かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 56 中欧 405

2022-07-17 10:12:18 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)
      司会と記録:鹿取 未放


405 人体はなまなまとして苦しげなりカレル橋いつ雪に埋もれむ 

     (レポート)
 カレル橋は城下町と旧市街地を結ぶために造られた石橋。両側の欄干には30もの聖者の像がある。多くの戦いを経験した橋故の聖者とはいえ生々しい人間くささを感じたのではないか。せめて清浄な雪が降って一刻でも苦しさを消したい願望なのではないでしょうか。(N・I)


      (当日発言)
★人間か聖像か迷ったが、下の句の関連からすると聖像。また「苦しげ」という言いまわし
 は観察者のもの。人間の内面をリアルに表した結果、苦悩を背負った多くの像がカレル橋
 には建つことになった。「いつ雪に埋もれむ」は直訳すれば「いつ雪に埋もれるのだろ
 う」だけど、苦しげな像たちを雪で覆ってやりたいっと思ったのではないか。(鹿取)
★当然聖像。たとえばザビエルひとりとっても苦しい生き様だったわけだから。(藤本)
★なまなまを活かすと歴史を負った苦しみというのは違う感じ。(崎尾)
★私も藤本さんも歴史を負った苦しみとは言っていないです。人間の内面をリアルに彫っ
 た結果、聖像といえどもなまなまとした苦しげな様子で建っている、というのです。
(鹿取)
★聖像だったらなまなましいとは書かないのではないか。(曽我)
★生々しいのはやはり歩いている人だと思う。(慧子)
★雪に埋もれさせるのは、聖像でしかありえない。(藤本)
★そうですね、人間は移動しているので雪に埋もれさせることは出来ないでしょう。
(鹿取)


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