今日は私の誕生日である。うれしくない。歳をとるだけだから。しかし、過敏性腸という病気と闘いながら、どれだけ長生きできるかは戦いがいがある。小説もまだまだ、あと最低でも100作は書くつもりである。
食事、運動に気をつけるようになって、一ヶ月。無理なダイエットはしていない。リバウンドもない。今、ちょうどBMIの標準体重ピッタリである。しかし、総コレステロール263↑(150~219)。中性脂肪165↑(50~149)。HDL56(40~80)。空腹時血糖94(70~109)。HbA1c4.8(4.3~5.8)である。コレステロールと中性脂肪を落とすため、もっと小食にして、運動しなければ。
第93回高校野球大会である。××高校は、甲子園初出場である。「頑張ってね、頑張ってね」と甲子園へ出発する時、全県民から県知事まで総出で応援された。こういう過大な期待は選手にとって、逆にプレッシャーになるのである。初戦の相手は、甲子園出場20回、優勝6回、前年度、春夏連続優勝で優勝候補と見なされている強豪○○高校である。その晩。
「相手が強豪だからって気おくれするな。我々だって、地区予選を逆転につぐ逆転で勝ち抜いてきたんだ。いいか。明日は、落ち着いて思う存分、戦え。明日は第一試合だから朝は早いぞ。今日は10時、就眠だ。明日、全力を出せるよう、今日はしっかり休養をとっておけ」
と監督が夕食の後言った。
「はい」
選手たちは、凛々しいキビキビした口調で答えた。
夕食後、少し明日、明日の作戦について話し合った。すぐに10時になった。
「よーし。監督に言われたように、もう作戦会議はおわりだ。寝よう」
キャプテンが言った。
「はい」
選手達は、布団に入った。すぐにグーグー、ガーガーいびきが聞こええてきた。だが先発の二年のエースAは、神経質なので、なかなか寝つけない。12時を過ぎても、緊張で目がギラギラ冴えて、とても眠れそうもない。このままでは一睡も出来ないまま明日、投げなくてはならない気がしてきた。Aは、そっと部屋を出た。そしてマネージャーの愛子の部屋に向かった。部屋に鍵はかかっていなかった。愛子はスースー子犬のような寝息をたてているが、寝相が悪く、浴衣の裾がはだけて、パンティーが見える。Aは、それを見て、ますます興奮した。Aは、ハアハアと息を洩らしながら、股間を摩りながら愛子を間近で見つめた。
「だ、誰?」
人の気配に愛子は驚いて目を覚ましてパッと身を起こした。
「す、すまない。愛子ちゃん」
「A君。一体、どうしたの?」
「眠れないんだ。僕は緊張すると、性欲が嵩じてしまうんだ。地区予選でも試合の前は、いつも抜いてきたんだ。それで、さっき、抜いてみようとしたんだけど、刺激の強いヌード写真もビデオも無いんで、どうしても抜けないんだ」
愛子は少し考えていたが、凛とした目でAを見つめた。
「わ、わかったわ。私を抜くための起爆剤にしたいということなのね」
「う、うん」
Aは照れくさそうに言った。
「いいわ。私でよければ好きなようにして。私もチームの一員のつもりよ。チームプレー、全員野球が、我が高のモットーだものね」
そう言って、愛子はパタリと布団の上に身を横たえた。
「す、すまない。愛ちゃん」
そう言って、Aは、襲いかかるように、二年のマネージャーの愛子に抱きついた。
浴衣をはだけると、Aは餓えた犬のように、愛子の乳房にむしゃぶりつき、パンティーを触りまくった。執拗なペッティングが続いた。二人とも、ああー、と呼吸が激しくなっていった。
「A君。そろそろ抜かないと。早く抜いて、しっかり寝ておかないといけないわ」
そう言って、愛子はパンティーを脱いで、足を大きく開いた。
「さあ。来て。A君。」
「あ、ありがとう。愛子ちゃん」
Aは激しく怒張した男の一物を愛子に挿入した。Aはもう発射寸前だった。
「ああー。で、出るー」
Aは野獣の咆哮のように叫んだ。Aはとうとう射精した。ハアハアと荒い息をしていたが、だんだんおさまっていった。
愛子は、すぐに濡れタオルを持ってきてAの一物をふいた。
「さあ。A君。早く寝ないと。もう一時よ」
「ありがとう。愛子ちゃん。これでスッキリしたよ」
そう言ってAは、部屋に戻った。布団に入ると、Aはストンと落ちるように眠りについた。
翌日。
朝食の時、Aは愛子と顔を合わせると、二人とも少し気まずそうに頬を赤らめた。
「どうだった。A君。よく眠れた?」
「う、うん。おかげでよく眠れたよ。今日は絶好調だ」
「そう。それはよかったわ」
「あ、あの。ごめんね・・・」
と、Aは頭を下げた。
「なにが?」
「そ、それは・・・愛子ちゃんは・・・純潔でしょ・・・」
愛子はクスッと笑った。
「ふふ。なあんだ。そんなことないわ。私、結構、見かけによらず遊んでるから、もう何回か、してるわよ。それに私、生理前だから、きのう、すごく気持ちよかったわ」
「そうなの。それなら良かった」
ということで強豪高○○高校との戦いが始まった。Aは地区予選の時以上に腰の切れが良く、絶好調で、得意のストレートとスライダーで○○打線をノーヒット、ノーランに完封した。第二試合、第三試合も勝った。そして、とうとう初出場で優勝した。しかし、試合の前日には、毎回Aは愛子と交わっていた。そのおかげでAのコンディションが毎試合、絶好調に保たれていたである。
凱旋した真紅の優勝旗を持って××高は帰国した。××高は地元の誇りとして、大歓迎された。
二学期が始まった。
ある日の放課後。愛子がそっとAに耳打ちした。
「あ、あの。A君。私、本当はA君が初めてなの。でも前から私、A君のこと、ずっと心の中で想っていたの」
「そうだったの。それは嬉しいな。実を言うと、僕も愛子ちゃんのことをずっと想っていたんだ」
「嬉しい。A君。来年も頑張りましょう」
そう言って愛子はAに抱きついた。Aも愛子を抱きしめた。
「相手が強豪だからって気おくれするな。我々だって、地区予選を逆転につぐ逆転で勝ち抜いてきたんだ。いいか。明日は、落ち着いて思う存分、戦え。明日は第一試合だから朝は早いぞ。今日は10時、就眠だ。明日、全力を出せるよう、今日はしっかり休養をとっておけ」
と監督が夕食の後言った。
「はい」
選手たちは、凛々しいキビキビした口調で答えた。
夕食後、少し明日、明日の作戦について話し合った。すぐに10時になった。
「よーし。監督に言われたように、もう作戦会議はおわりだ。寝よう」
キャプテンが言った。
「はい」
選手達は、布団に入った。すぐにグーグー、ガーガーいびきが聞こええてきた。だが先発の二年のエースAは、神経質なので、なかなか寝つけない。12時を過ぎても、緊張で目がギラギラ冴えて、とても眠れそうもない。このままでは一睡も出来ないまま明日、投げなくてはならない気がしてきた。Aは、そっと部屋を出た。そしてマネージャーの愛子の部屋に向かった。部屋に鍵はかかっていなかった。愛子はスースー子犬のような寝息をたてているが、寝相が悪く、浴衣の裾がはだけて、パンティーが見える。Aは、それを見て、ますます興奮した。Aは、ハアハアと息を洩らしながら、股間を摩りながら愛子を間近で見つめた。
「だ、誰?」
人の気配に愛子は驚いて目を覚ましてパッと身を起こした。
「す、すまない。愛子ちゃん」
「A君。一体、どうしたの?」
「眠れないんだ。僕は緊張すると、性欲が嵩じてしまうんだ。地区予選でも試合の前は、いつも抜いてきたんだ。それで、さっき、抜いてみようとしたんだけど、刺激の強いヌード写真もビデオも無いんで、どうしても抜けないんだ」
愛子は少し考えていたが、凛とした目でAを見つめた。
「わ、わかったわ。私を抜くための起爆剤にしたいということなのね」
「う、うん」
Aは照れくさそうに言った。
「いいわ。私でよければ好きなようにして。私もチームの一員のつもりよ。チームプレー、全員野球が、我が高のモットーだものね」
そう言って、愛子はパタリと布団の上に身を横たえた。
「す、すまない。愛ちゃん」
そう言って、Aは、襲いかかるように、二年のマネージャーの愛子に抱きついた。
浴衣をはだけると、Aは餓えた犬のように、愛子の乳房にむしゃぶりつき、パンティーを触りまくった。執拗なペッティングが続いた。二人とも、ああー、と呼吸が激しくなっていった。
「A君。そろそろ抜かないと。早く抜いて、しっかり寝ておかないといけないわ」
そう言って、愛子はパンティーを脱いで、足を大きく開いた。
「さあ。来て。A君。」
「あ、ありがとう。愛子ちゃん」
Aは激しく怒張した男の一物を愛子に挿入した。Aはもう発射寸前だった。
「ああー。で、出るー」
Aは野獣の咆哮のように叫んだ。Aはとうとう射精した。ハアハアと荒い息をしていたが、だんだんおさまっていった。
愛子は、すぐに濡れタオルを持ってきてAの一物をふいた。
「さあ。A君。早く寝ないと。もう一時よ」
「ありがとう。愛子ちゃん。これでスッキリしたよ」
そう言ってAは、部屋に戻った。布団に入ると、Aはストンと落ちるように眠りについた。
翌日。
朝食の時、Aは愛子と顔を合わせると、二人とも少し気まずそうに頬を赤らめた。
「どうだった。A君。よく眠れた?」
「う、うん。おかげでよく眠れたよ。今日は絶好調だ」
「そう。それはよかったわ」
「あ、あの。ごめんね・・・」
と、Aは頭を下げた。
「なにが?」
「そ、それは・・・愛子ちゃんは・・・純潔でしょ・・・」
愛子はクスッと笑った。
「ふふ。なあんだ。そんなことないわ。私、結構、見かけによらず遊んでるから、もう何回か、してるわよ。それに私、生理前だから、きのう、すごく気持ちよかったわ」
「そうなの。それなら良かった」
ということで強豪高○○高校との戦いが始まった。Aは地区予選の時以上に腰の切れが良く、絶好調で、得意のストレートとスライダーで○○打線をノーヒット、ノーランに完封した。第二試合、第三試合も勝った。そして、とうとう初出場で優勝した。しかし、試合の前日には、毎回Aは愛子と交わっていた。そのおかげでAのコンディションが毎試合、絶好調に保たれていたである。
凱旋した真紅の優勝旗を持って××高は帰国した。××高は地元の誇りとして、大歓迎された。
二学期が始まった。
ある日の放課後。愛子がそっとAに耳打ちした。
「あ、あの。A君。私、本当はA君が初めてなの。でも前から私、A君のこと、ずっと心の中で想っていたの」
「そうだったの。それは嬉しいな。実を言うと、僕も愛子ちゃんのことをずっと想っていたんだ」
「嬉しい。A君。来年も頑張りましょう」
そう言って愛子はAに抱きついた。Aも愛子を抱きしめた。
さて、高校野球も第一試合が終わって、もう見る気がしなくなった。甲子園で一勝したんだから、もう御の字じゃないか。一回戦で敗退したチームこそかわいそうである。
それにしても、高校球児たちは、すがすがしく見えるが、マスターベーションとかしないのだろうか。私は高校の時は、性欲がたまって、たまって仕方がなかった。マスターベーションの仕方を知らなかったら、非常につらかった。当日の試合のコンディションに大きく関係すると思うのだが。さて、マスターベーションには、起爆剤が必要なのである。だからといって、まさかエロ本を各自、甲子園に持ってきているとは思えない。私は何か不安になると、性欲が非常に嵩じてしまうことがよくある。
それにしても、高校球児たちは、すがすがしく見えるが、マスターベーションとかしないのだろうか。私は高校の時は、性欲がたまって、たまって仕方がなかった。マスターベーションの仕方を知らなかったら、非常につらかった。当日の試合のコンディションに大きく関係すると思うのだが。さて、マスターベーションには、起爆剤が必要なのである。だからといって、まさかエロ本を各自、甲子園に持ってきているとは思えない。私は何か不安になると、性欲が非常に嵩じてしまうことがよくある。
高校野球。私はどうしても、負けて泣いたり、勝って泣いたり、する心理がわからない。選手はセンチメンタルなわけでもなかろう。これだけは永遠に分からないだろう。私は親が死んでも泣かないぞ。
「人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる」
という原理があるがそれでもない。選手は本当に、口惜しくて泣いたり、嬉しくて泣いたりしている。
まあ、とにかく沖縄の代表高が敗れてくれたのが嬉しい。泣くほど嬉しくはないが。
かといって。私は普通の人より涙もろい方である。私は人間の本当の優しさに、すぐに涙ぐんでしまう。
「人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる」
という原理があるがそれでもない。選手は本当に、口惜しくて泣いたり、嬉しくて泣いたりしている。
まあ、とにかく沖縄の代表高が敗れてくれたのが嬉しい。泣くほど嬉しくはないが。
かといって。私は普通の人より涙もろい方である。私は人間の本当の優しさに、すぐに涙ぐんでしまう。
さて、三日前に「コーチの注意は無視すべし」と書いたが、もう少し正確に書いておこう。ちょっとこれでは荒削りすぎる。コーチは生徒の外見的な誤りも指摘していいのである。また、スポーツにおける、守るべき原則を10個でも、それ以上でも、最初にでも、途中にでも言っていいのである。というより、言った方がいいのであり、さらには、言うべきなのである。生徒は、それらをしっかり頭に入れておいた方がいいのである。ただ、大切なのは、生徒としては、それらは、頭の片隅に入れておくべことであって、全部をいっぺんに守ろうとすると、逆効果なのである。生徒としては、それらのアドバイスの内、自分にとって一番重要な事を、せいぜい一つにしぼって、意識して練習すべきなのである。技術的なことで何かを意識しながら、運動しようと思ったら、意識できることは、一つが関の山であり、また一つの方が二つのことを意識するより、運動の上達には効率がいいのである。
さて、コーチとしては、守るべき原則や、生徒の外見の誤りは、アドバイスしたり注意したりしていいのである。ただ、大切なことは、毎回、毎回、生徒が、うんざりするほど言うのは、よくないのである。そして、守るべき原則やアドバイスを言った後、「これらのことは頭の片隅には入れておいて下さい。ただ、いきなり多くのことを意識することは出来ませんし、逆効果です。だから、自分にとって一番、重要だと思うことを、一つだけに絞って練習して下さい」と言うことが必要であり、重要なのである。この一言をいうかどうかが、大きな違いになってくるのである。その一言をいうコーチが良いコーチなのである。悪いコーチとは、それを言わず、生徒の誤ったフォームを、直すよう毎回、毎回、繰り返して言い、そして、生徒がそれをしなければ、気がすまないようなコーチが悪いコーチなのである。(そして、そういうコーチは、生徒が、とにもかくにも、コーチのアドバイスを守ろうとすると、「よーし。それでいい」と喜ぶものなのである)
こういうのは、どこかで見たことがあるのではないだろうか。それは、漫画「巨人の星」で、オズマを星一徹が、コーチした時の光景である。「スタンスが広すぎる」「手首を返せ」と命令し、それを守れないオズマを、「スタンスも手首も直っとらん」と竹刀で思いっきり、ぶっ叩いていたが、ああいうコーチが悪いコーチの見本なのである。まあ、漫画の世界だから厳しさを表現するためであるが。漫画の中ではいいが。しかし、それを現実にやっては、全然、よくないどころか逆効果なのである。
確かに、世の中には、いくつもの事を同時にすることは出来る。たとえば。車を運転する時は。車を運転しながら、カーラジオを聞きながら、助手席の女と話しながら、煙草を吸いながら、外の景色を見ながら。と五つのことを同時に出来る。しかし、それらは、全て、すでに身についている簡単なこと、や、受動的なことばかりだから出来るのである。しかし、スポーツの上達過程においては、技術的なことで何かを意識しながら、練習するというのは、非常に大変なことなのである。
しかし現実には星一徹のようなコーチもいるのである。それは本人の性格が大きいが、中には漫画かぶれ、している人もいるだろう。そもそも、ネットで、「スポーツコーチ募集」とかで検索すると、全てのスポーツスクールのコーチ求人の条件は、自分が欠点なく、しっかり上手く出来るのが条件の全てであり、指導歴何回とか、指導した経験あり、などというものを求人の条件としている所など一つもない。プロ野球のコーチとても、コーチには給料を払わねばならないから競争率の厳しい現役引退後の選手の憧れる就職先なのである。そして、それに採用されるかどうかは、やはり現役時代、自分が選手して、どれだけ良い成績を残したか、が採用される条件だろう。(と察する)
さて、悪いコーチにつくと、せっかく長い目で見れば上達できる能力を持っているのに、コーチに、同じことを毎回、毎回、注意され、上達せず、もう嫌になったり、わけがわからなくなったりして、結局はやめていく。そしてコーチは、根性のないヤツだ、と軽蔑する。コーチも生徒も両方とも盲目である。
だからこそ、悪いコーチにはつかないよう注意すべきだし。「三年かけて良師をさがせ」(意味=下手なコーチに三年習うより、三年かけて良い師を探した方がいい)などという諺が出来てしまうのであり、また、地理的、環境的に、どうしても悪いコーチの指導のもとで練習しなければならないのなら、「コーチの注意は無視すべし」という原則を守らなくてはならないのである。
さて、スポーツコーチの事を悪くばっかり言ったが、中には才能のあるコーチもある。You-Tubeで、色々見ると、「あっ。このコーチは才能(人を上手くさせる能力)があるな」と思われるコーチが、結構いるのである。悪いコーチの犠牲者となって、スランプとなってしまった人は、そういう良いコーチの所まで足を運び、一度か数度か指導を受けるのがいいだろう。それと、あとは自分で考えてみること。そして、本人のやる気の度合いである。
さて、コーチとしては、守るべき原則や、生徒の外見の誤りは、アドバイスしたり注意したりしていいのである。ただ、大切なことは、毎回、毎回、生徒が、うんざりするほど言うのは、よくないのである。そして、守るべき原則やアドバイスを言った後、「これらのことは頭の片隅には入れておいて下さい。ただ、いきなり多くのことを意識することは出来ませんし、逆効果です。だから、自分にとって一番、重要だと思うことを、一つだけに絞って練習して下さい」と言うことが必要であり、重要なのである。この一言をいうかどうかが、大きな違いになってくるのである。その一言をいうコーチが良いコーチなのである。悪いコーチとは、それを言わず、生徒の誤ったフォームを、直すよう毎回、毎回、繰り返して言い、そして、生徒がそれをしなければ、気がすまないようなコーチが悪いコーチなのである。(そして、そういうコーチは、生徒が、とにもかくにも、コーチのアドバイスを守ろうとすると、「よーし。それでいい」と喜ぶものなのである)
こういうのは、どこかで見たことがあるのではないだろうか。それは、漫画「巨人の星」で、オズマを星一徹が、コーチした時の光景である。「スタンスが広すぎる」「手首を返せ」と命令し、それを守れないオズマを、「スタンスも手首も直っとらん」と竹刀で思いっきり、ぶっ叩いていたが、ああいうコーチが悪いコーチの見本なのである。まあ、漫画の世界だから厳しさを表現するためであるが。漫画の中ではいいが。しかし、それを現実にやっては、全然、よくないどころか逆効果なのである。
確かに、世の中には、いくつもの事を同時にすることは出来る。たとえば。車を運転する時は。車を運転しながら、カーラジオを聞きながら、助手席の女と話しながら、煙草を吸いながら、外の景色を見ながら。と五つのことを同時に出来る。しかし、それらは、全て、すでに身についている簡単なこと、や、受動的なことばかりだから出来るのである。しかし、スポーツの上達過程においては、技術的なことで何かを意識しながら、練習するというのは、非常に大変なことなのである。
しかし現実には星一徹のようなコーチもいるのである。それは本人の性格が大きいが、中には漫画かぶれ、している人もいるだろう。そもそも、ネットで、「スポーツコーチ募集」とかで検索すると、全てのスポーツスクールのコーチ求人の条件は、自分が欠点なく、しっかり上手く出来るのが条件の全てであり、指導歴何回とか、指導した経験あり、などというものを求人の条件としている所など一つもない。プロ野球のコーチとても、コーチには給料を払わねばならないから競争率の厳しい現役引退後の選手の憧れる就職先なのである。そして、それに採用されるかどうかは、やはり現役時代、自分が選手して、どれだけ良い成績を残したか、が採用される条件だろう。(と察する)
さて、悪いコーチにつくと、せっかく長い目で見れば上達できる能力を持っているのに、コーチに、同じことを毎回、毎回、注意され、上達せず、もう嫌になったり、わけがわからなくなったりして、結局はやめていく。そしてコーチは、根性のないヤツだ、と軽蔑する。コーチも生徒も両方とも盲目である。
だからこそ、悪いコーチにはつかないよう注意すべきだし。「三年かけて良師をさがせ」(意味=下手なコーチに三年習うより、三年かけて良い師を探した方がいい)などという諺が出来てしまうのであり、また、地理的、環境的に、どうしても悪いコーチの指導のもとで練習しなければならないのなら、「コーチの注意は無視すべし」という原則を守らなくてはならないのである。
さて、スポーツコーチの事を悪くばっかり言ったが、中には才能のあるコーチもある。You-Tubeで、色々見ると、「あっ。このコーチは才能(人を上手くさせる能力)があるな」と思われるコーチが、結構いるのである。悪いコーチの犠牲者となって、スランプとなってしまった人は、そういう良いコーチの所まで足を運び、一度か数度か指導を受けるのがいいだろう。それと、あとは自分で考えてみること。そして、本人のやる気の度合いである。
もし私が津波の被災者だったら。
私は失う物は何もない。借家だし、子供もいないし。物質的な財産というものがないのである。だから、泥棒が入っても、盗むのにめぼしいものなどない。ので、結構、鍵をかけないでアパートを出ることも多い。本はたくさんあるけど、そんなもの買うことが出来る。車もボロだし、以前、査定してもらったら、買い取り価格0円だった。医師免許など、厚生労働省に手続きをすれば、すぐ出るから働くのにも困らない。他の人は、思い出の写真が貴重らしいが、私の写真など全くない。し、思い出などもいらない。無くなって困るのは、書きかけの小説が入っているフラッシュメモリである。
しかし、よく考えてみたら、無くなって困るものがあった。それはSM写真集である。200冊か300冊か、どのくらいあるのか知らないが、これは、無くなったら非常に困る。一昔前の情緒的なSM写真集なので、もはや入手困難なものが多いのである。古本屋では一冊、三万から五万の値段がついているものも多い。といっても金の問題ではない。入手困難なので、困るのである。
瓦礫の中を一人の男が瓦礫を一枚一枚めくって何かを探すように歩いていた。××テレビ局のレポーターであるR氏がやってきた。
男「(泣きながら)無い。無い」
R「あ、あの。被災者の方ですか?」
男「はい。そうです」
R「この度は大変お気の毒さまです。何をお探しになっておられるのでしょうか?」
男「写真です。僕にとってかけがえのない」
R「ああ。そうですか。家族との楽しい思い出の詰まったアルバムですね。それはたしかにかけがえのない大切なものですね」
男「いえ。違います。そんなものではありません」
R「(とまどって)で、では。大変恐縮ですが、どんな写真をお探しになっておられるのですか?」
男「80年代のSM写真集です」
R「(とまどって)はっ?」
男「あのSM写真集は僕の命も同然なのです。さびしい時、かなしい時、裸で緊縛された彼女たちを見ることによって、私はなんと慰められたことかわかりません。写真の彼女たちをもう見れないかと思うと胸が張り裂けそうな悲痛な思いです」
R「(ひきつった顔で)そ、それは、お気の毒ですね。古書店で買うことは出来ないのでしょうか?」
男「ほとんどが、もう入手不可能なものばかりです。見つからなかったら僕はもういっそのこと、死のうかと・・・(涙)」
R「は、はやまらないで下さい。きっと、またいいSM写真集が必ず出ると思います。日本は太平洋戦争の焼け跡の中から世界第二位の経済大国になったほど逆境に強い国民です。日本人の底力を信じて頑張りましょう」
男「同情や気休めはいいです。あなたにはわかりません。あんな情緒的なSM写真集は、もう絶対出版されません。それに彼女たちは、私が愛した青春そのものなのです」
私は失う物は何もない。借家だし、子供もいないし。物質的な財産というものがないのである。だから、泥棒が入っても、盗むのにめぼしいものなどない。ので、結構、鍵をかけないでアパートを出ることも多い。本はたくさんあるけど、そんなもの買うことが出来る。車もボロだし、以前、査定してもらったら、買い取り価格0円だった。医師免許など、厚生労働省に手続きをすれば、すぐ出るから働くのにも困らない。他の人は、思い出の写真が貴重らしいが、私の写真など全くない。し、思い出などもいらない。無くなって困るのは、書きかけの小説が入っているフラッシュメモリである。
しかし、よく考えてみたら、無くなって困るものがあった。それはSM写真集である。200冊か300冊か、どのくらいあるのか知らないが、これは、無くなったら非常に困る。一昔前の情緒的なSM写真集なので、もはや入手困難なものが多いのである。古本屋では一冊、三万から五万の値段がついているものも多い。といっても金の問題ではない。入手困難なので、困るのである。
瓦礫の中を一人の男が瓦礫を一枚一枚めくって何かを探すように歩いていた。××テレビ局のレポーターであるR氏がやってきた。
男「(泣きながら)無い。無い」
R「あ、あの。被災者の方ですか?」
男「はい。そうです」
R「この度は大変お気の毒さまです。何をお探しになっておられるのでしょうか?」
男「写真です。僕にとってかけがえのない」
R「ああ。そうですか。家族との楽しい思い出の詰まったアルバムですね。それはたしかにかけがえのない大切なものですね」
男「いえ。違います。そんなものではありません」
R「(とまどって)で、では。大変恐縮ですが、どんな写真をお探しになっておられるのですか?」
男「80年代のSM写真集です」
R「(とまどって)はっ?」
男「あのSM写真集は僕の命も同然なのです。さびしい時、かなしい時、裸で緊縛された彼女たちを見ることによって、私はなんと慰められたことかわかりません。写真の彼女たちをもう見れないかと思うと胸が張り裂けそうな悲痛な思いです」
R「(ひきつった顔で)そ、それは、お気の毒ですね。古書店で買うことは出来ないのでしょうか?」
男「ほとんどが、もう入手不可能なものばかりです。見つからなかったら僕はもういっそのこと、死のうかと・・・(涙)」
R「は、はやまらないで下さい。きっと、またいいSM写真集が必ず出ると思います。日本は太平洋戦争の焼け跡の中から世界第二位の経済大国になったほど逆境に強い国民です。日本人の底力を信じて頑張りましょう」
男「同情や気休めはいいです。あなたにはわかりません。あんな情緒的なSM写真集は、もう絶対出版されません。それに彼女たちは、私が愛した青春そのものなのです」
今日から夏の甲子園大会である。ちなみに私は出場したいので、ある学校に少し前に入学手続きをした。私はピッチングや投げるは、全然できないのである。子供の頃からキャチボールというものを全然したことがないからである。しかし、バッティングはバッティングセンターで鍛えたせいで、打てるのである。
ということで、私は代打で出場します。
アナウンサー「代打のお知らせをします。××君にかわり、ピンチヒッター浅野君。ピンチヒッター浅野君」
というアナウンスが流れる可能性があります。
ということで、私は代打で出場します。
アナウンサー「代打のお知らせをします。××君にかわり、ピンチヒッター浅野君。ピンチヒッター浅野君」
というアナウンスが流れる可能性があります。
さて、スポーツ指導者のどこに問題点があるかをもう少し、述べておこう。まず、スポーツ指導者は、自分は上手く出来る。そして、生徒の運動のどこが良くないか、間違っているか、ということも、見抜いて指摘する能力もある。では、一体どこに問題があるのか。
それは。間違っている外見のフォームの、ある部分を指摘してして、それを直すよう注意してしまい、どういうことを意識して練習したら、間違っている外見のフォームが直るか、ということを教えられない(ので教えない)点にあるのである。つまり精神と関わらない見た目の外見の誤りは指摘できるが、どういう事を意識して練習すれば、フォームの欠点が直るか、という生徒が意識すべき精神を教えられない点にあるのである。
コーチは外見を直すよう注意する。では、それに従って外見をコーチの言うように心棒強くしていれば、フォームが直るか、というと、残念ながらならないのである。形を直そうという無駄なことに力を入れてしまい、またそういう無駄な事に意識が使われてしまうだげある。
スポーツ以外の事では、この方法で上手くいくことは、世の中にたくさんある。たとえば。精神を強くしたい場合。「強がる」という外見の行動を習慣づけていれば、内面の精神が強くなりえるのである。(逆に言うなら、私は弱い、私は弱い人間です、と人に言い続けていると本当に弱い人間になってしまうのである)
しかし、残念ながら、スポーツでは、その原理は当てはまらないのである。どんなスポーツでもそうだが、肩に力が入っている場合、「肩の力を抜きなさい」と指導したとする。そうすれは、肩の力が抜けた良いフォームになるか、といえば、ならないのである。もし空手の空突きで、初心者に、「もっと肩の力を抜け」と指導するとどうなるか。そんなことをしていれば、つまりは肩の力を抜いたコンニャク突き、をいくら練習しても、いつまでたっても上達しない、という悲劇となるだけである。初心者に肩の力が入ってしまうのは、仕方がないのである。そして、それでいいのである。つまり肩に力が入っていていいのである。反復する練習の中で、次第に肩の力が抜けた突きが出来るようになるのである。ただ、100%も全力で、あまりにも力を入れすぎている場合は、力の入れる度合いを80%にしなさい、と指導することは正しい。まあ、空手の突きを例にとったが、これはどんなスポーツでも共通しているのである。初心者のスイングで肩に力が入っている場合、「肩の力を抜きなさい」と指導して、生徒がそれを忠実に守ったらどうなるか。コンニャク打法、コンニャクスイングをいくら練習しても、いつまでたっても上達しないという悲劇となるだけである。コーチが教えるべき事は、どういう事を意識して練習すれば、フォームの欠点が直るかという精神的なことなのである。それが見抜けるコーチが有能なコーチなのである。個々人で異なる生徒に対して、その生徒にとって練習の過程で最も意識すべき一番、重要な精神的なワンポイントを教えられるコーチこそが有能なコーチなのである。
それは。間違っている外見のフォームの、ある部分を指摘してして、それを直すよう注意してしまい、どういうことを意識して練習したら、間違っている外見のフォームが直るか、ということを教えられない(ので教えない)点にあるのである。つまり精神と関わらない見た目の外見の誤りは指摘できるが、どういう事を意識して練習すれば、フォームの欠点が直るか、という生徒が意識すべき精神を教えられない点にあるのである。
コーチは外見を直すよう注意する。では、それに従って外見をコーチの言うように心棒強くしていれば、フォームが直るか、というと、残念ながらならないのである。形を直そうという無駄なことに力を入れてしまい、またそういう無駄な事に意識が使われてしまうだげある。
スポーツ以外の事では、この方法で上手くいくことは、世の中にたくさんある。たとえば。精神を強くしたい場合。「強がる」という外見の行動を習慣づけていれば、内面の精神が強くなりえるのである。(逆に言うなら、私は弱い、私は弱い人間です、と人に言い続けていると本当に弱い人間になってしまうのである)
しかし、残念ながら、スポーツでは、その原理は当てはまらないのである。どんなスポーツでもそうだが、肩に力が入っている場合、「肩の力を抜きなさい」と指導したとする。そうすれは、肩の力が抜けた良いフォームになるか、といえば、ならないのである。もし空手の空突きで、初心者に、「もっと肩の力を抜け」と指導するとどうなるか。そんなことをしていれば、つまりは肩の力を抜いたコンニャク突き、をいくら練習しても、いつまでたっても上達しない、という悲劇となるだけである。初心者に肩の力が入ってしまうのは、仕方がないのである。そして、それでいいのである。つまり肩に力が入っていていいのである。反復する練習の中で、次第に肩の力が抜けた突きが出来るようになるのである。ただ、100%も全力で、あまりにも力を入れすぎている場合は、力の入れる度合いを80%にしなさい、と指導することは正しい。まあ、空手の突きを例にとったが、これはどんなスポーツでも共通しているのである。初心者のスイングで肩に力が入っている場合、「肩の力を抜きなさい」と指導して、生徒がそれを忠実に守ったらどうなるか。コンニャク打法、コンニャクスイングをいくら練習しても、いつまでたっても上達しないという悲劇となるだけである。コーチが教えるべき事は、どういう事を意識して練習すれば、フォームの欠点が直るかという精神的なことなのである。それが見抜けるコーチが有能なコーチなのである。個々人で異なる生徒に対して、その生徒にとって練習の過程で最も意識すべき一番、重要な精神的なワンポイントを教えられるコーチこそが有能なコーチなのである。
物事の最初と最後しか見れなれい、物事が変化、発展していく途上のプロセスというものが分からない、ほとんど全ての、スポーツ教室の指導者とかコーチの注意を真面目に聞く生徒は返って下手になるのである。そうなってしまう犠牲者は全くスポーツなどしたことがない人で、「よし。何かスポーツでも始めてみよう」と思いたった人である。運動に無関心な人でもせっかく、あるレベルまでは、上達できるのに、アホなコーチにかかると、自分の行き着けるレベルまでも、行けないのである。そして止めていく。結局は不愉快な思いと、入会金と、やめるまでの数ヶ月の月謝を無駄に払うだけである。
運動というものは、技が上達するのに、歳月がかかるのである。繰り返しの反復練習をしていく内に、ぎこちない動作が、だんだん理にかなった綺麗なフォームに変わっていくのである。それは運動をつかさどる主に小脳のシナプス結合による。スポーツを練習するということは、体を鍛えているのではなく、脳を鍛えているのである。運動というものは、手塚治虫の漫画「バンパイヤ」のように、狼から人間に変身していくようなものなのである。達人でない全ての生徒は、(バンパイヤ的に言えば)、変化の途中のグロテスクな状態なのである。そして、運動は、力まず、原則を外さず、熱意を込めて続けていれば、ある時、パッと、ワンスッテップ、感動するほどの上達をする。これが租協調であり、小脳でシナプス結合が出来た瞬間である。そうして、また続けていると、また上達しない期間が続く。しかし、あきらめず熱意を込めて練習していれば、またある期間して、またワンステップ、さらに技術の上達、租協調が起こる。こうして、ちょうど階段状に運動というものは上達していくものなのである。技というものは決して、ゼロから正比例的に直線的に上達していくものではないのである。さて。ここで、世のほとんどのアホなコーチ諸君というものは、最高のレベルに達した達人のフォームしか頭にないから、達人のフォームになるように外見的な誤りを、何度も何度も繰り返し注意する。同じ事を繰り返し注意されてばかりいると、初心者ではウンザリして嫌になってしまう。そして、所詮オレには才能がないんだと、やめていく。コーチのアドバイス(注意)とは、バンパイヤ的に言えば、狼が人間に変身していく最中のグロテスクな状態を扱わなければならいのである。どうしたら、変身途中の狼もどきから人間に変身できるか、というのがコーチが考えるべきアドバイスなのである。それは極めて難しい。だから、基本的にはコーチはアドバイスなどしない方がかえっていいのである。しかし、世のほとんど全てのコーチ諸君というものは、アホだから、そういう理論がわからないのである。そして、そもそも人間とは何か喋らすにはいられないものである。どうしても喋ってしまうものである。結論から言えば。上達するには。コーチの注意など無視すべし。である。これが、運動が上手くなる原則である。しかしスポーツに無縁な真面目な生徒ほど、コーチの注意を守ろうとするから、長い目でみれば上達しうる期間を、意識がコーチのアドバイスを守ろうということに使われてしまうから、かえって、無心に練習していれば上達できる期間、熱心に練習しても上達しないということが起こってしまうのである。そしてやめていく。さて、スポーツといっても、色々ある。スキーのSAJなどでは、組織が大きいため、しっかりした指導マニュアルの本があるのである。スキーでなくても、他のスポーツでも、SAJの指導書は、スポーツを指導する人は読んだ方がいいだろう。さて、プロ野球とか、オリンピック選手のコーチとなると、さすがに、技術を指導することの危険性や、出来上がったフォームをいじくる危険性というものを、漠然とながら知っているだろう(と信じたい)から、技術の指導は慎重だろう。と想像する。しかしプロ野球などでも、ピッチングにせよ、バッティングにせよ、選手が上達しなくても、それは選手の責任であって、コーチの責任とは、とらえられないから、つまりはコーチは責任というものをとらなくてもいい立場だから、プロ野球でも、(自分は現役時代、名選手でも)いい加減な指導というものが行われている可能性はあるだろう。
運動というものは、技が上達するのに、歳月がかかるのである。繰り返しの反復練習をしていく内に、ぎこちない動作が、だんだん理にかなった綺麗なフォームに変わっていくのである。それは運動をつかさどる主に小脳のシナプス結合による。スポーツを練習するということは、体を鍛えているのではなく、脳を鍛えているのである。運動というものは、手塚治虫の漫画「バンパイヤ」のように、狼から人間に変身していくようなものなのである。達人でない全ての生徒は、(バンパイヤ的に言えば)、変化の途中のグロテスクな状態なのである。そして、運動は、力まず、原則を外さず、熱意を込めて続けていれば、ある時、パッと、ワンスッテップ、感動するほどの上達をする。これが租協調であり、小脳でシナプス結合が出来た瞬間である。そうして、また続けていると、また上達しない期間が続く。しかし、あきらめず熱意を込めて練習していれば、またある期間して、またワンステップ、さらに技術の上達、租協調が起こる。こうして、ちょうど階段状に運動というものは上達していくものなのである。技というものは決して、ゼロから正比例的に直線的に上達していくものではないのである。さて。ここで、世のほとんどのアホなコーチ諸君というものは、最高のレベルに達した達人のフォームしか頭にないから、達人のフォームになるように外見的な誤りを、何度も何度も繰り返し注意する。同じ事を繰り返し注意されてばかりいると、初心者ではウンザリして嫌になってしまう。そして、所詮オレには才能がないんだと、やめていく。コーチのアドバイス(注意)とは、バンパイヤ的に言えば、狼が人間に変身していく最中のグロテスクな状態を扱わなければならいのである。どうしたら、変身途中の狼もどきから人間に変身できるか、というのがコーチが考えるべきアドバイスなのである。それは極めて難しい。だから、基本的にはコーチはアドバイスなどしない方がかえっていいのである。しかし、世のほとんど全てのコーチ諸君というものは、アホだから、そういう理論がわからないのである。そして、そもそも人間とは何か喋らすにはいられないものである。どうしても喋ってしまうものである。結論から言えば。上達するには。コーチの注意など無視すべし。である。これが、運動が上手くなる原則である。しかしスポーツに無縁な真面目な生徒ほど、コーチの注意を守ろうとするから、長い目でみれば上達しうる期間を、意識がコーチのアドバイスを守ろうということに使われてしまうから、かえって、無心に練習していれば上達できる期間、熱心に練習しても上達しないということが起こってしまうのである。そしてやめていく。さて、スポーツといっても、色々ある。スキーのSAJなどでは、組織が大きいため、しっかりした指導マニュアルの本があるのである。スキーでなくても、他のスポーツでも、SAJの指導書は、スポーツを指導する人は読んだ方がいいだろう。さて、プロ野球とか、オリンピック選手のコーチとなると、さすがに、技術を指導することの危険性や、出来上がったフォームをいじくる危険性というものを、漠然とながら知っているだろう(と信じたい)から、技術の指導は慎重だろう。と想像する。しかしプロ野球などでも、ピッチングにせよ、バッティングにせよ、選手が上達しなくても、それは選手の責任であって、コーチの責任とは、とらえられないから、つまりはコーチは責任というものをとらなくてもいい立場だから、プロ野球でも、(自分は現役時代、名選手でも)いい加減な指導というものが行われている可能性はあるだろう。
太郎は、そろそろ髪が伸びきてたので床屋に行った。だが、太郎は床屋が嫌いだった。それは太郎は髪が短くなると格好悪くなる顔型だったからである。自分で床屋に行った後で鏡を見てもそう思ったし、学校でも友達に、髪を切った後は、「あーあ。格好悪くなっちゃったな」とからかわれた。だからこれは主観的な思い込みではない。太郎は以前は、中目黒にある女だけの理容店にわざわざ、一時間半かけて行っていた。しかし、だんだん面倒くさくなってきて、最近では、ほとんど家の近くの床屋で切っていた。一年前から、最寄の駅の地下モールに一律1000円の床屋が出来た。太郎はそこに行くようになっていた。髭剃りもシャンプーもない。経費を最大限切り詰めた理容店である。カットも時間が短く、10分以内でテキパキと済ましてしまう。二人の客が男の理容師と女の理容師の整髪をうけていた。てるてる坊主のようである。客は二人とも男で老人である。太郎は自動販売機で1000円の領収書を買って座って待っていた。太郎はドキンとした。太郎は密かに思った。
「あの女の人に切ってもらいたいなあ」
それは太郎にとって熱烈な思いだった。二人の客の内、早く終わった方の理容師に切ってもらうことになる。二人の客の内、どっちが先に来たのだろう、と太郎は様子をうかがった。だが、よくわからない。
「女の理容師の方の客、早くおわれ」
と、太郎は祈るように願った。しかし、女の理容師の方の客は早く終わりそうな感じだった。
「あーあ。男の理容師になっちゃうのか。さびしいなー」
と太郎はガッカリした。
「さあ。出来ました」
と男の理容師が客に声を掛けて背後で鏡を開いて後ろの刈り具合を確認させた。男の客はちょっと、神経質そうに後を見ていたが、
「もうちょっと、切ってくれないかね」
と男の理容師に言った。
「どこら辺ですか?」
「横をもうちょっと切ってくれ。私は横が伸びるのが速いんだ」
「わかりました」
そう言って、男の理容師は、側頭部の髪を切り出した。太郎の心に、もしかすると女の理容師に切ってもらえるのではないかという一抹の希望が起こってきた。女の理容師が客の髪を切り終わって、
「さあ。出来ました。どうですか?」
と客に声を掛けた。そして背後で鏡を開いて後ろの刈り具合を確認させた。男は、
「ああ。いいよ。ありがとう」
と答えた。彼女は、吸引器を男の頭に当て、ズーと頭全体を吸引した。それがシャンプーのかわりだった。男は立ち上がって去って行った。太郎はドキンとした。
「さあ。次の方どうぞ」
彼女はそっけない口調で言った。
『やった』
太郎は思わず狂喜した。太郎は椅子に座った。これでもう、だれはばかることなく女の理容師に切ってもらえるのだ。わずか15分程度の時間ではあるが、太郎は女の優しさに餓えているのである。
「どのくらいにしますか?」
女の理容師が聞いた。
「全体的に2センチほど切って下さい」
「耳は出しますか?」
「耳は出さないで少しかかる程度にして下さい。それと揉み上げは切っちゃって下さい」
「後ろは刈り上げますか?」
「いえ。刈り上げないで下さい」
「はい。わかりました」
そう言って女の理容師は太郎の髪を切り出した。チラッと前の鏡で彼女を見ると、物凄い美人だった。
その時、隣の男の客が終わった。吸引器でズーと頭を吸引した。
「使った櫛いりますか?」
男の理容師が聞いた。
「いや。いらん」
客は無愛想に答えて立ち上がって去って行った。
男の理容師は床に散らばった髪を掃除機でズーと吸いとった。
「じゃあ、オレは、返るから。30分くらいしたらD君が来るから」
「わかったわ」
そう言って男の理容師は店を出て行った。時間で交代制でやっているのである。
店には女の理容師と太郎だけになった。
女の理容師はチョキ、チョキと手際よく髪を切っていった。
「あ、あの・・・」
太郎は勇気を出して声をかけた。
「はい。なんでしょうか?」
彼女は、カットする手を止めずに聞き返した。
「理容師って、専門学校とか資格とかあるんですか?」
「ありますわ。2年、専門学校に通って、年一回の国家試験に通らなくてはならないんです」
つづく
この物語はノンフィクションであり、実在の人物と団体とは大いに関係があります。
「あの女の人に切ってもらいたいなあ」
それは太郎にとって熱烈な思いだった。二人の客の内、早く終わった方の理容師に切ってもらうことになる。二人の客の内、どっちが先に来たのだろう、と太郎は様子をうかがった。だが、よくわからない。
「女の理容師の方の客、早くおわれ」
と、太郎は祈るように願った。しかし、女の理容師の方の客は早く終わりそうな感じだった。
「あーあ。男の理容師になっちゃうのか。さびしいなー」
と太郎はガッカリした。
「さあ。出来ました」
と男の理容師が客に声を掛けて背後で鏡を開いて後ろの刈り具合を確認させた。男の客はちょっと、神経質そうに後を見ていたが、
「もうちょっと、切ってくれないかね」
と男の理容師に言った。
「どこら辺ですか?」
「横をもうちょっと切ってくれ。私は横が伸びるのが速いんだ」
「わかりました」
そう言って、男の理容師は、側頭部の髪を切り出した。太郎の心に、もしかすると女の理容師に切ってもらえるのではないかという一抹の希望が起こってきた。女の理容師が客の髪を切り終わって、
「さあ。出来ました。どうですか?」
と客に声を掛けた。そして背後で鏡を開いて後ろの刈り具合を確認させた。男は、
「ああ。いいよ。ありがとう」
と答えた。彼女は、吸引器を男の頭に当て、ズーと頭全体を吸引した。それがシャンプーのかわりだった。男は立ち上がって去って行った。太郎はドキンとした。
「さあ。次の方どうぞ」
彼女はそっけない口調で言った。
『やった』
太郎は思わず狂喜した。太郎は椅子に座った。これでもう、だれはばかることなく女の理容師に切ってもらえるのだ。わずか15分程度の時間ではあるが、太郎は女の優しさに餓えているのである。
「どのくらいにしますか?」
女の理容師が聞いた。
「全体的に2センチほど切って下さい」
「耳は出しますか?」
「耳は出さないで少しかかる程度にして下さい。それと揉み上げは切っちゃって下さい」
「後ろは刈り上げますか?」
「いえ。刈り上げないで下さい」
「はい。わかりました」
そう言って女の理容師は太郎の髪を切り出した。チラッと前の鏡で彼女を見ると、物凄い美人だった。
その時、隣の男の客が終わった。吸引器でズーと頭を吸引した。
「使った櫛いりますか?」
男の理容師が聞いた。
「いや。いらん」
客は無愛想に答えて立ち上がって去って行った。
男の理容師は床に散らばった髪を掃除機でズーと吸いとった。
「じゃあ、オレは、返るから。30分くらいしたらD君が来るから」
「わかったわ」
そう言って男の理容師は店を出て行った。時間で交代制でやっているのである。
店には女の理容師と太郎だけになった。
女の理容師はチョキ、チョキと手際よく髪を切っていった。
「あ、あの・・・」
太郎は勇気を出して声をかけた。
「はい。なんでしょうか?」
彼女は、カットする手を止めずに聞き返した。
「理容師って、専門学校とか資格とかあるんですか?」
「ありますわ。2年、専門学校に通って、年一回の国家試験に通らなくてはならないんです」
つづく
この物語はノンフィクションであり、実在の人物と団体とは大いに関係があります。
今日から8月である。
夏至をとっくに過ぎて、7時にはもう真っ暗である。月刊誌では秋のファッションを宣伝しだす。夏も終わりに近づいている。さびしい、ような、うれしい、ような。
夏至をとっくに過ぎて、7時にはもう真っ暗である。月刊誌では秋のファッションを宣伝しだす。夏も終わりに近づいている。さびしい、ような、うれしい、ような。