小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

国の歳出

2016-12-15 23:42:04 | Weblog
国の歳出。

オリンピックなり、新幹線なり、公共事業にしろ、カジノ法案などにしろ、官民問わず、何か、事業を推進する時は、賛成する与党議員は、一千万円なり、二千万円なり、自分の金を、事業に、株式購入なり、供託金だの、保釈金などのような、形で、金を払ったり、預けたりする、という、形にすれば、政治は、まともになるだろう。

政策が成功すると、本当に自信をもっているんなら。

しかし、そんなことしたら、与党議員は、誰も、何も、実行しなくなるだろう。

他人である、国民の税金は、好き勝手に、使って、政策が失敗しても、何とも思わないが、てめえの金は、大事だろうからね。

カジノ法案に賛成する、自民党議員は、てめえも、カジノに、参加する義務を課したら、いいだろうね。

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オスプレイ落ちた。アメリカ死ね

2016-12-14 22:13:45 | 政治
保育園おちた。日本死ね。

オスプレイ落ちた。アメリカ死ね。

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人を支配しようとするヤツは人間のクズである

2016-12-14 20:21:58 | 考察文
人を支配しようとするヤツは人間のクズである。

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ギャンブル依存症患者をつくるカジノ法案

2016-12-13 22:12:24 | 政治
ギャンブル依存症患者をつくるカジノ法案。

あの救いようのないバカは、「強行採決」依存症におちいっている。

精神科治療が必要。

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君子の交わりは淡きこと水のごとし

2016-12-10 18:04:20 | Weblog
「君子の交わりは淡きこと水のごとし」




「小人の交わりはまとわりつくことストーカーの如し」

「小人の交わりは粘りつくこと泥の如し」

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空手とボクシングの違い

2016-12-08 23:46:34 | 武道・スポーツ
ボクシングを練習するようになった。

もちろん、シャドーボクシングであるが。

目的は、もちろん、運動による健康のためである。

踵を浮かす運動が、健康にいいのである。

今年は、太極拳を覚えて、やってみたが、健康に効果がないので、やめた。

昔、10年くらい前、You-Tube で、「シャドーボクシング」、で、検索してみたが、全く出てこなかった。

しかし、最近、「シャドーボクシング」、で、検索したら、結構、たくさん、出てくるようになった。

それと、一ヶ月くらい前に、久しぶりに、テニススクールに行ったら、生徒で、ボクシングを、少し習った人がいて、僕は、彼に、空手を教え、彼からは、シャドーボクシングの、やり方を教えてもらった。

今まで、空手のパンチと、ボクシングのパンチの違いが、わからなかったが、今は、わかるようになった。

ボクシングのフットワークの基本は、構えから、攻撃したり、ディフェンスのため、前後左右に動く時、動く方向の足を、先に出す、のである。

これは、日常の、歩き方と、正反対である。

普通に歩いたり、走ったりする時は、後ろの足を前に出す。のである。

そして、このボクシングの歩法が、ボクシングのパンチの威力の原理でもあるのである。

ボクシングでは、後ろの足の踵を浮かし、後ろの足の付け根、で、地面を強く蹴る、ことが大切なのである。

これによって、ウェートが乗る。

そして。ボクシングでは、構えでは、拳に力を全く入れず、パンチを出した時だけ、一瞬、ギュッと、拳を握り、そして、すぐに、また、力を抜き、素早く、元にもどすのである。

これが、ボクシングのパンチの打ち方の基本である。

しかし。切なことは。

当たる時だけ、拳をギュッと握り、すぐに、引く、という、ことを、無考えにやっていても、ダメである、ということである。

(それでは、ウェートが乗らない)

その、手の動きが、頭で、意識してやるのではなく、どうしたら、手が、勝手に、そういう運動になってくれるか、ということを、自分で、考えて、工夫してみなければ、ダメである。

そして、それが、わかったら、それを、根気よく、繰り返す、ことである。

ボクシングのパンチは、恐るべき威力である。

一度、ボクシングの原理がわかると、シルベスタ・スタローンの、映画、「ロッキー」、など、とても、見れたものではない。

全く、ボクシングになっていない。

さらに。シルベスタ・スタローンの敵役を、なまじ、ボクシングを身につけている者に、やらせるから、素人とプロの差が、目立ってしまって、余計、シルベスタ・スタローンの、ボクシングまがいの、戦闘が、みっともなく見えてしまう。

あと、数回は、実際に、ボクシング・ジムに通って、実際に、生きた相手と、対戦する必要がある。(100%の真剣勝負である必要はない)

シャドーボクシングだけでは、ボクシングは、身につかない。

数回、実際に、生きた相手と、対戦することによって、ディフェンス、フットワーク、ガード、などの、大切さが、痛いほど、わかるだろう。

そして、その重要性が、わかってしまえば、あとは、シャドーボクシングで、かなり、一人で、練習して、上手くなれる。



空手のパンチと、ボクシングのパンチの違い。

空手の型(平安とか)を演じる時は、順突き(ボクシングで言うと、ジャブ)、と、逆突き(ボクシングで言うと、ストレート)、では、違いはない。

空手のパンチは、腰の回転、や、ウェートを乗せる、ということをしない。

体を剛体にして、屈筋の力を抜き、伸筋の力だけで、打つ。

空手では、体が剛体になっていることと、伸筋の力だけで、打つ、という二つの要素で、強いパンチを打っているのである。

ただし、試割り、とか、フルコンタクトの組手で、相手、や物、を打つ時は、逆突き(ボクシングで言うと、ストレート)、の方が、力が入りやすいので、逆突きで、打つが。

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鈴木奈穂子さんの経済効果は100億円

2016-12-05 21:29:22 | Weblog
鈴木奈穂子さんの経済効果は100億円。と推定される。鈴木奈穂子さんが、ニュースウォッチ9のアナウンサーになったことで、視聴率が、去年の100倍になり、その経済効果は、100億円と推定される。

(毎朝新聞 12/5(月) 20:33配信)

これで、NHKに対しても、受信料を払う意義がある、と言えるだろう。

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根性のあるヤツの診断は難しい

2016-12-03 15:28:25 | 医学・病気
根性のあるヤツの診断は難しい。

根性のあるヤツは、弱音を言わない。主義だからだ。

なので、腹部を押して、「痛いですか?」、と、聞いても、根性のあるヤツは、(こんな程度の痛みは、痛みのうちに入らねーや)、と、思って、多少の痛みがあっても、「痛くねえや」、と答えるからである。

ほんの少しの痛みでも、痛かったら、「痛い」、と言いましょう。




ブルース・リーにしたって。トレーニング中に、仙骨神経を怪我して、病院に入院したほどだった。

しかし、ブルース・リーは、強い男だから、弱音を言わないので、体調がどうだったのか、どこが、どう痛かったのか、わからない。

「肉体の故障」、に対する、あせり、の文を、多少は、書いているが、それだけでは、どこが、どう痛かったのか、わからない。

彼が、体調の日記を書いていれば、彼の死因も、はっきり、わかったろうに。

しかし、痛みを抑えるために、麻薬まで、使用していたほどだから、相当な、痛みに耐えて、映画を作り、主演していたのかもしれない。

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人をキチガイ扱いしているヤツは実は自分がキチガイである場合がある

2016-12-02 23:07:29 | 医学・病気
人をキチガイ扱いしているヤツは実は自分がキチガイである場合がある。

バカは、低能で、自分にわからないことを否定する。

バカの思考力は低級である。からである。

だから、バカは、自分にわからないものを、キチガイ扱いする。



ブン屋は、早稲田文学部を出たヤツが多い。

ブン屋は、てめえの、低級な頭で、他人の心を推測しようとする。

だから、新聞は、低級な、ブン屋、記者の、憶測の「社説」になるのである。

本田技研の、本田宗一郎(天才)が、告白しているが。

本田宗一郎は、人生で、一番困ったことは、何か、と、聞かれ。

それは、アイデアの枯渇でもなければ、経営の困難な時でもない。

自分が、一番、困った(迷惑した)ことは、ジャーナリズムである。

と、はっきり言っている。



精神科の医療でも、患者の訴えを、聞いていると、「これは、ワガママな親の方が、狂っていて、親のワガママを通すため、子供をキチガイ扱いしている」、というケースもあるのである。

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ASKA氏は無罪

2016-12-01 01:00:29 | Weblog
ASKA氏は無罪。

とまでは、言い切るべきではないが、僕の心境としては、そう思いたい。

それは、僕は、芸術のジャンル、作曲、絵画、彫刻、文学、マンガ、映画、など、全ての、芸術の分野で、音楽の作曲が、一番、素晴らしい芸術だと思っているからである。

それは、芸術の中で、音楽の、メロディーは、完全に、人間の、自分の物として、再生することが、出来るからだ。

確かに、マンガ、とか、絵画、彫刻、などは、頭で、イメージすることは、出来る。

しかし、マンガや文学を、頭の中で、完全に再生することは、出来にくい。

まあ、よほど、好きなマンガとか、小説なら、何べんも、繰り返して、覚えてしまえば、かなり、忠実に、思い出せるが。

しかし、それらは、時間が経てば、記憶が実物と、ズレてきやすい。

それに、思い出すことは出来ても、観賞することは、出来ない。

そういう点、音楽の、メロディーは、すぐに、容易に覚えられ、一生、忘れることがない。

なので、僕は、あらゆる芸術のジャンルの中で、音楽が、一番、優れた芸術だと思っている。




また。それとは、関係ないが。

覚醒剤使用に対する、法のあり方に問題がある。

覚醒剤使用は、殺人や強盗などの、凶悪な犯罪ではない。

なので、ほとんど執行猶予がつく、実刑判決になる。

しかし。

覚醒剤は中毒性疾患であり、自分の意志で、やめることは、不可能なのである。

だから、実刑で、執行猶予をつけても、中毒患者を、世の中に、解き放つだけなのである。

再犯の可能性が、90%以上、と、わかっているのである。

執行猶予中でも、覚醒剤に手を出すことの方が、普通の人間なのである。

こんな、バカげたことはない。

(中毒性のない、微罪なら、実刑で、執行猶予つきで、世の中に、解き放っても、まず問題ないが)

ダルクに参加するとか、自分の意志で、中毒から、立ち直ろう、と、それを、一生、強靭な意志をもって、実行しなくては、ならないのである。

一度、覚醒剤の味をしめた人間は、一生、覚醒剤の誘惑との闘いとなるのである。



世間の人間は、覚醒剤にまた、手を出した人間は、「またか」、と、あきれるが、その感覚の方がおかしいのである。

世間の人は、覚醒剤というものが、どんなものであるかを、知らないのである。

否。世間の人も、覚醒剤の依存性は、知っているが、社会的に批判されて、本人も、真摯に謝罪しているから、もうしない、だろう、と軽く考えている。と言った方が正確だろう。

本人が、ダルクとかで、三年、覚醒剤をやめる戦いをします、と言ったら、実刑、執行猶予、で、釈放してもいいと思うが。

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