーションのように、「金太郎の顔が、変化する、金太郎アメ」(A)、という物を作ることが出来る。

この、「細工によって、金太郎の顔が、変化する、金太郎アメ(A)」=「時間」、なのだ。

この、(A)は、無限に長く作れる。

その一点を切ってみると、「その瞬間」、が出てくる。

しかし、そこに現れる、「金太郎の表情」に、「厚さ」というものは、必要としないのだ。

つまり、「瞬間」に、「厚さ」というものは、「存在」しないのである。

しかし、、「瞬間」に、「厚さ」、が無くても、「金太郎の顔が、変化する、金太郎アメ」(A)、は、無限に、長く、作ることが出来る。

このように、「時間」を、考えてみれば、わかりやすい、と思う。

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